アナタの後ろに私がいる、私の後ろにアナタがいる。


 店内にいる客の視線が集っている。
 至る所から、ヒソヒソとい押し殺した声が耳に届く。
 顔を上げて周囲を見渡すと全員が顔を伏せ、まるで深夜のように静まり返った。
 いつもこうだ。彼氏と外出して飲食店に入るだけで、店内にいる人達の注目を浴びてしまう。店内の人達の中には、当然、従業員も含まれる。気付かれないように見ているつもりなのかも知れないが、当事者の一人である私には分かってしまう。本当に困ったものだと思う。だけど、それを責める気にはなれない。

 私はどこにでもいる一般人なので誰も気に留めないけれど、一緒にいる彼は違う。惚気でも自慢でもなく、芸能人よりもオーラを放っている。人を惹きつける。パリコレのモデル並のスタイルと立ち姿。椅子に座っても高価な絵画を見紛うほどの神々しさ。光を反射して輝く瞳は漆黒で、意思の強さを感じさせる眉は鋭くもあり穏やかでもあり、笑うとほんの少しだけ少年のような面影を見せる。澄み切った声は歌声のようで心に響き、その一挙手一投足が自然に呼吸を奪う。だから、喫茶店等でゆっくり寛ぐことができず、短時間で店を出るしかなくなってしまう。


 彼の名前は葉山(ハヤマ) 冬弥(トウヤ)。付き合って2年になる最愛の人だ。
 大学を卒業して社会人になる隙間の3月に、高校3年生時のクラスメイトが開催したクラス会で再会した。その1ヵ月後に思い切って告白し、奇跡的にオッケーという返事をもらった。あれから2年間、ずっと恋人同士だ。冬弥の仕事が忙しいため月に1度くらいしかデートもできないけれど、毎日SNSを利用したメッセージのやりとりをしている。帰宅して寝るまでの数時間を、一緒に過ごす。それだけでも十分に幸せを感じている。

 私は高校の時に成績が良くなかったから、それなりの大学に進学することしかできなかった。やりたい事が見付からず、今は派遣会社の登録社員として短期で色々な会社で仕事をしている。本当にやりたい事が見付かれば、全力で取り組もうと思っている。こんな感じだけれど、冬弥は私とは違い国立大学に進学した。そして、今は全国でも有数の大企業である住川商事に勤務している。本当に自慢の彼氏だ。

 冬弥にも伝えたけれど、高校3年生の時に一緒のクラスになり本気で好きになった。だけど、当時の冬弥には公認の彼女がいたし、教室の中で笑っている姿を眺めることしかできなかった。名前は忘れてしまったけれど、校内でも有名な可愛い彼女がいたのに、それでも告白する子がそれなりにいた。今でもそうだけど、地味な私にはそんな勇気はなかった。だから、ただのクラスメイトだった。たぶん、冬弥は私の名前すら知らなかったと思う。

 同じ県内とはいえ別々の大学に進学したため、高校を卒業すると同時に眺めることさえできなくなった。昔の偉い人曰く、人間は忘れる生き物だ。ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスが行った実験によると、1時間後には約56%から68%を忘れるらしい。1ヶ月後もすれば約79%を忘れるという。だから、当然のように私の中にある冬弥の記憶も、時間の経過と共に少しずつ風化し―――なかった。1年経過しても、2年過ぎても、3年の月日が流れても、あの明るい窓辺で輝いていた笑顔は少しも頭から離れることはなかった。


 そして4年目も終わろうとしていた時。
 大学を卒業した直後に、高校3年生の時に同じクラスだった誰かが発起人になってクラス会が開催された。普段は同窓会に顔を出すタイプではないけれど、高校3年生のクラスだけは特別だから出席することにした。
 普段は着ないような明るい色彩のワンピースを購入し、半年振りに美容院にも足を運んだ。いつもはスッピンに大きめのマスクをして誤魔化しているけれど、数年ぶりに丁寧にメイクもした。仲が良かったクラスメイトや、付き合いのある人がいなかったため会場のお店に入るには勇気が必要だった。だけど、ドアの隙間から見える冬弥の姿を目にした瞬間、そんなことはどうでも良くなった。

「えっと、小郷(コザト)さん、だよね? 久しぶり」
 泣きそうになった。
 ただのクラスメイトだった人に対する挨拶。
 だけど、私の名前なんて知らないと思っていたから。
「うん」
 そう返せなかったけれど、その時の私は俯いたままで泣きそうになっていた。

 クラス会の当日は、挨拶以上の会話をする機会はなかったけれど、その日以降、SNSを利用して言葉を交わし続けた。お互いの趣味や日々の出来事を入力し、関係性を深めていった。
 そして、我慢ができなくて、私だけを見て欲しくて告白した。
 一緒に出掛けた夜の公園で、眼下に広がる夜景を見渡しながら勇気を出した。

「ずっと好きでした。どうか、付き合って下さい」

 その瞬間から、冬弥は私の彼氏になった。
 その瞬間から、私は冬弥の彼女になった。