「いってぇーーっ!」
ジンは後頭部を擦りながら叫んだ。
一方、私は両手で顔を覆ったまま、意味もなくリビングをグルグルと徘徊する。
言えない!言えない!
言えるわけない!
「私にキスして」、なんて言えるわけねぇじゃん!!
その時、部屋のインターホンが鳴った。
ッ!もう!こんな時にっ!
訪ねてくるのなんて観月さんくらいだ!この前、来たばかりなのに。
インターホンを手に取り、モニターに映る人物を確認する。
しかし、そこに映っていたのは観月さんではなくて。
『あ…沢崎さん?』
『こんばんは。』
『あ、こんばんは…。』
画面に映る沢崎さんは帽子を目深に被っていた。
『夜遅くにスミマセン。この間挨拶したきりで、きちんと引っ越しの挨拶もしていなかったので。』
『あ〜、わざわざ、すみません。今、開けますね。』
私は、そう言ってインターホンを置いた。
「お客さぁん?」
ジンは床に座り込んだまま、聞いた。
一瞬にして、自分がついさっきまで描いていたピンクな妄想が復活してしまう。
後ろめたくて、私はしどろもどろになりながら言った。
「あっ、えっと、……お隣さん!」
ジンから返ってきたのは、
「ふ〜ん」というどこか素っ気ない返事。
けれど、それを気にする余裕もない私は逃げるように、玄関へ向かった。
天使サマ。
悪魔に魂を売ろうとしてゴメンナサイ。
ママ。
どうやら私は変態だったようです。
干物ときどき汚ギャルで変態…………ゴメンナサイ。
・『あかいしるし』・
「これ、キミに。」
玄関の扉を開けると、帽子と更にサングラスをかけた隣人・沢崎さんがいた。
そして、ジャージ姿の私に彼が差し出した物は、赤を基調にしたガーベラやバラの花束だった。
私は呆気に取られてしまう。
だって、普通こういう時って菓子折りか何かじゃない?花束って……。
何だよ、食いモンじゃねぇのかよ……という色気もない自分は置いといて、
私はとりあえず花束を受け取る。
「綺麗ですね。わざわざ、ありがとうございます。」
「川野さんは赤のイメージ。何となくね。」
はぁ…何となく…。
口角を上げて完璧スマイルで微笑む沢崎さん。
年齢も、身長も、さほどジンと変わらなそうだけど何ていうか……対照的?
ジンは癒しオーラと優しい雰囲気、
沢崎さんは色気(セクシー?)オーラがムンムン、みたいな。
「でも、花束なんて怒られちゃうかな?」
「はい?」
「カレシ、に。」
沢崎さんは、からかうような口調で言った。
「カレシなんていません!ペットはいますけど…。」
「ペット?」
「はい。犬なんですけど。」
「……名前は?」
「え…あ、ジンです。」
そう答えると、沢崎さんは急に真顔になった。
一体、何だって言うんだ??
「あの……?」
「あ、いや。……そっか、ペット、ね。」
そう言うと、沢崎さんはふっと微笑した。
「“犬”なら問題ないよね?」
「へ?」
沢崎さんは、さっと玄関先へ踏み込むと私を抱きしめた。
「なっ!!?」
私の背中はピッタリと壁にくっついて逃げ場がない。
沢崎さんは壁に手をついて、私を見下ろす。
「カレシがいないなら、俺なんてどう?」
「はっ!!?」
パニックだった。
完全にパニックだった。
初対面の時といい、この男は一体何なんだ!?
飼い主はいないのか!?
いるんだったら、『狂暴につき、危険』とか書いとけよ!?
つーか!その前に野放しにしてんじゃねぇよ!!
「とりあえず、キスから始めてみる?」
「ちょっ!ちょっ!待っ!!」
逃げ場がない。
もう、こんなのムチャクチャだ。
沢崎さんと私の間にある距離が縮まっていく。
沢崎さんの身体を押してみても、所詮は女の力。
何の意味もない。
顔を背けることしか出来ない自分…………マジでキスされる!!
思った瞬間、私は叫んでいた。
「ッ!ジンーーーっ!!」
その時、私の目の前から沢崎さんが消えた。
……正確には、飛んだ。
次に視界に入ったのは、ジンの長い足と不機嫌な表情。
……蹴ったのか?
…………蹴ったんだな。
玄関から追い出され、蹴り飛ばされた沢崎さんは背中をどこかに打ちつけたらしく悲痛な表情……。
ジンは先程の花束を持って外へ放り出すと、俯いて踞ったままの沢崎さんに吐き捨てるように言った。
「覚えておけ。次やったら殺すぞ。」
ジンは今まで見たことがないような、冷たい目をしている。
「この痴漢ヤローがっ。」
そう言って、玄関の扉を閉めようとしたジン。
しかし、沢崎さんはその扉に手をかけた。
サングラスをはずして、顔を上げる。
「待てよ……。」
ジンは振り返ると同時に沢崎さんの胸ぐらを掴んだ…………けど、
沢崎さんの顔を見た瞬間、その動きが止まった。
「久しぶりだな?」
……久しぶり?
沢崎さんは、確かにそう呟いた。
ジンは何も答えない。
無理やり沢崎さんを押しやると、乱暴に扉も鍵も閉めた。
ズカズカとリビングへ戻っていくジンを、私は追いかける。
「……ジン?」
「……アイツには、もう関わるなよ。」
「え?」
「…ただの痴漢だ。」
ジンの後ろ姿を見つめて、私はただ頷いた。
― 「久しぶりだな?」
沢崎さんは、そう言っていた。
さっきのジンの態度にしても、
二人は知り合いなのかもしれない。
でも、私は何も聞かないことにする。
ジンが、そうしてくれたように―……。
「あ〜!!」
突然、声を上げたジン。
「ジ、ジン?」
頭を掻き毟りながら、口を開いた。
「大体、隙があるから、あーゆー事になるんだよ!」
「へっ?」
…もしかして、もしかして………。
「ジン?」
「あっ?」
「もしかして、ヤキモチ?」
「ッ!」
ジンは、私に背を向けてしまう。
でも、その耳は赤く染まっていて。
え〜!なに、このコ!?
可愛すぎるんですけど!!
「ねぇ?ヤキモチ〜?」
わざと、からかうような調子で言ってみる。
ジンは俯いてうなだれる。
ヤバイ〜!可愛い〜!!
変態ゴコロに火が点いちゃった私は、さらに調子に乗ってみた。
「なに?なに?ヤキモチなの?」
ジンの表情を覗き込むようにしてそう言うと、
次の瞬間。
「え!?ジン!!?」
ジンは、簡単に私を抱き上げてしまった。
「ちょっと!やっ!降ろしてーー!!?」
私を抱き上げたまま、歩きだすジン。
そして、ソファーに降ろされる。
顔を上げようとした瞬間、今度は押し倒されて、
ジンは私に覆いかぶさった。
一気に形勢逆転………。