あまい檻−キミ、飼育中。−






「観月さん…泣きすぎだって。そんなんだから38歳独身で、ママにも相手にされなかったんだよ。」



そう言ってみると、途端に観月さんは顔を赤らめた。




観月さんは、私のママをずっと慕っていた過去がある。


それは、当時まだガキンチョだった私から見ても一目瞭然だったけど、思いが報われることはなかった。




観月さんは、一度咳払いをしてから口を開く。


「と、とにかく!“先生”にも何とご報告したらいいのか…。」


「…テキトーに、何とでも言えるでしょ。」



冷たく言い放つ私に、観月さんは悲しそうな瞳を向ける。





「翼様…。“先生”は翼様のことを本当にご心配されておられます。」


「あの人はっ!ママの葬式にも来なかったじゃない!」





私の声が、部屋の中に響き渡った。




「……あの人の話はしないで。…用が済んだなら帰って。」


「翼様……。」


「…私は元気だし、これからも元気だから。」




顔に張りつけた笑顔は、観月さんの瞳にどう映っただろう。













帰り際、
観月さんは玄関で私に背を向けたまま、ポツリと呟いた。



「翼様……あの男は、…あのペットは危険かもしれません。」


「はっ?」


「私、思い出せないのですが…どこかで見た事があるような気が致します。
お知り合いになられた時は裸足で外を歩かれていたという事ですし、もしかしたら………指名手配犯じゃ…。」


「……まさかぁ。」



私は、あっけらかんと笑い飛ばす。





「素性が分からない以上、何が起こるか分かりません…。もしも!何か、ございましたら、いつでも私にご連絡くださいっ!」


「はい、はい。」


「それから……“先生”の方には、うまく申し上げておきますから、ご安心を。」


「…ん、ありがとう。」








観月さんが立ち去った後、私はいつまでも玄関に立ち尽くしていた。
















よりによって、観月さんにバレるとは。




私とジンのヒミツの同居と、ヒミツのカンケイ。








観月さんは、あの人にうまく嘘をつけるかな。


顔に出やすいからなぁ、観月さんは。





……まぁ、でも。

あの人に、どう思われようと……構わないけど。









私とママを捨てた、あの人に…………。




























・『やさしい楽園』・




















ママは、とても美しい人だった。

見た目だけじゃない、
心の美しい人。




ママは、あの人を心から愛していた―……























「ツバサちゃん、ミルクティー冷めちゃうよ?」


「えっ?」





ジンの声にハッとした。

私はソファーに腰かけて、マグカップを持ったまま停止していたらしい。


我に返り、ミルクティーを啜る。




けれど、それはもう生温くなっていた。






ジンは、私の隣に座っていたが、やがて立ち上がると窓の外を眺めながら口を開いた。



「東京って、昼間見るとゴチャゴチャしてるなって思うけど、夜は星の海みたいだね。」


「……ロマンチスト。」



ポツリと可愛げのないことを呟く。

ジンは気にしていないようだった。






窓の向こうに広がるのは華やかすぎる東京の夜景、
そう遠くない場所に東京タワー。






飲みかけたミルクティーのカップをテーブルに置いて、私はジンの後ろ姿を見つめた。









何も聞かないでいてくれる優しさと、それでも寄り添っていてくれる優しさ。







観月さんの訪問から私の様子が目に見えて可笑しいことにも、何も言わない。




それが心地よくもあり、同時に酷く寂しかった。











何だか、急に自分が欲張りになった気がする。





でも、最後の一歩を踏み出さずにいられたのは、分かっていたからだ。



プライドなんて格好いいものじゃなく、一度甘えてしまったら歯止めがきかなくなることを分かっていた。





「……ジンは、どうして私のペットになったの?」


「え?」


「普通、断るでしょ…。」




ジンは私の方に振り返ると、少し考えてから口を開いた。



「うーん、確かに最初は頭おかしいのかなぁ、なんて思ったよ。
でも、いいなぁ、って思った。」


「いいなぁ?」




ジンはニコリと微笑む。

黒目がちなガラス玉みたいな瞳を細める 、
愛らしいえくぼ。





「俺はね、もう人生の…色々なことが嫌になってたから。
でも、ツバサちゃんは、
ダメになった俺に普通に接してくれただろ?何者かも分かんねぇ奴に、さ。
ツバサちゃんに拾われた時、俺はもう一度命を吹き込まれたような気がした。」


「……大袈裟。」


「大袈裟かなぁ。」




ジンは苦笑しながら言った。














「俺の目には、ツバサちゃんが天使に見えたんだよ。」










……今なら分かる気がする。





― 「じゃあ、私のペットになる?」





あの夜、そう言った自分の本当の気持ち。






私、本当はずっと―……





















「…時々、考えるの。」


「…うん。」


「ママの人生は、幸せだったのかなって。」





私は、それからまた、ゆっくりと口を開いた。



「未婚のシングルマザー、
20歳で私を産んだママは……私が13歳の時に交通事故で死んだの。
それから、私は一人でここに住んでる。」



ジンは、ただ黙って私の話を聞いていた。


だから、私は話を続ける。




「ママは、あの人を心から愛していた。……でも、私を産んでから、ママはこの部屋で…まるで閉じ込められてるみたいだった。あの人を、ずっと待っていたの。
……でも、あの人が訪ねてくることは一度もなかった。ママの葬儀にも来なかったくらいだし、ね…。
当然と言えば、当然か。世間的に見たら、ママはただの愛人だから。
そんな人生が、本当に幸せだったのかな……。」


私は大きく息を吸い込んだ。




「ママは…テレビが嫌いでね、それは、テレビに映るあの人はまるで別人みたいに見えるからなんだって。
あの人は、豪華なマンションと金を渡しておけばいいと思ってる。だから、今だって一度も会った事のない娘に、バカみたいな大金を与えて、ときどき秘書の観月さんに様子を見に行かせる。
……私の父親は、本宮貴一郎なの。」


「…本宮って……。」





力なく微笑する。

他に、どんな顔をしていいのか、よく分からなかった。