【短編】若宮殿下の花姫さま~虐げられた乙女は運命に愛されて花開く~

 その日、来たる鎮花祭に向けて、白衣に緋袴を合わせて千代は釣殿に立った。
 卯月だというのに、早くもかすかな夏の気配を感じる汗ばむ昼日中、青い梢が日差しを弾く池畔から吹き抜けてきた風が心地よい。

 もう間もなく、花鎮祭の日がやってくる。当日、千代は花姫として奉納舞の舞手を務めなければならない。
 けれど、日がな一日舞の稽古に費やしても、千代は未だ舞の師範から及第点を貰うことができずにいた。
 しゃんしゃんと澄んだ音を響かせる神楽鈴だが、千代の手が緊張で震えるたびに、鳴らすべきではない時に音を立ててしまうのだ。
 こればかりは練習をするしかないと言われ、千代は手が空けば舞の振付を繰り返していた。

「奉納舞の練習か」

 突然、瑞貴の声が聞こえて千代は思わず飛び上がる。
 集中しすぎて周囲が見えていなかったらしい。

「すまない、驚かせたか」
「い、いえ、殿下にご挨拶を申し上げます」

 迷いなく歩み寄ってくる瑞貴は、珍しく軍服姿だった。平安時代の風景を色濃く残した狭間の地に立つ軍服の瑞貴は、どこか現実味のない美しい絵姿にも見えた。

「君に話があったのだが……」

 目の前に立った瑞貴が、千代の背後に回る。
 そうして、神楽鈴を持つ千代の肘にそっと触れて高さを調整してくれる。

「腰を落としすぎだ。それから、手は地と並行に保たねば」

 彼の手のひらの熱さに思わず鼓動が跳ねて、身体が固くなる。

「あ……あの……、お手数をおかけして、申し訳ございません」

 男性とこんなにも近づくのも初めてで、千代はどぎまぎしながら謝罪した。

「いいよ。だが、今日はここまでにすべきだ。このところ、ずっと根を詰めていると聞いた」
「ですが」

 休んでいる暇はない。千代は今もって自分が花姫だなんて思えなかったけれど、それでも、花姫として神域にとどまっている限り、務めは果たさなければならないと思うから。

「無理は禁物だぞ。ちょうど、水菓子も持ってきたんだ。一服しよう。たまには私が茶を点てようか」

 桜桃が綺麗に並んだお重を見せられて、千代は困り果てた。

「あの……、もう、本当にお気持ちは十分です。ですから、毎日何かをお贈りいただかなくても……」
「俺が君に贈りたいんだ」

 この数週間で知ったことといえば、瑞貴には強情なところがあるということだった。
 好きなものを探そうと約束した日から、瑞貴はありとあらゆるものを携えて千代を訪った。

「それに、贈り物でもなければ君に会う理由もない」
「……どういうことでしょう? 若宮殿下がお呼びなら、わたしから伺います」

 本当に花姫なのか、自分でも怪しんでいる千代と、皇族の瑞貴では立場が違う。
 首を傾げた千代に、瑞貴は目をぱちくりと瞬かせた。

「……それこそ、どういうことだ? 進物もなしに、君は俺に会ってくれるのか?」
「御用があるのですよね?」
「ある時もあれば、ない時もある。どちらかというと、ない時のほうが多い。俺がただ、君の喜ぶ顔を見たいだけだから」

 さらに千代を混乱させる言葉を口にして、若宮は手のひらをぱんっと叩いた。

「今日は君に会わせたい人もいる。今後、君のそば仕えとして君を守る女武官が決まった」

 瑞貴が声をかけると、奥から軍服の女性が歩み出た。そうして膝をついた彼女が声を上げる。

「関内瑠璃と申します。本日より、千代さまの護衛を拝命仕りました」

 その名前に、千代は固まった。
 面を上げよ、と瑞貴が千代の代わりに声をかける。
 ゆるりと顔を上げた女の顔の半分は、火傷のあとがあった。残る半分のおっとりとした顔立ちに、千代はあっと目を見開く。

「瑠璃……、まさか、本当にねえやなの?」
「はい、千代さま。お久しぶりでございます」

 優しく微笑む女こそ、かつて華枝に顔を焼かれた、千代のねえやだった。