後宮の冷徹陰陽師と朱き花嫁


 玄宵の贔屓に対する後宮内の嫉妬は、陽和の想像をはるかに超える速度で膨れ上がっていた。
 そんな、ある晴れた日の午後。ついに、そのときが訪れる。
 陽和は後宮の権力を握る第一妃で右大臣の娘である藤紫(ふじむらさき)の妃から、後宮の中心にある豪華な大広間へと呼び出されたのだ。
 広間には数名の高位の妃たちと待女たちが並び、下女上がりの陽和を蔑むような視線で見下ろしている。
「噂のお気に入りとはどのようなものかと思っていたけれど、まあ随分と貧相な娘ですこと」
 絢爛豪華な着物を纏った藤紫の妃が、口元を扇で隠しながら嘲笑う。
「陰陽頭さまも物好きなお方だこと。このような出所も知れぬ下女に惑わされるとは。さあ、こちらへいらっしゃい。我が一族より献上された、極上の薬草茶を振る舞って差し上げますわ」
 藤紫の妃が差し出したのは、美しい陶器に注がれたお茶。しかしその水面からは、吐き気を催すほどの強烈な呪詛の気が立ち上がっていた。
 瞬間、陽和の身体中の毛穴が総立ちになる。
 一見すれば優雅な香茶。だが一滴でも飲めば霊脈を焼き尽くし、飲んだ者の精神を内部から狂わせ破壊する禁忌の毒茶だ。
「……ありがたきお心遣いですが、私は身体が弱いため、お茶は辞退させていただきます」
「あら、私のお戯れを拒むおつもり? たかが下女の分際で、無礼ではありませんこと?」
 そう言った藤紫の妃の目がギラリと光る。それを見て近くに控えていたふたりの待女が立ち上がり、陽和の腕を左右から力任せに押さえつけた。
「さあ、お飲みなさい!」
 口元へと、強引に茶器が迫る。
(このまま私が逃げれば、玄宵さまに害が及ぶかもしれない……)
 陽和は拒むのをやめ、静かに茶器を受け取った。
「……いただきます」
 覚悟を決め、茶器に唇を近づけかけた──そのとき。
「パリーンッ!!」
 甲高い音とともに、茶器が粉々に砕け散った。手元を襲った不可視の風の刃に、待女たちが悲鳴をあげながら陽和から飛び退く。
「な、なにごと……!?」
 藤紫の妃が恐怖におののく。すると静まり返る広間に、硬く重い足音が響いた。そこに静然と現れたのは、黒の狩衣を棚引かせた玄宵だった。
 その身から放たれた凍てつくような重圧に、広間にいた者全員が息をのみ圧迫感に震え上がる。
「私の離れの者に、随分と賑やかな挨拶をしているな」
 玄宵の声は、驚くほど静かだった。しかしそこに込められた温度は、完全なる絶対零度。感情が読めない彼は陽和の前にすっと立ちはだかると、庇うように背中で彼女の視界を遮った。
「陰陽頭さま! こ、この者はただの下女! 私のお召し物を汚そうとしたため、少々躾を──」
「言い訳は無用だ、藤紫の妃」
 玄宵は冷酷な眼差しで妃を睨みつけると、ふっと片方の口角を上げ懐から一枚の符を取り出した。