俺は観測者であって、主人公じゃない。2

「おはよう、ミナト!」

「おはよう、アレン!」

朝、教室に入るとアレンが笑顔で手を振ってくれた。

その隣にはカイル。

……うん。

いつもどおりの光景だ。

ただし。

「……アレン、顔が赤くない?」

「えっ!? そ、そうかな!?」

「うん。熱でもある?」

「な、ないよ!」

アレンは慌てて首を振った。

その横でカイルが、ものすごく気まずそうに視線をそらしている。

…………。

俺は二人を交互に見た。

昨日。

俺は。

見てしまった。

二人の初キスを。

「…………」

「ミナト?」

「……いえ。今日も世界は平和だなと思いまして」

「またそれ!?」

アレンが困ったように笑った。

カイルは咳払いをひとつする。

「……ミナト。昨日のことだが」

「はい!! 誰にも言ってません!!」

「……そうか。ありがとう」

「二人の秘密だからね!!」

「み、ミナト! 声が大きいよ!!」

「あっ、ごめん!!」

俺は慌てて口を押さえた。

やばい。

うっかり口を滑らせたら大変だ。

二人の大切な思い出なんだから、絶対に守らなければ!

それにしても。

初キスをした翌日の二人って、こんなに初々しいんだ……。

アレンがカイルを見るたびに照れて、カイルもアレンの視線に気づくと少しだけ耳を赤くする。

昨日までの二人に、ほんの少しだけ甘い空気が加わっている。

……尊い。

本当に尊い。

俺は机に突っ伏した。

「ミナト!? 今度はどうしたの!?」

「……幸せです」

「えっ?」

「俺は今、すごく幸せです……」

「そ、そっか……?」

アレンは不思議そうに首をかしげた。

カイルは小さくため息をついたけれど、その表情はどこか柔らかかった。

そんな二人を見ていると、俺まで嬉しくなる。

この幸せが、ずっと続けばいい。

心からそう思った。

◆ ◆ ◆

昼休み。

俺は中庭のベンチで、ノアと一緒にパンを食べていた。

「ねえ、ノア」

「ん? どうしたの、ミナトくん?」

「好きな人って、どんな感じなんだろう?」

ノアがパンを持ったまま固まった。

「…………え?」

「いや、アレンとカイルを見てたら、ふと気になって」

「ああ……なるほど」

ノアは少し考えてから、にっこり笑った。

「ミナトくんも、恋愛に興味が出てきた?」

「違う違う! 俺が恋愛するわけじゃないよ!」

「はいはい」

「本当だってば!」

俺は慌てて手を振った。

「ただ、レオンにもいつか好きな人ができるのかなって」

……そう。

昨日、帰り道でレオンが言っていた。

『お前にも、いつかそういう相手ができるんだろうな』

あのときは何も考えなかったけれど。

レオンにも、好きな人ができるかもしれない。

誰かに優しくして。

その人と一緒に帰って。

嬉しそうに笑って。

そして、いつか恋人になる。

…………。

「……あれ?」

想像してみたら、なぜか胸の奥が少しだけ落ち着かなくなった。

「ミナトくん?」

「……いや、何でもない」

「今、ちょっと変な顔してたよ?」

「えっ!? どんな顔!?」

「うーん……自分でも分からない気持ちを、必死に考えてる顔?」

「何それ!?」

ノアは楽しそうに笑った。

「それで、レオンに好きな人ができたらどう思うの?」

「どうって……」

俺は空を見上げた。

レオンが誰かと恋人になる。

その人にだけ優しく笑ったり、二人で出かけたり。

今まで俺と一緒に練習していた時間が、その人との時間に変わったり。

……。

……あれ?

なんか、それは。

「……ちょっと寂しいかも」

思わず口に出してしまった。

ノアは何も言わず、俺を見つめた。

「……でも、レオンが幸せならいいと思う!」

俺は慌てて付け加えた。

「レオンは優しいし、すごい魔法使いだし! 好きになる人がいてもおかしくないし!」

「うん」

「だから、俺は応援するよ!」

「……そっか」

ノアは優しく笑った。

「ミナトくんって、ほんとに優しいね」

「えっ? そう?」

「うん。でもね」

ノアは少しだけ顔を近づけた。

「寂しいって思ったことも、ちゃんと大事にしていいんだよ」

「…………」

俺は何も答えられなかった。

寂しい。

そう思ったこと自体が、少し不思議だった。

レオンは友達だ。

大切な友達だから、一緒にいられなくなったら寂しい。

きっと、それだけ。

……本当に、それだけなのかな。

初めて、そんな疑問が頭をよぎった。

◆ ◆  ◆

その日の放課後。

俺は先生に頼まれた資料を届けるため、魔法科の研究棟へ向かっていた。

廊下を歩いていると、聞き覚えのある声がした。

「あの、ヴァイス先輩!」

……レオン?

足を止めると、少し先にレオンと女子生徒が立っていた。

この間、魔法を教えてもらっていた子だ。

「この前教えていただいた方法で練習したら、うまくできました!」

「そうか。よかったな」

「ありがとうございます! 先輩のおかげです!」

女子生徒は嬉しそうに笑った。

「また分からないところがあったら、聞いてもいいですか?」

「ああ。分かる範囲なら答える」

「本当ですか!? 嬉しいです!」

……うん。

レオンはすごい。

教え方も上手だし、頼りになる。

だから、あの子が嬉しそうなのも分かる。

俺だって、レオンに教えてもらえるのは嬉しい。

…………。

……ん?

今、俺は何を考えた?

俺だって嬉しい?

いや、それはそうだけど。

レオンが誰かに頼られているのを見ると、誇らしい気持ちになる。

でも、同時に。

あの子がレオンと話しているのを見ていると、早く自分もレオンと話したくなる。

「……何やってるんだ、俺」

小さくつぶやいた、そのとき。

「……アステル?」

「うわっ!?」

レオンがこちらに気づいていた。

女子生徒も振り返る。

「こんにちは、アステルくん!」

「あっ、こんにちは!」

俺は笑顔で挨拶した。

「レオン、今から帰るところ?」

「ああ。お前は?」

「先生に資料を届けに来たんだ!」

「そうか」

レオンは女子生徒に向き直った。

「では、俺はこれで」

「あっ、はい! ありがとうございました、ヴァイス先輩!」

女子生徒は頭を下げて、反対方向へ歩いていった。

俺はその背中を見送りながら、なぜかほっとしていた。

……え?

何で、ほっとしたんだ?

「アステル?」

「……あっ、何でもない!」

レオンが不思議そうに俺を見る。

「お前、今日はずいぶん考え事が多いな」

「えっ!? そうかな?」

「何かあったのか?」

俺は少し迷った。

そして、思い切って聞いてみた。

「……レオンって、好きな人いるの?」

「…………は?」

レオンが、ぴたりと動きを止めた。

「……何だ、急に」

「いや! 何となく気になっただけ!」

「何となく?」

「うん! ほら、レオンってかっこいいし、優しいし、魔法もすごいし! 好きな人がいてもおかしくないなって!」

言ってから、俺は少しだけ後悔した。

……何で、こんなこと聞いたんだろう。

レオンはしばらく俺を見つめていた。

その目が、いつもより真剣に見えた。

「……いない」

「え?」

「今は、いない」

「……そっか!」

なぜか、胸の奥が軽くなった。

思った以上に、ほっとしてしまった。

レオンはそれを見逃さなかった。

「……アステル」

「はい?」

「お前は?」

「えっ!?」

「好きな人はいるのか」

「い、いないよ!!」

俺は勢いよく答えた。

「俺、恋愛とか全然分からないし! 今は魔法の練習もしたいし、アレンとカイルの幸せも見守りたいし!」

「……そうか」

レオンは視線を落とした。

その表情がほんの少しだけ曇ったように見えたけれど、俺には理由が分からなかった。

「……帰るぞ、アステル」

「あっ、うん!」

俺はレオンの隣に並んだ。

さっきまで気になっていたことは、結局よく分からないままだった。

ただひとつ。

レオンに好きな人がいないと聞いて、嬉しかった。

でも少しだけモヤッとした心もあった。

その事実だけが、胸の奥に残っていた。

◆ ◆ ◆

寮へ向かう帰り道。

俺たちはいつもより静かに歩いていた。

何か話したい。

でも、何を話せばいいのか分からない。

さっき自分から好きな人の話を振ったくせに、急に恥ずかしくなってきた。

……うう。

何で聞いちゃったんだろう。

「……アステル」

「は、はい!」

「そんなに緊張しなくていい」

「えっ!? 俺、緊張してないよ!?」

「そうか」

レオンは少しだけ笑った。

「……なら、いい」

しばらくして、レオンが口を開いた。

「さっきの質問だが」

「……うん?」

「好きな人がいるかどうか、気になったんだろう」

「……うん」

「何か理由があるのか?」

俺は足元を見た。

本当のことを言っていいのか、少し迷った。

でも、レオンに嘘をつきたくなかった。

「……レオンに好きな人ができたら、今みたいに一緒にいられなくなるのかなって思って」

言ってしまった。

胸がどきどきする。

レオンは何も言わなかった。

俺は慌てて続けた。

「もちろん、好きな人ができるのはいいことだと思うよ! レオンには幸せになってほしいし!」

「…………」

「ただ……」

言葉が途切れた。

ただ、何だろう。

本当は、もっと一緒にいたい。

今までみたいに練習して、話して、一緒に帰って。

それが変わってしまうのは、少し寂しい。

「……俺、レオンと一緒にいる時間が好きなんだ」

ようやく、それだけ言えた。

レオンが足を止めた。

俺も立ち止まり、顔を上げる。

「……アステル」

「……何?」

レオンはしばらく俺を見つめていた。

そして、静かに答えた。

「……俺も、お前といる時間は好きだ」

「…………」

今度は、俺が固まった。

「……え?」

「何度も言わせるな」

「いや、だって……!」

胸が、急に熱くなった。

レオンも俺といる時間が好き。

その言葉が、何だかすごく嬉しかった。

「……そっか」

俺は笑った。

「……よかった」

レオンも、ほんの少しだけ笑った。

そのあと、俺たちは再び歩き始めた。

さっきまでより、少しだけ近い距離で。

俺はまだ知らない。

レオンが言った「好き」と、自分が感じている「好き」が、いつか同じ意味になることを。

そしてレオンもまた、まだ伝えられない気持ちを胸の奥にしまっていた。

――いつか、お前が俺を選んでくれたら。

そんな願いを抱きながら。