思えば、自分が人生で一番輝いていたのは高校時代だった。
会社帰りの電車の中で、私、牛田美弥子は過去の栄光に思いを馳せた。下腹部の重みとナプキンの不快感が増すほど、その栄光はいっそう鮮やかによみがえる。
生理が人の生殖のために必要なものだってことは理解している。でも、私が最後に《《そういうこと》》をしたのは高校時代のことだ。それから十年以上も交際相手などはいない。そんな機会はすっかり遠いものになってしまったし、これから先も訪れるとは思えない。だったら、生理なんて私に必要だろうか。
でも、高校時代には彼氏がいたのだ。私にとって、それは今でも信じられないことで、自分の自尊心を保てる輝かしい成功体験だ。
私はスマホでSNSを開き、本間陽太のアカウントを確認した。配信されたばかりの新曲の宣伝が、英語の文章や画像を添えて投稿されている。海外で活躍する元カレの近況を見て、思わず甘く湿ったため息が出た。
陽太は根っからのバンドマンだった。高校生の時から本格的にギターの演奏を始めて、たびたびライブに出演していた。私も陽太からの招待を受けてライブハウスに足を運び、ステージ上で汗を光らせた恋人の姿に心を奪われていた。
陽太のような男子と交際できたことは、奇跡だ。たまたま親同士の付き合いがあり、陽太とは幼いころから仲がよかった。その後、中学時代の陽太は目立つ男子グループの中心人物となり、地味な私とはやや距離ができてしまった。
しかし、高校生になったら陽太の方から交際を申し込んできたのだ。地味な女子グループに属し、クラスでも目立たないようにしていた私にとって、それは青天の霹靂だった。
まさか、自分に、彼氏が! しかも、イケてるグループの男子に告られて。
後で陽太に理由を聞いたら、とにかく彼女が欲しかった、美弥子なら昔からの付き合いがあってちょうどよかったよ、と言われた。でも理由は何でもよかった。私にとっても、陽太は心を許せる幼なじみだったし、彼氏ができることへの憧れに勝るものはない。
陽太と過ごした日々は、それはそれは素晴らしいものだった。放課後にちょっとしたデートをし、ライブがあれば応援に行き、親の目を盗んで部屋で愛を育む。まさに理想的な甘い高校生カップルそのものだと感じられた。
でも、陽太はもうここにはいない。レコード会社か何かにスカウトされて、高校卒業とともにイギリスへ飛んでしまった。すがる私を置いて。
陽太にとっては、スカウトはプロのミュージシャンに近づけるまたとないチャンスだった。地味で凡庸な私とは天秤をかけるまでもない。彼は恋人との関係を清算し、海外で音楽の道に進むことを選んだのだ。
私はスマホを閉じ、今度は重いため息をついた。陽太のSNSをチェックすることは、色あせない過去の思い出に浸る行為でもあり、選ばれなかったという現実を突きつけられる行為でもあった。
早くナプキンを替えたい。駅に着くと、そんなことをぼんやりと考えながら家に足を向けた。街灯が並んだ生活道路を歩くと、自分の影が伸びて薄くなり、その次に縮んで濃くなるのが見えた。軽くうつむき、生き物のように伸び縮みする影を観察しているうちに、気が付けば自宅へ着いていた。
幼いころから変わらない、住み慣れた家。がちゃり、とドアを開けて玄関へ入ると、子どものように靴を脱ぎ捨てた。私はもう三十歳だが、家では愛する両親の一人娘だ。大人という皮を被る必要はない。
居間に入ると、ダイニングの椅子に座るママから声がかかった。
「おかえり。すぐにご飯にする?」
「ただいま。うん、お腹ぺこぺこ」
次に、私はリビングに視線を向けた。そこで、あ、と思って体が固まった。すっかり忘れてた。昨日から彼がいるんだ。
彼はスマホから顔を上げた。
「美弥子さん、おかえりなさい」
ニュートラルな表情でそう言う彼は、私が青春に置いてきた輝きを全身にまとっていた。
やっぱり、何度見ても。
陽太にそっくりだ――。
私は動揺を表に出さないように注意しながら言葉を返した。
「うん……ただいま」
その彼、光太は、陽太の弟だった。
会社帰りの電車の中で、私、牛田美弥子は過去の栄光に思いを馳せた。下腹部の重みとナプキンの不快感が増すほど、その栄光はいっそう鮮やかによみがえる。
生理が人の生殖のために必要なものだってことは理解している。でも、私が最後に《《そういうこと》》をしたのは高校時代のことだ。それから十年以上も交際相手などはいない。そんな機会はすっかり遠いものになってしまったし、これから先も訪れるとは思えない。だったら、生理なんて私に必要だろうか。
でも、高校時代には彼氏がいたのだ。私にとって、それは今でも信じられないことで、自分の自尊心を保てる輝かしい成功体験だ。
私はスマホでSNSを開き、本間陽太のアカウントを確認した。配信されたばかりの新曲の宣伝が、英語の文章や画像を添えて投稿されている。海外で活躍する元カレの近況を見て、思わず甘く湿ったため息が出た。
陽太は根っからのバンドマンだった。高校生の時から本格的にギターの演奏を始めて、たびたびライブに出演していた。私も陽太からの招待を受けてライブハウスに足を運び、ステージ上で汗を光らせた恋人の姿に心を奪われていた。
陽太のような男子と交際できたことは、奇跡だ。たまたま親同士の付き合いがあり、陽太とは幼いころから仲がよかった。その後、中学時代の陽太は目立つ男子グループの中心人物となり、地味な私とはやや距離ができてしまった。
しかし、高校生になったら陽太の方から交際を申し込んできたのだ。地味な女子グループに属し、クラスでも目立たないようにしていた私にとって、それは青天の霹靂だった。
まさか、自分に、彼氏が! しかも、イケてるグループの男子に告られて。
後で陽太に理由を聞いたら、とにかく彼女が欲しかった、美弥子なら昔からの付き合いがあってちょうどよかったよ、と言われた。でも理由は何でもよかった。私にとっても、陽太は心を許せる幼なじみだったし、彼氏ができることへの憧れに勝るものはない。
陽太と過ごした日々は、それはそれは素晴らしいものだった。放課後にちょっとしたデートをし、ライブがあれば応援に行き、親の目を盗んで部屋で愛を育む。まさに理想的な甘い高校生カップルそのものだと感じられた。
でも、陽太はもうここにはいない。レコード会社か何かにスカウトされて、高校卒業とともにイギリスへ飛んでしまった。すがる私を置いて。
陽太にとっては、スカウトはプロのミュージシャンに近づけるまたとないチャンスだった。地味で凡庸な私とは天秤をかけるまでもない。彼は恋人との関係を清算し、海外で音楽の道に進むことを選んだのだ。
私はスマホを閉じ、今度は重いため息をついた。陽太のSNSをチェックすることは、色あせない過去の思い出に浸る行為でもあり、選ばれなかったという現実を突きつけられる行為でもあった。
早くナプキンを替えたい。駅に着くと、そんなことをぼんやりと考えながら家に足を向けた。街灯が並んだ生活道路を歩くと、自分の影が伸びて薄くなり、その次に縮んで濃くなるのが見えた。軽くうつむき、生き物のように伸び縮みする影を観察しているうちに、気が付けば自宅へ着いていた。
幼いころから変わらない、住み慣れた家。がちゃり、とドアを開けて玄関へ入ると、子どものように靴を脱ぎ捨てた。私はもう三十歳だが、家では愛する両親の一人娘だ。大人という皮を被る必要はない。
居間に入ると、ダイニングの椅子に座るママから声がかかった。
「おかえり。すぐにご飯にする?」
「ただいま。うん、お腹ぺこぺこ」
次に、私はリビングに視線を向けた。そこで、あ、と思って体が固まった。すっかり忘れてた。昨日から彼がいるんだ。
彼はスマホから顔を上げた。
「美弥子さん、おかえりなさい」
ニュートラルな表情でそう言う彼は、私が青春に置いてきた輝きを全身にまとっていた。
やっぱり、何度見ても。
陽太にそっくりだ――。
私は動揺を表に出さないように注意しながら言葉を返した。
「うん……ただいま」
その彼、光太は、陽太の弟だった。



