「華枝」
妹の名前を呼ぶのは、何年ぶりのことだろう。
想像よりもずっと、すんなりとその名前は澄んだ音となって紡がれた。
あんなにも恐ろしかった異母妹が、どうしてだろう、今は弱弱しく見えた。
「それでもわたしは、殿下を信じようと思うわ」
変わったのは彼女だろうか。それとも――。
「……何よそれ」
「殿下が信じてくれたから。わたしはもう、うずくまるのはやめる。あなたもちゃんと、これからのことを……」
「何よそれ、何よそれ、何よそれ!」
癇癪を起したように地団太を踏んで怒鳴る。
「これからのこと!? あたしは花姫に選ばれて、みんなに愛されて、敬われるはずだったのよ! それを、お義姉さまなんかに邪魔されて! お義姉さまのせいで、お父さまもお母さまもおかしくなっちゃったのよ⁉ どうしてくれるのよ!」
わかっていたことだった。彼女とは会話にならないことが。
華枝にとって千代は意思のある人間ではなかった。だから、千代の言葉では華枝の説得はできない。ただ、それでもここに来たのは神饌を取り戻すことが目的だった。
「神饌を返して」
会話を切り上げて冷静に求めた千代の存在が、華枝の癪に障るだろうと予見しながら、千代にはもう異母妹に譲ることはできなかった。
「嫌よ! あたしだけ奪われるのは!」
刹那、華枝の手に青白い狐火が宿った。命を持った生物のようにうごめいた火が、華枝の腕に振り払われ、風呂敷を焼きつくす。
千代は悲鳴を上げ、風呂敷に駆け寄った。
「神饌は、国の一年の安泰を祈って神に捧げるもの! なんてことを……!」
「うるさい!」
華枝は激怒した。まるで子供が癇癪を起したように。
もしかしたら、彼女は千代が思っているよりもずっと子供だったのかもしれない。
ただ家族に甘やかされて、成長する機会を永遠に失ってしまった、哀れな子――……。
「どうしてお義姉さまが選ばれるの⁉ まさかこのままお義姉さまは幸せになるつもり⁉ 家族をめちゃくちゃにしておいて……! そんなの絶対許せない!」
一気にまくしたてた華枝は、はあはあと肩で荒い息を繰り返し、見開いた目を地面に落とした。
何か、妙案に気が付いたとばかりに、口元に笑みを浮かべる。
「そうだ、お義姉さまが死んじゃえばいいんじゃない?」
燃え尽きた風呂敷を手に、膝をついていた千代は茫然として華枝を見上げた。
「そしたら新しく花姫を選ぶ必要があるでしょ。お義姉さまがいなければ、選ばれるのはあたしでしょうし……。あるべきものをあるべき場所に戻すには、よい案だと思わない?」
めちゃくちゃな言い分だった。けれど、それが華枝という少女だった。彼女は帯に刺していた短刀をするりと抜いて、優しい手つきで千代の手に握らせた。
「かわいい妹のお願いじゃない。ね? 死んでちょうだい、お義姉さま」
以前に千代なら、はいつくばって許しを乞うていたかもしれない。
けれど、今は何より千代が哀れだった。
彼女は自分のしていることが、わかっていないのだ。
「……わたしが死んでも、あなたは、花姫にはなれない」
まだほんの少ししか話すことができていない春夏秋冬の花守たちも、皆、まっすぐに責務に向き合おうとしていた。誰もが家族や大切な人、自分の誇りを守るためにここにきた。華枝とは違う。
「あなたはいつも自分のことばかり。花姫になりたいのも、特別な自分でありたいと願う我欲のため」
「……はあ?」
青筋を浮かべた華枝の周囲で火花が散る。
彼女は今度こそ千代の顔を焼くかもしれない。
きっと、熱くて苦しいだろう。それでも、もう恐ろしくはなかった。
「そんな人には、わたしはもう屈しない!」
少なくとも、花姫の責務を華枝のような娘には譲れない。
覚悟を決めて、声を振り絞った時、突然胸の内側から濁流のように全身にほとばしった力に、千代は息を詰まらせた。
(何……っ? 熱い……!)
溢れる感情を押さえるように、うずくまって胸を押さえた千代に、華枝が腕を振り上げる。
神饌のように炎で炙って、利かん気な異母姉に教育するために。
そのはずだったのに、華枝は動けずにいた。足元、腰に、腕に無数に絡む藤の蔦に動きを封じられて。
「な、な、何よこれぇっ!?」
妹の名前を呼ぶのは、何年ぶりのことだろう。
想像よりもずっと、すんなりとその名前は澄んだ音となって紡がれた。
あんなにも恐ろしかった異母妹が、どうしてだろう、今は弱弱しく見えた。
「それでもわたしは、殿下を信じようと思うわ」
変わったのは彼女だろうか。それとも――。
「……何よそれ」
「殿下が信じてくれたから。わたしはもう、うずくまるのはやめる。あなたもちゃんと、これからのことを……」
「何よそれ、何よそれ、何よそれ!」
癇癪を起したように地団太を踏んで怒鳴る。
「これからのこと!? あたしは花姫に選ばれて、みんなに愛されて、敬われるはずだったのよ! それを、お義姉さまなんかに邪魔されて! お義姉さまのせいで、お父さまもお母さまもおかしくなっちゃったのよ⁉ どうしてくれるのよ!」
わかっていたことだった。彼女とは会話にならないことが。
華枝にとって千代は意思のある人間ではなかった。だから、千代の言葉では華枝の説得はできない。ただ、それでもここに来たのは神饌を取り戻すことが目的だった。
「神饌を返して」
会話を切り上げて冷静に求めた千代の存在が、華枝の癪に障るだろうと予見しながら、千代にはもう異母妹に譲ることはできなかった。
「嫌よ! あたしだけ奪われるのは!」
刹那、華枝の手に青白い狐火が宿った。命を持った生物のようにうごめいた火が、華枝の腕に振り払われ、風呂敷を焼きつくす。
千代は悲鳴を上げ、風呂敷に駆け寄った。
「神饌は、国の一年の安泰を祈って神に捧げるもの! なんてことを……!」
「うるさい!」
華枝は激怒した。まるで子供が癇癪を起したように。
もしかしたら、彼女は千代が思っているよりもずっと子供だったのかもしれない。
ただ家族に甘やかされて、成長する機会を永遠に失ってしまった、哀れな子――……。
「どうしてお義姉さまが選ばれるの⁉ まさかこのままお義姉さまは幸せになるつもり⁉ 家族をめちゃくちゃにしておいて……! そんなの絶対許せない!」
一気にまくしたてた華枝は、はあはあと肩で荒い息を繰り返し、見開いた目を地面に落とした。
何か、妙案に気が付いたとばかりに、口元に笑みを浮かべる。
「そうだ、お義姉さまが死んじゃえばいいんじゃない?」
燃え尽きた風呂敷を手に、膝をついていた千代は茫然として華枝を見上げた。
「そしたら新しく花姫を選ぶ必要があるでしょ。お義姉さまがいなければ、選ばれるのはあたしでしょうし……。あるべきものをあるべき場所に戻すには、よい案だと思わない?」
めちゃくちゃな言い分だった。けれど、それが華枝という少女だった。彼女は帯に刺していた短刀をするりと抜いて、優しい手つきで千代の手に握らせた。
「かわいい妹のお願いじゃない。ね? 死んでちょうだい、お義姉さま」
以前に千代なら、はいつくばって許しを乞うていたかもしれない。
けれど、今は何より千代が哀れだった。
彼女は自分のしていることが、わかっていないのだ。
「……わたしが死んでも、あなたは、花姫にはなれない」
まだほんの少ししか話すことができていない春夏秋冬の花守たちも、皆、まっすぐに責務に向き合おうとしていた。誰もが家族や大切な人、自分の誇りを守るためにここにきた。華枝とは違う。
「あなたはいつも自分のことばかり。花姫になりたいのも、特別な自分でありたいと願う我欲のため」
「……はあ?」
青筋を浮かべた華枝の周囲で火花が散る。
彼女は今度こそ千代の顔を焼くかもしれない。
きっと、熱くて苦しいだろう。それでも、もう恐ろしくはなかった。
「そんな人には、わたしはもう屈しない!」
少なくとも、花姫の責務を華枝のような娘には譲れない。
覚悟を決めて、声を振り絞った時、突然胸の内側から濁流のように全身にほとばしった力に、千代は息を詰まらせた。
(何……っ? 熱い……!)
溢れる感情を押さえるように、うずくまって胸を押さえた千代に、華枝が腕を振り上げる。
神饌のように炎で炙って、利かん気な異母姉に教育するために。
そのはずだったのに、華枝は動けずにいた。足元、腰に、腕に無数に絡む藤の蔦に動きを封じられて。
「な、な、何よこれぇっ!?」
