食事が終わり店主と景が話をする間、雪緒は邪魔にならないよう先に店の外へ出た。通りに踏み出してすぐ、背後から声をかけられる。
「あれ? 三枝じゃないか」
ぎくりと振り返ると、士官服に身を包んだ元同僚たちが、にやにやと笑みを浮かべていた。
「久しぶりだなあ。護国寮をクビになって以来か」
嫌な相手に会ってしまったと思った。この男たちは同期の中でたちが悪く、たびたび雪緒とも衝突していた。
なるべく関わりたくないため目礼をして去ろうとする背中を、ひときわ大きな声が呼び止める。
「散々俺たちを騙していたくせに謝罪も無しか?」
渋々振り返った雪緒は、すまなかったと謝った。そりが合わない面子とは言え、騙していたことには変わりない。
今度こそ去ろうとする雪緒に、彼らは鼻を鳴らしながら言い合った。
「なんでまだ男の格好してんだ? 噂じゃあの名取川家に嫁いだって話だが」
「何かの間違いだろ。あの名取川家の妻だぞ、由緒正しき令嬢が選ばれるに決まってる」
「だよな。あんな男女、俺だってお断りだ」
「いや……わからんぞ。景殿は男色という噂も」
それを聞いた瞬間、雪緒は反射的に言い返していた。
「いい加減にしろ。私のことはいいが景殿を侮辱するな」
「はあ? なにムキになってんだよ」
「お前に関係のないことだろ」
へらへらと嗤う彼らに怒りが抑えきれず、挑発的な笑みを漏らす。
「言いたいことはそれだけか? 馬鹿にしている私にすら劣っていたくせに、情けないものだな」
「……なんだと?」
中の一人が怒りをあらわにしながら詰め寄ってきた。
「調子に乗るなよ。女のくせに舐めやがって」
そう言って雪緒の手を掴もうとするのをはじき返す。
「汚い手で触るな」
「てめえ!」
相手が手を振り上げた瞬間、後方から風切り音が鳴り、目の前の男が吹っ飛んだ。
何が起きたか分からず狼狽する彼らの前に現れた人物。
「な、名取川少尉……!」
現れた景の姿を見て、男たちは顔面蒼白になった。雪緒の傍に立った彼は鋭い視線を向け、
「貴様ら私の妻に何をしていた?」
「妻……ってまさか噂は本当だったのか?」
信じられないといった表情の彼らを一瞥し、景はこちらを窺った。
「雪緒、何があった」
「くだらない口論だ。取り合うのも馬鹿馬鹿しい」
懲罰沙汰にするつもりもないと告げると、そうかと頷く。直立不動で立ち尽くす男たちに向け、彼は冷ややかに言い放った。
「一般民への無体は重大な規律違反だ。しかし彼女がこう言っている以上、今回は不問にしてやる」
「あ、ありがとうございます!」
ただし、と景の瞳がひときわ鋭さを増した。
「私の妻に対する無礼は許さない。覚悟しておけ」
「ひい……っ申し訳ありませんでした!」
ひれ伏す勢いで頭を下げる男たちを帰らせ、景は雪緒を見やった。
「怪我はないか」
「大丈夫だ。私の方が強い」
彼が止めていなければ、自らの手で奴らを組み伏せていただろう。それを聞いた景はやれやれと苦笑を漏らす。
「頼もしい妻だ。だがあまり無茶はしないでくれ」
とはいえ、と大きな手が雪緒の頭に触れた。はじかれたように見上げると、色素の薄い瞳がこちらを見つめている。
「私のために怒ってくれたのだろう。ありがとう」
その顔があまりに優しげで、雪緒は思わず視線をそらしてしまう。
「大したことじゃない……って、ん? 景殿はいつから諍いを見てたんだ」
「……しまった」
決まりの悪そうな表情を浮かべた彼は、頬をかいた。
「雪緒があの程度の男どもに負けるはずがないと分かっていたからな。とはいえ、奴らが君に触れるのを阻止できなかったのは私の落ち度だ。すまない」
そう素直に謝られてしまうと、こちらも文句を口にできなくなる。雪緒は口ごもりながら、仕方なく素直な気持ちを告げた。
「元々助けてもらうつもりなどなかったから問題ない。でもまあ……ありがとう。庇ってくれて嬉しかった」
聞いた景はほんの少し目を見開いたあと、子供のように笑った。その顔は確かに”けいちゃん”の面影があって、けれどそこに重なる”景”の色香に、雪緒はくらくらする。
心臓の音がやたらうるさくて、こんなに近くにいたら彼に聞こえやしないかと気が気じゃなかった。
――そんな二人の様子を、泥水のような目で見ていた人間がいたことを、雪緒は後に知ることになる。
雪緒が実家を追い出されて三ヶ月。三枝家では度重なる問題が浮上していた。
これまで雪緒が担っていた役目は華代夫婦が引き継いだものの、面倒ごとをすべて雪緒に押し付けていた彼女たちが上手くやれるはずもない。見かねた両親がなにかと手助けしているが、焼け石に水の状態だ。
最も大きな問題が、門下生が次々に辞めていることだ。
天刀流異能術を雪緒以上に扱える者はおらず、 彼女を慕っていた者のほとんどが去って行った。三枝の道場にはまともな指導者がいないと噂が広がり、評判は瞬く間に地に落ちた。
「今月もこれだけ辞めたのか……」
積み重なる離籍状の前で、華代夫婦は青ざめていた。門下生を失うということは収入にも直結する。
雪緒の父は洋輔に向け、苛立ちをあらわにした。
「なんだこの体たらくは。お前は筆頭門下生だった癖に、まともに指導もできんのか」
「違うのよお父さま。すべてお姉さまのせいなの」
割り込んだ華代は父親に向って言い募った。
「お姉さまは名取川家で天刀流異能術を教えているそうよ」
「何? それは本当なのか」
「僕も聞きました。うちを辞めた門下生たちが、名取川に入門しているとか」
洋輔の言葉を継ぐように、華代は目に涙を浮かべる。
「それに私見ましたの。名取川家のご当主とお姉さまが、楽しそうにしているのを。お姉さまなんかが女として愛されているわけがないんだから。きっと天刀流の技術を売って取り行ったんだわ」
「雪緒め……!これまでの恩を忘れよって」
怒りをあらわにする父に、華代は忌々しげな表情で言い切った。
「お姉さまは三枝を裏切ったの。相応の報いは受けるべきですわ」

