ふくとあけび

あけびがいなくなった。
あけびは、優しげで大人しくて落ち着いていて、いつも柔らかに微笑むような男の子だった。
私は女の子達と遊ぶよりも他の男の子達とかけっこをしたりするよりも、あけびと遊ぶのが一番好きだった。
秘密とも言わないけど、誰も来ない二人だけの遊び場があった。
春になると、周囲に小さな花がたくさん咲く場所だった。
あけびは大人しく、何も言い返さないせいか、よくいじめっ子からいじめられていた。
側にいる私が腹が立って、勝手によく助けていた。
そのあけびが、明日もここで遊ぼうねって約束したあけびが。
突然来なくなったのだ。
家に尋ねて行っても、あけびのおとうとおかあは繰り返し
姿が見えないと言うばかりで、私の目を見て話もしてくれず
「ふくちゃんごめんね。あけびはいないのよ。お家にお帰り」
と早々に引き戸を閉められてしまった。

あけびの親は、いなくなった息子を不思議なことに探しもしていない様だった。
私も両親からもう忘れなさいときつく言われた。
あけびの事を忘れられるわけがない。
こないだまで一緒に遊んでいたのだ。
いじめっこもあけびが神隠しにあったと聞いたらしく、でもからかってこなかった。
「……おい」
「何よ」
「あの弱虫あけび、帰って来てないよな?」
「何よ。帰って来てないわよ。せいせいしたって言いに来たの?」
「ち、違うよ!お、おれ、お前なんか村からいなくなっちまえって、この前言っちまったから……。本当にいなくなるなんて……」
「なによ。後悔するなら言わなきゃいいのに。あんたのせいじゃないわ。誰のせいか知らないけど」
「鬼だろ?あの山の奥に鬼神がいるっておとうが言ってた。ときどき子供を攫いに来るって。おとうはおばあから聞いたって。だから、山に行くなって言われた。お前も山に行くなと言われてるだろ?子供はみんな山に行くなって言われてるもんな」
「山には行くなと言われてるけど……。鬼神?あけびがそこに攫われたって言うの?あの山の奥に?」
「そう聞いただけだよ。村の大人たちはみんな鬼神が子供を攫うって知ってる。お前は教えられなかったのか?」
「そんな話は知らない。神隠しの事は村の大人達が噂話してたから知った。おとうやおかあに言ったら、もうあけびの話はするなって言われた」
「そうか……」
「心配してるのは私やあんたたちだけよ。なによ、いいやつじゃないあんた達。あけびが帰ってきたら、もういじめなんかやめなよ」
「お、おう……。でも、帰ってきた子供なんかいないって……。おれが、あんな事言っちまったから」
「あんたのせいじゃないって言ってるでしょ?鬼でしょ、悪いのは。あの山にいるのよね」
私は山の方を見ながら言った。
いじめっ子の大将は私の様子に気づいたようだった。
「お、おい、まさか山に行く気じゃないだろうな」
「あんたも来る?そんなに後悔してるなら」
「い、行くわきゃないだろ!?鬼神だぞ?お前も行くなよ、絶対に行くなよ!言ったら攫われちまう!」
「なんで分かるのよ。攫ってるとこ見たことないんでしょ?鬼神がいるかも見てないんでしょ?本当かわからないなら確かめなきゃ。そこにあけびがいたらそれはそれで良いし、いなければ鬼神なんていないのよ」
「や、やめろ!お前、おばあのそのまたおばあから言われてんだぞ!本当にいるんだよ!行ったら攫われちまうからやめろって!俺の後悔が増えるじゃねえか!お前に言っちまったからお前が行っちまったって!」
「でも一緒に行かないのよね?弱虫はどっちよ。あけびをずっと弱虫って言ってたクセに」
「うっ。お、お前が怖い物知らずなんだよ!ううう、わ、分かったよ、行くよ!」
それを聞いていた後の二人がぎょっとした顔をした。
「ええ?ようた、行くのか?……オレやだ」
「おれも……」
「な、何だよ、お前たち、ビビってんのか?お前らもあけびの事弱虫って言ってたくせによ」
「だってよ、ようたもびびってるじゃんか……行くなよ。あの山は大人達も山菜採りにふもとしかいかないって聞くし。ふくも行くなよ」
「そうだ。絶対に行くな。ふく」
突然、大人の声が後ろからした。おとうだ。
「おとう……」
「こっち来い。あけびの話はもうするなと言ったのに、話したんだな。お前らももうあけびの話はするんじゃない。ふくは怖い物知らずだから、言えばこうなるとわかって、話さなかったんだ」
「すみません、もうしません!ふく、絶対に行くなよ!!」
「あ、あんた、ようた!行くって言ったじゃないさっき!」
「嘘だよ、お前に言わされたんだよ!本当は行きたくねーよ!」
そう言っていじめっ子達は小走りに去って行った。
「よわむし!」
「もうやめなさい。かあさんが心配するだろう?」
「だって、おとうや大人があけびを助けないから!」
「相手は鬼神だぞ?助けになんぞ行ったらお前やまだ母さんのお腹の中にいる子に何が起こるかわからん」
「みんな弱虫よ!あけびの事を見捨てるんだから!」
「あけびは生まれた時から攫われることはわかっていた。額と右耳と左耳にほくろがあって生まれてきたからな。攫われる子供は必ずその3箇所にほくろがついて生まれてくるんだ」
確かにそうだ。前にあけびに珍しいねって言ったことがある。
「だから、あげびのおとうとおかあはいつもあけびによそよそしかったの?あけびが前に言ってた。自分だけいつもご飯は離れて食べさせられるって。寝る時も自分一人離れて寝てるって。もっと小さい時はそばにいてくれてたのにって」
「でも、あけびはいつも良い布の着物を着てただろう?いじめっ子たちも、本当はそれが羨ましくてからかってたんじゃないか?あれはせめてもの親心だろう」
「そんなの、あけびは知らないよ。気付いてないよ。いつも寂しがってたよ!」
私はおとうから離れたくて走り去った。
「ふく!絶対に山に行くなよ!お前に何かあれば、母さんが取り乱す!お腹の子の事を考えるんだ!」
そんなの言われたら行けないじゃない!
私は泣きながら、いつもあけびと遊んでた場所に行った。
ここに来たってあけびはいないのに。
あけびとの思い出は沢山ありすぎて、次から次へと思い出す。
あけびは器用な子供で、よく草花で輪っかを作り、私の腕に付けたり頭に載せたりしてくれた。
あけびにもお返ししようと、不器用な私が真似してもやり方を教えてもらっても不格好なものにしかならなくて悔しかった。
あけびは笑って、ありがとうと、渡すのを嫌がる私に言い、スッと両手を差し出した。
私はしぶしぶその不格好な花輪を差し出した。
あけびは気にもせず、嬉しそうに腕につけ、もう一つを自分の頭に乗せた。
「お揃いだね」
そう言ったあけびの言葉で、まるでこないだ村で行われた祝言みたいだと、ふと思ってそう思った自分が恥ずかしくなった。
「どうしたの?顔が赤い……」
「な、なんでもない!」

あけびを庇っていじめっ子とやり合っているうちに私の鼻緒が切れた時があった。
いじめっ子たちが去った後、座り込んだ私の着物の誇りを払い
「ご、ごめん。ぼく男なのに情けないよ。守ってくれてありがとう……」
「あんた優しいから。ほら、さっきも足元の花を気にしてたでしょ。ぶってくる相手から目を逸らしちゃ駄目だよ」
「鼻緒が切れてる」
「本当だ。帰ったらおかあに怒られるだろうな。でも平気だよ。裸足で歩く時も多いもん」
「ぼく、直せるよ。家族の鼻緒みんな直してるから。おとうとおかあは、直したのに気付くとよそよそしくありがとうと言ってくれるけど……。昔からおとうやおかあのやり方を見て勝手にやってる」
「はあ、凄いね。私、自分で直したらすぐほどけるよ」
「草履貸して。すぐ直すよ」
「でも、紐もなにもないよ」
「ふふ、あるよ、ここに」
彼は自分の着物の帯を割き、その鼻緒を直してくれた。
「ありがとう、あけび。でも、あけびの着物の帯が細くなっちゃった」
「着物が括れたらいいよ」
その着物は、今思えば確かに毎年新しくきれいな布でしつらえられていた。

そんな優しいあけびが、忽然と消えたのだ。
でも村の人達はいつも通り笑って世間話をしている。
私は信じられなかった。

数年の月日が流れた。
あけびは帰ってこなかった。
私は年頃の娘になっていた。
私は、あけびがいないと分かっているのに毎日あけびと遊んだあの場所に行っていた。
不意にあけびが姿を現すかもしれないと、その望みが捨てられなかったのだ。
諦められるわけがない。
年頃になって、同じ年頃の村の娘たちの嫁入りの話がされ始めても私の心の時だけが止まった様だった。
私自身も相手と言われても、思い出すのはあけびと花輪を作ってお互いに載せた、あの時のことだけだった。
いじめっ子だった、ようたは逞しくなって、父親の代わりに山の麓の山菜採りや畑仕事に精を出していた。
最近、一緒にならないかと言われたが、ごめんなさいと断った。
ようたは私が断るのは予想がついていたようで、あけびの事を忘れない私のことも分かったふうで、その上でいつまでも待ってると言ってくれたが、そんな気には到底なれなかった。
私など待ってたらいつまでもお嫁さん貰えないわよと言ってあげた。
ようたもあけびの事は忘れられず気にしているようで、山菜採りの度に
「あけびが降りてこないか山の上を見るけど、今日も空振りだ」
と、帰りにわざわざ私が一人の時を見て話しかけてきた。
不意にようたが暗い顔をして言った。
「さきちの生まれた子に、あのほくろがあった」
「え、さきちの子に?」
さきちは、子供の頃ようたと一緒にあけびをいじめていた子だ。
あの時、私に山に行くなと言ってくれた。
さきちは好きな女の子と去年祝言をあげて、お嫁さんは子ができても明るく毎日元気にくるくると働いていた。
二人とも幸せそうだった。
「そんな……」
「さきちは気丈に振る舞っているが、俺はかける言葉が見つからなかった。今ならあけびの親の気持ちがわかると。あけびに悪い事したと言っていた」
こんな事がいつまで続くのだろうか。
あけびは帰ってこない。
「鬼神が憎い……」
「駄目だ、そんなことを言うな。どこで聞かれるかわからないからな」
「ふふ、あんたは大人になっても弱虫ね。あけびをあんなに弱虫とからかってたくせに」
「お前が年頃になっても無茶すぎるんだよ。そんな身体も細く小さいくせに」
私はむっとした。
「悔しい。あんたと同じぐらい毎日働いてるのに。体格はどうしたってかなわない。女だから仕方ないわ。ほっといて」
「心配してるんだ。お前の恐れ知らずは村一番だよ」

ある日、村が何者かに襲われ、村ごと焼き払われた。
最近足が悪くなってきた父の代わりに、用事で隣村まで行っていた私は、帰ってきたら自分の村が燃えてる様子を見て信じられなかった。
「お、おとう!おかあ!こすけ!こより!」
両親や年の離れた弟達を呼びながら、煙臭い中を家に向かおうとした。
とにかく無事でいて欲しい。
その時。

村の寄合所のその炎の中に、一人の若い男が立っていた。
その男が振り向いて私を見た。
表情のない暗い目を少し見開いた様だった。
「ふく、おまえか」
「な、なに、誰……?」
低いよく通る声だった。
私の名前を言われ、胸がどきりとした。
「俺のことが分からないか。おれはお前がすぐわかったぞ。匂いでもうわかる。おまえだ」
そう言うと、その若い長髪の男は額の髪を手であげ、更に両耳を見せた。
「昔、この三箇所のほくろが珍しいと言ってただろう?」
子供の頃に見たきりで、姿も表情も雰囲気も全く違ったが、面影があった。
「あ、けび?」
「そうだ。久しいな。ふく」
「生きて……。で、でもこ、これは?何が……」
「俺がやった」
「なに?あけび、が?な、なに?」
あけびは、子供の頃のあの優しげな面影もなく陰湿に声を出さず笑った。
「俺がやった。俺が村をこうした」
「な、なんで?」
信じられなかった。
「この為に生き延びて来たからな。必ず復讐すると。やっと果たせた」
「復讐?あけび?一体、何を言って……。……あ。おとう……おかあ……」
「お、お、おかあ!おとう!こすけ!こより!」
私は我に返り、その場から離れ、家族の無事を確かめようとした。
あけびの存在の意味がわからなかった。
生きていたのに、無事でいる事を望んでいたのにこれは違う。
こんな事は理解できなかった。
復讐?一体何を言っているの。
するとあけびが私の腕を掴んだ
「無駄だ。全員殺した。お前の両親も俺が連れてかれることを知ってて知らぬふりをしていた」
「な、何を、殺し、た?なんで……お、おとう、おかあああ!!離して!」
「お前を巻き込まずに済んで良かった。お前だけだ。俺にとっては」
「離して!!」
「離すものか。村に復讐と、お前に会うためだけに生き延びてきたのに。あの地獄で」
「じ、ごく?」
「ああ。もうないがな。俺が全員殺して潰した。鬼神も殺した。もう誰も攫われないぞ。代償は大きかったが。復讐ができて、お前に会えたなら悪くはない」
「きゃっ」
あけびに掴まれた腕を引っ張られ、身体ごと引き寄せられた。
「お前の匂いや柔らかい感触ががたまらない。今のお前は小さいな。少し力を入れたら潰してしまいそうだ」
そう言って、あけびは薄く笑った。
私よりも背も低く、細かったあけびが、今や、ようたと同じくらいの背の高さになり、身体もがっしりと肉がついているようで、私は抱き寄せられても身動きが取れなかった。
「宮廷に行くぞ」
「な、何を、離して!」
「いくら取り乱しても罵っても良い。お前がそばに居さえすれば。俺は地獄を潰し、お前は村を失った。今日から宮廷が俺達の住む場所だ」
あけびは嫌がる私をガッチリと抱え、高木の高さまで跳んだ。
「ひっ」
「暴れるなよ。落ちたら即死ぬ。都まで行くぞ」
跳び上がる時と降りる時が経験しない向かい風と圧迫感で、胸が苦しいし怖い。
焼け野原となった村が小さく遠くなっていく。
高木をつたい、空を簡単に飛び跳ねるように森を超えていく。
まるで空を飛んでいるようだ。
あけびの跳躍は人間のそれではなかった。

初めて見る都は高すぎる跳躍で頭上から全体を見渡せた。
私は混乱した頭で、理路整然とした都をぼんやりと見た。

帝がおられる屋敷は広すぎて、もはや一つの街と言ってよかった。
あけびがいきなり屋敷の庭に降り立った。
しかし、そこにいる何人もの警備の者らしき人達が誰も反応しない。
ここに私達が降り立ったのに。

あけびは私の腕を掴んだまま、迷いもせずズカズカと庭内を歩き、ひときわ大きい屋敷を土足で上がって行った。
そうして、帝がおられるらしき奥の部屋まで行き、御簾を無造作に上げてくぐった。
「だ、誰だ!曲者!だれか、だれかおらぬか!」
初めて私達に反応したのが帝らしき人だった。
この方だけが普通の反応をしている。
側にいる数人のお付きは、どういうわけか帝が叫んでいるのに部屋の脇に控えたまま、目も動かさず顔も上げず微動だにしない。
帝は怯えた様子だった。
「そう怯えるな。お前、祖先が約束したんだろう?鬼神と。来てやったよ。今は俺がその鬼神だ」
「き、鬼神?お主が……?」
「普通の人間がここまで来れるか?誰もお前を助けなどせんよ。俺がそうしたからな。契約はまだ生きている。お前が俺に逆らえば、すぐ外敵がこの国を潰しに来るぞ。俺の目はここにいても、海の向こうの時折くる軍船も見えるからな」
契約?初めて聞く話だった。
「ふく、知らないだろうから教えてやる。この国はとっくに鬼神の支配下になっている。この国は昔、他国から攻められもう駄目だと思った時に、当時の帝が鬼神に頼み、各村から順繰りに子供を毎年差し出す代わりに外敵を防ぐという契約をしたんだ」
「な、ならあけびは……」
「そうだ。その生贄の一人が俺だ。あの村にも今年一人生まれた筈だ。俺をいじめたさきちの子とは皮肉だな。俺と殺し合った沢山の子供が、同じ様に各村から差し出された子供だろう」
さきちの子にほくろがあった事まで知っている。
あけびは何でも知っている様だった。
「だがな」
あけびは帝を冷たく見た。
「それは、俺が殺した鬼神が約束した話だ。地獄は俺が潰した。俺には関係がない」
帝はこの話を知っている様で、あけびの言葉に慌てて答えた。
「そんな、それでは我々は外敵にやられます!子供もこの百年、代々毎年途切れずに渡したではないですか!」
あけびは冷たく笑った。
「今ふくに言った事を聞いてなかったか?その子供の一人が俺だ。……そうか」
あけびは今気付いた様に言った。
「お前が元凶の一人か。俺が一番復讐する相手だったか」
「ひっ、鬼神様?子供?」
「そうだ。おれは鬼神を倒したから鬼神だが、元はお前が攫わせた子供だよ。お陰で地獄で正に地獄を見たわ。その報いは受けてもらわないとな。とりあえず当分この国は護っておいてやるが、お前の命まで契約にはなかったな。俺が取り込んだ鬼神の記憶によると」
「そ、そんな、どうかお助け……」
帝が命乞いをする前に、あけびは帝に向かって手を挙げた。
一瞬で帝の身体が硬直し、硬直したままその場に何も庇わず棒が倒れるように倒れた。
倒れ方が奇妙だが、ただ倒れただけに見える。
血も流していない。
その内に倒れた帝の姿が煙のように消えてしまった。
その前に、倒れた帝の身体から何か透明なものがあけびに移ってきた様に見えた。
あけびはそれを躊躇なく吸い込んだ。
そうしたら、一瞬であけびの姿が帝の姿に変わった。

「俺は神隠しにあったんじゃない。村と親に裏切られた。親が、俺を鬼神に差し出したのだ。」
あけびは帝の姿と声でそう言った。
その後、一瞬で元の姿と声に戻った。
「そんな……」
鬼神になったあけびは皮肉げに笑った。
「お前がどうしても俺のそばにいるのが嫌と言うなら俺の生贄にするしかないな。殺しはしない。未来永劫、俺が飽きるまで俺の側にいるんだ」
「いけにえ……」
「そうだ。お前を生かすも殺すも俺次第というわけだ。殺しはしないが、俺の側にいるのがそんなに嫌なら、動けなくするとか、殺すのに近い事も考えないといけないな」
面影はたしかにある。
でもまるで別人だ。
あの大人しく、静かで優しい彼の姿などどこにもいない。
彼は、どうやって生き延びてきたのだろう。
もう人ではなくなったのだろうか。
私の表情から読み取ったのか、不意にあけびが自分に起こった事を話しだした。
「俺が連れて行かれたのは地獄だ。いろんなやつがいたな。人間も、既に人間ではなくなったやつも。面白いもので、オレが子供のうちは殺しにくる相手も子供だった。地獄では死なないというのは嘘だ。殺し合いの場だからな。向こうから殺しに来るから仕方ない。逃げるか、何時までも逃げられるわけもないから殺さないと終わらない。一人殺すと褒美が貰える。寝る時間と食べる時間だ。食べ物など殺した相手しかいないが何故か殺したら相手は消えるんだ。消える前に、なにか透明なものが俺の前に来るから、気付いたらそれを吸い込んでいた。そうしたら」
「俺の身体が変わった。殺し合うたびに同じ事を繰り返した。数え切れないぐらいにな。隙を見せたら俺が消されるから必死だった。そのたびに、相手が消え、俺はそいつから出た何かを吸い込んでいった。その度に相手の感触や記憶が入り込んで気が狂いそうになるが、同時に力がみなぎってくるようだった。見た目はそんなに変わらないが、相手の魂と人生丸ごとをどんどん取り込んでいく様な感じだ」
「俺の力は強くなっていき、頭は色んな奴が同居している。俺が支配しないと乗っ取られる懸念まであるほど強い思考のやつもいる。そうしてどんどん相手を消していき、最後には鬼神も消した。倒せるとは思わなかったが、それまで取り込んだ奴らは皆鬼神を憎んでいたから、倒せたのかもしれない。鬼神の記憶は途方もなくて、この地獄の歴史そのものを一瞬で把握した。帝とのくだらない契約も知った。誰もいなくなった地獄になど用はない。俺は、俺だ。どんなやつの記憶や感情が数多この頭に入ろうが、俺であるために、復讐とお前に会いに来た。俺の証がお前だ」
「ふく。お前に会いたかった」
私も、とはもう言えなかった。
この人は、私の家族の敵だ。
もう会えないと思った。でも会えるとも思い込んでいた。
子供の頃、山にあけびを探しに行こうとした時、後でおとうが話してくれたが、昔からあけびのように3つのほくろの子供が生まれて何人か神隠しに遭ったと。
でも今まで帰ってきた者を聞いた事はないと言っていた。
それが、実際はあけびのおじさんおばさんや長老が、あけびを山に連れて行ったのだとあけびが言った。
おとうとおかあも知っていたと言う。
それは本当だろうか。
本当なら、おとうは私が子供だったから、ちゃんとは言い聞かせられないと思い、そこは話を変えたのかもしれないと思った。
あけびが居なくなって、寂しかった。
大人しくてあまり喋らないけど、落ち着いたあけびがそばにいるだけで優しい空気になり、ホッとした。わたしが滅多に出さない熱を出したら家まで様子を見に来てくれた事もあった。
いつも静かに微笑み、優しかった。
どんな姿になっても生きていて欲しかった。
でも、今は分からない。性格も言動も別人のようになって、憎くてしかたないのに、あけびが生きていて、会えた事を何処かで喜んでいる。
最低過ぎて、自分が信じられない。
家族が殺されたのに。
涙が出てきた。
「私は、あけびに会いたかった。いきなり居なくなって。周りは鬼神に攫われたと言うし。おとうももう忘れろと言った。酷いよ。会いたかったのに。でも、なんでおとうとおかあを殺した? 知ってたから? 忘れろって、知ってて見過ごしたって、酷いよ。でも、なら何かできた?おとうとおかあに。おかあのお腹にはこすけがいた。大切な弟や妹、こすけやこよりは?村の子達は?何も知らない。あんたに何もしてない。あんたの様な子もいた。生まれたばかりだった。なんで、殺したの!」
私は涙目であけびを睨みつけた。
「あんたは私の敵になった。あけびがそうさせたんだ。殺したかったら私も殺せばいい。さっきの帝みたいに」
「ふく……」
「そんな事できるわけ無いだろう? お前の匂いはたまらない。
この懐かしい愛しい匂いがかげなくなるのは嫌だ。一番大事なお前を俺の中に取り込みたいが、お前が消えるのは嫌だ。……どうしたらお前は笑う?」
何を言ってるんだろう。
話が全く噛み合わない。
家族を殺した奴からどうしたら笑うのかと真剣に訊かれる。
この滑稽さ。
あの優しい、人の気持ちがわかる、人としてのあけびはもういないのだ。
「返して。おとうやおかあや、こすけやこより。あんたの中にいるんでしょ?私の家族を返して。村を返して!」
あけびは私をじっと見つめた。
「返すだと?」
私の顔は涙で濡れ、顔は歪み酷いものだと思う。もうどうでもいい。
これはあけびではないのだから。ただの敵だ。
「そうか。返して欲しいのか」
「決まってるじゃない。でもいくら今のあんたでも無理でしょう?死んだ者は還らない。できないなら私を自由にして。私は村に帰ってみんなのお墓を作る。一人でも村を立て直す」
「できるぞ」
「は?」
「お前の家族の魂は、おれの左目にいる。村の奴らはおれの左腕だ。材料は俺の左目と腕で作り直せる」
「俺は、もう復讐は果たした。だから戻してもいい」
「え?」
「あの村の連中を全員取り込んで分かった」
あけびは続けた。
「復讐したつもりだったが、あいつらも被害者なんだと。ようたは、俺を気にして、お前のことも気にして、俺を探してくれていたんだな。お前に懸想していた事は腹が立つが。さきちも俺のような子が生まれ、俺にしたことを悔やんでいた。俺を連れて行った両親も、ずっと俺に申し訳なく思い、おかずはいつも多めに、着物も毎年無理してやりくりしてこしらえてくれていた。俺の着物は家の誰よりも綺麗だった。俺を連れて行った夜からずっとおとうもおかあも悔やんで、二人とも体を病んだ」
そう言うと、即座にあけびは自分の左目を私の眼の前で指を突っ込みくり抜き、左腕を脇差しで切り落とした。
「きゃああ!!」
あけびは躊躇なく自分の左目を左手でくり抜き、その目を持ったままの左腕を自ら切り落とした。
「いやああ!!」
私は衝撃のあまり叫ぶしかなかった。
「耳元で煩い」
あけびは平静な顔で言ったが、額には脂汗が出ていた。
あけびも痛いのだ。
「あ、あけび、大丈夫なの?なんでこんな事をするの?自分で……」
「ふっ。憎んでる家族の敵まで心配か。ふくはちっとも変わらんな」
「あんたこそ、いくら鬼神でも今は自分の心配をしなさいよ。こんな事をして……。あんたをどう思ったら良いのか、わからない。憎いし、し、心配だし」
私は自分が何を言っているのか分からなかった。
「ぐちゃぐちゃでなんにも分からない。その脂汗。痛いんじゃないの?」
あけびは声を出さず皮肉げに笑った。
「痛いに決まってる。だが、痛いのは良いことだ。自分を守るためには。でないと知らない間に切られても血を流し続け、毒を盛られても吐き出せんし自分を守れんからな」
あけびは苦しそうに自分が切り落とした自分の左腕を拾った。
「さて、これを持って行こうか」
「ど、何処に?」
「あの村に決まっている。人も村も元に戻さないと、お前は俺を許さず、笑わないのだろう? あいつらの事情もわかった。もう復讐は終わりだ」
「も、元に戻せるの?おかあと、おとうと、こすけと、こよりが生き返るの?村のみんなが生き返るの?」
「ああ、俺の中の鬼神の記憶にある。取り込んだ者を返す方法は、取り込んだ俺の体の部分を切り落とし使えばよいと」
「ただ」
「ただ?」
「その部分に他の者が混じっていたら、他の者まで生き返るがな。たちの悪いやつなら厄介だから、お前の家族も村人もその誰かわからん奴らも記憶を全部消すぞ。どちらにしろ俺がやった事は覚えていないだろうが」
「お前の記憶も家族の中から消す。それが家族を生き返らせる条件だ」
「私の事を、おとうたちみんなが忘れる……」
「そうだ。お前はそれは望まなかったし、たとえ覚えていても心配させるだけだろう?お前は俺の生贄なんだから、おれはお前がそばにいることが条件だから返す気はない」
家族が生き返るなら、幸せならそれで良い。
私を忘れても。
私は頷いた。
「わかった。私のことは忘れていい。家族を、村を生き返らせて」
「ふん、では行こうか」
と言うと、鬼神になったあけびは、私の身体を右手で抱え、切り落とした自分の左目を引きちぎったままの左腕を袖にくるみ、私に持たせて、屋敷から空を飛んだ。
「落とすなよ。お前の家族と村人たちの命だ」
私は頷き、絶対に落とすものかとそれを握りしめた。
袖にくるもうと血で滲み血の匂いでむせる硬いものだが、関係がない。
向かうのはあの空の向こうの村があった場所だ。
あけびには出来ないことなどなくなったのだろうか。
空まで飛べる。
正確には、空を飛ぶというよりも、大きく高く飛び跳ねて、街では屋根を十も二十も飛び越え、山では高い木を伝って飛んでいく様な跳び方だった。
天狗の様な。
風を切り、高すぎる上げ下げで意識がどうにかなりそうだったが、あけびに必死にしがみついて私はあけびと村に帰っていった。
村に戻ると、焼け野原の後だった。
この状態はもう見たくもない。
「すぐ元通りにしてやる」
私の気持ちを察したのか、あけびがそう言って私に持たせた左目を掴んだ左腕を取り、地面に置いた。
「村の外まで行け。そこで待っていろ。お前の家族と村人と村を蘇らせる。そこにいたら巻き込まれる。ただし、逃げるなよ。逃げたらまた家族と村人と村を潰すぞ」
その地面に置いた左腕を見つめながら、あけびが私に言った。
「逃げないわ。もう決めたから。生き返らせて。お願い」
私は後ろ足でしばらくその光景を見つめ、それから踵を返し、村の入口まで小走りに行った。
村の入口でしばらくいると、眼の前に霧が出てきて、何も見えなくなった。
なんだか聞いたことがない無機質な音がしている。
人間の骨が折れるような、木が組み立てられてドシンと地面に落ちるような、様々な音が真っ白な霧の中で響き渡っていた。
しばらくすると、人の声、ざわつきが聞こえ始めた
「なんだ、この霧は。何も見えない」
「おーい、誰かいるか、みんな無事か、酷い地震だったなあ」
「地震?そんなものあった?」
「あっただろう?こう、ドシンとよ」

ああ!霧で見えないけど人が、人が現れたんだ。
私は心の中で叫んだ。
皆に気づかれたらいけない。辛いけど。
不意に、聞き慣れた可愛い声が聴こえた。
「おとう!おかあ!どこ!?」
「こすけ!こよりはいる?」
「おかあ!いるよ、ここに」
「良かった。霧で何も見えないねえ」
「みんな無事か。何が起こったんだ」
「おとう!何も見えないよ」
「ああ、こんな霧は生まれてこの方初めてだ。もう少し山間なら見たことがあるが」
「おじさんおばさん、みんな無事か?」
「ようた兄ちゃん!」
「おう、こすけ。そこにいるか。こよりは?」
「いるよ!俺、ちゃんとこよりの手を離さなかったよ!」
「偉いぞ」
「ああ、ようた。無事だ全員。子どもたちも。お前の親は?」
「二人とも無事だ。しかしすごい霧だね」
「ああ、真っ白で何も見えないな」
おかあだ!おとうだ!こすけにこよりもいる!
ようたも!
私のことは覚えてないのね。
おとうは全員無事と言った。
そこに私はいない。ようたも私の事を尋ねない。
寂しいな。
けど、いなくなるよりずっと良い。
みんな生きてる。
私は涙が止まらなかった。
「約束は守ったぞ。霧が消える前にここを立ち去る。家も前より新しくしておいたぞ。あちこち傷んでいたからな」
気づいたらあけびが私の横にいた。
「あ、ありがとう、あけび。みんなを生き返らせてくれて」
霧で見えないが、あけびが笑った様な気がした。
「忙しいな、お前は。恨んだり礼を言ったり。一旦は家族もろとも殺した奴なんだが俺は」
「そうだけど……。私、難しい感情はわからないから。みんなが無事ならそれで良いし。やっぱり、あけびの事は憎みきれない。みんな怖い事は何も覚えてなさそうだし、生きて元気ならそれで良いし」
「生き返らせてくれたから。あけびを憎んだり怒る理由がなくなった」
「そうか」
あけびが私の身体を右手だけになった腕で抱き込んだ。
「帰るぞ。もうここに来ることはない。お前もここにもうこさせない。村に帰ると言い出されたら俺が嫌だ。ようたはお前に懸想していたようだし、お前を忘れてもいつまた口説くかわからん。そんなところにお前を連れて来れるか」
あれ?私、今笑いそうになった?
あけびが拗ねた様に見えたから。
ふと気になった事を言った
「さきちの子供は?地獄はもうないのよね?」
「そうだ。潰したからな。今の鬼神は俺だ。俺は子を差し出させる悪趣味などない。赤子のほくろももうない。俺のほくろは俺のものだからそのままにしているが」
さきちの子供が差し出される心配はもうない。
他の子供も。よかった。
でも、後の話はなんだろう。ほくろは俺のもの?
怪訝な顔をしただろう私の顔を見て、あけびがにやりと笑った。
「おれのほくろはお前が俺を見つけられる為に必要だからな。俺はお前の事は匂いですぐ分かるが」
なんだか自分の無能さをバカにされた気がした。
普通は匂いなんかで分からないし、そんなに変わったらわからないわよ。
私、そんなに臭いの?自分ではわからない。
「……わかった。みんなが生きて幸せなら、それで嬉しいから。どうせ私のことは覚えてないのよね?」
「そうだ」
あけびの左目の血は止まっていた。
けれどくり抜かれたままだ。
左腕も、もう無い。
「まだ痛い?」
「流石にすぐには癒えん。だが慣れてる。地獄では切られることはしょっちゅうだった。勝ったがな。ここまで切り落とした事はなかったから、生えてくるか分からんが、そのままでもどうでも良い」

宮廷は表向き普通だった。
あけびは消した帝の代わりに政務ごっこをしていた。
帝の姿の内は、目も腕もあるのが不思議だ。
何でも当たり前にこなせるのは取り込んだ帝の記憶だろう。
「しかし、あほらしいし面倒だな」
あけびは書簡を書く手を止めて、筆を置いた。
「皆の目を誤魔化して勝手に筆に書かせてやっても良いが……」
身代わりの政務に飽きたのか、面倒だと昨日も言っていたのだ。
昔はあんなに根気があって子供ながら作業も丁寧だったのに。
「いっそ潰すか」
「い、嫌なら私が書くよ。何もする事ないし、何もしないで座ってるって、しんどいから」
側に控えていた私は慌てて言った。
あけびが常に自分の側にいろと言うものだから、何処にも行けない。
私の着物はいつの間にか村どころかこの宮廷で一番豪奢なものになっていた。
あけびがそうしたのだ。
長くて重い肩掛けや、仰々しい髪飾りは重いだけなので私がお断りしたが。
私の立ち位置が何なのか分からないが、宮廷で仕えている人達は皆、私が見える時は恭しくお辞儀をしてくれて、こちらも思わず頭を下げるしかない。
ただの村娘に宮廷の礼儀などわかるはずもないし、その村娘にこの待遇はおかしいと思った。
妙な気分だ。
宮廷の人達は、あけびの心都合ひとつで私やあけびが見えたり見えなかったりしている様だ。
私の『自分が書く』という申し出に、あけびは首を横に振った。
「無理だ。帝と寸分違わぬ筆跡など俺にしか書けん」
「で、でもここ潰したら、外国が襲ってくるんでしょ?村もどんな事をされるか……」
「お前はいつもそれだな」
ため息とともにあけびが言った。そして。
「分かった。やぶさめや蹴鞠は面白いから俺がやる。面倒な政務は元の帝にやらせる」
「え?」
「帝の魂は首のここらへんにいる」
と言いつつ、帝姿になっているあけびは自分の首の左側を右腕でえぐった。
「きゃああ!あけび!」
「うるさい。耳元で騒ぐな」
「だ、だって。いきなり自分で切って、騒がない方がおかしいよ!」
「心配するな。この程度なら直ぐ元に戻る。さて帝、お前も許してやる。もう地獄はないが、何かに惑わされ俺みたいな子供を生贄になぞやるなよ。お前達は代々考えがおかしい。そこは気持ちから取り除くぞ。子供を要求をした前の鬼神も憎いが、代々応じる人間がいるのも理解出来ん。地獄の連中よりえげつない。殺し合っても誰かを身代わりにしたり騙す事はあの世界ではご法度だった。騙し討は鬼神が許さなかったからな」
首の肉片を地面に置いて、やはり霧がその部分から出てきた。
「行くぞ。あとは帝が勝手に理解して、勝手に日々暮らすだろう。俺に殺された事は忘れ、おれやお前の姿はあいつが見ても気にしないようにした」
遠目で見ると、白い霧の場所から見る間に帝の姿が現れた。
あけびに出来ない事はなにも無いように見えた。
けれど命までは無くならないが、目を抉ったり腕を切り落としたり、文字通り身を削ったり。代償が大きすぎると思った。

帝を生き返らせ、実務をこなさせているが、実際はあけびがこの国の実権を握っている。
あけびは自分に取り込んだ者の知識が詰まっていて、帝が民の為にならない事をしていたら、帝が自分がしたように変えさせていった。
「先代の慣例をそのままなぞるのは民の為になるものだけで良い。変なものはやめさせるに限る」
「あけび、政務は面倒じゃなかったの?」
「実務はな。面倒くさい。だが政は民の命に関わるからな。お前の村にも直結することだ」
「あけびの村でもあるでしょ?」
「俺はもういい。あの村を恨み、潰した。生き返らせろと言ったのはお前だ。あの村はお前にやる」
「やるって。何いってんの。あけびだけの村でもないし、なら私だけの村でもないわ。あの村に住んでる人達のものよ」
「お前は俺に説教するのが好きだな。まあいい。そうやって、いつも俺に話しかけていろ。なんでもいいから」
そう言われて、私は少し考えた。
「民の為になることって。凄く大きすぎて想像できないけど……。村のためになる事と考えたら考えやすいわ。一番困るのは、飢饉よね。あけびが日照り続きや雨続きをやめさせたらみんな助かると思う」
「それは出来んな」
「え?」
「空を司るのは天神だ。おれは鬼神だから、天神の管轄には手出しできない」
「そうなんだ……。あけびでも出来ない事があるんだね」
あけびは呆れた顔をした。
「当然だ。万能な神などいない。それぞれ役目がある。その代わり天神は俺のように人の生き死にには関われん」
「あ、だからあけびはみんなを殺したり助けたりできるんだ。そうなの」
「ああ、地神も水神もいるぞ。大地の揺れを収めるのも起こすのも、津波を起こすのも収めるのもそいつら次第だ」
「万能な神などいない、か。外国では万能の神がいるんでしょ?聞いたことがある。なら、この国を守るなら全部の神が協力しないと駄目なのね」
「まあな。ただ、一番良いのは、その万能の神とやらとも協力することだと思うがな」
「え?協力できるの?」
「さあ。会ったことがないから分からん。その万能の神とやらに。だが、やってみないとわからんだろ。それは天神達に協力を頼むことも同じだ。本当に民のためになる事なら、まずは交渉次第というわけだ。話の分かるやつだと良いが」
「交渉……」
「目先の交渉は、お前の望みだな。飢饉を無くす。俺は天は好きにできないが、天神と交渉する事はできる」
「あ、そうか!」
「帝もやってるだろ。村長もやってる。人間なら雨乞が、その交渉だ」
「村長も。あれ、私おまじないかと思ってた。だって、あまり効き目ないもん」
あけびが低く笑った。
「それはあの村長があまり交渉が上手くないということだな。まあ、あいつは祈祷の時に違うことばかり考えてたボンクラだったからな。真剣に頼まない奴の言う事など誰も聞かない」
「でも、じゃああけびが真剣に天神に交渉したら聞いてもらえそう?」
あけびは嫌な顔をした。
「あまり期待するな。俺がいじめられっ子だった事知ってるだろ? あれはあいつらが悪いが、俺が上手く立ち回れなかったという事もある」
「あー、じゃあ、私もあけびと一緒に天神にお願いしてみる!」
あけびは心底嫌そうな顔をした。
「お前の事は天神にも誰にも見せたくない。お前だと、誰かが気に入りそうだ。全員かもしれん。それは絶対に俺が嫌だ。逆ならお前の無鉄砲さがヤツの逆鱗に触れそうだ。どっちかだな」
そう言われて、私はむっとした。
「無鉄砲ってよく言われるけど。逆鱗に触れるって何よ。それに、買いかぶりすぎよ。私そんなモテないよ?村じゃみんな他の子といい仲になってたし」
あけびは笑った。
「お前は知らないんだな。ようた、だよ。あいつが睨みきかせてお前に懸想する奴ら全員にお前に近づかないようにしてた。おれは地獄で手出しできなかったし、村人を取り込んで分かったが、あれはようたに感謝だな」
「ええ?ようたが?ちょっと待ってよ。みんなもそんなそぶり、ちっとも。信じられないわ」
「お前の鈍感さにも感謝だな。俺が戻って来るまで、お前は誰のものにもならななかった」
「ものって何よ。誰が何を言おうと、私は私よ。誰のものでもないわ」
「俺は?俺はお前のもので、お前は俺のものだと、お前がどうなっていようと俺は地獄でずっと決めてたんだが」
私はそれを聞いて、頬が熱くなった。
あけびは再開してから私に寄せる好意や執着を隠しもしない。
私が疑問を挟む余地もなく全開で私のなにかを求めてくる。
しかも昔のあけびから考えられない言動を次々とされ、その手の事には全く慣れていない私はどうしたらよいか、自分の気持ちが追いつかないまま振り回されっぱなしだ。
私は、私もあけびしかいないと、ずっと思っていた。
あの花輪の交換は、私にとってはかけがえのない記憶だ。
でもあけびの気持ちが強すぎて、そばにいたい気持ちと、逃げ出したいと思う気持ちが同居している。
それに、今のあけびは昔のあけびとは違いすぎて、時々疑う自分もいる。
何処までがあけびなんだろうと。
恐らく全部が昔のあけびではない事に、私は警戒し、こだわっているのかもしれない。
あけびが成長して変わったのではなく、数多の人が、鬼神まで入り込んだ、他人が入った事によるあけびの変化を受け止めきれていなかった。
あけびが左にいる私に近づいた。肩を寄せてくる。しかし。
「ちっ。左腕がまだ生えてこない。不便だな。ふく。お前、今度から俺の右に座れ。お前を抱きしめられない」
「わ、私は嫌。恥ずかしい。みんながいるのに」
「誰も気にしない様にさせたと言っただろ?お前も気にするな。それとも、俺に触れられるのは嫌か?そんなに顔を赤くしているのに」
「あっ」
気付いたら、あけびが私の顔を覗き込んでいた。
あけびの右目が、じっと私の顔が赤く染まっていくのを見つめている。
左目は、まだくぼんだままだった。
ここには私の家族がいると言っていた。
あけびは自分を躊躇なく犠牲にして、家族を蘇らせてくれた。
「……駄目だ。お前が愛しすぎる。許せ」
「あ、んんっ」
あけびの顔が近づいて、あけびが私に覆いかぶさるように右腕を私の背中に回して私を抱き込んで、初めての接吻をした。

あけびは私を片時も離さなかった。
手や首筋や、必ず何処かしら触れていた。
そうして気まぐれに接吻してきた。
しかし、不意にその接吻を外す。
それ以上の事は何もしない。
彼は何故か苦しげだった。
「触れ過ぎれば止まらなくなる。不味い。気が緩むと愛しさでお前を食べて、俺の身体に取り込んでしまいそうになる。だが触れないと気がおかしくなる」
「ん……っ」
そう言いつつ彼はまた接吻を繰り返した。
「ふく、俺が、怖いか?……訊くまでもないな。お前の怯えが伝わって来るぞ。それも可愛くて仕方がない」
「生き延びて、お前の元に戻る事だけを、ずっと、あの地獄で考えていた。おまえに会いたくて、会いたくておかしくなりそうだった」
あけびの私への愛情表現を受け入れ続けて良いのか分からず、怖さと罪悪感と共に、ただ私もあけびの強すぎる気持ちを受ける事に幸せを感じていた。
でも、いつまでもあけびに黙っているわけにはいかない。
全く自分の気持ちを隠さず、私ばかりを護り、自分を守らないあけびを騙すことと同じだから、それは耐えられなかった。
「あけび……」
「なんだ」
「わ、私、あけびのことが好き。ずっと、あけびしか私にはいなかった」
「……っ」
突然の私の告白に、あけびは食い入るように私を見ているのが分かる。
「でも、今のあけびには、他の人も混じっているのよね。鬼神も。私、他の人までまとめて好きにはなれない。私が好きなのは、あけびだけだから。そ、そんな私が今のあけびの側にいて良いの?」
ずっとくすぶっていた気持ちを、正直にあけびに話した。
あけびの反応が怖い。もっと柔らかい言い方を探せばよかった。
期待をさせて、傷つけたかもしれない。
今のあけびを否定しているも同然の話だから。
私が後悔していると、あけびが私の気持ちを聞いて、深く息を吐いた。
「ふく」
「……は、はい」
「お前は誤解している」
「え?」
「むしろ今の俺が、元の俺の本音に近いと思う」
私は一瞬、意味がわからなかった。
「それは俺自身が、あの村を潰した時にお前を見て、初めて気付いた事だ」
「ふくの懸念は、俺が地獄にいる間、ずっと持っていた懸念で恐怖と同じだ」
あけびは話し続けた。
「地獄で正に地獄を味わって、他のやつの記憶をどんどん吸収して自分が押しつぶされる程になってはいたし、自分でも他のやつに俺が乗っ取られる恐怖があった。だから自分の変化が怖かったし、自分はもういないかもしれないと思い、必死で自分を繋ぎ止めようとしたが、お前を見て、違うと気付いた」
「わ、私を見て?」
「そうだ」
「自分が消えるなど無理で、矛盾していると。俺のこの想いは元の俺だ。他の奴らと殺し合って相手を取り込んでまで生きようとしたのは、元の俺がそうしたかったからだ。お前とこうして会う為には、それしか方法がなかった。絶対に自分は殺されないと決めたのは俺自身だ。お前のもとに戻る為に。自分の気持ちを抑えたりしたら、あの生きる欲が剥き出しの世界では生き残れない。欲望をさらけ出して闘うしかなかった」
「お前が子供の頃の俺をどう見ていたか、なんとなく分かるが、それは、ただ自分を抑えていた俺に過ぎない。お前が元の弱々しい俺を好いてくれてようと、今の俺をどんなに嫌い、気味悪がろうと、どちらも同じ俺だ。お前が俺のそばから離れる事が耐えられず、怖かったのは今も昔も同じだ」
「これは、元から持っていた俺の執着、欲望だ。子供の頃から、お前しかいなかった。ぼんやりと自分のお前への執着に気付いていたからな」
頬が熱く、胸の鼓動がうるさいほどに早い。
私は、あけびの告白を聞いて、子どもの頃のあけびを思い出した。
優しい静かなあけびが、私が話していると、時折無言でじっと自分を見つめている事がよくあった。
「どうしたの?」って訊いたら大抵
「ううん。なんでもないよ」と穏やかな笑顔で答えてくれていた。
私はてっきり、自分が一人で喋りすぎて、あけびが呆れたかもしれないと気になっていたから、その笑顔でいつもホッとした。
『そうやって、いつも俺に話しかけていろ。なんでもいいから』
昔のあけびと、今のあけびは同じなの?
私は何故かいたたまれず、恥ずかしくなり、自分の鼓動を抑える為に、無理やり話を変えた。
「な、なら、あけびは人の生き死にに関わる事は出来るのよね。じゃあ、疫病をなくす事は?村で飢饉と同じくらい怖いのは疫病だし」
「それも無理だ。俺が死ぬ。死んだら鬼神がいなくなるし、お前を一人残して誰かのものになるなど耐えられない」
話題を変えた意味がなかった。
あけびの結論はいつも『お前が、お前から、いなくなることは耐えられない』だ。
「ま、また人をモノ扱いして。でも、なんで疫病の人達を治したら、あけびが死ぬことになるの?」
あけびはため息をついた。
「俺の人々の生き返らせ方を見てなかったか?俺の目と左腕をもたせただろう?」
「あっ」
「疫病は生き返らせる人数が多過ぎる。その度に身を削っていたら、俺がなくなっちまう。戦でも同じだな」
「そうか……。私も、これ以上あけびが自分を犠牲にするのは嫌だ」
あの目を抉り、左腕を切り落とす場面を思い出、ゾッとした。
行為もだが、切り落としたのはあけびの身体だ。
そう気づくと耐えられなかった。
あけびは私の言葉で無言になり、再び私に接吻をした。
「んっ。ああ……。きゃっ」
いつの間にか、右腕で抱き込まれ、あけびの膝の上に座らされていた。
そうして、私を自分の膝の上で抱き込みながら、頬ずりをしたり、私の指に右手指を絡めてきた。
鼓動が早くなりすぎて、もう何も考えられない。
「お前は柔らかいな。そして軽い。匂いがたまらない」
あけびの膝の上で何度も接吻をされるから、答えるいとまもない。
「俺の事が、好きか?今の俺でも?」
「んっ。す、好きよ……。うう。ああ、あけび、は、恥ずかしくて胸が苦しい。なにも、考えられない」
「お前は本当に可愛いすぎる。考えなくていい。俺のそばにいさえすれば。何でもいい」
「そ、そんなの嫌だ。私も、あけびと考え……ん、あっ」
「ふっ。お前の望みは、飢饉と疫病を治すことだな。分かった。飢饉は天神に相談してみる。駄目なら雨よけや日照り対策を考える。疫病は、俺の身体を使わない代わりに水をきれいにし、汚物を流す水路を整備させる。大抵はこの整備をすれば、疫病は減っていくだろう」
「そ、そうなの?」
「ああ。疫病の原因は、大抵不潔さや飲み水の汚れだ。この国にはまだ水路や汚水路は整備されていないからな」
「その為には人手と金子が必要だな。金稼ぎの上手い商売人に宮中の庭の一部を貸して、買いに来そうな民が常時入れる様にしたらどうだ?
で、他の庭もたまに解放して、能や蹴鞠やぶさめをするのはどうだ。
帝や宮中の者と共に、民にも見せてやったら喜ぶのではないか?店で買い物をし、その足で見世物を見られる」
あけびは次々と考えを話した。
「あと、宮中外にも宮中に続く道並に宿屋と店が並べられるようにしよう。人を呼び込むんだ。それで賃料から工事人に払う金子を作る。
あとはまず国の水源地を把握しないと。畑にも水はけの良い水路を作るんだ。これは雨続きの根腐れにも日照り対策にもなるぞ。仕事にあぶれた者を集めさせ、工事人として雇う。これは各村で責任者をえらんで数村まとめて集め、水路、汚水路の作り方をまとめて教える。予め必要な道具や金子を与え、整備した村には年貢の量を減らし、その分を各村で保存しておき、飢饉の時に困らないようにする、辺りをざっと考えた」
「凄い。あけび、昔から賢かったから。んん」
「ふ、凄いのはお前だ。村の問題をちゃんと把握している。俺は、お前がそう望んだからやり方を考えただけだ。俺は、お前が俺の側で笑っていれば、それで良い」
「あ、あけび……」
「そうだ。俺だけを感じろ。お前が望むことは、俺が形にしてやるから……」

あけびは、帝に、広すぎる宮廷を庶民に解放させた。
勿論、表向きは今の帝が指示した事になっている。
今の帝は慈悲深い賢帝と、噂される様になっていた。
あけびが考えた通り、宮中の庭園に民達も招き入れ、店が軒並み並んでいて賑やかだ。
厳かな蹴鞠や狂言、踊り、やぶさめが披露され、ひときわ大きな歓声が上がっていた。
ちなみにあけびもちゃっかり全てに参加していて、一部の女性からは黄色い声が上がっていた。
左腕はどういうわけかあるし、目も普通だ。
本物の腕や目はまだ生えてきていない筈だった。
「あんな事が出来るなら、普段から不便不便と言ってるのは何なの?」
私はあけびの勇姿に胸をときめかせ、他の女性の黄色い歓声が、盛況で嬉しい反面、モヤモヤとした。はっきり言えば、面白くなかった。
「こんな広い庭、一部の人間しか使わないなんて勿体なさすぎるだろ」
「……あけびまで、あんなに参加することなかったのに。民は喜んでいたけど。特におなごが」
「なんだ。やきもちか?」
「ち、ちが、ただ、面白くないだけ。モヤモヤするだけ。あと、私もやぶさめやりたい」
それを聞いたあけびは嬉しそうに言った。
「お前にやきもちを焼かれるとは。やってよかったな。だが、お前は参加させない」
「ずるい!なんでよ、何もできないと思ってるんでしょ!私だって練習すればあれぐらい……んっ」
突然、あけびが顔をかがめて私に接吻した。
「お前と同じ理由だ。お前の姿を、男になど見せたくないからな。懸想するやつが続出するに決まっている。やぶさめなら、二人だけの時に俺が教えてやる。お前が腕を上げたら競っても良いぞ」
私はまた顔が火照ってきた。
「ま、またそればっかり。だから、私はそんなにモテないって……」
「お前の言う事など当てにならん」
「なんでよ。え、どうしたの?」
不意にあけびの顔が険しくなり、周囲を見渡し、ある一点に目を定めていた。
「人を入れると刺客も入るか」
「え、刺客?」
「しかし、なんで帝ではなく俺を見る?修験道か?」
「修験道?刺客?」
不意にあけびがその見た方向に手をかざしたが、悔しがった。
「ちっ逃がしたか。防御してやがる」
「宮に戻るぞ。他の者には手出ししないだろうが、ここは危ない。宴もそろそろ終わる頃だ」
あけびは私の質問には答えず、足早に私の方を右手で抱き、宮中に促した。
急かされる中で、私はそっと振り向き、あけびが見た背の比較的高い木のある方を見たが、誰もいなかった。


「あけび、さっきの修験道って、何なの?あけびを狙っていたの?」
「お前は心配しなくても良い」
「なんでよ!あけび、逃がしたんでしょ?て言う事は、相手は鬼神の力を持ってしても捕まえられなかったってことよね。強敵って事よね?放っておいたらまたあけびが狙われるじゃない!」
「耳元でうるさい」
「話を逸らさないで。修験道って何?現実を見ましょう。あけびの弱点ならなんとかしないと。倒す方法はあるの?」
「狙われてるのはお前ではなく俺だ。それに俺が手こずる相手だ。お前の手におえる相手ではない」
「また私を馬鹿にして!誰が子供の頃、何度もあんたを守ったと思ってんの!この私に弱虫って言われたい?」
「いつの話だ……」
「もういい。あけびには聞かない。自分で人に聞いたり宮中の書物を漁って調べる」
あけびはため息をついた。
「分かった。お前にはかなわん。俺を誘い出す為に、お前を攫うかもしれないしな。俺から離れさせようとも思ったが、却って危ないと気付いた。調べ物も必要ない。俺が今から話す。俺の側から勝手に離れるなよ」
「分かった」
「修験道は厄介な連中だ。鬼神と人間の間にできた子供だ」
「え?」
「力は鬼神ほどではないが、人間の持つ賢しさを兼ね備えている。まあ、俺も似たようなものかもしれんが」
「で、でもなんであけびを狙うの?鬼神側の人間でもあるんでしょ?鬼神をあけびが殺したから?」
「さあな。本人に聞かんと分からんが。前の鬼神の記憶によると、息子達は母親を殺した鬼神を恨んでいる」
「なら、やっぱりあけびを狙うのが分からない」
「俺も知らん。ただ、おれは鬼神の記憶があるが、息子達は父親の事も俺の事も俺ほどには知らないだろう。俺の事も自分の父親と同じぐらいに敵と思っている可能性はあるな。何しろおれは鬼神だ。厄介なのは、俺が油断したら十分に俺を倒せる能力があるって事だ。しかも、相手は二十人くらいか」
「ニ十人。みんな鬼神の子供なの?作りすぎよ……」
あけびが薄く笑った。
「こんな時でも、明るいお前といると、心が軽くなる。俺達も作るか?子供に殺されるのはごめんだが」
私はあけびのどさくさのさりげない一言に驚いた。
子供なんて。祝言を通り越している。
こんな時なのに、一瞬あけびとの子供を想像した自分が恥ずかしくて、情けなくなった。
「な、何言ってるのよ、こんな時に!」
あけびは愛しげに私を見て、しかしニヤリと笑った。
「今、想像しただろう。匂いが変わったし、顔でわかる。堪らんな」
「バカ!なんで分かるのよ!勝手に人の臭いを嗅がないで!」
私は泣きたくなった。
「そう言われてもな。匂ってくるものは仕方がない。しかし、現実問題、その息子達二十人が束になってかかってくるとなると、厄介だな。地獄を潰し平穏に過ごしたかったが、倒さないわけにもいかないか……」
「あけび……。もし、もしあけびがその者たちにやられて傷を負ったりしたら、どうやって治したら良いの?教えて」
あけびが答えに窮したようだった。
「……いや、そんなものは残念ながら、ない。あいつらは特性の鬼神退治用の毒を持っている筈だ。鬼神の力を無効にする薬もな。あいつらが地獄に行けさえすれば、おれが鬼神を倒すまでもなかっただろう。鬼神はあいつらだけは地獄に入れなかった。自分の息子なのにな。あいつらをどうにかするには、鬼神よけの薬の効果が切れた時が狙い目だが……。まあ、こちらは隙を見せず、なんとかして倒すしかないな」
なんだろう。あけびは何かを隠している気がした。


そんな事があったが、あけびと私は暫くは平穏な日を送れていた。
不安は当然消えていない。
解決策の決め手がない。
隙を見せずにって。あけびには寝てる間も警戒出来そうな気がするが、側で心配するただの人間の私には一瞬の隙も見せないなど不可能だし、不安でしかなかった。
あけびは庭の花で花輪を作り、私の頭に乗せる。
「ここの花は皆大きくて派手すぎる。帝は趣味が悪い。ふくにはあの場所の花が一番似合うな。あそこと同じ花をここに植えよう」
「ふふ、こんな上等な花輪なんて初めて。でも本当ね。花輪にするには大きすぎる」
どんなに言う事や表情や態度が変わっても、昔のあけびがここに確かにいるんだ。
こんな時なのに、涙が出そうになった。
あけびはあけびなんだ。
「ふく、伏せろ!」
突然、あけびが叫んだ。
矢が何本も飛んできていた。
「ふく、俺の胸にしがみつけ!指一本身体を見せるな!」
どういうことなのか。
遠方の外国の軍艦まで見通せる鬼神になったあけびが、近くに刺客が来るまで気づかなかったなんて。
修験道?
鬼神除け以外にも不意打ちの力もあるのだろうか。
「ちっ。鬼返しの術を使ってやがる。範囲内まで気配を消すことも覚えたか」
二十人ほどが、皆動きが凄くて塀などすぐよじ登ってくる。
矢は前にあけびが言っていた鬼神に効く毒を塗ってあるのだろう。
絶対にあけびに当てさせたらいけない。
どうしたらあけびを護れるの?
ただの人間の小娘の私が。
あけびは応戦している時に、何故か足元の何かを見て、気を取られていた。その為に一瞬、動きが遅れた。
私はあけびに抱かれている隙間からあけびの背中を狙っている刺客を見た。
「あけび!後ろ!」
「うっ」
あけびは避けきれず、特別な毒矢を背中に受けてしまった。
「あけび!」

一体あけびは何に気を取られたのか。
足元を見ると、この庭にはそれまで見かけなかった小さな花が一輪咲いていた。
『あそこの花をここにも植えないとな』
あけびは、それを即実行していたのだ。
そして、その花を踏まないように一瞬気を取られたのだろう。

子供の頃、いじめっ子に殴られる瞬間に、足元の花に気を取られた様に。
「馬鹿!!あけびが言ったんだよ、一瞬でも気を抜くとやられるって!
それが……なんで……肝心な時に。偉そうに言っといて……」
私はもう止まらなかった。
「なんで、矢を射られてる相手から目を逸らすの! 子供の頃と何も変わってないじゃない!あけび、優しいから!」
私はあけびの腕の中で泣きながらあけびを叱った。
あけびは顔を歪めながら、一瞬、昔の優しかった頃の柔らかな表情で私を見た。
「ふく、泣くな。だいじょう、ぶだから。俺に隠れて、いるんだぞ」
どうしたらあけびを助けられるのか。
「教えて。あるんでしょう?あけびを助ける方法が。私、何でもするから」
「それ、は……」
「あけび!教えなさい!教えないと、わたしあの修験道の元に行って聞くわよ!」
「だめ、だ、ふく。方法など、ない。あいつらに聞くのも、許さない。俺の懐から、出るな、行くな」
私はあけびの掠れた言葉を無視した。
本当に危ないのだ。
あけびが危ないのだ。
私には耐えられなかった。
「ちょっと!鬼神の子供さん達!やめてくれる!?この人はあんた達が憎んでた鬼神を倒して、戻ってきて、この国を良くしようとしてくれてるのよ!何でこんなことをするのよ!あけびは元は子供の頃、鬼神に差し出された人間よ!この人を殺したら、この私が許さない!魂になってもあんた達を恨んで地の果てまで追いかけてやるわ!」
「や、やめろ……ふく。お前まで、やられる」
「やめない!今だって、この小さな花に気を取られて、あんた達の矢が当たったのよ!そんな優しい人をなんで殺すの!絶対に許さないから!」

しばらく矢が止まった。
代わりに、不意に近くにあけびと変わらない長身の青年が現れた。
次々と現れてきた。みんな顔立ちが似ている。
「うるさいな。お前。人間の娘か。なんでそいつに味方する」
「好きだからよ!悪い!?」
「ふん。なんで鬼神なんか好きになった。こいつに操られているのか?」
「私は正気よ!幼馴染で、小さい頃から一緒で、弱虫で、今も底抜けに優しいからよ!」
「優しい?こいつが?」
「わからない!?今もこんな状態で、私を全力で庇ってくれている。悪いけど、あんた達のお母さんを殺した前の鬼神とは別人だわ!教えて。この人を助けたいの。何か方法があるのよね?あけびは、がんとして教えてくれない」
「や、やめろ。ふく。お前達、やるなら、さっさと俺だけをやれ。こいつには手を出すな。頼む」
修験道の青年達は、そのやり取りを無言で見ていた。
リーダーらしき青年が答えた。
「ふうん。うるさいが、お前の言う事は当たってるかもしれないな。それに免じて教えてやるよ。できるか分からんが。普通の鬼神にそんなものはないが、こいつにとってはありそうだ、治す方法が」
「やめろ!いう、な!」
あけびが力を振り絞って右手をかざそうとした。
が、全く相手には効かない様だった。
青年達は笑った。
「痛くも痒くもないな。しかし図星の様だ。娘。お前だよ」
「わたし?」
「そうだ。俺達がこいつを許すか、もしくは鬼神にとって、かけがえのないものを食べる事が、唯一の特効薬だ。……そうだな。この矢傷だと。腕一本ぐらいか。出来るか?腕一本だ。俺達が切ってやっても良いが、お前、切った途端、ショックで死ぬんじゃないか?」
「私の腕を、こんな状態のあけびがどうやって食べられるの?」
青年はまた笑った。
「お前、本当に何も知らないんだな、こいつの事を。これだけ大事にしてるものなら、死にかけでも勝手に身体が動いて貪り食うだろうよ。なのにお前の身体には傷一つない。凄いな。普段からどれだけ我慢している事か、想像がつく。相当な忍耐だな」
あけびがいつも言っていた。食べてしまいそうだと。
「お前は誤解しているが、俺達の親父、鬼神もそうだったよ。鬼神の中でも珍しい奴だったんだろう。ただこいつと違って忍耐が足らず、愛しい母親を食っちまったがな。俺達はどっちつかずだ。その忌々しい血が流れている」
「だから、鬼神を狙うの?」
「いわば自分に対するいい訳だな。俺達はまともだという。俺達は、地獄からでてくるとも分からん鬼神の親父を狙うためだけに生きてきた。だが、地獄から降りてきたのは親父ではなかった。あの親父が殺されたのかと」
「お父さんを殺したあけびを憎んでるの?」
「俺達にもよく分からん。話しすぎた。どうする?お前にその覚悟があるならこいつを助けられるぞ。俺達はもうこいつをやる気が失せた。お前の演説はやかましいが、それなりに理解できた」
「決まってるわ。私は非力だから切れない。お手数だけどあなた、切ってくれる?私の腕を」
「や、やめてくれ、やめろ、ふく、やめ、ろ。おれ、は気が狂う」
「あけび。私もよ。あけびがいなくなったら気が違う。ごめんねわがままで。食べてね。いつも我慢させて、ごめんなさい」
「ふく、お前たち、やめろ。頼む」
「左腕にしてくれる?」
「わかった」
「ふふ、花輪と同じ。これで、あけびと私、お揃いになるわ。二人の祝言にしましょう」
その後、すぐ衝撃が左腕に来て、あけびの叫び声が聴こえた気がした。
あとは覚えていない。

目が冷めた。
気付いたのが不思議だった。
目が覚めたのだ。
私は死んだのだろうか。
「ふくっふくっ」
そう思う間もなく、右腕で強く抱きしめられた。
頬ずりを嫌ほどされる。
接吻を繰り返された。
「く、くるし、い」
「す、すまん」
あけびだ。
あげびが生きている。
意味がわからないが、涙が出そうだった。
「あけび、無事なのね……良かった」
「良くないぞ!お前の無鉄砲さは底なしだ。今度やったら、絶対に許さん」
そう言いつつ、何度も私を抱きしめる。
そのうちに気がついた。身体が何処も痛くない。
でもあの世でも無さそうだ。
見ると。衝撃があった左腕はなんともなかった。
「あれ?私の腕が……。あけびが食べたんじゃ」
あけびは憤慨した様に言った。
「食べるわけないだろう!お前の腕も全て俺には愛しいんだ。消えたら耐えられない」
「で、でもあけび、無事に生きてる。元気そうだし。どうして?」
「ああ。なんだかよくわからんが、お前のあいつらへの交渉が効いたようだ」
「え?交渉?」
「元気に怒鳴ってただろう?あと『ここまでしても食べないやつなんか鬼じゃないな。俺達は認めない』とか妙な事を言ってたな、あいつら」
「え?認めない?」
「お前が気絶した後、俺の口の眼の前にお前の切り落とした腕を持って来やがったんだ。当たり前だ。お前を食べるわけ無いだろう。それで、意味がわからんが、突然『許してやる』と」
「お前の腕をつなげ直して、俺への毒も消して勝手に去っていった。でも俺の事を見張るぞとかも言ってたな。勝手にしろ。お前の腕を切った事は万死に値するが、治してくれた事には感謝する。俺の毒も、矢を射った奴が自分の身体の一部を切り取って治してくれた。ほんの少しの肉片だがな。でも、もうどうでも良い。お前さえ無事なら」
あの青年たちが、許してくれたんだ。
思わず、私はあけびに抱きついた。
私はなんでこんなに泣き虫なんだろう。
涙が止まらない。
「良かった……良かった。あけびが生きてる。良かった」
「ふく……」
「あけびがいなくなったら、私も死ぬ」
「それは、俺の台詞だ」
あけびが私を抱きしめながら言った。
「俺は鬼神だ。もう人間ではないから寿命も違う。でも、お前を俺と同じほど長く生きさせる事は今は無理だ。蘇らせるのは途中で死んだ者だけだ。寿命までいじる術を俺は知らない」
私を抱きしめる腕が強くなった。
「そう思うと、気が違いそうだ。何としてもお前は死なせないし消させない。お前の姿が見られなくなれば、多分俺の気が違うだろう。だが俺の命が尽きるまで、お前はずっと俺と一緒だ」
「あけび。まだ先の話よ。未来など誰にもわからないわ。たとえ鬼神でも」
私はあけびに抱かれながら、両手であけびの背中を宥めるように撫でた。
「……そうだな。やっぱりお前は俺に対して説教くさい」
「放っといて」
「何でも良い。ずっとそうやって俺に話していろ。いつまでも俺の側で」

了