用済みだと言われた男装の麗人は、女の子だと思っていた元幼馴染の軍神に娶られる


 名取川家の正門を、雪緒は呆然と見上げていた。
 三枝とてそれなりの家柄であるはずなのに、それでも御三家とは比べ物にならないことが、門を見ただけで分かる。
「本当に私でよいのだろうか……」
 名取川家当主が自分を妻になど、何かの間違いだと思えてならない。
 妹の華代ならまだしも、雪緒は訳ありの女だ。今だって男物の着物を身に着けているし(女物の着物は必要ないため持ってすらいない)、ひと目でまともな令嬢でないことが分かってしまうだろう。
 きっと門前払いを受けるに違いない。
 しかし出迎えた家令らしき老紳士は、雪緒の姿を見ても何の反応も見せず「ご足労感謝いたします」と招き入れてくれた。
 長い回廊を歩き、手入れの行き届いた座敷に通された彼女の前に現れたのは、息を呑むほどに凛々しく美しい男だった。
(遠目でしか見たことがなかったが……これほどとは)
 上背は雪緒よりだいぶあり、均整取れた体つきは日頃から鍛えているのがわかる。亜麻色の髪と色素の薄い瞳は透き通るようで、黒水晶と称えられた瞳と髪を持つ雪緒とは対照的だ。
 何より目を引くのが、彼の甘く整った面差しだろう。切れ長の涼やかな瞳、程よく弧を描いた形の良い唇。流行りの舞台役者と言われた方がしっくりくるほど、名取川景の容姿は人目を惹く。
 これほど美しく、地位も名誉も持った男がなぜ自分を妻になどと思うのか。猜疑心を持つなというほうが難しい。
 ひと通り挨拶を済ませた雪緒は、単刀直入に尋ねてみることにした。
「これからのことを話す前に、確認してもよろしいですか。景殿は私を妻にとご所望されたと聞きましたが、何かの間違いではございませんか」
 それを聞いた景は軍人らしい隙のないまなざしで、じっとこちらを見据えた。
「なぜそう思う」
「ご存じのとおり私はこれまで男として生きてきた人間です。淑女教育も受けておりませんし、貴方ほどのお方ならもっと相応しい令嬢がおられるでしょう。そもそも私のような者を妻にして、何の利があるというのです」
 聞いた景は「なんだそんなことか」といった様子で息をつく。
「それなら心配に及ばない。こちらも理由あって君を呼んだのだから」
「理由……どのような?」
「三枝雪緒の評判は私の元にも届いている。天刀流異能術を極め、ゆくゆくは隊を率いる人材になるだろうと」
 そのような評価を受けていたと知り、雪緒の内心は複雑な感情が行き交った。見てくれている人はいたのだという嬉しさと、もうそこに自分の居場所はないのだという虚しさ。
「君ほどの実力者をあのような醜聞で失うにはあまりに惜しい。端的にいえば、君の能力が欲しかった」
「ではやはり景殿の部隊に所属を……?」
 淡い期待を遮るように、彼ははっきりとかぶりを振った。
「一度除隊の結論が出てしまった以上、覆すことは難しい。護国寮への復帰は諦めるんだな」
「……ならどうしろとおっしゃるのです」
「三枝と同じように、我が名取川家も多くの門下生を抱えている。彼らに君の技術を授けてもらいたい」
 思わず目を見張った先で、景は表情ひとつ変えずこちらを見つめている。冗談で言っているわけではなさそうだ。
「景殿もご存じのはずですが、異能術は各家門外不出のもの。私に三枝を裏切れとおっしゃるのか」
「先に君を裏切ったのは向こうではないか?」
 その指摘が突き刺さり、言葉に詰まってしまう。見透かすような視線に耐えられず、雪緒は逃げるように俯いた。
 何も言えずにいる彼女の姿に、景は小さく吐息を漏らす。
「私が興味あるのは祖国の安寧のみ。くだらない派閥争いをしている暇があったら、優秀な異能士官を一人でも増やすべきだ。これは裏切りの話ではなく、技術供与の取引だと受け取ってくれ」
 彼の説明によれば、異能術の全体的な底上げをするために、これまでも異能持ちの家に呼びかけ賛同者を増やしているという。
 すべては国家と民の安寧を護るため。その崇高な思想と視座の高さに、雪緒は衝撃を受けた。
 このひとは自分とはまったく異なった目で、世の中を見ているのだと。
「君が天刀流異能術をもたらすのであれば、名取川家は生活すべてを生涯に渡り引き受けるつもりだ」
「しかし……それならば、私が景殿の妻になる理由などないように見受けられますが」
「君の能力と役割を考えれば、私の傍に置くのが定石だ。であれば妻である方が、何かと都合がいい」
「都合がいい……?」
「山のように持ち込まれる縁談が無くなるなら、これほど有難いことはないからな」
 真顔で答える景に、なるほどと納得した。御三家の当主でこれだけの美男子なら、妻の座を狙う女性もさぞ多いことだろう。
「貴殿の仰ることは理解しました。……ですが、少し考えさせていただきたい」
 景の理想に賛同する気持ちはある。けれど父や家族に怒りこそあれ、三枝の許可なく決めてよいことなのか決心がつかない。
「それは構わないがここを出てどうする。行く宛はあるのか」
「……」
 答えられずにいる雪緒に、景は懐から封書を取り出すと差し出した。
「これは黙っておくつもりだったが。君の決断を後押しするなら使わせてもらおう」
 見覚えのある筆跡は父のものだった。中の手紙に書かれている内容を確認するうちに、体の芯が冷えていくのを感じる。
 手紙には雪緒がいかに女として役に立たないかを書き連ねており、それでも妻にというならば三枝は一切責任を持たないこと。
 嫁に出した以上、二度とこちらで面倒を見るつもりはなく、出戻りは認めないこと。
 もし妻として不満なら慰み者にでも下働きにでもしてくれて構わない。体力だけはある娘だと書かれている。
「これで理解したか? 君が実家に気を遣う必要などないとことが」
 静謐とした景の声音が、身も心も冷え切った雪緒の耳に届いた。のろのろと視線を上げた先で、強く美しいまなざしがまっすぐにこちらを捉えている。
「……同情か」
「何?」
 戸惑いを映す瞳を、雪緒は睨み据えた。
「三枝に用無しと捨てられ、女としても役立たずな私を、憐れに思い引き取ったのか」
「今までの話を忘れたのか。私は君の技術が欲しいと」
「技術供与が目的なら、私でなくてよいはずだ!」
 名取川家は皇家に次ぐ地位を持つ御三家だ。同じ志を持つ者たちに呼び掛ければ、契約婚に応じる家などいくらでもあるだろう。にも拘らず自分のような”訳あり”を娶ってまで引き取ろうなど、憐憫以外の何物でもない。
 実の父親からの仕打ち。遥か格上である名取川家からの施し。悔しさと情けなさで、消えてしまいたかった。
 景は沈黙したまま雪緒の顔を見つめ、やがてほんの少し寂しげな調子でつぶやいた。
「本当に、私が誰だかわからないんだな」
「……どういう意味だ」
 彼は再び黙り込むと、試すような視線を投げかける。
「子供の頃、君とよく遊んでいた『けいちゃん』を覚えているか」
「その子なら覚えているが……」
 雪緒が十歳の頃、近くに越してきた同い年くらいの娘だ。亜麻色の髪をした愛らしい少女で、二年後に彼女が再び引っ越すまでの間、よく遊んだものだ。
 なぜあの子のことを景が知っているのか……その理由を考えるより先に、相手が答えた。

「『けいちゃん』は私だ」

「……………………………は?」
 意味がわからず、素っ頓狂な声を出してしまう。思考停止する頭を、雪緒は必死に働かせ。
「ちょ……ちょっと待ってくれ。けいちゃんは女の子だぞ? いつも可愛い着物を着ていたし」
「訳あって女子の格好をさせられていたんだ」
「はあ~~???」
 聞けば幼少期に体の弱かった景は、男児が患いやすい流行り病を避けるべく、別邸に移され女児の姿をさせられていたのだそうだ。兄がその病で命を落としているだけに、景の両親が必死だったことは想像に難くないとはいえ。
 景は始末が悪そうにこめかみを揉みながら、呻くようにつぶやいた。
「私だって雪緒は男だと思っていた」
「それはまあ……仕方ないというか……」
 当時雪緒は既に三枝家の長男として生活しており、〝けいちゃん〟にも男だと告げていた。景はこれまでとは質の異なる深いため息をつき、どこか恨めしそうにこちらを見やった。
「あの頃の私は、強く聡明な『ゆきお』に憧れていた。いつか肩を並べるのが目標だった」
 〝けいちゃん〟は小柄だったため、てっきり同じ年頃だと思っていたのだが、実際は雪緒よりふたつも年上だったそうだ。しょっちゅう体調を崩していたせいで成長が遅れていたのだろう。
 思えばけいちゃんは、体が弱いことをいつも気にしていた。彼は憧れの友人に一日でも早く近づこうと体を鍛え、鍛錬に励んできたそうだ。その成果は現れ、今では誰もが認める強さを手に入れたわけだ。
「二年前、異能士官の合格者の中に三枝雪緒の名を見たとき、これで夢が叶うと思った。君は私を覚えていないだろうから名乗りはしなかったが、いずれ肩を並べる日が来るとどれだけ期待したか」
 たびたび聞こえてくる評判の高さも、雪緒なら当然だと思った――そう彼は語ってから、天を仰いだ。
「その『ゆきお』が女だと知ったときの衝撃がわかるか?」
 今度は雪緒が天を仰ぐ番だった。自分の知らぬ間に、彼の人生に多大なる影響を与えていたこと。己の偽りが原因で、少なからず傷つけてしまったことを理解したから。
「……その節は、申し訳なかったと思う」
 事情があったとはいえ、景に嘘をついていたのは事実だ。ここは素直に謝るしかない。
「これで君に頓着する理由が分かっただろう。私を騙した責任を君は取る義務がある」
「ま……待ってくれ。景殿も女だと偽っていたわけだし、お互いさまでは……」
「私は一度も女だと言ったことはない。君が勝手に勘違いしただけだ」
「うっ……」
 前のめりになった景は、じっと雪緒の顔を覗き込んだ。その凛々しく美しい瞳に囚われたように、身動きができない。
「三枝雪緒。私の妻になれ」
 有無を言わせぬ視線と言葉が、思考をからめとっていく。もうどうにでもなれという思いで、雪緒は頷いた。
 了承と受け取った彼は、初めての微笑を見せた。その時初めて、おぼろげな記憶の中にある少女の笑顔が、すこしだけ重なった気がした。