用済みだと言われた男装の麗人は、女の子だと思っていた元幼馴染の軍神に娶られる

 景と街に出かけた数日後、雪緒は彼から思わぬ依頼を受けていた。
「晩さん会への出席……?」
「ああ。君には妻として同行してもらいたい」
 聞けば彼の恩人である長峰氏からの招待だそうで、ぜひとも夫婦で参加してほしいとのことだ。
「私の事情について先方はご存じなのか」
「知らないはずだ。長峰殿は西方の地で代々続く名家のご当主だが、帝都の事情にはあまり詳しくなくてな」
 学生だった頃の景は西方で過ごしていた時期があり、そのときに世話になった相手だそうだ。目をかけていた景が結婚したと聞きつけ、大いに喜んで連絡してきたのだとか。
「旅行がてら顔を出してほしいと言われたら、断ることもできなくてな」
「景殿の恩人なのだろう? 私は構わない。同行させてもらうよ」
 そう告げると、彼はそうかと嬉しそうに頷いた。
「なら準備を進めよう。手配はこちらでやるから任せてくれ」
 そんなに準備が必要なものだろうかと思ったが、雪緒は深く尋ねることはなかった。翌日になって老舗百貨店の外商が大量のドレスを持参したことで、景が言っていたことの意味を、ようやく理解したのだが。
 晩さん会当日、雪緒は支度室の鏡の前で蒼白になっていた。
「こんな格好……笑われやしないだろうか」
「何をおっしゃるんですか、とてもお美しいです! 景様もお喜びになりますよ!」
 支度を手伝ってくれていたアサが、頬を紅潮させて力説する。
「雪緒さまは普段のお姿も素敵ですが、ドレスアップしたらもっと素敵になるとアサは確信しておりました……!」
 鏡の前に立つ雪緒は、深緑のロングドレスに身を包んでいた。景が手配したドレスはどれも雪緒にぴったりだったものの、普段着飾ることをしない彼女は何を選べばよいのかわからず、すべて外商に任せたのだが。
(こんな高価なもの、身に着けたことが無い)
 首元や耳元を飾るアクセサリーはどれも一流品で、ドレスに合わせた色の宝石が散りばめられている。美容師によって髪が整えられ、化粧を施された自分の姿を見たとき、あまりの別人ぶりに驚きより不安の方が勝ってしまった。
「や、やっぱり晩さん会は止めておいた方が」
「そんなことをしたら旦那さまが悲しみますよ! ほら!」
 アサに促され支度部屋を出たところで、景と鉢合わせた。雪緒の姿を見た彼は、ほんの少し目を見開いて沈黙している。
「……笑いたいなら笑ってくれ」
 やはり滑稽だったのだ。恥ずかしさのあまり俯く雪緒の頭上から、やさしげな声が降ってくる。
「驚いただけだ。あまりに君が綺麗で」
 思わず見上げた先で、景は気恥ずかしそうに顔を少しそむけた。その姿が過去の『けいちゃん』と重なり、鼓動が跳ねる。
 あれは本当に照れているときの表情で、お世辞で言っているのではないと分かってしまったから。
「……君もよく似合っている」
 彼が身に着けている黒のタキシードは、すらりとした長身に実によく映えていて、きっと誰もが見惚れるだろう。
 聞いた景は嬉しそうに微笑むと、手を差し出してきた。
「では行こう、雪緒」
 晩さん会には長峰氏が招待した各地の有力者が多く招待されていた。一瞬知り合いがいるのではないかと身構えたが、帝都から離れた地だけあって、見知った顔は無くほっと胸をなでおろす。
「やあ景君、よく来てくれたね」
 名取川夫婦を出迎えた長峰氏は、温厚そうな初老の男性だった。景とひと通りの挨拶を交わした彼は、雪緒にも声をかけてくる。
「雪緒さんだね。貴女に会うのを楽しみにしていたんだよ」
 聞けば息子同然に可愛がっていた景がなかなか結婚しようとせず、長峰氏も心配していたのだそうだ。彼は雪緒の隣をちらりと見やると、意味ありげに微笑む。
「ようやく奥方を迎えたと聞いて喜んでいたんだが、雪緒さんを見て納得したよ。景君が身を固める決心をするわけだ」
 彼の言うことがよくわからなかったものの、とりあえずにこにこしておいた。なぜか景は咳ばらいしていたが。
 晩さん会は和やかに行われ、郷土料理を取り入れた和洋折衷の食事はどれもとても美味しく、雪緒は楽しい時間を過ごした。
 終会後は立食型の懇親会となり、各々が会話に花を咲かせながらお酒を楽しんでいる。雪緒は飲んだことの無いカクテルに口をつけるか迷っていると、景が耳打ちしてきた。
「これから長峰殿と話があるんだが、少しの間ひとりで大丈夫か?」
「問題ない。ボロが出ないよう隅で大人しくしている」
 それを聞いた彼は苦笑しながら「ではすまない」と別室に去っていく。
 雪緒はなるべく目立たないよう壁際に移動し、交流にいそしむ人々の様子を眺めていた。
(まるで別世界だな)
 三枝家の跡取りでありながら、雪緒はこのような場所には一度も参加したことがなかった。こういった華やかな場所へは両親と華代が出向いていたからだ。
 貴族の社交など雪緒には向いていないと言われれば、間違いではないのだが。
 三枝の次期当主であるならば、自分も出るべきだったのではと今になって思う。なぜ父は連れて行ってくれなかったのか……答えなど、本当はとっくに分かっていた。
(結局父は、私を本気で当主にするつもりなどなかったのだろう)
 雪緒はあくまで『次』ができるまでの中継ぎでしかなく、だからこそ家に縛り付け、いらぬ欲を抱かぬよう押さえつけていたのだ。
 三枝の家を離れ、ようやく理解したことだった。
 自分はあの家で誰からも愛されていなかった――その現実をつきつけられるのはやっぱりつらい。それでも名取川家に来て、雪緒はこれまでになく穏やかな時間を過ごしていた。
 名取川家の人々はみな親切だし、自分を慕ってくれる。何より幼い頃に心を通わせた『けいちゃん』が見違えるように成長し、雪緒の傍にいてくれることが大きい。
 この結婚をなかったことにはしたくない。できることなら、ずっと景の傍にいたい……そんな気持ちが日に日に強くなっている。
 彼に対する想いが形を変えていくのが、少しだけ怖かった。
 自覚してしまえば、もう後戻りできない気がして――
「少しお話よろしいですか?」
 かけられた声にはっと顔を上げると、目の前に見知らぬ青年が立っていた。
「おひとりでいらしたので。よければ僕と話でも」
「いえ、連れを待っていますので」
「ああご主人ですよね? 先ほど綺麗なご令嬢と一緒にいるのを見かけましたよ」
 思わず見返した先で、青年はにこりと笑んだ。手にしたカクテルグラスを雪緒に差し出し、耳元でささやく。
「せっかくですし、僕らも別室で楽しみましょうよ」
「……お断りします」
 こんな軽薄な男と話す気にもなれないし、そもそも景が他の女性に現を抜かしたとしても、自分に責める権利などない。雪緒の返事に青年は鼻白んだあと、口元に弧を描きながら声をひそめた。
「貴女、三枝雪緒でしょう? 男と偽った罪で護国寮をクビになった」
 絶句する先で、彼は愉快そうに目を細める。
「長峰殿はご存じなんですか? 僕が話したら景殿も困っちゃったりして」
 ふざけるなと出そうになるのを必死に我慢する。ここで自分が切れようものなら、景の面子が丸つぶれだ。
 睨みつけた先で、青年はぞっとするほどやわらかく笑んだ。
「貴女みたいな気の強い女が好きなんです。では、いきましょうか」
 彼の手が腰に回され、肌が粟立つ。けれどどうすることもできず連れ出される雪緒の腕を、誰かが掴んだ。