それは暑い夏の日だった



 一学期最後の日。
 俺は彼女を待っていた。

 学期末テスト明けに告白し、OKを貰った。できたてホヤホヤの彼女。二年で同じクラスになって初めて彼女を知った。
 小柄で笑顔の可愛い控えめな女子。なんとなく、俺にも好意があるんじゃないかなと感じていた。どうにか夏休み前までに告白できないかと考えていた。
 万が一『ごめんなさい』だった場合は気まずいけど、夏休みという会わない期間があればリセットできるかもと思っていた。
 そんなわけで無事俺たちはつき合うことになった。

 ホームルームを終え、昼食を取り終えた後、それぞれの部活に行く。彼女は合唱部。俺は写真部。二人とも文化部なのでそれほど遅くはならない。
 俺たちの教室で待つ約束をして、俺のほうが先に着いた。
 ふと目に入った教室の時計は、五時七分を指している。
 俺は窓際に歩いて行く。
 窓から西門とグラウンドが見える。
 青い空。目に眩しい西日。
 夏のこの時間はまだまだ暑い。
 
 遠くに救急車のサイレンの音が聞こえる。
 近年の夏は暑すぎる。熱中症で倒れる人も多いだろう。
 そんなことを思っていると。
 ガラッと教室のドアが開く音が聞こえた。
 待ちかねた彼女か? と振り返るとそこにいたのは、俺の親友だった。

「あれ、おまえ帰ったんじゃなかった?」 

 中二で同じクラスになり、意気投合した。一緒に登下校して、休みの日も二人で遊ぶことが多かった。
 そのうちお互いを親友と思うようになり、それが少し擽ったかった。
 俺たちは同じ高校に入学して、昨年一年間同じクラスだった。
 親友は部活に入っていなくて、今日は先に帰ったはずだった。

「うん、一回帰ったんだけど。ちょっと忘れ物しちゃって」
「おまえのクラス三階じゃん」
 俺は笑った。
 俺のクラスは二階、親友のクラスは三階だ。
「いや、おまえに渡すのを忘れた」
「そうなのか? それはわざわざ……」

 バスで四十分。この暑い中を戻ってきたのか。別に今日じゃなくても、夏休みの間でもいいのに。どうせ家もそんなに遠くない。
 でも、こいつはそういうヤツだと思い返した。部活に入っていないのに、俺が終わるまで待っているようなヤツだったと。
 そういえば……最近は、一緒に帰ってなかったな。
 俺に彼女ができてから。

「誕生日おめでとう」
 
 親友は掌を天に向け、両手を差しだしてきた。
「え?」 
 差し出された掌をひどく驚いた気持ちで見つめた。
 ショップで見るたびに「かっこいいなぁ」と言っていたブランドの時計だ。しかし、これはかなり高価なもので……。
 そして、俺の誕生日は八月十日。まだ先だった。

 その時、俺の耳にサイレンの音が大きく聞こえてきた。

 止まっていた時間が流れるような感覚がした。

「ありがとう」
 俺は両掌に大事そうに乗せられたその時計を、両手で丁寧に受け取る。
 親友ははにかんだように笑っている。
「でも、いいのか? これけっこう高かったろ?」
 金額のことを言うのはどうなんだと思うが、親友を労っての言葉だ。バイトもしていないような高校生には手の出せない金額なのだ。
「お年玉とか貯めた分と、ちょっと小遣い前借り?」
 へへっと笑う。
 そんなにまでして、俺にこれをプレゼントしたかったのか。
 感動。と、それとは違う何か。
 それとは違う何かって?
 俺にも分からない。少し背筋がざわざわするような。
 
 サイレンの音が耳元でワァンワァンする。

「でも俺の誕生日にはまだちょっとあるよな。」
 なんだかこの先は聞いてはいけないことのように、恐る恐る口にする。
「俺たちいつも誕生日は一緒に祝ってるよな……?」
 そう、出会ってからお互いの誕生日の日に一緒に祝っていた。
「……だって……」
 親友の目が揺らぐ。
「今年は彼女と祝うんだろ? もうオレとも一緒に帰ってくれないし……」 
 ピシッと音が聞こえそうなくらいに空気が凍る。
 青褪めた笑顔。

 ずっと耳元で鳴っていたサイレンがピタッと止まり、俺は思わず窓のほうを見た。

 ガラッ。
 再びドアが開く音。
 あれ? あいつはさっきドア閉めてたかな? と頭の隅で考える。

「大変! ……くんがっ! 教室の窓から落ちてっ」
 息せき切って入って来たのは今度こそ俺の彼女。上ずった声で親友の名を呼んだ。
「今、救急車が来てっ!」
 言葉は数秒かかって理解できた。
 何言ってんだと思った。
 だって親友は今ここにいる。
「あれ?」 
「なに?」
 俺が冷静なことを訝しんでいる。
「今あいつここにいたんだけど? 見なかった?」
「なに言ってるの?」
 ここには俺と彼女以外誰もいない。
 彼女が入ってくるまでいたはずの親友が……いない。
 俺は握った手を開いた。
 手の中にはあいつがくれた時計が。
 よく見ると、四時五十二分で止まっている。
「なんで……わぁーっっ」 
 俺は時計を放り投げた。
 それは、文字盤のガラスが割れていて、赤く濡れていた。放り投げた後の掌も赤く……。

 ――宙を飛んだ時計は、落ちる音もせずどこかに消え、掌ももう赤くはなかった。



 良かったら、貰ってやってください。
 あの子があなたのために用意した、誕生日プレゼントなんです。
 最期まで大事そうに抱えてました……。


 葬儀の日。
 親友の母親が手渡した箱の中には例の時計が入っていた。
 ガラスは割れておらず、時計はきちんと時を刻んでいた。
 俺はなにも言えず、黙ってそれを受け取った。

 事故だったのか、それとも。
 それ以外の可能性の理由が見当たらず、結局事故ということになったらしい。



 俺と彼女は夏休みの間に何度か会った。
 そして夏休み明けに……別れた。

「あなたのせいじゃないの。あなたといるといつももう一人誰かいるような気がして……私はそれが怖い。ごめんなさい」
 そして最後にぼそっと。
「彼……あなたしか友だちいなかったものね……」

 そうだったっけか?
 なんだかもう遠いことのような気がして、はっきり覚えていない。
 俺の親友はあいつだけだったけど、他にも普通に友だちがいた。あいつには他に友だちがいたんだろうか。
 そう今さらながら思う。



 季節は、秋から冬へ。

 正門を出てバスに乗り、三十分揺られ、十分歩いて家に着く。
 俺は一人だった。
 でも俺の隣にはいつも誰かがいるような気がしている。
 そして、俺は思う。

 なんでいつも俺の家まで来るんだ?
 おまえの家もうちょっと手前だよな?