用済みだと言われた男装の麗人は、女の子だと思っていた元幼馴染の軍神に娶られる


 数か月振りに三枝家の門をくぐった雪緒は、人気の無さに驚いていた。
 自分が居た頃は常に門下生が出入りして活気があったのに、今はどこか暗い空気が淀んでいる。
(庭も荒れているな……)
 手入れが行き届いていないのか、あちこちに雑草が生え、生垣も伸びてしまっている。たった数ヶ月の間に、なぜこんなことになってしまったのか。
 今日の雪緒はあえて女性ものの訪問着に身を包んでいた。華代から三枝家に他の男はいらないと追い出された以上、男の格好で出向くのは失礼だと考えたからだ。
 景が見立ててくれた訪問着は淡い象牙色の絹地に、竜胆の花が描かれている。着馴れない自分でも分かるほど良いものだと分かるし、なにより雪緒に似合っていた。
「どちら様ですか?」
 声をかけられ振り向くと、そこには赤子を抱いた華代が立っていた。無事に生まれたのだなと思いつつ歩み寄ろうとすると、彼女は驚いたように目を見開く。
「もしかして……お姉さま?」
「久しぶりだね華代。子は無事に生まれたのだな」
 華代は愕然とした表情でこちらを見つめていたが、はっとしたように取り繕ったような笑みを浮かべる。
「え、ええ……ずいぶん見違えたので気づきませんでしたわ」
 ぼそりとした呟きはよく聞き取れなかったが、ひとまず父のことを尋ねてみる。
「手紙をありがとう。父上のご容体はいかがだろうか」
「お父さまはこのところ臥せっておりますの……お姉さまの顔を見たらきっと喜びますわ。さあ中へ」
 華代に促され屋敷の中に入ると、彼女は出迎えた女中に何事か言づけていた。
 奥に向かいながら周囲をそれとなく観察し、雪緒は暗澹たる思いになっていた。
(女中の数もずいぶん減っているな……)
 それほどに三枝家の生活は厳しいのだろうか。父や母は今どんな暮らしをしているのか――
「さあこちらですわ」
 連れていかれた部屋の前で声をかけ、返事はなかったが襖をそっと開ける。薄暗い室内の中央で誰かが寝ているのが見えたため、雪緒は傍に歩み寄り腰を下ろした。
「雪緒です。お加減が悪いと伺いましたがいがかでしょうか」
 やはり返事はない。言葉を発せぬほど具合が悪いのかと様子を窺おうとしたときだった。
 背後に気配を感じ背中に痛みを感じる。不意を突かれ襲われたのだと自覚すると同時、雪緒は迎撃態勢を取ろうとしたのだが。
「っ……!」
 体の自由が利かず、身動きが取れない。足元に展開されていた術式が発動したことにようやく気づいた。
「作戦成功ですね」
 布団の中から現れた男は洋輔だった。彼は動けない雪緒に馬乗りになると、縄で縛り上げていく。
「こうでもしなきゃ雪緒さんを捕まえるのは難しいですからね。ああこの縄も術が施されているので切るのは無理ですよ」
「私を騙したのか! 汚い真似を……!」
「汚いのはどちらですの?」
 冷ややかな声に視線を向けると、華代が忌々しげな眼でこちらを見下ろしている。
「どんな手を使ったのか知りませんけど。名取川様に取り入って私たちを裏切ったのはお姉さまでしょう?」
「私の技を名取川の門下生に教えているのは、景殿の理想に賛同しからだ! 国家安寧のためには、派閥を超えて優秀な異能術士を輩出しなければならない。私の力を民のために役立てたいだけだ!」
「くだらん言い訳に耳を貸すな」
 低く、切り捨てるような声。現れた父親に、雪緒は事実だけを確認した。
「やはりあの手紙は嘘だったのですね」
「お前ごときにここまでする必要はないと言ったがな」
 そう言って父は蔑むような視線で雪緒を眺めまわした。
「ふん。少しはまともな見目になったじゃないか。あの若造に可愛がってもらったのか?」
 嘲笑を隠さないその姿はただただ、醜悪で。
 実の娘にこんなことが言えるものかと、悲しさよりも虚しさのほうがこみ上げてくる。
「……父上。ご心配なさらぬとも天刀流の奥義を名取川の者に授けるつもりはありません。今後も三枝の権威は守られるはず」
 自分はあくまで、異能術の底上げに貢献したいだけだ。そう訴えるも、父には何ひとつ響いている様子はない。
「若造の甘言に惑わされよって……この愚図が」
 苛立ちげに言い捨てた父は、雪緒を見下ろしたまま冷ややかに命じた。
「名取川とは離縁しろ」
「は……?」
「お前はこの家に戻り三枝のために尽くせ。そうすればこれまでのことを許してやってもいい」
 つまりはこの家で、一生奴隷として生きろということだ。華代がそれは良いですわと賛同する。
「今までもそうしてきたんですもの。お姉さまには何も難しいことじゃないでしょう?」
「これくらいで許してくれるなんて、お義父上は懐の深いお方だ」
 洋輔の言葉に、華代もそうですわと頷いている。
 この人たちは何を言っているのだろう。
 己の身勝手で雪緒を追い出し、都合が悪くなれば責任を押し付け再び服従させようとする。なんて醜悪で、愚かなのか。
 三枝の呪縛から解かれた雪緒は、もう彼らの言いなりになることはない。
 ただ一人愛してくれた夫だけは、絶対に譲ることはできない。
「お断りします」
 きっぱりと告げた先で、彼らは一瞬呆けたような顔をした。まさか雪緒が断ると思っていなかったのだろう。
 何を言っているのかという視線を遮るように、もう一度、はっきりと言い切った。
「私は景殿と離縁しません。この家にも戻らない」
「何を言っている? お前に選ぶ権利などない。私の言う通りしろというのが分からんのか!」
 激高した父の手が、雪緒の頬を打った。しかし彼女の意志が変わることはない。
 何度打たれても意思を曲げない娘に業を煮やしたのだろう、父が呪を唱えた直後、いくつもの黒い手が雪緒の体にまとわりついていく。
「ちょうどいい。そろそろ新たな従属魔が欲しいと思っていたところだ。お前を贄に喚ぶとしよう」
 洋輔によって屋外に運ばれた雪緒は、父が施した術式の中央に転がされた。
「おやめください父上!」
 何度呼びかけても父が応じることはなく、華代はまるで子供のようにはしゃいでいる。
「お姉さまを餌にしたらどんな魔物が喚べるのかしら」
 身動きとが取れない彼女になすすべはなく、父が召喚呪を唱えるのをただ見ていることしかできない。
 やがて術が水の波紋のように広がり、中央から強烈な霊塊が形を成していく。
「ぐう……っ」
 あまりのに重圧に、雪緒は呻きを漏らした。これほどの霊力を持つ従属魔など、三枝家の人間が扱えるとは思えない。
 現れた獅子型の魔物は轟くような咆哮をあげ、雪緒に襲い掛かった。足元の縄が緩んだため寸手のところで交わすと、魔物は雪緒ではなく、今度は華代を襲おうとする。
「いやああああ!」
「やめろ、お前の餌はそっちだ!」
 洋輔の牽制に怯む様子もなく、魔物は彼をも襲おうとする。
「何をしている! やめろ!」
 父の命令にもやはり魔物は応じない。目の前にいるのはもはや無差別に人を襲う獣であり、一刻も早く討伐しなければどれだけの被害が出るか分からない。
(身動きさえ取れれば……!)
 なんとか縄を外そうと雪緒はもがくが、上手くいかない。その間にも魔物は父や洋輔を襲い、今にも殺めてしまいそうだ。
「ぐあっ!」
 激しく壁に打ち付けられた洋輔が、気を失った。魔物の目の前にいるのは、赤子を抱いた華代の姿。
「いや……助けて……死にたくない……」
 泣きわめく華代の前に、雪緒は駆けだした。
「赤子に手を出すな! 私が相手だ!」
 上半身の身動きが取れない以上、できることはほとんどない。けれど華代と赤子が逃げる時間さえ稼げればと、雪緒は覚悟を決めた対峙する。
(景殿すまない)
 傍にいると約束したのに。せめてもう一度だけでも、顔を見たかった。
 脳裏に浮かぶ最愛の夫に、雪緒は震えそうになる足を奮い立たせる。襲い掛かる爪を蹴り上げ、鋭い牙が雪緒を切り裂こうとしたときだった。
 激しい光の明滅とともに何かが爆ぜ、魔物の動きが鈍った。その隙に雪緒との間にすべりこんだ影が、抜いた刀で切りつける。
 鳴り響く悲鳴。目の前に立つ愛しい人の背に、雪緒は涙ながらに呼びかけた。
「景殿!」
 霊刀を構えた景は、怒りを露にする魔物の背後に回り込み、再び大きく切りつけた。その間に駆け寄ってきた護国寮の隊員が、雪緒の縄を切る。
「私の刀を!」
 隊員から刀を受け取り、彼女はすぐさま景の助太刀へと向かった。素早く展開した術が魔物をからめとり、動きを鈍らせる。
 その隙を狙い景が追撃を仕掛けながら叫んだ。
「雪緒! 行け!」
 魔物の背に駆け上がった雪緒は、飛ぶように跳躍し、手にした刀を凄まじい速さで振り下ろした。
 極限まで研ぎ澄まされた刃は抵抗なく地まで届き、次の瞬間、魔物の首が落ちた。
「倒した……!」
 隊員たちの歓声が沸き、雪緒はようやく息をついた。歩み寄ってきた景が、彼女の頬に付いた魔物の血をそっとぬぐう。
「無事か」
「ああ。せっかく買ってもらった着物はこの通りだが……」
 あちこち破けてとても着られるものではない。しょんぼりする雪緒に、景は苦笑しながら抱きしめた。
「そんなものいくらでも買ってやる。……もう会えないかと思った」
 かすれた語尾に、彼の心の内が詰まっているようで、胸がいっぱいになってしまう。
「私もだ。今度こそ二度と会えない覚悟をした」
 見上げた先で、色素の薄い瞳が微かに震えた。その弱り切った表情は、確かに幼き日の”けいちゃん”のそれで――
「あの時は黙っていなくなってすまなかった。別れがつらくてどうしても言えなかった」
「いいんだ。私も同じことをしたのだから」
 景に余計な負担をかけたくなくて、黙って出てきてしまった。きちんと伝えていれば、こんなことにはならなかったのに。
「心配かけてすまなかった。もう私はどこにもいかない。これからもずっと景殿の傍にいる」
 それを聞いた彼はああと頷いたあと。まるで存在を確かめるように、再び雪緒を抱きしめるのだった。