……そういえば、この子は昔からハッキリするところはハッキリしていたし、イイ意味でも悪い意味でも真っすぐな子だった。
その真っすぐさに、私も正面から向き合うべきだ。
「…安心して。桜助を盗るつもりなんてないから。
それに……私、スキな人いるから。」
「へっ?」
「えっ?」
間の抜けた桜助と歩美の声が、またも同時に発せられた。
「何ソレ!?はっ!?どういう事だよっ!」
「翼…スキな人なんていたの?」
「うん!」
桜助と歩美にそう答えると、私は怪訝そうな表情のナナセちゃんに向き直る。
「片思いかもしれないけど…今は自分でも引きそうになるくらい、その人に夢中だから。桜助のことなんて眼中にないよ。」
「……ナナセのこと、怒ってないんですか?」
「怒ってたよ。最初はムカついたし。
でも、すぐに忘れちゃった。」
「え?」
私は微笑んでみせる。
「すぐに忘れちゃうくらい、その人でいっぱいだから、さ。」
私の言葉を聞いて、ナナセちゃんは黙って俯いた。
修羅場?
ううん、
これは仲直りだって、私は思ってるよ。
私はカバンを手にすると、三人に言った。
「じゃ!愛しの愛犬がウチで待ってるからさ。」
「翼!」
桜助が声を上げる。
……ったく。この男は、本当に…。
「桜助!」
「は、はい!」
桜助は反射的に背筋を伸ばし、私は桜助を指差して言った。
「私の後輩、泣かせたら許さないから!」
その瞬間、ナナセちゃんも顔を上げた。
「分かった!?」
「は、はい!!」
私の迫力に負けた桜助は、ハッキリと返事をした。
「じゃっ!」
私はそう言うと、
駆け足で教室を出た。
全く、こっちは急いでるっていうのに。
本当にKYな男だ。
……まぁ、でもね、
カッコ悪いヤツになるのも悪くない。
もしかしたら、タダの負け惜しみに見えたかもしれないし、強がりにだって見えたかも。
でも、私の中にしっかり一本の線があって。
負け惜しみでも、強がりでもなくて。
私を慕ってくれた可愛い後輩と、かつてスキだったオトコがHAPPYならイイなぁ、
なんて思ったのだ。
恋によって変わったナナセちゃんの気持ち、分かるし。
私も、きっと同じ。
恋に落ちて、自分の中の何かが弾けた。
あの夜のキスが、
私に魔法をかけたんだ。
瞳に映る世界はカラフルで、腐りかけていた毎日が宝石のように輝きだした。
さぁ、帰ろう。
ジンが待ってくれているから。
おウチへ帰ろう!
・『キスミー』・
ラジオから流れる洋楽は、昔ママと見た映画の主題歌だった。
私は、それに耳を傾けながらジンの髪を撫でていた。
ソファーに座る私の膝にジン………膝枕状態パート2。
洗いたてのジンの髪は手触りが良く、指先で梳くように撫でてやると、
ジンは瞳を閉じて満足そうに微笑んだ。
それだけの事なのに、私の心は騒ついてしまう。
今までただのペットにしか見えなかったオトコが、ただのオトコに見える。
艶々の黒い髪、すっと通った鼻筋、シャープな輪郭、唇。
…………。
………………。
私、ジンとキスしたんだよね……。
そう思い出した瞬間に、あの時のキスが鮮明に甦った。
ピンクな回想が繰り返し脳を支配する。
あっちに行けっ!ピンク!!、と思わず頭を振ってしまった。
……ジンは、どう思ってるんだろう――…。
私は毎日ドキドキしている。
でも、ジンは?
ジンは変わったところもなく、いつも通り。
キスしてからも、いつも通り。
“ご主人サマ”だから?
“ペット”だから?
最初に“ご主人サマとペット”のカンケイを言い出したのは、私。
今さら、「スキ」だなんて言えるわけがない。
……言えるわけない。
ジンを見つめれば、心地よさそうに瞳を閉じたまま。
一度、自分の気持ちに気づいてしまうと、ジンに対する感情は途切れる事なく流れだす。
……私、やっぱり変態かもしれない。
だって、今思ってるから。
……キスしたいなぁって。
キス……口づけ………接吻…………。
あぁっ!ピンクな妄想!
どっか行けーーっ!!
私の心に囁く天使と悪魔。
天使は言った。
『ダメよ!ツバサ!
勝手にキスなんてして、ジンにドン引きされて「うぁ…変態…。」なんて思われたらどうするの!?』
うっ……。それは立ち直れない…。
悪魔は言った。
『いいじゃねぇか!キスなんか減るモンじゃねぇんだ!欲望に素直になっちまえよ!』
減るモンじゃない……よ、欲望……。
私の内側で繰り広げられる戦い。
ど、どうしよう!
ドン引きされんのはヤダ!
でも…でも、キス……したい。
眉間に皺を寄せて考え続けていると、いつの間にか瞳を開けていたジンと目が合う。
くりっとした瞳が、私を見上げていた。
……ペットにしか見えなかったのに。
マジで犬に見えたことだってあるくらいなのに!
……今は…、王子様に見えてしまう。
ジンは不思議そうに口を開いた。
「どしたの?ツバサちゃん。」
「え?」
「何か悩み事?俺、聞くよ!」
「い、いや……。」
「ほら、話してみてよ。俺に出来ることなら、力になるし!」
「………デキルコト?」
「うん♪」
………ごめんなさい。
天使サマ。
私は悪魔に魂を売ります…………。
「…あ、あのね……ジンにお願いがあるの。」
「うん!」
「…………私に……キ……。」
「木?」
「キ、キ…キ……キ〜………いやぁーーー!!やっぱり無理っ!!言えない!!」
「え!?あっ!うっわっ!!!」
私は両手で顔を覆い、すっくと立ち上がる。
その拍子に、ジンは私の膝から……そしてソファーから転げ落ちた。
「いってぇーーっ!」
ジンは後頭部を擦りながら叫んだ。
一方、私は両手で顔を覆ったまま、意味もなくリビングをグルグルと徘徊する。
言えない!言えない!
言えるわけない!
「私にキスして」、なんて言えるわけねぇじゃん!!
その時、部屋のインターホンが鳴った。
ッ!もう!こんな時にっ!
訪ねてくるのなんて観月さんくらいだ!この前、来たばかりなのに。
インターホンを手に取り、モニターに映る人物を確認する。
しかし、そこに映っていたのは観月さんではなくて。
『あ…沢崎さん?』
『こんばんは。』
『あ、こんばんは…。』
画面に映る沢崎さんは帽子を目深に被っていた。
『夜遅くにスミマセン。この間挨拶したきりで、きちんと引っ越しの挨拶もしていなかったので。』
『あ〜、わざわざ、すみません。今、開けますね。』
私は、そう言ってインターホンを置いた。
「お客さぁん?」
ジンは床に座り込んだまま、聞いた。
一瞬にして、自分がついさっきまで描いていたピンクな妄想が復活してしまう。
後ろめたくて、私はしどろもどろになりながら言った。
「あっ、えっと、……お隣さん!」
ジンから返ってきたのは、
「ふ〜ん」というどこか素っ気ない返事。
けれど、それを気にする余裕もない私は逃げるように、玄関へ向かった。