如月の末日、今年の桜がつぼみを膨らませる頃。
千代はまず、華枝の下女として伊勢に入った。
主人や仲間たちと共に一週間の禊を済ませ、迎えに来た馬車を幾度か乗り継ぎ神域へ向かう。
狭間の地には、決まった手順を重ねなければ辿り着けないため、移動には丸一日かかったように思う。
「若宮殿下はすでに当地にて花姫様をお待ちになっております」
道中、案内の巫女の説明を聞きながら、馬車に揺られる。
「また、花姫様をお支えする花守たち――春、夏、秋、冬の四貴人たちも先んじて神域に入り、今夜予定している花神へのご挨拶……、名代見立ての儀の準備をしております」
やがて深い霧に飲み込まれた一行が、霧から逃れた先で見たのは緑深い山間の盆地だった。
見渡せば、東の山には山桜が咲き誇り、南の山は青々とした緑が茂り、西の山は紅葉に燃え、北の山は葉が落ちた枝を雪化粧で飾っている。
中央の盆地を囲むようにそびえる四つの山は、四季を切り取った神域であり、それぞれ春、夏、秋、冬の花守が暮らす宮があるという。
「狭間の地に立ち入れるのは基本は女子のみと定められております。男手が必要な護衛、雑用は式武官と呼ばれる式神が担いますので、どうぞなにくれなくお申し付けくださいまし。なお、例外が、皇家から遣わされる若宮殿下です。殿下は狭間の地の一切の管理を帝より仰せつかっており、以降、花姫様のために粉骨砕身して一生を捧げます」
盆地には京の都を真似た街並みが広がっていた。
狭間の地には常時、およそ二千の女子が奉職しているらしい。
一行は、式武官や巫女、女官や下女の行きかう通りを突っ切って、聖殿にたどり着き、馬車を下りた。
千代は女官たちに続いて、正面の南庭に立った。
内裏をなぞるように作った聖殿は儀式を執り行う紫宸殿と、若宮と花姫の生活区域である清涼殿に分かれている。花姫の代替わりに伴い、建物は新たになったらしく、真新しい木材の香りがすがすがしい。
「素敵……。まるで平安時代に迷い込んだようだわ」
巫女の案内で渡殿を歩きながら千代の隣で、華枝が指名したお気に入りの女中、ゆきが呟く。
「花姫様におかれましては、まずは清涼殿で沐浴をなさいませ。お仕度後、名代見立ての儀を執り行います」
儀式ではまず、花守たちが花姫に挨拶をする。花守たちの主人として、花姫は若宮に挨拶をする。そうして、若宮によって、花神に今代の花姫と花守のお披露目をする。
巫女が説明するのを、華枝は訳知り顔で頷いて答えた。
清涼殿に入ると、千代を含め、女官たちはさっそく仕度に取り掛かることになった。
千代は華枝の沐浴を手伝い、その髪を洗ってやる。
「本当に美しい黒髪ですこと」
「髪だけではなく、花顔も帝国一でしょう」
女官たちはしきりに華枝を誉めた。湯船に沈んだ華枝が、ちらりと千代を見やる。
「お義姉さまもそう思う?」
「はい」
千代は求められるままに頷いた。
実際、華枝は誰よりも美しかった。
しかし、華枝は不快そうに鼻で笑っただけだった。
「……お義姉さまって本当つまらない」
ぽつりと華枝が呟く。きっと彼女は悔しがる千代を見たかったのだろう。
だからこそ、当初は伊三郎に千代の同行を拒否しておきながら、今は傍において世話を焼かせ、雑用をさせることを受け入れた。主役と端役、その違いをまざまざと見せつけられて、嫉妬する千代に身の程を知らせることを、華枝は何よりも好んだから。
けれど、このところ千代は華枝の期待に応えられていない。
(……悔しい、なんて)
そんな感情はもうずっと前に失ってしまったから。
「出て行って。今日はもう顔を見せないで。その陰鬱な顔を見るだけで、穢れそうだわ」
ぷいっとそっぽを向いた華枝からどんな命令を下されても、心が動かない程度には。
千代はまず、華枝の下女として伊勢に入った。
主人や仲間たちと共に一週間の禊を済ませ、迎えに来た馬車を幾度か乗り継ぎ神域へ向かう。
狭間の地には、決まった手順を重ねなければ辿り着けないため、移動には丸一日かかったように思う。
「若宮殿下はすでに当地にて花姫様をお待ちになっております」
道中、案内の巫女の説明を聞きながら、馬車に揺られる。
「また、花姫様をお支えする花守たち――春、夏、秋、冬の四貴人たちも先んじて神域に入り、今夜予定している花神へのご挨拶……、名代見立ての儀の準備をしております」
やがて深い霧に飲み込まれた一行が、霧から逃れた先で見たのは緑深い山間の盆地だった。
見渡せば、東の山には山桜が咲き誇り、南の山は青々とした緑が茂り、西の山は紅葉に燃え、北の山は葉が落ちた枝を雪化粧で飾っている。
中央の盆地を囲むようにそびえる四つの山は、四季を切り取った神域であり、それぞれ春、夏、秋、冬の花守が暮らす宮があるという。
「狭間の地に立ち入れるのは基本は女子のみと定められております。男手が必要な護衛、雑用は式武官と呼ばれる式神が担いますので、どうぞなにくれなくお申し付けくださいまし。なお、例外が、皇家から遣わされる若宮殿下です。殿下は狭間の地の一切の管理を帝より仰せつかっており、以降、花姫様のために粉骨砕身して一生を捧げます」
盆地には京の都を真似た街並みが広がっていた。
狭間の地には常時、およそ二千の女子が奉職しているらしい。
一行は、式武官や巫女、女官や下女の行きかう通りを突っ切って、聖殿にたどり着き、馬車を下りた。
千代は女官たちに続いて、正面の南庭に立った。
内裏をなぞるように作った聖殿は儀式を執り行う紫宸殿と、若宮と花姫の生活区域である清涼殿に分かれている。花姫の代替わりに伴い、建物は新たになったらしく、真新しい木材の香りがすがすがしい。
「素敵……。まるで平安時代に迷い込んだようだわ」
巫女の案内で渡殿を歩きながら千代の隣で、華枝が指名したお気に入りの女中、ゆきが呟く。
「花姫様におかれましては、まずは清涼殿で沐浴をなさいませ。お仕度後、名代見立ての儀を執り行います」
儀式ではまず、花守たちが花姫に挨拶をする。花守たちの主人として、花姫は若宮に挨拶をする。そうして、若宮によって、花神に今代の花姫と花守のお披露目をする。
巫女が説明するのを、華枝は訳知り顔で頷いて答えた。
清涼殿に入ると、千代を含め、女官たちはさっそく仕度に取り掛かることになった。
千代は華枝の沐浴を手伝い、その髪を洗ってやる。
「本当に美しい黒髪ですこと」
「髪だけではなく、花顔も帝国一でしょう」
女官たちはしきりに華枝を誉めた。湯船に沈んだ華枝が、ちらりと千代を見やる。
「お義姉さまもそう思う?」
「はい」
千代は求められるままに頷いた。
実際、華枝は誰よりも美しかった。
しかし、華枝は不快そうに鼻で笑っただけだった。
「……お義姉さまって本当つまらない」
ぽつりと華枝が呟く。きっと彼女は悔しがる千代を見たかったのだろう。
だからこそ、当初は伊三郎に千代の同行を拒否しておきながら、今は傍において世話を焼かせ、雑用をさせることを受け入れた。主役と端役、その違いをまざまざと見せつけられて、嫉妬する千代に身の程を知らせることを、華枝は何よりも好んだから。
けれど、このところ千代は華枝の期待に応えられていない。
(……悔しい、なんて)
そんな感情はもうずっと前に失ってしまったから。
「出て行って。今日はもう顔を見せないで。その陰鬱な顔を見るだけで、穢れそうだわ」
ぷいっとそっぽを向いた華枝からどんな命令を下されても、心が動かない程度には。
