遺書図鑑

過酷を極めた戦場において、兵士たちの自死は頻発していたと想像されがちである。しかし実際の記録をつぶさに検証すると、前線における純粋な「自決」は、通俗的なイメージよりもはるかに少数に留まるか、巧妙に隠蔽されていたことがわかる。

その最大の抑止力となっていたのが、軍人恩給および遺族扶助料(遺族年金)の給付規定であった。

当時、兵士が自死を遂げた場合、それは「自己の故意による公務外の死亡」とみなされ、遺族に対する扶助料の支給停止や大幅な減額、あるいは一時金の剥奪といった極めて重い経済的制裁が科された。一家の生計を担う大黒柱を戦地へ差し出した銃後の家族にとって、この給付が途絶えることは直ちに一家離散や困窮を意味していた。それゆえに兵士たちは、どれほど精神が崩壊の淵にあろうとも自死を許されず、また部隊側も家族への配慮や体面から、明らかな自決を「戦死」や「戦病死」として偽装報告することが常態化していたのである。自らの命を絶つことの権利すら、国家の社会保障制度の枠組みによって徹底的に管理・収奪されていた時代の歪みが、この遺書には痛切なまでに刻まれている。

また、本資料が『萬葉集』に挟まれていた点も、戦時下の文化統制を象徴する重要な背景を持つ。

戦時体制下の皇国史観において、『源氏物語』や『古今和歌集』といった王朝文学は「軟弱」「頽廃的」「不敬」として排斥され、谷崎潤一郎による『源氏物語』の現代語訳が発禁処分を受けたことは広く知られている。対照的に、『日本書紀』『古事記』、そしてとりわけ『萬葉集』は、天皇への忠誠や武勇、素朴な国民精神を鼓舞する「国学の聖典」として国家的に礼賛・奨励された。特に巻二十に収められた「防人歌」は、国を守るために召集された兵士の模範的心理として愛読が推奨され、多くの学徒兵が戦地へ携行を許された数少ない古典文学であった。戦地にあって唯一触れることを許された古典であった『萬葉集』は、彼のような文学部学生の心を辛うじて癒やしていたのであろう。

なお、佐久間が命に代えてその将来を守ろうとした妹の夏子は、彼がビルマの地で散華するわずか二ヶ月前、内地において流行した腸チフスに罹患し、十歳の短さでこの世を去っていた。軍の記録によれば、兄の「名誉の戦死」の報が実家に届いたとき、その宛先となるべき家族はすでに誰一人残されていなかったという。