用済みだと言われた男装の麗人は、女の子だと思っていた元幼馴染の軍神に娶られる


 景の態度が気になって、その日はあまり集中できなかった。
 稽古の時間を終え邸に戻ると、炊事場がある方から甘い香りがしている。
「あっ雪緒さま、ちょうどよいところに!」
 アサという雪緒付きの女中が、ころころとよく変わる表情をぱっと輝かせた。
「どうしたんだ?」
「サツマイモのお菓子をつくったんです。お食べになりませんか?」
「甘いものは好きだ。ぜひいただこう」
 そう答えるとアサは嬉しそうに炊事場へ戻っていく。軽く湯あみをしてから着替えを済ませると、見計らったようにアサがお菓子を持ってきてくれた。
「よかったら一緒に食べないか」
「そんな滅相もない」
「一人で食べるのはつまらない。景殿はまだ帰ってこないしな」
 アサはどうしようか迷っている風だったが、出されたお菓子をひとつ差し出し。
「ほら。食べて御覧」
 雪緒にそう言われてしまえば断りきれなかったのか、アサは顔を赤くしながら「では……いただきます」とお菓子を受け取った。
 そう言えば今朝女中を惑わせるなと言われたばかりだが、まあいいだろう。
「これはなんというお菓子なんだ?」
「スイートポテトです。サツマイモに砂糖とバター、生クリームを加えてオーブンで焼き上げました」
「そうか。……うん! 初めて食べたがとても美味しいな」
 ほくほくした甘みとバターのコクがたまらない。あっという間に好物の仲間入りとなりそうだ。
 それを聞いたアサはいかにも嬉しそうに頬を蒸気させた。
「雪緒さまに喜んでいただけてよかったです」
「いつも気を遣わせてすまないな。ここの者たちは本当によくしてくれる」
「そんな、景さまが選んだお方なんですから。当然ですよ」
 その言葉に、雪緒は思わず苦笑が漏れる。
「私は形だけの妻だ。ここに来た事情は皆も知っているだろう」
「それは……」
 アサは口ごもってから、でもと視線を上げた。
「景さまは雪緒さまだから、お迎えになられたのだと思います」
「うん? どういう意味だろうか」
「雪緒さまが来られるまで、景さまはどなたともご結婚なさるおつもりがなかったようでした。私たちはみな、心配していましたから……」
 言われてみれば、御三家の一角である名取川家の嫡男がこの年まで浮いた話すらなかったのは、不思議な話ではある。
 理由を尋ねると、アサは「私が話したって景さまには言わないでくださいね」と前置きしてから、
「景さまには元々婚約者がいらっしゃいました。良家のご令嬢だったそうですが……他の殿方と駆け落ちされたそうで」
「えっ……」
「その方とは良い関係を築いていただけに、景さまはずいぶん傷つかれたそうです。以来、どなたともご婚約なさろうとせず……ご両親も半ばさじを投げていらっしゃいました」
 そんな事情があったとは露ほども知らなかった。景ほどの男なら結婚相手など引く手あまただろうと思っていたが、そう簡単な話ではなかったらしい。
「そのような中で雪緒さまを妻に迎えると仰ったものですから、それはもうご両親も私たち喜んで!」
 話がおかしな方向になってきたため、雪緒はやんわりと否定する。
「いや先ほども言ったが、私は形だけの妻だから……」
「そんなことありません! このところ雪緒さまとお話になる景さまは、見たことがないほど嬉しそうなんですよ!」
 あれが嬉しそうとはとても思えないが……鼻息の荒い彼女に反論するのはやめておく。
「私と彼はかつての幼馴染なんだ。そういうよしみで、気安く接してくれているだけだよ」
 実際に夫婦の営みなどないし……とまでは言えなかったが、アサも察してはいるのだろう。うーんと考え込むように唸ってから、こちらを窺うように見上げた。
「雪緒さまは景さまのことがお嫌いですか?」
「え? そんなことはないが……」
「なら何の問題もありません。私たち心から応援しておりますから!」
 きらきらとした目でそう言われ、雪緒は何も返せなかった。
 景と本当の夫婦になるなどと、考えたこともない。相手とて同じだろうから、彼女たちの期待を裏切ることになると思うと――胸が痛むのだった。
 その日帰宅した景に、雪緒は取っておいたスイートポテトを差し出した。
「とても美味しかったから、景殿にも食べてもらいたいと思ってな」
「……これは君のぶんを取っておいたのか?」
「え? そうだが……」
 何かまずかっただろうかと思っていると、景はふ、と表情を和らげる。
「この菓子は先ほど女中に出された」
「あっそうなのか⁉ すまない余計なことを……」
 よく考えれば、この家の主に菓子を出すのは当たり前なのに。三枝の家では甘い菓子は華代のためのもので、自分にはなかったからうっかりしていた。
 恥ずかしさのあまり差し出したスイートポテトをしまおうとしたが、その手を彼につかまれてしまう。
「これももらおう」
 そういって景は雪緒の手からぱくりと口にした。
「ちょっ……!」
「うん。美味いな」
 もごもごしながら彼は満足そうに微笑んだ。その整った笑みに、思わずどきりとしてしまう雪緒だった。