モモは、何も言わなかった。
あたしは、黙って駆け出した。
雨に濡れた地面は、踏みつける度にグチャグチャと音がする。
一度も、振り返りはしなかった。
校門を飛び出して、走り続ける。
しばらく、そうしてから足を止める事なく、あたしは歩いた。
降り続く雨。
濡れた前髪。
あたしは泣いた。
いつだって堪えてきた涙を、今のあたしに止められる程の力は残っていない。
すれ違う人が、あたしを怪訝な表情で見ている。
でも、もう、どうでもいい事だ。
モモを叩いた時の熱さが、今も右手に残っている。
それは、悲しくて、寂しくて、愛しい熱。
モモの言っていることは、全部的を得ている。
あたしが下らない嫉妬に胸を焦がしていた間、モモはもっと別のものを見ていた。
先の先、ずっと未来を見ていた。
あたしなんかとは比べものにならない程、モモは大人だった。
ちゃんと自分の道を、夢を見ていたんだ。
あたしは、どこまでもガキで、身勝手で………。
それでも、
それでも、言ってほしかった。
こんな、あたしだけど……こんな、あたしだけど…………。
本当は、言ってほしかった。
“ついてこい”って、言ってほしかった。
― 何やってんだろう、あたし。
格好悪くて、ダサくて、バカみたいだ。 ―
文化祭の次の日は、学校が休みでよかったと思う。
低血圧のあたしは、朝はなかなかベッドから起き上がれない。
……いっか、別に。
あと少し、寝よ…。
あたしは、目を閉じる。
そうして結局、目覚めたのは昼前の、中途半端な時間だった。
部屋のカーテンを開けると、太陽の光が差し込んでくる。
その眩しさに目を細め、開けたはずのカーテンをまた閉めてしまった。
せっかくの休みだっていうのに、特別やる事もない。
外へ出るのも、億劫だ。
あたしは、下らないテレビをつけたまま、何も考えずに一日を過ごした。
ぼんやりと。
それでも、携帯電話ばかり気になって何度も、何度も、手に取る。
けれど、携帯電話が鳴る事はなかった。
意味もなく、ダラダラと過ごした一日が終わり、また朝がやってくる。
いつもの時間に起きて、制服に着替えて家を出たものの、ほんの少し歩いたところで立ち止まってしまった。
大きな溜め息を吐く。
学校に行きたくなかった。
だって、同じ学校なのだ。
クラスは違うとしても。
もしも、廊下で偶然擦れ違ったら?
もしも、遠くから、その後ろ姿を見つけてしまったら?
そこまで考えて、あたしは学校とは逆方向へ歩きだす。
その日、あたしは初めて無断欠席というやつをした。
行くあてもなく、目的もなく、あたしは歩いた。
何もする事がないし、何をしたいとも思わない。
けれど、自分は今、小さな自由を手に入れた。
そう思うと、少しばかり心も軽くなる。
どこへでも、行けるんだ。
……でも、あたしは18年も“蒼井エリ”をやっているから知っている。
自分の性格を嫌という程。
どこへでも行ける自由を手にしたって、あたしは結局どこへも行かれないのだ。
真面目なだけの優等生が、慣れない事をしているわけだ。
行く場所なんて、たかが知れている。
大体、こんな廃れた田舎町で行動範囲なんて狭いもの。
そんなあたしが足を運んだのは、ダサい事に町立図書館………。
さすがに、自分で呆れてしまう。
自動ドアを抜けると、館内は程よい冷房の風に満ちていた。
この時間、学生の姿はなく、母親と幼い子供や老人ばかり。
セーラー服なんて着てるのは、勿論、あたし一人。
それでも、彷徨うように歩き続けるよりはマシだった。
壁に掛けられた時計を見上げれば、もう1限が始まっている時間だった。
……どうでもいい、心の内でそう呟いて、あたしは図書館の本棚を一つ一つ見て回る。
読書は嫌いじゃなかった。
でも、どの本にも心を動かされない。
本に手を伸ばしては、簡単にパラパラと捲って、また本棚に戻す。
その繰り返し。
あたしは、また溜め息を吐き出す。
まえに、美帆が言っていた。
溜め息の数だけ幸せが逃げちゃうんだよ、と。
それが本当なら、あたしには幸せなんて、もう微塵も残っていないだろう。
ふと、絵本のコーナーで足が止まる。
白雪姫、シンデレラ、人魚姫、かぐや姫。
みにくいアヒルの子、赤ずきん、長靴をはいたネコ………。
どれも、小さい頃に読んでもらった。
白雪姫だとか、人魚姫だとか。
お姫様に憧れたり、大きくなったら王子様が迎えにきてくれる、
なんて疑いもせずに夢を見ていた小さなあたし。
………はっ…バカらし。
あたしは、心の中で嘲笑う。
誰も来てくれないよ、アンタになんか。
現実は、おとぎ話のようにロマンチックでもなければ、劇的でもない。
現実は、甘くない。
“幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。”なんて、有り得ない。
………んっとに、バカみたいだ。
図書館は静かで快適だったが、結局あたしは1時間ともたなかった。
晴れたブルーの空に点々と雲、雲、雲。
もうすぐ、息の長かった今年の夏も終わる。
秋は、もう、すぐそこまで来ていた。
駅の近くの通りは、たくさんの店が立ち並んで人も多い。
この田舎町で、他に時間を潰せそうな場所が思いつかず、あたしは洋服屋や雑貨屋を冷やかして回った。
昼食は、偶然見つけた小さな喫茶店で取る事にした。
『ジロー』というシンプルすぎる名前の喫茶店は、そこだけ時間が止まっているみたいに古臭かった。
店内は薄暗く、聞いた事もない歌謡曲のような音楽が流れている。
客は誰一人いなかった。
何となく居心地が悪く立ち尽くしていると、カウンター席の奥から店主らしき人物が顔を出した。
頭にスカーフを巻いて、サングラスをかけたオバさん……おばあさん?
そんな不思議な風貌の店主は言った。
「どこでも好きに座んな。」
「あっ、はい……。」
戸惑いつつ、1番近くのテーブル席に座った。
この店に入ってしまった事を、あたしは既に後悔していた。