二人揃って、ずぶ濡れの制服でプールサイドに腰かけているのは、滑稽だと思う。


肌に張りつく制服は、水に沈んだせいで重い。




タオルで髪から滴り落ちる雫を拭いながら、
今日知り合ったばかりの百瀬 透という不可思議な男子と、まるで非日常な状況にいる事が現実らしくなかった。






「おとなしそうな顔してんのに、エリーって意外とキレやすい?」


「……かもしれない。」




百瀬が着ている制服のシャツは肌に張りついていて、その身体の骨格を浮かび上がらせている。



シャープな顎から首筋、鎖骨と伝っていく雫を見た時、あたしはなぜか見てはいけないものを見た気がして目を逸らした。


不覚にも、ドキドキしたのだ。






「カルシウム不足でない?」


「……いいよねぇ、モモは。」


「何が?」





あたしは、プールに落下する赤とオレンジが混ざったような光を裸足で弄びながら言った。



「あたしは、自分が嫌いだから…モモみたいな体型の人は羨ましい。」


「体型?」



よく分からない、といった表情のモモ。


あたしは、大きな溜め息を零した。










「失恋したのー!
……っていうか、告る以前に逃げちゃった。
モモみたいな体型だったら、少しは自信持てて告る事もできたかも、なんて……っていうか、何であたし…こんな話してんだろ。」






………まぁ、いっかぁ。




非日常の延長って事にしちゃおう。


どうせ、もうコイツと関わる事もないだろうし。






「エリー。」


「なに?」



モモは、ニカっと笑った。





「さっきから、俺の事“モモ”って呼んでるけど。」

「…へ?」






………モモ……。





…完全に無意識だった自分が、マジで恥ずかしい………。





「あだ名で呼ぶようになったら、もう親友だな!」


いや、その基準なに!?



あたしの思いと裏腹にモモは立ち上がって、言った。



「ダチの悩みは、俺の悩み。俺の悩みは、ダチの悩み。」


「はっ?」



さっぱり意味が分からない、あたし。





モモは跪いて、そんなあたしの両手をまたしても両手で握った。






「よし!エリー、リベンジだ!!」


「……リ…ベンジ…?」


「告白リベンジ!!」






















…………どうしたら、

そういう答えになるんだ?





















― 「さっさと来なさいヨ!チョイデブーー!!」


「モモ…マジ殺すーー!!」 ―












結局は、何も変わらないのだ。





学級委員、優等生が教室でキレたところで何が変わるわけでもない。







心配そうに、でもどこか好奇心を浮かべて質問責めにする美帆を適当にあしらうのも予想通り。




教室で、チビから痛い視線を受けるのも予想通りだ。







あたしがキレた事なんて、日常で起きた小さな事件に過ぎない。










ただ一つ、大きく変わった事を除けば…………。










「エリー!!」



昼休み。

廊下から聞こえたモモの声に、あたしは思わず飲んでいたサイダーをむせた。




他人の教室にズカズカと、何の躊躇いもなく入ってきたモモは、あたしの机までやって来る。


一緒に弁当を食べていた美帆は、唖然としていた。





「エリー!今日、公園で待ってるからな!
ちゃんと動きやすい格好で来いよ!」


あたしは、机に突っ伏してしまいたい気持ちになった。



美帆は小声で、誰?、と聞く。


しかし、それに答えたのはあたしではなく、モモ本人だった。





「はじめまして!
3年1組、百瀬 透!“モモ”って呼んでね〜!」






……ウザい………。





美帆は、自己紹介されてもきょとんとしている。







「しっかし、きったねぇなぁ。」




モモは机の周りを見渡して言った。



そうして、おもむろに隣の席のメガネに言った。




「おい、コレお前のだろ?片付けろよぉ。」


「えっ……あ、あぁ。」






この2ヶ月、思っていても口に出せなかった一言をモモは簡単に言ってのけた。

ごく自然に。





あたしは、そんなモモをやっぱり羨ましいと思ったけど、もう腹は立たなかった。










モモの思考回路は、あたしには理解できない。



告白リベンジ→自分に自信を持とう!→コンプレックス撃退!→ダイエット→「俺も、付き合ってやる!」





……途中までは分かるにしても、なぜ“俺も、付き合ってやる!”となるのだろうか。









放課後の公園に、一度帰宅してジャージに着替えてからやって来たあたしを、モモは既に自転車に乗って待っていた。




「……マジで、やるの?」


「当然!ダイエットだろ?って事は………手っ取り早くランニングだ!!」



どうして、あたしより遥かにやる気マンマンなんだろう。


この明らかな温度差をモモが感じていないのも不思議だ。






「よぉし!じゃあ行くぞー!!俺についてこい!!」



モモは自転車に乗って走りだす。



あたしは仕方なく、その後ろを走ってついていく。





夕暮れの空の下、吹いている風は生温くて不快でしかない。










前を自転車で走るモモの背中は、やっぱり憎らしい程バランスが取れている。



骨の浮き上がり方も、形も、奇麗だと思ってしまう。

悔しいけど…。




公園を出て河原の道を走りながら、バカみたいに赤い夕焼けが照らすモモの背中を、あたしは見ていた。








………に、しても……しんどい!



体育の授業でさえ、適当にやってるっていうのに!






徐々に自転車との距離が広がっていく。




それに気づいたのか、モモは少しスピードを落として振り返った。





「エリー?」


「……な、に!?」


「目標何キロ落とすんだぁ?」


「…………。」


「エリー?」





……あぁ!!もう!!うっさい!!!





「4キロ!!」






モモは、ペダルを漕いでいた足を止めた。

そうして、笑う。





「だったら、さっさと来なさいヨ!チョイデブーー!!」



なっ!!?アイツっ!マジで!!!



「モモ……マジ殺すーー!!!」




ほとんど全速力で走り始めたあたしを確認すると、モモは再び自転車を漕ぎ始める。




「その調子、その調子、ファイトーー!!」




うっさい!バカ!!!











モモの意外とスパルタなダイエット大作戦初日。





スタートした公園に戻ってきた頃、あたしはすっかりヘロヘロだった。



荒い呼吸で、錆ついたベンチに倒れこむように座る。

わき腹が痛い上に、足は重い。





一足先に戻っていたモモは、そんなあたしに冷たいスポーツドリンクを差し出す。



「……ありがと。」




モモは隣に腰かけて、暗くなってきたなぁ、と呟く。





夕方の空は、もう日も沈んでしまって青紫色を浮かべている。





あたしは、モモから貰ったスポーツドリンクを喉へ流し込んだ。



心地いい冷たさが身体中に浸透していく気がした。






「なぁ、ちなみに聞いていい?」


「……なに?」


「エリーの好きな奴って誰?」




……何で躊躇いもなく、さらっとそういう事を聞けるんだろう。




けれど、ここで答えないのも不自然な気がして、仕方なく素直に答える。



「……学校の王子様。」


「あぁ、志木かぁ。」



モモは、笑った。





………っていうか、そこ笑うトコじゃなくない?