地下牢の重々しい鉄扉が閉じられ、暗い廊下に静寂が戻る。ひとり残された玄宵の右手は、目に見えて激しく震えていた。
(陽和……本当に陽和なのだな……)
胸の奥で何年も押さえつけていた情動が、濁流となって溢れ出そうとしていた。
硬く握りしめた拳のせいで爪が手のひらに食い込み、朱い血が滲み出る。しかし、そんな痛みに頓着する余裕など彼には微塵もなかった。
後宮の暗闇の中で目撃した、鮮烈な朱色の炎。
かつて没落し、己の目の前から跡形もなく姿を消した初恋の少女──幼き陽和の面影が確かにあった。歓喜に叫び、あの華奢な身体を今すぐ強く抱きしめたい。そんな衝動が全身を駆け巡る。
だが玄宵はその気持ちを力任せにねじ伏せ、氷のように冷徹な陰陽頭の仮面を張り付けたのだ。
陽和を虫けらを見るかのように見下ろし、金縛りの術で縛り上げ、重枷をはめて地下牢に叩き込んだ。
「玄宵さま。あの下女の取り調べは、どうされますか?」
背後に控えていた配下の陰陽師が、恐る恐る尋ねてくる。玄宵は一瞬たりとも表情を崩さず、刃物のように鋭い声で命じた。
「手出しは一切無用だ。私が直々に取り調べる。手荒な真似をして万が一にも命を落とすようなことがあれば、貴様らの首を跳ねるぞ」
「は、はっ……」
その言葉に怯えひれ伏す配下を背に、玄宵はひとり執務室へと向かって歩みを進めた。
(すまない、陽和……すまない……)
心の中で身を削るような謝罪を、何度も何度も繰り返す。
あんな冷たい目で見つめたかったわけがない。重い鉄枷をはめてまで、地下牢に閉じ込めたかったわけじゃないのだ。しかしこの後宮は、ただれた呪詛と嫉妬が渦巻く地獄のような場所。もしあの場で彼女の名を呼び、愛おしそうに抱きしめでもすればどうなるか。
後宮を裏で牛耳る藤紫の妃や右大臣の勢力は、すぐさま陽和を玄宵の最大の弱点と見抜き、毒殺するか人質に取るだろう。
それだけは、どうしても阻止しなくてはならない。
(二度と、お前を失ってなるものか……)
幼き頃、家が没落して陽和が突然消えたあの日。己の弱さに血の涙を流し、狂うほどの絶望を味わった。
『私が桐壷さまを守ってあげる』
そう笑ってくれた幼き少女を守るためだけに、玄宵は地獄のような修行に耐え、己の心を殺してまで陰陽頭の地位まで登り詰めたのだ。
執務室に入り重い扉を閉めた途端、玄宵は壁に背を預けてその場に崩れ落ちた。荒い息を吐きながら、冷たくなった己の手を見つめる。
「囮として私の屋敷の離れに囲う。そうすれば後宮の連中は陽和を使い捨ての道具と思い込み、直接命を狙ってくる危険は減るだろう。そしてなにより、私の結界が完璧に行き渡る離れであれば、いついかなる場合でも守ることができる……」
陽和には「お前は駒だ」と告げ、傷つける言葉を投げつける自分の姿を想像するだけで、胸が引き裂かれるかのように痛む。
嫌われるだろう。蔑まれるだろう。笑顔で慕ってくれた優しい面影など、綺麗さっぱり忘れ去られてしまうかもしれない。
いや、それでもいい。お前が生きてさえくれるのならば、この命も心も、いくらでもくれてやる。
「待っていてくれ、陽和。もう二度と、誰にもお前を奪わせはしない」
暗闇の中で、玄宵は静かに黒い符を握り締めた。
(陽和……本当に陽和なのだな……)
胸の奥で何年も押さえつけていた情動が、濁流となって溢れ出そうとしていた。
硬く握りしめた拳のせいで爪が手のひらに食い込み、朱い血が滲み出る。しかし、そんな痛みに頓着する余裕など彼には微塵もなかった。
後宮の暗闇の中で目撃した、鮮烈な朱色の炎。
かつて没落し、己の目の前から跡形もなく姿を消した初恋の少女──幼き陽和の面影が確かにあった。歓喜に叫び、あの華奢な身体を今すぐ強く抱きしめたい。そんな衝動が全身を駆け巡る。
だが玄宵はその気持ちを力任せにねじ伏せ、氷のように冷徹な陰陽頭の仮面を張り付けたのだ。
陽和を虫けらを見るかのように見下ろし、金縛りの術で縛り上げ、重枷をはめて地下牢に叩き込んだ。
「玄宵さま。あの下女の取り調べは、どうされますか?」
背後に控えていた配下の陰陽師が、恐る恐る尋ねてくる。玄宵は一瞬たりとも表情を崩さず、刃物のように鋭い声で命じた。
「手出しは一切無用だ。私が直々に取り調べる。手荒な真似をして万が一にも命を落とすようなことがあれば、貴様らの首を跳ねるぞ」
「は、はっ……」
その言葉に怯えひれ伏す配下を背に、玄宵はひとり執務室へと向かって歩みを進めた。
(すまない、陽和……すまない……)
心の中で身を削るような謝罪を、何度も何度も繰り返す。
あんな冷たい目で見つめたかったわけがない。重い鉄枷をはめてまで、地下牢に閉じ込めたかったわけじゃないのだ。しかしこの後宮は、ただれた呪詛と嫉妬が渦巻く地獄のような場所。もしあの場で彼女の名を呼び、愛おしそうに抱きしめでもすればどうなるか。
後宮を裏で牛耳る藤紫の妃や右大臣の勢力は、すぐさま陽和を玄宵の最大の弱点と見抜き、毒殺するか人質に取るだろう。
それだけは、どうしても阻止しなくてはならない。
(二度と、お前を失ってなるものか……)
幼き頃、家が没落して陽和が突然消えたあの日。己の弱さに血の涙を流し、狂うほどの絶望を味わった。
『私が桐壷さまを守ってあげる』
そう笑ってくれた幼き少女を守るためだけに、玄宵は地獄のような修行に耐え、己の心を殺してまで陰陽頭の地位まで登り詰めたのだ。
執務室に入り重い扉を閉めた途端、玄宵は壁に背を預けてその場に崩れ落ちた。荒い息を吐きながら、冷たくなった己の手を見つめる。
「囮として私の屋敷の離れに囲う。そうすれば後宮の連中は陽和を使い捨ての道具と思い込み、直接命を狙ってくる危険は減るだろう。そしてなにより、私の結界が完璧に行き渡る離れであれば、いついかなる場合でも守ることができる……」
陽和には「お前は駒だ」と告げ、傷つける言葉を投げつける自分の姿を想像するだけで、胸が引き裂かれるかのように痛む。
嫌われるだろう。蔑まれるだろう。笑顔で慕ってくれた優しい面影など、綺麗さっぱり忘れ去られてしまうかもしれない。
いや、それでもいい。お前が生きてさえくれるのならば、この命も心も、いくらでもくれてやる。
「待っていてくれ、陽和。もう二度と、誰にもお前を奪わせはしない」
暗闇の中で、玄宵は静かに黒い符を握り締めた。

