廊下を歩きながら、ぼくは何度も振り返った。
「…………」
やっぱり見られている。
剣を持つ騎士さん、荷物を運ぶ騎士さん、そして馬の世話をする騎士さん。
みんな、ぼくと目が合うと慌てて顔をそらす。
「こんにちは!」
「お、おう!」
試しに手を振ると、大きなおじさんがびくっとしながら振り返してくれた。
「返してくれた!」
「そりゃ返すだろ」
カイルお兄ちゃんが笑う。
最初は怖かったけれど、挨拶を返してもらえると怖さが消えていく。
「お前、誰にでも挨拶するんだな」
「うん!」
「偉いなぁ」
「おばあちゃんがね、挨拶はちゃんとしなさいって」
「そうか。いいおばあちゃんだったんだな」
「うん! とっても!」
答えた瞬間、胸の奥がちくっとした。
もうおばあちゃんはいない——でも、教えてもらったことはたくさん残っている。だから、ちゃんと守らなくちゃ。
「こっちだ」
ガルドおじさんの声に前を向く。
案内されたのは大きな部屋だった。真ん中に立派な机があり、壁には大きな地図が貼られている。
「ここ、ガルドおじさんのお部屋?」
「執務室だ。仕事をする部屋だよ」
カイルお兄ちゃんが教えてくれた。
「――そこに座れ」
言われた椅子に、えいっと飛び乗る。
「よいしょっ……できた!」
「……言えば乗せてやるんだが」
「一人でできるもん!」
座ってみると足が床につかず、ぷらぷら揺れる。向かい側にガルドおじさんとカイルお兄ちゃんが座ると、部屋が急に静かになった。
「――リオ」
「はい!」
「お前の家族は、本当に祖母だけなのか?」
「うん。おばあちゃんだけ」
「両親は?」
「いないよ。ちっちゃい頃から二人だったから」
お父さんとお母さんのことを一度だけ聞いたことがある。
『いつか、お前がもっと大きくなったら話そうね』
おばあちゃんはそう言った。だからもう聞けない。そう思うと、少しだけ寂しかった。
「その祖母は?」
「お休みしたんだ、長いおやすみ」
「…………」
「おばあちゃんが言ってた。人はいつか、朝になっても起きないくらい長い眠りにつくんだって」
「……お墓も、お前が?」
「うん! お家の裏の大きな木のところ。《土ほぐし》してから、スコップでいっぱい掘ったよ」
ガルドおじさんの大きな手が伸びてきて、ぼくの頭にぽんっと乗った。
硬くて大きくて、ちょっと乱暴だったけど、すごく温かかった。
「よくやったな」
「…………うん」
泣きそうになって俯く。泣いちゃ駄目だ。ぼくは強い子なんだから。
「それで」
ガルドおじさんが手を離す。
「なぜ森を出た?」
「おばあちゃんが、自分がいなくなったら森の外へ行きなさいって」
「どこへ行けとは?」
「言ってないよ」
「金は?」
「お金?」
ガルドおじさんが黙り、カイルお兄ちゃんが天井を見た。二人が難しい顔をして何か話している。
「リオ」
「はい!」
「森を出たあと、どうするつもりだったんだ」
「どうする?」
「どこへ行くつもりだった」
「…………」
あ、考えていなかった。
うーんと唸ったあと、返事をした。
「……パン屋さん?」
「ぶっ」
カイルお兄ちゃんが吹き出した。
「だって、おばあちゃんが言ってたもん! 森の外には蜂蜜がいっぱいかかった甘いパンがあるって!」
「その後は?」
「…………別のパン屋さん?」
「くっ……!」
「カイル、笑うな」
「無理です団長……!」
どうして笑うんだろう。パン屋さんは大事だと思うんだよね。
少しだけ、嫌な気持ちになった。
「……つまり、何も決めずに出てきたわけだな」
「うん!」
「元気よく答えるな」
ガルドおじさんは深いため息をつき、カイルお兄ちゃんを見た。
「町の孤児院へ連絡を入れろ……受け入れの確認に数日はかかる」
「了解です。それまではここで預かりますね」
「こじいん?」
首をかしげるぼくを見て、カイルお兄ちゃんが説明してくれた。
「孤児院っていうのはな、家族のいない子供たちが一緒に暮らしている場所だ。リオくらいの子もいるぞ」
「へぇー! お友達いっぱいできる?」
「多分な」
「すごい!」
同いくらいの子に会ったことがないから、ちょっとわくわくする。
「ただし、すぐには行けん。だから数日はこの砦で暮らしてもらう」
「ここで?」
「ああ。泊まっていいぞ、ご飯も出す、お風呂もある」
「本当!? お泊まりだ!」
初めてだ、おばあちゃん以外の人と一緒に過ごすなんて。
「ありがとう、ガルドおじさん! カイルお兄ちゃんも!」
「どういたしまして」
嬉しくて足をぱたぱたさせていると、ふと大事なことに気づいた。
ご飯を食べさせてもらい、ベッドも借りるのに、ぼくが何もしないのは駄目だ。
おばあちゃんが言っていた。
『人に何かしてもらったら、自分にできることでお返ししなさい』って。
「ガルドおじさん!」
「なんだ」
「ぼく、働くね!」
「……は?」
「ここに泊めてもらうから、お掃除も、お洗濯も、薪割りもお料理もできるよ!」
「子供を働かせるつもりはない!」
ガルドおじさんの声が大きくなった。
思わず体が反応しちゃった。
「だめ?」
「駄目だ」
「どうして?」
「子供はそれでいいんだ」
「よくないもん!」
「良くないことはない」
ぼくとガルドおじさんはじっと見つめ合った。
「ぷっ……」
「カイル」
「すみません、団長が子供と本気で言い合ってるのが面白くて」
「笑うな」
カイルお兄ちゃんがクスッと笑う。
「リオ、どうしてそんなにお手伝いしたいんだ?」
「だっておばあちゃんが、親切にしてもらったらお返ししなさいって」
「…………」
「ぼくだけ何もしないのは駄目なの……ちょっとだけ、だめ?」
お願いすると、ガルドおじさんはものすごく難しい顔をした。
「団長、簡単なことくらいならいいんじゃないですか?」
「お前まで何を……」
「本人がやりたいんですから。仕事じゃなくてお手伝いです」
「同じだ」
「違うよ! お手伝いは、お手伝いだもん!」
ぼくが言うと、ガルドおじさんは長い長いため息をついた。
「……好きにしろ。ただし、危険なことは禁止だ。重い物も持つな、剣に触るな、勝手に外に出るなよ」
「はい!」
「疲れたら休め、怪我しないようにするんだ」
「わかった!」
やった。これでおばあちゃんとの約束を守れる。
ぼくは体をぴょんぴょんさせながら言った。
「ぼく、いっぱいお手伝いするね!」
「いっぱいしなくていいから、人の話を聞け」
ガルドおじさんは頭を抱え、カイルお兄ちゃんは笑っている。
まずは、泊めてもらうお部屋をきれいにしよう。
ぼくは拳を作ってガッツポーズをしたのだった。
「…………」
やっぱり見られている。
剣を持つ騎士さん、荷物を運ぶ騎士さん、そして馬の世話をする騎士さん。
みんな、ぼくと目が合うと慌てて顔をそらす。
「こんにちは!」
「お、おう!」
試しに手を振ると、大きなおじさんがびくっとしながら振り返してくれた。
「返してくれた!」
「そりゃ返すだろ」
カイルお兄ちゃんが笑う。
最初は怖かったけれど、挨拶を返してもらえると怖さが消えていく。
「お前、誰にでも挨拶するんだな」
「うん!」
「偉いなぁ」
「おばあちゃんがね、挨拶はちゃんとしなさいって」
「そうか。いいおばあちゃんだったんだな」
「うん! とっても!」
答えた瞬間、胸の奥がちくっとした。
もうおばあちゃんはいない——でも、教えてもらったことはたくさん残っている。だから、ちゃんと守らなくちゃ。
「こっちだ」
ガルドおじさんの声に前を向く。
案内されたのは大きな部屋だった。真ん中に立派な机があり、壁には大きな地図が貼られている。
「ここ、ガルドおじさんのお部屋?」
「執務室だ。仕事をする部屋だよ」
カイルお兄ちゃんが教えてくれた。
「――そこに座れ」
言われた椅子に、えいっと飛び乗る。
「よいしょっ……できた!」
「……言えば乗せてやるんだが」
「一人でできるもん!」
座ってみると足が床につかず、ぷらぷら揺れる。向かい側にガルドおじさんとカイルお兄ちゃんが座ると、部屋が急に静かになった。
「――リオ」
「はい!」
「お前の家族は、本当に祖母だけなのか?」
「うん。おばあちゃんだけ」
「両親は?」
「いないよ。ちっちゃい頃から二人だったから」
お父さんとお母さんのことを一度だけ聞いたことがある。
『いつか、お前がもっと大きくなったら話そうね』
おばあちゃんはそう言った。だからもう聞けない。そう思うと、少しだけ寂しかった。
「その祖母は?」
「お休みしたんだ、長いおやすみ」
「…………」
「おばあちゃんが言ってた。人はいつか、朝になっても起きないくらい長い眠りにつくんだって」
「……お墓も、お前が?」
「うん! お家の裏の大きな木のところ。《土ほぐし》してから、スコップでいっぱい掘ったよ」
ガルドおじさんの大きな手が伸びてきて、ぼくの頭にぽんっと乗った。
硬くて大きくて、ちょっと乱暴だったけど、すごく温かかった。
「よくやったな」
「…………うん」
泣きそうになって俯く。泣いちゃ駄目だ。ぼくは強い子なんだから。
「それで」
ガルドおじさんが手を離す。
「なぜ森を出た?」
「おばあちゃんが、自分がいなくなったら森の外へ行きなさいって」
「どこへ行けとは?」
「言ってないよ」
「金は?」
「お金?」
ガルドおじさんが黙り、カイルお兄ちゃんが天井を見た。二人が難しい顔をして何か話している。
「リオ」
「はい!」
「森を出たあと、どうするつもりだったんだ」
「どうする?」
「どこへ行くつもりだった」
「…………」
あ、考えていなかった。
うーんと唸ったあと、返事をした。
「……パン屋さん?」
「ぶっ」
カイルお兄ちゃんが吹き出した。
「だって、おばあちゃんが言ってたもん! 森の外には蜂蜜がいっぱいかかった甘いパンがあるって!」
「その後は?」
「…………別のパン屋さん?」
「くっ……!」
「カイル、笑うな」
「無理です団長……!」
どうして笑うんだろう。パン屋さんは大事だと思うんだよね。
少しだけ、嫌な気持ちになった。
「……つまり、何も決めずに出てきたわけだな」
「うん!」
「元気よく答えるな」
ガルドおじさんは深いため息をつき、カイルお兄ちゃんを見た。
「町の孤児院へ連絡を入れろ……受け入れの確認に数日はかかる」
「了解です。それまではここで預かりますね」
「こじいん?」
首をかしげるぼくを見て、カイルお兄ちゃんが説明してくれた。
「孤児院っていうのはな、家族のいない子供たちが一緒に暮らしている場所だ。リオくらいの子もいるぞ」
「へぇー! お友達いっぱいできる?」
「多分な」
「すごい!」
同いくらいの子に会ったことがないから、ちょっとわくわくする。
「ただし、すぐには行けん。だから数日はこの砦で暮らしてもらう」
「ここで?」
「ああ。泊まっていいぞ、ご飯も出す、お風呂もある」
「本当!? お泊まりだ!」
初めてだ、おばあちゃん以外の人と一緒に過ごすなんて。
「ありがとう、ガルドおじさん! カイルお兄ちゃんも!」
「どういたしまして」
嬉しくて足をぱたぱたさせていると、ふと大事なことに気づいた。
ご飯を食べさせてもらい、ベッドも借りるのに、ぼくが何もしないのは駄目だ。
おばあちゃんが言っていた。
『人に何かしてもらったら、自分にできることでお返ししなさい』って。
「ガルドおじさん!」
「なんだ」
「ぼく、働くね!」
「……は?」
「ここに泊めてもらうから、お掃除も、お洗濯も、薪割りもお料理もできるよ!」
「子供を働かせるつもりはない!」
ガルドおじさんの声が大きくなった。
思わず体が反応しちゃった。
「だめ?」
「駄目だ」
「どうして?」
「子供はそれでいいんだ」
「よくないもん!」
「良くないことはない」
ぼくとガルドおじさんはじっと見つめ合った。
「ぷっ……」
「カイル」
「すみません、団長が子供と本気で言い合ってるのが面白くて」
「笑うな」
カイルお兄ちゃんがクスッと笑う。
「リオ、どうしてそんなにお手伝いしたいんだ?」
「だっておばあちゃんが、親切にしてもらったらお返ししなさいって」
「…………」
「ぼくだけ何もしないのは駄目なの……ちょっとだけ、だめ?」
お願いすると、ガルドおじさんはものすごく難しい顔をした。
「団長、簡単なことくらいならいいんじゃないですか?」
「お前まで何を……」
「本人がやりたいんですから。仕事じゃなくてお手伝いです」
「同じだ」
「違うよ! お手伝いは、お手伝いだもん!」
ぼくが言うと、ガルドおじさんは長い長いため息をついた。
「……好きにしろ。ただし、危険なことは禁止だ。重い物も持つな、剣に触るな、勝手に外に出るなよ」
「はい!」
「疲れたら休め、怪我しないようにするんだ」
「わかった!」
やった。これでおばあちゃんとの約束を守れる。
ぼくは体をぴょんぴょんさせながら言った。
「ぼく、いっぱいお手伝いするね!」
「いっぱいしなくていいから、人の話を聞け」
ガルドおじさんは頭を抱え、カイルお兄ちゃんは笑っている。
まずは、泊めてもらうお部屋をきれいにしよう。
ぼくは拳を作ってガッツポーズをしたのだった。



