この国には妖と呼ばれる不思議な存在がおり、一部が長い歴史をかけて人間とまじわり共存してきた。
世代交代するうちに妖は人と変わらない姿を手に入れ、その強大な力で人間たちを導くようになる。
いまや国の中央で権力を持つのは、そんな“妖まじり”か、希少な“神力使いの人間”ばかりだという。
神力とは、人間にも妖にも備わる特殊な力だ。
体内に秘める神力の量の多さや、神力の扱いに長けている人間を神力使いと呼ぶ。
神力使いのうち、病気やケガの治療に当たる治癒師と呼ばれる人々は、人間だけでなく妖まじりたちからも頼りにされていた。
治癒師の家系である仁科家に生まれた佳乃という少女は、強力で多量の神力を有していた。
そんな彼女にわが子を救ってほしいと依頼してきたのは、蝶まじりである蓼藍家だった。
蓼藍家の後継者、楓雅は病弱な少年で、生まれたときからほとんど起き上がることなく生活してきたらしい。
彼と初めて会ったとき、16歳の自分よりひとつ年上であるにも関わらず、声変わりもまだの少年のような──10歳前後の容姿に驚いたものだった。
毎日、佳乃は楓雅の部屋を訪れる。
部屋の前で控える従者と挨拶をしてから父に目配せをし、佳乃だけが部屋に入る。
「今日も来てくれてありがとう」
布団に横になったまま、顔だけを佳乃に向けた楓雅は弱々しく微笑んだ。
浅葱色の瞳と黒い髪はどこかくすんでおり、無理矢理つくりだした笑顔が痛々しい。
苦しそうな呼吸には気づかないふりをして、佳乃は楓雅のそばに座ると彼の手を握った。
しばらくすると、楓雅の呼吸がおだやかになる。
これが佳乃の神力による治癒能力だった。
相性なのか、ほかの治癒師の神力では効果がないため、毎日佳乃が神力を注いでいる。
「だいぶ楽になった」
「よかったです。薬は飲めそうですか?」
「ああ、頼むよ」
佳乃はうなずき、背負ってきた薬箱からいくつか薬包を取り出した。
中身を少しずつ乳鉢に入れていく。
(呼吸がやわらぐよう、今日は麻黄を多めにまぜよう)
楓雅の容態によって割合を日々調整している。
最後に、父から「どんな症状でも必ず入れるように」と念押しされている、仁科家の秘薬をまぜて完成となる。
「いつも悪いね……佳乃の家からここは往復何時間もかかるだろう? 不自由な生活をさせてしまって」
「なんてことありません。楓雅様が元気になられることが私の励みで、望みですから」
「僕もね、元気になって佳乃を楽しませることが夢なんだ。同じ景色を楽しんだり、同じ物を食べておいしいと言い合ってみたいんだよ」
「何を言ってるんですか。こちらのお庭もとても綺麗です。障子を開けましょうか?」
「いや、いいよ。僕はもっと広い景色を見たいんだ。富士の山頂から雲を見下ろすとか、水平線に沈む日を見送るとか……」
「たしかに、そんな壮大な景色を一緒に見られたら素敵ですね」
「だろう? そのためにも、せめて起き上がれるようにならないとな」
「はい」
笑顔で答えてから、佳乃は訝しげに眉を寄せた。
「佳乃? どうした?」
「この薬……なぜか嫌な感じがするので作り直します」
「いや、それを飲むよ。飲ませてほしい」
「でも……」
「大丈夫だから」
むくりと体を起こした楓雅の目に、これまでにない強い光が宿っている。
「では……どうぞ」
少量の白湯でといた粉薬の入った湯呑みを受け取ると、楓雅はあっという間にすべて飲み干した。
「苦い。いつも通り嫌な味だ」
不安げに見守る佳乃に、なんの問題もないと楓雅は舌を出しておどけてみせた。
「まあ、楓雅様ったら」
彼の様子に励まされた佳乃は、やっと安堵の息をついて笑った。
そのまま経過を見守りつつ世間話をして、半刻ほど経っただろうか。
楓雅が咳き込みだしたかと思うと、突然血を吐いた。
「楓雅さま? 楓雅さま!」
「……佳乃、手を」
「はい。ここで握っていますよ楓雅様」
ヒューヒューと空気が漏れるような呼吸をくり返している。
握った手のひらから、楓雅の神力がものすごい速さで消耗していくのがわかった。
(さっき補充したばかりなのに……?)
傾けた水がめの水が垂れ流しになるような勢いだ。
神力は生命力とも言い換えられ、神力の枯渇は死を意味する。
(楓雅様が死ぬなんて嫌!)
絶対救う、助けるんだと、佳乃はそれだけに集中し、楓雅の手を握りしめた。
神力の量は他の能力者より多いと言われている。
ありったけを注ぎ込み、楓雅の命を繋ぎ止めたかった。
しかし、いくら楓雅に神力を送っても彼の器が満ちる様子がない。
それどころか、ずん、と背中全体に大きな岩が乗ったような倦怠感が押し寄せる。
(私はどうなってもいい。楓雅さまを助けて!!)
どのくらい時間が経っただろうか。
従者が呼んだのだろう。楓雅の部屋には屋敷中の者が集まっていた。
けれど佳乃はそれどころではなかった。
楓雅の手がどんどん冷たくなっていくのだ。
さすっても息をふきかけてもまったく温かくならない。
それどころか温もりは空気中に逃げていき、次第に楓雅の体はかたくなっていく。
許されるなら、力の限り楓雅を抱きしめたいと佳乃は思った。
少しでも熱を与えたい。死なないでほしい。
もう一度目を開けてくれるなら、何を差し出したって後悔しないのに。
「もうよい」
その一言で我に返った佳乃が振り返ると、白い眉毛とひげが豊かな老人が立っていた。
楓雅が長老と呼んでいる、蓼藍家の当主だ。
「連れていけ」
「やめて……行かないで……!」
佳乃は手を伸ばすが、届かない。
長老の命に従い、楓雅は別室に連れて行かれてしまった。
(助けられなかった……? 楓雅様を死なせてしまったの?)
これは自分の慢心が招いた結果だ。
誰よりも強い治癒の力をもっている自分だけが、楓雅を救えると思いこんでいた。
完成した薬を見たときの嫌な予感を無視してはいけなかった。
楓雅が望んだからと飲ませてはいけなかったのだ。
「佳乃よ、そなたの献身に感謝しよう。時が満ちるまで、ゆっくり休むといい」
長老が佳乃に言葉をかける。
眉毛とひげで表情は分からないが、声色は予想よりずっと優しい。
けれど混乱している佳乃は、労ってもらっているのだと察しつつも、きちんと返事ができなかった。
ふいに佳乃は父に抱き上げられた。小さな声で「帰るぞ」と言われ、現実に引き戻される。
もしかしたら、これが楓雅に会える最後かもしれない。
それならもう一度だけ、顔が見たい。
「長老様、あの──」
「娘が至らず申し訳ありませんでした。失礼いたします」
佳乃の声を遮って、父が佳乃を抱いたまま頭を下げる。
長老の「よい」という一言を合図に、父は大股で歩き、屋敷をでてしまった。
屋敷の前で待たせてあった黒塗りの車の後部座席へ佳乃は押し込まれた。
「お父様、お屋敷に戻れませんか」
「無理だ」
そのまま扉が閉まり、佳乃の隣に座った父が出発を告げる。
鈍いエンジン音が響くと車は走り始めた。
「もう一度だけ長老さまとお話したいのです。お尋ねしたいことが」
「お前の都合を押し付けるんじゃない。長居をするだけ迷惑をかけてしまうのが分からないか」
「……楓雅さまが大変だから?」
「ああ……恐らく……すでに息はないだろう」
「そんな!」
「それよりも、なぜ自分の力を使い果たした? 無理をすればそれだけ大きな代償があると何度も言っただろう」
「私はどうなってもよいのです。それより……」
「お前がよくても、わが家はよくない!」
父の唐突な怒鳴り声に、佳乃は萎縮して声が出なくなる。
「お、とうさま?」
「治癒師としての才能をかっていたというのに、死にゆくものにその力を使うとは!」
「申し訳ありません……きちんとこれからは熟考して……」
「これからなんぞない!」
「え?」
「お前のその髪! ほら、白くなってきているだろう! もう何の力もないのは明白だ!」
佳乃は慌てて着物の懐から手鏡を取り出して確認する。
街灯が少ない道を走っている暗い車内でも、変化はよく分かった。
(髪が──白髪に変わってる……!)
漆黒と讃えられた黒く艶々としていた長い髪が、毛先から頭頂部にかけて真っ白に染まっていく。
髪の黒さは神力を体内に宿す量が多く、威力も強いことのあらわれで、普通は年齢とともに体内の神力が減り白髪になる。
未成年にもかかわらず白髪になったということは……治癒師としての今後は絶望的だ。
長老が「献身」と言っていたのはこのことかもしれない、と理解する。
「箔が付くと蓼藍家の依頼にこたえていたが、こんなことになるとは……。佳乃、お前がうまくやらなかったから! 余力を残せば、この先も治癒師として使えたのに! 経験値を積ませるつもりがとんだ大損だ!」
「私にできることを探して努力いたします、ですから」
「力を無くしてもできることだと? そんなものはない。しかも蓼藍家からもらった金額! あんなのはした金だ」
興奮しまた声が大きくなってきた父を止めようと必死に佳乃は説得する。
しかし逆効果だった。
「口答えするな!」
車内に乾いた音が響き、佳乃の左頬が熱くなった。
頬を思い切り殴られたのだということに気づいたのは、数秒たってからだ。
「もう俺の前で話すな。今日からお前はただの穀潰しだ。顔も見たくない」
父は佳乃に背を向けて黙ってしまった。
こうなっては何を言っても聞いてもらえないどころか、また殴られてしまう。
それが恐ろしくて、佳乃は震えるしかなかった。
しかし家に着いても安らぐ時間はなかった。
自室ではなく物置小屋に通され、今後はそこで暮らせと一方的に言われてしまったのだ。
ショックだったが、深く考える余裕はなかった。
神力を失ったせいか経験したことがないほどの疲労感が押し寄せ、佳乃は物置小屋に置かれていた古い布団の上へ倒れてしまう。
ホコリと砂にまみれながら、気絶したように眠ったのだった。
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