女官の手筈で、千代は瑞貴に黙って夜分のうちに密かに狭間の地を離れた。
瑠璃は反対したが、千代が説き伏せた。瑞貴は神域の管理だけでなく、朝廷との橋渡しも担っている。余計な心労をかけたくなかった。
急ぎ、里帰りする女官に扮して馬車に揺られ、まだ日の出前の人里に下り、そこからは徒歩で街のはずれまで向かう。
満月の夜だった。
月明かりに照らされ、揺れる柳の枝が作った暗がりに華枝は待っていた。
足元に置かれた風呂敷に、神饌が包まれているのだろう。
二人はついに、朱塗りの橋の上で対峙する。
それだけで、足が震えてしまう。今すぐにでも跪いて、異母妹の顔色を伺いたくなってしまう。
(駄目、前を向かなきゃ……!)
瑞貴と約束をしたのだ。
彼を信じると。そうして、いつか、彼が信じてくれた自分を信じられるように。
「お久しぶりね、お義姉さま。随分と……」
華枝はじろじろと千代の頭上から足先まで見て、顔をゆがめた。
「お綺麗になったじゃない。分不相応な生活は楽しめて?」
貼り付けたような笑みを浮かべて歩み寄ってくる華枝から、後ずさりそうになる自分を叱咤し、千代はその場に踏みとどまる。
「……盗んだ神饌を返してください」
声を振り絞る。華枝はちらりと足元の風呂敷を見た。
「これ? もちろん、いいわよ。明日の儀式に必要なものだものね」
存外、こともなげに華枝は言った。
「でも、条件があるわ。お義姉さま、あたしに花姫の座を返してくださる?」
小首を傾げた華枝の顔には、以前のような自信にあふれた笑みは浮かんでいない。
焦燥と憤怒がないまぜになったような苛烈な光を目に宿していた。
「どうせ、お義姉さまにはこなせないでしょう? 花姫の大役なんて」
続いた言葉に、千代は合点がいった。
「あたしが代わってあげるわ」
花姫ではなかった事実が、異母妹の矜持を傷つけ、彼女を追い詰めたのだと。
「花守を選ぶのは、卜占……。花守たちから花姫を選ぶのは、若宮殿下。そこに、わたしの意図はないわ」
こなせるかどうかではない。選ばれたからには、責務に向き合うことだけが求められる。
「その上で……、初めて、この手で成し遂げたいと思えることができたの」
震える声を必死に張って、千代は訴えた。
ずっと、未来に希望なんてなかった。夢をみることさえなかった。
それでも、ほんのささやかな手助けを覚えていてくれる人がいた。
彼が、千代を信じると言ってくれた。
その願いに、向き合いたかった。
「だから、あなたに花姫の座を譲ることはできない」
それは、千代から華枝への二度目の反抗だった。一度目は、瑠璃の顔を焼かれて心が折れた。
けれど、今度は千代ももう曲げられなかった。
夜陰に背筋を伸ばして立つ千代の姿は、華枝にはどのように映っただろうか。
「お義姉さまのくせに、随分と調子に乗っているようね」
ぎり、と歯を食いしばった華枝が、無理やりに笑みを浮かべる。虚勢を浮かべることで、どうにか自尊心を保っているようだ。
「若宮殿下はそんなにお義姉さまにお優しい? 信じちゃ駄目よ。お優しいからこそ、お姉さまを憐れんで嘘をついているのだわ。あんなにお綺麗な方が、本気でお義姉さまなんかを選ぶはずないじゃない」
瑠璃は反対したが、千代が説き伏せた。瑞貴は神域の管理だけでなく、朝廷との橋渡しも担っている。余計な心労をかけたくなかった。
急ぎ、里帰りする女官に扮して馬車に揺られ、まだ日の出前の人里に下り、そこからは徒歩で街のはずれまで向かう。
満月の夜だった。
月明かりに照らされ、揺れる柳の枝が作った暗がりに華枝は待っていた。
足元に置かれた風呂敷に、神饌が包まれているのだろう。
二人はついに、朱塗りの橋の上で対峙する。
それだけで、足が震えてしまう。今すぐにでも跪いて、異母妹の顔色を伺いたくなってしまう。
(駄目、前を向かなきゃ……!)
瑞貴と約束をしたのだ。
彼を信じると。そうして、いつか、彼が信じてくれた自分を信じられるように。
「お久しぶりね、お義姉さま。随分と……」
華枝はじろじろと千代の頭上から足先まで見て、顔をゆがめた。
「お綺麗になったじゃない。分不相応な生活は楽しめて?」
貼り付けたような笑みを浮かべて歩み寄ってくる華枝から、後ずさりそうになる自分を叱咤し、千代はその場に踏みとどまる。
「……盗んだ神饌を返してください」
声を振り絞る。華枝はちらりと足元の風呂敷を見た。
「これ? もちろん、いいわよ。明日の儀式に必要なものだものね」
存外、こともなげに華枝は言った。
「でも、条件があるわ。お義姉さま、あたしに花姫の座を返してくださる?」
小首を傾げた華枝の顔には、以前のような自信にあふれた笑みは浮かんでいない。
焦燥と憤怒がないまぜになったような苛烈な光を目に宿していた。
「どうせ、お義姉さまにはこなせないでしょう? 花姫の大役なんて」
続いた言葉に、千代は合点がいった。
「あたしが代わってあげるわ」
花姫ではなかった事実が、異母妹の矜持を傷つけ、彼女を追い詰めたのだと。
「花守を選ぶのは、卜占……。花守たちから花姫を選ぶのは、若宮殿下。そこに、わたしの意図はないわ」
こなせるかどうかではない。選ばれたからには、責務に向き合うことだけが求められる。
「その上で……、初めて、この手で成し遂げたいと思えることができたの」
震える声を必死に張って、千代は訴えた。
ずっと、未来に希望なんてなかった。夢をみることさえなかった。
それでも、ほんのささやかな手助けを覚えていてくれる人がいた。
彼が、千代を信じると言ってくれた。
その願いに、向き合いたかった。
「だから、あなたに花姫の座を譲ることはできない」
それは、千代から華枝への二度目の反抗だった。一度目は、瑠璃の顔を焼かれて心が折れた。
けれど、今度は千代ももう曲げられなかった。
夜陰に背筋を伸ばして立つ千代の姿は、華枝にはどのように映っただろうか。
「お義姉さまのくせに、随分と調子に乗っているようね」
ぎり、と歯を食いしばった華枝が、無理やりに笑みを浮かべる。虚勢を浮かべることで、どうにか自尊心を保っているようだ。
「若宮殿下はそんなにお義姉さまにお優しい? 信じちゃ駄目よ。お優しいからこそ、お姉さまを憐れんで嘘をついているのだわ。あんなにお綺麗な方が、本気でお義姉さまなんかを選ぶはずないじゃない」
