やりがいはある。仕事はキライじゃない。だけど――私は……いつまで働くんだろう。
いつまで、働けるんだろう。
男女平等とは言うけれど、男女は違うじゃない。
男と女はどうしたって同じにはならない。
男は子供を産めないし、女は力がない。
仕事をしていたって、男女は一緒じゃない。一緒の立場にいたって、第三者はそうはみない。そんなに簡単な事じゃない。
デザイナーだって、私が女であるだけで軽く扱ってきたり。相手が男性になれば急に掌を返したり。
女だから感情的だと決めつけられる。
女だから部下だと思われる。
同じように接しているつもりでも、同じにはならない。なりうるはずがない。
その場所で、私はいつまで働くことが出来るんだろう。
そして私は――いつまでも働きたいと思っているのだろうか。
そんな立場で――私は何を守れるんだろう。守りたいの? 男性のように。か弱い子供を必死に受け止めたいの? 達也と隆平を、何があってもご飯を食わすぞ、とか。不自由ない生活をさせてあげないと……と。
そこまでの覚悟を、私はちゃんと抱いている?
「あー終わった!」
同僚がぐいっと背を伸ばしたとき、時間は8時。
企画書もほぼフィックスで、今日はいつもよりも早く帰れそう。
それだけで心がふっと軽くなる。
「先輩、せっかくですし、飲みに行きます?」
「あーごめん、帰るわ」
「えー……」
後輩が私のそばにやってきて、眉をへの字に下げた。
その様子を見ていた同僚が「じゃあ、俺と行く?」と声を掛けていて、ぼんやりと気があるんだろうなーなんて思ったりしながら帰る準備を始める。
たまには早く帰ってあげないと。平日あまり起きている隆平に会えないし。
せっせと机を片付けている間に、飲みに行く話はそこそこ大きくなっていて、5人くらいが今から何処に行くかを話合っていた。
「じゃ、おさきー」
「お疲れ様ですー」
いいな、と思う気持ちがないわけじゃないけれど……仕方ない。
結婚する前は、気兼ねなく飲みに行っていた。朝まで飲み続けることもあったし、その間タバコも本数なんかわからないくらいに吸っていた。
――働くのは、楽しい。
楽しいことばかりじゃないけれど、それすらも楽しみにいずれ変わる。
いつの間にか28歳になった。
同じように彼氏も28歳になった。
このまま30になっても、40になっても、私たちは変わらないのかも知れない。
私は働いて。達也が家のことをしてくれて。
「やっぱ、結婚って考えたらそれなりにお金もいるっしょ」
「現実的ー」
「だって養ってもらうんだよ? 無職とかないわー」
電車で目の前の女の子たちが話しているのに耳を傾ける。
私よりも若い女の子二人。
可愛くて、彼氏なんてすぐにできそうな女の子たち。
結婚したら、少なからず養ってもらうのだと思っていた。多分両親がそういった形だからだろう。母は常に家にいたし、父はいつだって仕事だった。
どんなに遅く帰ってきても、母は父を出迎えた。
そんな両親も、あと数年で還暦を迎える。
私はどうなるんだろう。達也はどうするつもりなんだろう。
このまま――ある意味終わりなく働き続ける? いつまでも必死に。隆平を小学校に行かせて、いずれ高校も大学も。そのときいくらのお金が必要になるだろう。
その全てを、私が背負っている。
――重い
そして
――漠然とした、不安。
達也も隆平も、大事で大好きなのに……心のどこかで思ってしまう。
――どうして私一人が支えなければならないのか、と。
しわくちゃのおばさんになっても、必死に深夜まで働く自分なんて、想像していなかった。
「ただいま……」
いつもよりも早く帰宅した家の中には、隆平の明るい声が響いている。
時間は9時。いつもよりも夜更かししているのだろう、きゃっきゃとはしゃぐ声と、廊下を走る音。
「あ、お帰り! 今日は早かったね!」
隆平を抱きかかえて玄関にやってきた達也に「うん、たまには」と返して、隆平を抱きしめた。
なにを言っているかわからなかったけれど、ニコニコと笑って、私の髪の毛を軽く引っ張る。
いつのまにか、成長している。
そういえばこの前達也が、一人でも座れるようになったんだと、そう言っていたっけ。
温かいミルクのニオイが、心を穏やかにさせてくれる。
「はい」
リビングのテーブルに腰掛けると、いつものように達也の料理が並べられた。
今日の晩ご飯は私が大好きなビーフシチュー。そして湯気の立つフランスパンと生ハムの添えられたサラダ。
「最近疲れてたから」
「ありがと」
ビーフシチューをつくのは、5時間くらいかかるんだとか言っていたのに。
朝から隆平の世話をしながら作ってくれたんだろう。
ブロッコリーも添えられているし、フォークで突き刺したにんじんも、柔らかく、ほんのりバターの風味がした。
「――で、これも」
「……え?」
ビーフシチューに腹を膨らませると、続いてチーズケーキ。
「なにこれ」
「何となく。甘い物っていいだろ?」
ケーキなんて久々すぎて、どうしていいのかわからない。それだけじゃなくて、これは明らかに手作り。
「好きだったなーって思い出して」
「あーあー」
達也の言葉に同意するように、隆平が声を出す。
まだなにを言っているかはわからないけれど、達也は「なー?」と呼びかけた。
うす黄色のチーズケーキは、私が作るよりも遙かにおいしそうに膨らんでいて、口の中に含むと、ぶわっとチーズの味が広がった。
達也はまだまだ就職活動中なことをしっている。本当は誰よりも働かないといけないと思っていることを知っている。
隆平は達也といる時間が長くても、いつも私のそばにいてくれる。そして笑いかけてくれる。
疲れたときになにも言わずにフォローしてくれる。
どんなに遅く帰っても、達也は起きて待っていてくれる。
おいしいご飯に、優しい笑顔。
――ほんとはこんなにも重たくて大切な物を背負うつもりはなかった。
だけど。
――それがこんなにも幸せなことに気づかせてくれた。
「頑張らなくっちゃ、ね」
ママは大黒柱だ。
二人に支えられてはいるけれど。ね。
End
君のキスと紅茶の香り
20120626
密フェチ参加作品
・
\THANKS REVIEW/
つきひと様 ひな子、様
高山様 古和文子様
蒼井深可様
ねえ、知ってた?
“今日はどのキスがいいかな”って悩みながら茶葉を選んでるの。
・
ピーッとケトルが鳴り響いて腰を上げた。
隣の彼はそんな事気にもしないでゲーム画面を見つめたまま操作を続ける。
弱火にして、ポットにお湯を少し注いで温まるのを待つ間、今日は何にしようかな、と12種類の紅茶を並べて腕を組んだ。
ハロッズのアールグレイもいいけれど、今日はちょっと上品なフォートナム&メイソンのロイヤルブレンドもいいな。でもハロッズのNo.14も捨てがたい。フレーバーティもいいなぁ。ダージリンもウバも、セイロンも……。
いろんな種類を楽しむのが好き。
だけどここまであると毎回悩んでしまう。
昨日はフォションのアフタヌーンティだったっけ。
それを飲んだ彼は、確かアールグレイだと言った。じゃあ今日は……。
よし、と小さく呟いて、決めた缶を手にして缶の蓋を開けると、茶葉の香りが舞う。
深く吸い込んで目を閉じる。
ああ、やっぱりいい匂い。この香りが一番好き。そして、彼に良く似合う。
横目で彼を見れば相変わらずゲームに夢中。何の紅茶を選んだかは見てないだろう。
ポットのお湯を捨てて、リーフをティースプーン4杯。そして勢いよくお湯を注いだ。
ポットの中で茶葉がふわふわと落ちたり浮いたり。その様子を眺めながらマグカップに角砂糖を1つずつ。
三分待ってマグカップに注いで出来上がり。
「はい」
「あ、ありがと」
紅茶を机に置くと、タイミングが良かったのか、彼が画面から目を逸らしそのままマグカップを手にした。
香りを嗅いで、口に含む。味わうように飲み込んでから「うーん」と呟いた。
「今日は何だと思う?」
「これは……アールグレイ?」
「……ブー、はいキス」
彼が今日の紅茶を当てだしたのはいつから分からない。
紅茶が好きなクセにいっつも当てられないのが面白くて、いつからか間違ったらキスしてもらうことにした。
目を瞑って彼のキスを待つ私の唇に、「えー、また違うの?」と言いながら紅茶で暖かくなった彼のぬくもりが重なる。
ふわりと香る、紅茶のニオイ。
ほんのりと口の中に広がる紅茶。
ああ、コレが好き。
彼のキスには紅茶が良く似合う。
紅茶はより一層美味しくなって、彼のキスまで美味しくなる。
このキスが、溜まらなく、幸せな気分にさせてくれる。
「――で、今日の紅茶はなんだったの?」
「……秘密」
今日は、アールグレイのキス。
この先も、彼には間違ってもらわなくちゃ、ね。
END
「偏食症候群(シンドローム)」
◆
電子書籍『午前二時のショコラティエ』参加作品
テーマ:チョコレート
私は仕事帰りに毎日、家の近くのコンビニで、板チョコ五枚を必ず買うことにしている。
その習慣は、おおよそ半年前に始まった。
・
「美治……なに、してんの?」
準備が丁度できたところで、背後から和希の声が聞こえてきて顔を上げると、眉をひそめ訝しげに私を見つめる彼の姿があった。
「お風呂の準備」
「……なに言ってんの?」
「ほら、早く服脱いで」
彼の質問には一切答えずに、自分の告げたい言葉だけを口にし、腰を上げて彼の服に手をかける。
「……ちょ、待てって! なんで脱ぐの?」
「お風呂入るからに決まってるでしょ?」
「いや、違うだろ!」
私の手を掴む彼の手に動じることなく、強引に彼のシャツを捲り上げて、ゴムの緩くなったジャージを引き下ろした。いとも簡単に馬鹿げた格好になって、羞恥と困惑の表情に染まっていく彼はとてもかわいい。
とはいえ、私はお風呂に入って欲しいだけ。彼の体に触れることもなければ、気持ちよくさせてあげようなんて気持ちだって微塵もない。
ただ、お風呂に浸かったあとの彼ならば、今までにないほど愛せるかもしれない。
だからこそ、さっさと風呂に入れ。
「ほら」
手を引いて、彼を浴槽の前に連れて行く。
一歩中に入っただけなのに、そこは甘ったるい匂いが充満していた。
「……冗談、だろ?」
「冗談でこんなことすると思う?」
引きつった笑いで問いかける彼に、真面目な顔をして私が答えると、さすがに彼も真剣な顔つきに変わった。
・
和希とは、大学四回のときに友達の紹介で出会った。会う回数を重ねるたびに自然と“好き”の気持ちが生まれ、育ち、付き合うようになった。明確に、言葉にして告白をされたわけでもなければ、“付き合おう”という会話もなかった。気がつけば私は彼に抱かれていたし、私もそれをなんの抵抗もなく受け入れた。それに不満は抱いていなかった。
彼が私を好きなことも。私が彼を好きなことも言葉にしなくてもわかっていたから。
だから、私の部屋でテレビを見ながら『一緒に暮らそうか。その方が楽だし』とムードもへったくれもない彼の言葉も『いいよ』と軽い言葉で受け入れた。
そんな風に始まり過ごしてきたこの二年間は、いつも穏やかで、楽しかった。
わかりやすい優しさは見せない人だったけれど、些細な言動にそれは十分感じることができた。
『美治』
彼が私を呼ぶその声が大好きで、抱かれるたびに何度も名前を呼んでと要求した。その度に彼は、呆れたように、だけど優しく微笑んで名前を呼んでから一気に私を責め立てる。
私の口を塞ぐ彼の薄い唇に、私の胸を包む大きな手。私の名前を呼ぶ少ししゃがれた声。いたずらっ子のような瞳。
好きだった。間違いなく、確実に。
けれど、もちろん、彼との生活になにひとつ不満がなかった、というわけではない。
食生活に関しては、相容れることができなかった。
『……お前、ほんっとそれ、好きだよな』
晩ご飯を一緒に食べていると必ず、信じられない生物を見るかのような目で私を見つめながら、和希は言った。
『食べる?』
そう勧めても、彼は『いらねえよ』と苦笑して自分のご飯を食べる。
食べもしないで“まずい”と決めつけるなんて失礼だと思う。確かに、見た目はあんまりよくないかもしれないけれど……。
真っ白のご飯――と、ほどよく溶けたチョコレート。それが私の定番メニューだった。
私がこの世で最も嫌いな食べ物、それが白いご飯。
けれど、昔から嫌いだったわけじゃない。むしろ幼いときはご飯だけを食べるほど大好きだった。“もう食べたくない”と思うほど。
つまり、結果、飽きてしまい今に至る。
今ではこんな味のない食べ物を茶碗いっぱい食べなくてはいけないのかわからない。カレーや炊き込み御飯なら渋々食べれるけれど。
しかし、ご飯を食べたくないと思ったところで、簡単に避けることができないのが日本人。いい年してこのままではいけない、なんとか食べられるようにならなくちゃ、と思い、試行錯誤を重ねた結果、一番私に合った食べ方が“ご飯にチョコレート”だったのだ。
甘いものが嫌いな彼にとっては、毎日チョコレートを食べる私を理解できなかったのだろう。私から言わせれば、甘いものが嫌いであることの方が理解できない。
ついでに言えば、和希はご飯が何よりも好きな人だった。よく『こんなに甘くておいしいのに』なんて言う。味覚がおかしいんじゃないだろうか。
毎日ご飯が食べたいと言う和希のために、渋々毎日お米を炊き、食卓に並べた。故に、私はほぼ毎日“ご飯にチョコレート”を食べているだけだというのに渋そうな顔をされるのは納得できない。
『そんなに食べ続けて、チョコレートもご飯みたいに飽きねえの?』
諦めたようなため息を落としたあとは決まってそう言われた。
飽きるなんて、一生食べ続けても、天地がひっくり返ってもあり得ないだろう。私にとってチョコレートは別格。なににだって合うし、むしろなお一層美味しくしてくれたりもする。
どんな好物だって、食べ続けていくうちに多少なりとも飽きてしまったりする中で、たった一つ、変わらない好物。奇跡の産物だ。作った人に拍手を送りたい。
きっと、チョコレートがあれば大丈夫なんだ。それさえあれば、好きでなくなったものも、私には瞬時に好物になる。そう、白ご飯のように。
・
だから、私は食べきれないほどのチョコレートを毎日買い続けた。行きつけのコンビニ店員に変な顔されたって、“チョコ中毒”なんて失礼なあだ名をつけられたって、めげずに通い詰めたのだ。
「だから、早く入ってよ」
「だ、か、ら、意味がわかんねーって」
浴槽を見つめたままの彼を肘でつつくと、困惑に怒りが混ざった顔をして抵抗を続ける。
人がせっかくお風呂入れたのに。昨晩、いや朝方か、先に寝たから何時帰宅したのかわからないが、布団を酒臭くするほど飲んで、昼過ぎまで気持ちよさそうに眠っていた和希のために、朝からせっせと準備したのに。
「意味はわかるでしょー? お、ふ、ろ、に、入って」
「……お風呂ってお前知ってるか? お湯なんだぞ?」
そんなこと私だって知ってますけど。
生まれてこのかたお風呂に入ったことのない女だとでも? なんて失礼な。一緒にお風呂に入ってセックスをしたことも忘れたのか。最低だな。
そう思いつつ、口にしないで彼の目を真っ直ぐに見つめる。
「お前の言うこのお風呂とやらは、なんでチョコレート色をしていて、なんで甘ったるいチョコレートの匂いがして、なんで俺はこれに浸からなきゃいけねーんだよ」
ドロドロに溶けた浴槽のチョコレートは、さっきよりも表面がうっすらと固まっていた。
ああ、せっかく必死に溶かしたっていうのに。この準備に何時間かかったと思っているのだろう。いや、そもそもこれだけのチョコレートを用意するのに、いくらかけたか。
「入らないの?」
「入るかこんなもん」
真面目な顔に怒りを含めて私を見つめる。
いつもだったらここでやりすぎたかな、と思ったりもしただろうけれど、全裸で大事なところを隠す事もなく突っ立っている姿は情けなさ過ぎて気を抜くと笑ってしまいそうだ。
とはいえ、いつまで抵抗し続けるのだろう。このまま入らないかったらどうしようか。やっぱりご飯食べている最中に頭から溶かしたチョコレートをぶっかけたほうがよかったかな。その方がチョコレートに費やしたお金も時間も、これほど莫大にはならなかったに違いない。
ああ、失敗した。その方が目的は確実に達成できたというのに。
せっかく用意したのになぁ、と諦めきれず大量のチョコを見つめていると、隣で和希が盛大なため息を落とす。視線をあげると、和希は呆れた顔をして頭を掻いていた。
……なにかを考えているのだろう。
和希の言葉を黙って待っていると「ほんと、意味がわかんねえ」と呟いてから浴槽に脚を突っ込んでいく。
ずぶずぶずぶ、と音を出して彼の体を沈めていくチョコレートは、私が言うのもなんだけれど、ひどく気持ち悪く見えた。
「これで満足?」
浴槽に腰を下ろして、皮肉を込めた笑みから溢れる彼の優しさに、ぐさり、とナイフが胸に刺さったかのように痛んだ。
私のことをきっとバカだと思っているだろう。なんでこんなことをしなきゃいけないのかと感じているだろう。なのに、嫌そうにしつつも私のために入ってくれた。
チョコレートに染まってゆく彼の体。
これを見たかったはずなのに、異様にしか感じない光景に涙が一気に溢れ出し、私の視界をぐにゃりと歪ませる。
「なにかいえよ、泣いてないで」
「……バカじゃないの……?」
「お前がバカだろ」
「……もっと味わってよ。頑張ったんだから」
「知るか」
涙が止まらない。だけどおかしくて、笑いも止まらない。
そんな私を気にすることなく、いつも通りに和希は私に接してくれる。
ぼろぼろと零れて止まらない涙に、胸が苦しくなってその場にしゃがみ込んだ。
こんなにも優しいのに私はどうして……。
でも彼もきっと同じことを思っている。それがわかっているから、余計に悲しい。
チョコレートで染まった彼の手が私の頬に触れた。涙を拭おうとしてくれたのだろうけれど、私の顔にチョコレートがついただけだったのか、彼が優しく、悲しそうに笑った。
「もう一度……好きに……なりたか……った……」
顔をぐしゃぐしゃにして、和希の顔をまっすぐに見つめながら呟く。彼は眉一つ動かさず、ただ小さく「うん」と返した。
「知ってた」
「……知ってるのも、知ってた」
「俺も……同じ気持ちだった」
「……知ってた」
だからこそ、もう一度好きになりたかった。