隣のクラスのキミとひみつの合図 ~強い絆と恋の魔法。 隣じゃなくても、繋がる想いがある~

二日目。

琉生は昨日より意識して
周囲を見るようになっていた。

右を見る。左を見る。

背後を確認する。

パスが来る前に、次を考える。

――よし。

今度こそ。

そう思ってボールを受けた瞬間、
また相手に寄せられた。

「っ!」

なんとか味方へ戻したものの、
狙っていた前へのパスは出せなかった。

分かったはずなのに、できない。

見ることを意識すればするほど、
今度は足元のプレーが遅れる。

「羽瀬」

コーチに呼ばれ、琉生が顔を上げる。

「全部見ようとするな。
次に必要なところを見ろ」

「……はい!」

返事をして走り出す。

悔しい。

昨日より分かっているはずなのに、
昨日とは違う失敗をする。

それでも、もう一度。

琉生はボールが来る前に顔を上げた。



一方――。

颯人は昨日言われたことを
すぐに自分の中へ落とし込み始めていた。

右へ繋ぐ。

中央へ入れる。

危険なら無理をせず前へ蹴る。

ボールが来る前に
いくつかの選択肢を持つことで、
昨日よりも迷う時間は減っていた。

けれど、別の場面でその声が止まった。

守備の選手が一人、
わずかに立ち位置をずらしている。

颯人には見えていた。

そこを空ければ、
次に相手へボールが入ったとき危ない。

声を出しかけて――一瞬、ためらった。

相手は自分よりずっと年上のプロ選手だ。

そのわずかな遅れの間にボールが入る。

「高城!」

鋭い声が飛んだ。

「お前が一番見えてただろ」

「……はい」

「なら言え。高校生とか関係ない。
今ここじゃ、お前がGKだ」

颯人は一瞬だけ黙った。

相手がプロだからと、
どこかで一歩引いていた自分に気づく。

けれど、
見えているのに伝えないほうが、
GKとしてはずっと悔しい。

やがて、
グローブをはめた両手を軽く打ち合わせる。

「……はい!」

次のプレーが始まる。

今度は、ためらわなかった。

「右、絞って!」

颯人の声がピッチへ響いた。

*―*―*

そして、三日目。

できないことが、
急にできるようになったわけではなかった。

琉生は相変わらずボールを失ったし、
颯人も判断を間違えた。

それでも、初日とは違っていた。

味方がボールを持つ。

琉生は一度、背後を見る。

相手がいる。

もう一度、中央を見る。

味方が動き出している。

――ここだ。

パスが来る。

琉生はボールを足元へ止めなかった。

ワンタッチで中央の味方へ落とし、
そのまま相手の背後へ走る。

「羽瀬!」

返ってきた。

走り込んだ琉生がボールを受け、
ゴール前へ低いパスを送る。

あと一歩。

味方の足には届かなかった。

得点にはならない。

けれど琉生は、
流れていったボールを見つめたまま、
一瞬だけ動きを止めた。

「……今の」

初めてだった。

ほんの数秒だけ。

自分も、この速さの中へ入れた気がした。

「羽瀬、戻れ!」

声が飛ぶ。

「はい!」

すぐに踵を返す。

まだ足りない。

だったら、もう一度やればいい。



その少し後ろでは――。

颯人の声も
昨日より大きくピッチへ響いていた。

「右、そのまま!」

年齢を気にしている余裕など、もうなかった。

「中央、締めて!」

味方が動く。

相手からシュートが飛んでくる。

颯人はそれまでに確認していた
味方の位置を頭に残したまま、
一歩踏み込んで両手でしっかりと
ボールを押さえた。

立ち上がると同時に、
迷わず次の味方へ視線を向ける。

三日前にはなかった動きだった。



三日間の練習を終えたあと、
琉生と颯人はコーチの前に並んでいた。

「三日間、お疲れ」

「ありがとうございました!」

二人の声が重なる。

コーチは手元の資料へ一度目を落としてから、
二人を見た。

「正直、まだ足りないところは多い」

その言葉に、
琉生の表情がわずかに引き締まる。

颯人も黙ったまま次の言葉を待った。

「羽瀬」

「はい」

「初日より、今日のほうが面白かった。
まだ判断が遅れる場面はあるけれど、
三日間で変えようとしていたのは分かった」

「……ありがとうございます」

「高城」

「はい」

「見えているものは多い。判断も悪くない。
ただ、GKなら見えているものを
もっと周りに伝えろ」

「はい」

短く答えた颯人の声には、
初日より少しだけ力があった。

コーチは二人を見比べると、最後に言った。

「また見たいと思っている。
今日できなかったこと、次に来るまでに
どこまで変えられるか見せてくれ」

一瞬、琉生は言葉を失った。

隣を見ると、
颯人もほんのわずかに目を見開いている。

けれど、すぐに二人は前を向いた。

「はい!」

その返事が、三日間でいちばん大きく響いた。

*―*―*

三日ぶりに戻った街は、
横浜へ向かった朝と何も変わっていなかった。

けれど琉生には、
自分だけが少し違って見えた。

待ち合わせ場所へ着くと、
乃愛がこちらに気づいて小さく手を振った。

「琉生くん」

その声を聞いた途端、
三日間ずっと張っていたものが少し緩む。

「お疲れさま」

「おう」

乃愛の前まで来ると、
琉生はいつものように笑おうとして――
でも、やめた。

「……どうだった?」

乃愛が尋ねる。

琉生は少し考えてから、ぽつりと答えた。

「……全然だった」

「……そっか」

乃愛は否定しなかった。

「そんなことないよ」とも、
「でもすごいよ」とも言わない。

ただ、
琉生の言葉をそのまま受け取るように、
小さく頷いた。

それが妙に心地よくて、
琉生はふっと息を吐く。

「でもさ」

「……うん?」

顔を上げる。

そこには、
三日前とは少しだけ違う笑顔があった。

「もう一回、行きたい」
その言葉に、乃愛の瞳がわずかに大きくなる。

それから、柔らかく細められた。

「……うん」

乃愛はそう頷くと、少し迷ってから、
琉生の手にそっと自分の手を重ねた。

「……三日間、お疲れさま。
頑張ったんだね、琉生くん」

そのぬくもりに、
三日間ずっと張りつめていたものが、
ようやくほどけていく。

乃愛が待っていてくれる。

いつもと変わらない笑顔と、
重ねられた手のぬくもりに触れていると、
心までじんわりと温かくなった。

悔しかったことも、
もう一度挑みたいと思えたことも、
乃愛の前ならそのまま話せるんだ。

琉生はようやくいつもの自分に
戻れたような気がして、優しく微笑む。

春の風が、
二人の間を静かに通り抜けていく。

夢に近づけたのかはまだ分からない。

けれど、
届かないほど遠く見えたあの場所へ、
琉生はもう一度、
自分の足で立ってみたいと思っていた。

高校生活最後の春は、
まだ始まったばかりだった――。