後宮の冷徹陰陽師と朱き花嫁

 帝の身辺を警護しながら後宮全体の結界をひとりで維持し、さらに夜はこうして呪言の捜査に奔走しているのだ。彼がどれほどの重圧を背負っているのか、陽和には痛いほどわかっていた。
(昔から無理しがちで、頑張りすぎる人だったわね……」
 幼いころ、怪我をした小鳥を助けようとして木から落ち、膝から血を流しながらも「痛くない」と必死に小鳥を抱きしめていた桐壷の姿と重なる。冷酷非道な陰陽頭として恐れられている玄宵だが、その背中にのしかかる重責と孤独はどれほど深いものだろうか。
 ふと、胸の奥がギュッと締め付けられる。
「玄宵さま。お茶を淹れなおしました。少しだけでも、お休みになられては……」
「無用な心配だと言ったはずだ」
 陽和の差し出した気遣いの手を、玄宵は冷たく払いのける。床に落ちそうになった茶盃を、陽和は咄嗟の手つきで受け止める。その際、彼の冷えきった指先に陽和の温かな手が触れた。
 玄宵の眉根がピクリと跳ね上がる。
 彼はまるで熱い鉄に触れたかのように素早く手を引き、氷のように鋭い視線で陽和を射抜いた。
「私とお前の間にあるのは、捜査の利害関係だけだ。下女上がりの囮が、陰陽頭の身を案じるなど身の程を知れ。余計な情けは、捜査の邪魔になる」
「……出過ぎた真似をいたしました。申し訳ありません」
 陽和は深く頭を下げ、引っこめた自らの手をそっと握りしめた。冷たく突き放されるたびに、陽和の心に小さな棘が刺さる。それでも玄宵が背負う孤独の深さと自分を過剰に気にする焦りを知るたびに、陽和は彼を放っておけなくなる。
 そのとき陽和の胸に芽生えていたのは子どものころの幼馴染への情ではなく、傷つきながらもひとりで立ち続ける男性を愛おしく、守りたいと思う確かな恋心だった。
(私はただの囮。今できるのは、その役目を果たすことだけ。でも、この命に代えても、あなたの背負う重責を払いたい……)
 玄宵が去ったあとの離れに、寂寥感(せきりょうかん)が漂う。
 陽和は机の上に残された、手つかずの茶をそっと見つめた。すでに冷え切った白磁の器に、自分の情けない顔が映りこんでいる。それを眺めながら自分の胸元に手を当て、自らの中に眠る浄化の炎を静かに確かめた。
 どれだけ冷たく突き放されようと、玄宵がひとりで後宮の闇と戦っている事実は変わらない。自分を危険にさらしてまでも囮にしたのは、彼自身が追い詰められている証拠でもあるのだ。
「私はなにがあっても逃げない、桐壷さま……いいえ、玄宵さま……」
 陽和は冷え切った夜の空気を吸い込むと静かに瞳を閉じ、ひとり静かに決意を固めていた。
 しかし、陽和はまだ気づいていない。
 この異例の寵愛という囮が後宮に潜む巨大な悪意を急速に刺激していること、後宮の暗雲がふたりを呑み込もうと蠢き出していることを……。