無能の白髪娘は胡蝶の君と結ばれる 〜噂の遊び人は、かつて救えなかった少年でした〜


朝一に花咲く薬草を摘んだついでに、店から一番近い橋の袂で朝日を眺める。ここに来てできた佳乃の習慣だ。

「今日もきれいな空。いい天気になりそう」

宵闇の黒から茜色、浅葱色と変化していく空を見ていると、どうしても楓雅のことを思い出す。
あの髪と瞳の色の記憶がすぐに蘇ってくるのだ。

楓雅を思うと噂の“雅様”のことも思い出す。
あれからも何度か妓楼を訪れているらしいが、佳乃が会うことはなかった。
ただ遊び人という話の通り、来るたびに違う花魁を指名している。
それを聞き、事情があると頭で理解しつつも、少しの嫌悪感と安堵感が佳乃にわいた。

(真面目だった楓雅様とは似ても似つかないわ。本当に別人なのね。ふいに顔を合わせてしまっても動揺しないで済みそう)

もうすぐ冬が終わる季節にしては、冷たい風が吹いていた。カバンの中からのど飴を取り出して一粒舐める。
これは佳乃のお手製で、砂糖に生姜汁とはちみつを混ぜて固めたものだ。
口の中でカラコロと転がすと、喉の痛みが和らいでいく。

「うまそう。その飴、俺にもひとつくれないか」

朝一番とは思えないくらいハツラツとした男性の声が聞こえ、佳乃は振り返った。
目の前にいる相手が誰か理解した瞬間、甘さと朝の眠気にまどろんでいた頭が一気に覚醒する。

スラリと伸びた体躯。
着物もコートも無地で一見質素なのに、目鼻立ちのしっかりした彼がまとうと何よりモダンで様になる。
漆黒の髪に浅葱色の瞳という組み合わせは楓雅と同じで、余計に目が惹かれる。

(よく似てるなんて次元じゃない。この人、楓雅様だわ……!)

彼のまとう神力の気配が、まさに楓雅だった。しかも、佳乃自身の神力も感じる。

(生きてらっしゃった!)

思いがけない再会に驚き固まってしまった佳乃に、雅は首をかしげた。

「おーい、どした? っていうかアンタ、初めて見る顔だな」
「あなたは……」

楓雅様ですか? と、尋ねようとして口を閉じた。
彼は佳乃に気づいていない。

黒髪から白髪になっているし、神力もない。
別人と言っていいくらいに過去の自分とはちがうから、気がつかなくて当然なのだ。

(私が楓雅様のそばにいられたのは、神力が多くて治癒能力があったから。神力をなくした今は、楓雅様のお役に立てない。知られたら失望されてしまうかも……それは嫌だわ)

「あなたは……雅様ですか?」
「よく知ってるな。その通り、俺が雅だ。分かったら、出会った記念に飴をくれ」
「何の変哲もないのど飴なんですけど……ほしいですか?」
「ああ。あまりにもアンタがうまそうに舐めるのを見て、ほしくなった」

(そんなに? どんな顔をしていたんだろう)

聞きたいような聞きたくないような……悪い印象は与えていないようだからいいかと開き直り、「どうぞ」と男の大きな手のひらに飴を置く。
すぐに飴を口の中に放り込み、雅はふにゃりと笑った。

「うまい。どこか懐かしい味だな」
「それは良かったです」

期待外れでなかったようで何より。佳乃は安堵の息をついた。
その様子を見て、両腕を組んだ雅が首をかしげる。

「ふーん? ……アンタ、蝶まじりと接したことがあるだろう」
「どうしてそう思うんですか」
「俺に惚れないからな」
「惚れ……? すごい自信ですね」
「自意識過剰だと思うか? 蝶まじりはな、死ぬまで顔を隠してないとまともに外も歩けないって言われるくらい、言い寄られるんだよ」

たしかに、すれ違った人が全員振り返って声をかけてきそうなくらいの圧倒的な美形である。
これくらい綺麗だと、惚れらるのが日常になってしまうものなんだろう。

(だから、子供の頃と性格が全然違うのかしら。真面目な楓雅様が、こんな軽薄な男性になるなんて)

これも成長なんだろうか。
健康に問題がなくなった楓雅は、人との出会いや付き合いが増え、性格が変化したのだろう。
そう考えると、この女たらしぶりは彼の人生が充実している証拠なのかもしれない。

(もう、私が訪ねて行かなくても平気なくらいに……)

胸がツキンと痛む。さっき自分から名乗らなくて良かったと心から思った。

(今後も、私が治癒師の佳乃だったことは明かさないようにしよう)

「人に好かれすぎるのも大変そうですね」
「ああ。だから金ですべて解決できる、こういう場所はありがたい」
「なるほど」

遊び人という前情報で、佳乃は雅に対してあまりいい印象を持てなかった。
それが楓雅だと知った途端、彼が元気に過ごせている証拠だと思ったら微笑ましく思えてくるから不思議だ。

子供の成長を見守る親の気分ってこういう感じなのかも、と感慨にひたっていると「そうだ」と雅が指を鳴らした。

「アンタの知ってる蝶まじりってどんなやつだ?」
「え?」
「ま、どうせ俺の方が男前だろうがな」
「……あはは」

まさか「あなたです」とはいえず、佳乃は笑って誤魔化す。

「秘密です」
「ケチくさいな。じゃあ、かわりにアンタの名前を教えてくれよ」
「名乗るほどの名はありません」
「ほう。遊び人に教える名前はないって考えているんだろう?」
「そんなに意地悪に見えますか? ちがいますよ」
「なら、どうして」

(役立たずになった私を知って幻滅してほしくないだけ。もう会う必要がないと切り捨ててほしくない、私がわがままなだけ……だけど)

失望してほしくない。だからもう会わないほうがいい。
思い出だけ抱えて生きていくのが美しいし筋が通っていると考える一方で、これきりで終わらせたくない。また会いたいと心が叫ぶのだ。

「……もったいぶりたくなったんです。だって教えなかったら、また尋ねに来てくださるかもしれないでしょう?」
「へえ、なかなか可愛げのあることを言うじゃないか。そう聞くと、無理に聞かずに楽しみをとっておきたくなるな」
「でしたら、明日もこの時間にここで会えませんか? 飴だけじゃなくて……おにぎりも作ってきます」
「そりゃいい。朝日を眺めながら見る握り飯はうまいだろうしな。じゃあまた明日。楽しみにしてるぜ」

おにぎりなんて、あまりに素朴すぎて相手にされないかと思ったけれど、雅の瞳は朝陽だけではない輝きでみちていた。
社交辞令でなく、本当に楽しみにしてくれている表情だ。

(懐かしい。楓雅様に、明日は長く滞在できますと伝えたときの笑顔と一緒だわ)

「はい、また明日」

もっと一緒にいたいと騒ぐ心をなんとかしずめ、佳乃は小さく手を振った。

✣ ✣ ✣

翌日、約束通りの時間に雅は現れた。
互いに息が白い。佳乃が懐に抱いていた竹皮に包んだおにぎりを見せると、眠たげだった雅の表情がパッと明るくなる。

「うまそう! いただきます!」
「はい。召し上がれ」
「うまい! 本当に塩むすびか? こんなの食べたことがない」
「……そうですか」

(食べたことない、か。昔、何度も作って持っていったのに)

お粥に飽きたと食事が進まなかった楓雅に、一口大の小さなおにぎりをよく差し入れた記憶がある。
あの時も「佳乃の塩むすびが一番おいしい。毎日食べたい」と幸せそうに頬張っていた。
佳乃にとっては大事な記憶だ。けれど楓雅にとってはそうでなかったことが分かり、さみしさが押し寄せる。

「どうした? 早起きしすぎたか? ……朝から米を炊くのは大変だっただろう?」
「いえ、いいんです。おにぎりを食べてもらいたいと思ったのは私なので」
「本当にうまい。毎日食べても飽きないだろうよ」
「ありがとうございます」

(過去と同じことを言う割に、それを伝えたことがあることは忘れてしまったのね)

彼が悪いわけではない。
あのころは体がしんどすぎて、日々のささいな出来事は苦痛で上書きされてしまったんだろう。
それを悲しく感じてしまう自分が未熟なだけだ。

「なあ、林檎は好きか?」
「え? ええ、まあ」
「これやるよ」

雅は甘い香りの漂う風呂敷の包みを佳乃に渡してきた。
包みの大きさにしてはずしりと重い。
風呂敷の結び目をほどくと、つやっとした大きな林檎がいくつもカゴに入っており、甘い香りがただよった。

「わあ、ありがとうございます。みんなでいただきますね」
「今食わないのか?」
「皮をむかないといけないし、こんなたくさん食べきれません」
「そうか」

釈然としない様子で腕を組んだ雅の真意が分からず、佳乃は首をかしげた。

翌日、雅は色とりどりの金平糖が入った瓶を佳乃に差し出した。

「かわいい。綺麗ですね」
「おう。今度はそのまま食える物を持ってきた。だから食え」
「今食べるなんてもったいないです。しばらく部屋において愛でます」
「愛……でる? 飴を?」
「はい! 可愛らしいので!」
「食わない選択肢があるのか……」

天を仰ぎ見た雅に気づかず、佳乃は瓶を朝陽に向け、飴のきらめきを楽しんだ。

さらに次の日は、今さっき出来上がったと思われるみたらし団子を楓雅は持ってきた。
こんな朝早くからどこで買ったのだろうと佳乃が尋ねる前に「固くなる前に食べろ」と急かされた。

「ええと……私だけ食べるのはちょっと気が引けます」
「じゃあもらい」

楓雅の顔が近づいたことに気を取られていたら、串に刺さった団子の一番上を食べられてしまった。

「うまい!」
「え? あ!」
「アンタも早く食え」
「邪魔してるのは雅さんじゃないですか!」

しかも、二人で同じ串の団子を食べるなんて!
恋人のたわむれみたいという思いつきを否定するように、佳乃は首を横にふった。

早く食えともう一度急かされて、佳乃も団子をひとつかじる。
甘しょっぱい醤油が、わずかに焦げ目のついた香ばしい餅の食感と絶妙にあっている。

「おいしいです!」

佳乃の目が輝き、雅は満足そうに頷いた。

「それだ。俺はアンタのその顔が見たかったんだ」
「まさか、おいしいって表情を見るために、毎日差し入れをくれたんですか?」
「ああ。それなのにアンタはみんなと食べるだの、飾って愛でるだのと、予想外の返事ばかりだった」
「……すみません」
「いや、何を渡せばその場で頬張るんだと考えるのが楽しかったから、何の問題もない」

両頬の赤みを隠すためだろうか、片手で口元を覆った雅は少し視線をそらした。

(やっぱり似てる)

楓雅も、体調の良い日は物や手紙を贈ってくれた。
無理をしているのではと心配する佳乃に、受け取ってくれた時の笑顔が好きなのだと、照れくさそうに視線をそらしていた。

(それも……覚えていないのね。なんだか私だけが過去に囚われているみたい)

そうして、やっぱり少しさみしくなるのだ。


団子を差し入れてもらってからさらに数日後、雅は佳乃に会うなり花束をさしだした。
見ると、目が覚めるような赤色が美しい紅梅だった。

「とても綺麗ですね。……あの、花は食べませんけど」
「安心しろ。さすがに食わせようとは思ってない」
「では、なぜ?」
「似合うと思ったから。その花を見たら、佳乃の白い髪を思い出したんだよ。白に赤が映えるなって」
「あ……ありがとうございます」

うっとりと紅梅を眺める佳乃を見て、雅も顔を綻ばせた。

「こういうことをしてみたいと、以前から思ってたような気がするんだ」
「花を贈ることですか?」
「別に、花でなくてもいいんだ。前みたいに団子を食べたり……そうだな、朝焼けの景色を二人で眺めるのもなかなか気に入っている」
「それは、私もです」

過去の光景が佳乃の脳裏をよぎった。
楓雅が亡くなる直前、きれいな景色を二人で見たいと言ってくれていたことを。

(過去の願いが叶ったから、私は幸せよ。たとえ正体をあかせなくても……)

「雅様、本当にありがとうございます」
「俺がしたくてしてるんだ。気にするな」

紅梅の甘さとさわやかさのまじる香りに包まれながら、佳乃はやわらかく微笑んだ。

✣ ✣ ✣