バスガイドの世界においては、「修学旅行生はオバサン連中よりタチが悪い」とされている。
オバサン連中も、そうとうワガママで手に負えないこともあるらしいが、それ以上に一般常識が身についていない学生ほど手こずるものはないらしい。
「これは気合入れないと」
そうつぶやき時計を確認するとすでに出発時刻に迫っていた。
「え?マズイじゃん!」
周りのバスを見ると、少しずつ駐車場の出口へ移動を始めている。
当たり前だが運転席を見ても誰も乗っていない。
「勘弁してよ~」
ドアから降りて先導車両まで報告するしかない、と思ったその時、
「すまん!遅れた!」
と運転手が飛び込んできた。
運転席に飛び乗ると、あわてて手袋をしてエンジンをかける。
「良かったですー。あの、はじめまして、私・・・」
「後にして!先に出発するから。荷物チェックしてくれ」
遅れてきてその言い方はないだろう、と一瞬ムッとしたが、これから明日の夕方までは彼とペアを組まなくてはならないことを思い出し、
「・・・はい」
と素直に荷物のチェックをはじめた。その間にも遅れを取り戻そうと、動き出したバスは駐車場の出口へ急いだ。
バスが大きな道へ出ると、ようやく数台先に4号車が見えた。
「あぁ、良かった。すまんかった、トイレが長引いてなぁ」
「いえ、大丈夫です。あの、はじめまして。私、今田佳織といいます」
運転手はチラッと佳織を見るとすぐに前に視線を戻し、
「新人さんか。いや、ウワサには聞いてたけどキレイやな~」
と笑った。
「そんな・・・」
現金な佳織である。すっかり顔に笑顔が戻っている。
「私、はじめてなんで本当にご迷惑をおかけしますが、一生懸命がんばりますのでよろしくお願いします」
バスガイド用のステンレス製のバーにつかまりながら、佳織は言った。
「あぁ、こちらこそたのむわ。俺、山本っていうねん」
「関西の方なんですか?」
そのイントネーションに佳織は尋ねた。
「まぁな。もう愛知に住んで20年やけど、ちっとも大阪弁は抜けへん。なんでやろな」
意外に人なつっこい笑みでこちらを見てくる。歳のころは50歳くらいだろうか。運転焼けをしていない腕を見るところによると、正社員ではないのかもしれない。
「すまんけど、今日の予定全然把握してへんねん。教えてくれる?」
悪びれた様子もなく言う山本に、佳織は手元の資料を見て答えた。
「私たちのバスは、札幌私立北高校3年5組の担当です。生徒38名と担任1名の39名の予定です。これからまずはヒルトンホテルへお迎えに行き、そこから東海北陸道を通り岐阜の下呂温泉を目指します。途中休憩は、ひるがの高原サービスエリアですね」
「なるほど」
山本は満足そうに大きくうなずいた。
「うまくできないかもしれませんが、本当にすみません」
「大丈夫。しかし、今時の私立はヒルトンに泊まるんやなぁ。不況なんて関係ないんやろうな」
山本が唇をとがらせて言う。
「そうですね・・・」
そう答えながらも、佳織は岐阜へ向かいながらのガイド内容を復習することで頭がいっぱいだった。あと30分もすれば彼らが乗り込んでくるのだから、緊張もピークに達してきている。
「大丈夫」
「え?」
言われた意味が分からずに、佳織が顔をあげる。
「そんな緊張せんでも大丈夫やで。学生なんてガイドが美人ならそれで満足。あとは勝手に騒いでるだけ。そういう生き物や」
その言い方に思わずふき出す。
山本のような明るい運転手に言われると、大丈夫な気がしてくる。
バスは駅前を通り過ぎ、ほぼ予定時刻にヒルトン駐車場に到着した。すでに学生の集団が大駐車場に並んで待っていた。
ホテルマンに誘導され、一番後ろの集団の前に駐車する。
ドアを開けると、すぐに集団の前に立っていた女性が乗ってきた。
「本日はよろしくお願い致します。私、5組の担任の鳥岡と申します」
丁寧に頭を下げる鳥岡は30歳くらいだろうか。長い髪を1つにしばった美人だった。
「よろしくお願い致します、ガイドを努めさせていただきます今田佳織と申します。不慣れですが、よろしくお願い致します」
先輩に教えられたように、最敬礼をして自己紹介をした。その後、運転手の山本を紹介した。
鳥岡が降りるのにつづいて佳織も外へ出る。
生徒達の視線が一斉に集まるのを感じた。いわゆる『品定め』ってやつだ。
コソコソと話をしているのが聞こえる。
「八木君、移動お願い」
鳥岡が声をかけると、メガネをかけたいかにも学級長っぽいタイプの男子が、
「はい」
と返事をし、皆に移動開始を告げた。
佳織は入り口のそばに立ち、
「いらっしゃいませ」
とこけら落としよろしく、何度も頭を下げた。
余裕の笑みを浮かべているつもりだが、はたから見ればこっけいなほど緊張しているかもしれない。
紺のブレザーの集団が乗り込むと、知らずにため息がこぼれた。
「みんな決められた席に座ってくださいね」
学級長であろう八木の声も、生徒たちのはしゃぐ声に消えている。
「すげー、トイレついてる!」
「えー、そっちの席が良かったのにー」
一向に落ち着く気配のない生徒たちに、そろそろ佳織が声をかけようかと思ったその時、
「うるさーい!さっさと座れ、コラ!」
斜め前に立っていた担任の鳥岡の罵声がひびいた。
その声に皆がシーンとしずまり、あわてて席についた。
「ったく、うかれてんじゃねーぞ!オイ!」
捨て台詞のようにそう言った後、鳥岡は佳織を振り返って、
「お待たせしました」
と頭を下げた。
「い・・・いえいえ」
そう答えるだけで精一杯。こうでなくちゃ、高校生の担任は務まらないってことか・・・。
佳織が山本に合図を出すと、静かにバスはホテルを離れる。佳織は、棚からオペレーターが使うようなイヤホンマイクを取り出すと、耳に装着した。いまどきのバスガイドは、マイクを持って話すのではなく、両手が使えるイヤホンマイクでガイドをするのだ。
念のため、カンニングペーパーを左にある台の上に置くと、いやがおうでも生徒たちの視線がこちらに集まる。
「本日は・・・」
話しだしてすぐに、マイクのスイッチが入っていないことに気づく。右側にある操作板の『マイク』スイッチをオンに入れる。
一呼吸おいて、佳織は話し出した。
「みなさん、おはようございます。本日は『愛鉄バス』をご利用くださいまして誠にありがとうございます」
・・・なんだっけ?
いきなりセリフがとんであせったが、さりげなくカンニングペーパーを覗き込む。
「わたくし、今回皆様のガイドを務めさせていただきます、今田佳織と申します。明日の夕刻までどうぞよろしくお願いいたします」
深く頭を下げると、パラパラと拍手がおきた。
「みなさま、昨日の市内観光はいかがでしたか?楽しまれましたか?」
そう尋ねる自分の顔が笑っていないことに気づき、佳織はあわてて微笑んだ。
「昨日のバスガイドよりはキレイ!」
後ろの方の席にいる男子が声を上げ、ドッと笑いが起きた。
昨日は市内観光だから違うバス会社だったはずだ。
「それはありがとうございます」
昨日のよりは、というセリフがひっかかったが、佳織は軽く頭を下げた。
「さて、本日は岐阜県にございます下呂温泉をめざしてまいります。明日の夕刻まで温泉街にて過ごしていただき、その後ホテルへ戻って参ります。あさってからは三重県へと向かわれるようですね」
下呂温泉に三重県の伊勢神宮参拝なんて、ほんと年寄りくさい修学旅行だ。
「これよりバスは東海北陸道へ向かい、岐阜県の飛騨高山を経由した後、下呂へ向かってまいります。休憩は、岐阜県のひるがの高原となっており、ここから1時間半程で到着予定です。それまでの間、トイレは後部にあるトイレをご使用ください。座席は前より座っていただいておりますので、後ろ数列が空いてございます。ご気分の悪くなった方は、座席をベッドに変えることもできますのでご遠慮なくお申し出くださいませ」
研修ではいつも「早口すぎる」と言われ続けたので、ゆっくりしゃべることに集中してそこまでを言った。
これからしばらくは自分の席に座っていられる。
佳織は、ガイド用の補助席に腰をおろすと、大きく息を吐き出した。11月というのに背中には汗をかいていた。