俺は観測者であって、主人公じゃない。2

「ミナト、おはよう!」

朝、教室に入るとアレンが手を振ってくれた。

その隣には、もちろんカイル。

……うん。

今日も二人は一緒にいる。

昨日も一緒だった。

一昨日なんて、ついに恋人になった。

つまり現在、俺の目の前には――

公式カップルの尊い日常が広がっているのである!!

「おはよう、アレン! カイル!」

「昨日、魔法の練習をしたんだけどね。カイルが付き合ってくれたんだ!」

「……お前が練習したいと言ったからな」

「でも、遅くまで付き合ってくれたでしょ?」

「別に、それくらい……」

カイルが言葉を濁す。

アレンは嬉しそうに笑った。

「ありがとう、カイル!」

「……ああ」

カイルの耳が赤い。

…………。

「ぐっ……!!」

「ミナト!? どうしたの!?」

「大丈夫……俺は大丈夫……!!」

大丈夫じゃない。

尊さで心がいっぱいだ。

恋人になった途端、二人の間にある空気がほんの少し変わっている。

アレンは今まで以上にカイルを頼るようになったし、カイルはアレンのことをよく見ている。

でも、二人とも急に別人になったわけじゃない。

今まで積み重ねてきた関係が、ようやく恋人という形になったんだ。

……本当に、よかった。

「ミナト、今日の昼も一緒に食べようよ!」

「もちろん!!」

「カイルもいいよね?」

「……ああ」

三人で笑っていると、教室の入口から声がした。

「アステル」

振り返ると、レオンが立っていた。

「今日の魔法実習、放課後に少し時間を取れるか?」

「うん! 大丈夫!」

「なら、いつもの場所で待っている」

「分かった! よろしくね、レオン!」

レオンは小さくうなずき、自分の席へ戻っていった。

その背中を見送りながら、俺はなんだか嬉しくなった。

今日もレオンと練習できる。

昨日より少しでも上達できたらいいな。

……なんでだろう。

最近、レオンと会う約束があると、朝からちょっと楽しみなんだよな。

まあ、魔法を教えてもらえるからだろう!

うん、きっとそう!!

俺は深く考えず、アレンたちとの会話に戻った。

その様子を、ノアが教室の後ろから眺めていた。

「……あれ、ミナトくん。今、レオンが来たときだけ笑顔が増えなかった?」

「え?」

「ううん。なんでもない」

ノアは楽しそうに笑った。

「まだまだ、これからかな」

「何が?」

「さあね?」

……ノア、最近こういうこと多くない?

◆ ◆ ◆

午後の魔法実習。

俺はいつもの練習場所へ向かっていた。

レオンに教えてもらいながら、光の線を安定させる練習をする予定だ。

昨日より細く、正確に。

できれば、複雑な模様も描けるようになりたい。

そんなことを考えながら廊下を曲がったところで、俺は足を止めた。

「あの、ヴァイス先輩!」

女の子の声が聞こえた。

少し先に、レオンが立っている。

その前にいるのは、見覚えのない女子生徒だった。

「この間の実習で見せていた魔法なんですけど、もう一度教えていただけませんか?」

「ああ。どの部分だ?」

「魔力を圧縮するところです。私、何度やっても安定しなくて……」

「なら、魔力を流す速度を少し落としてみろ。急に圧縮しようとすると、形が崩れやすい」

レオンは落ち着いた声で説明していた。

女子生徒は真剣な表情で話を聞いている。

「なるほど……! ありがとうございます!」

「実際にやってみるといい」

「はい!」

レオンはいつもどおりだった。

誰かに質問されたら答えるし、困っている人がいたら教える。

別に、おかしなことは何もない。

……ないんだけど。

「…………」

なぜか、俺はすぐに声をかけられなかった。

いつもなら、レオンを見つけたらすぐに近づく。

「レオン! 今日もよろしく!」って。

なのに、今は。

あの女子生徒がレオンに話しかけているのを見て、少しだけ足が止まってしまった。

「ヴァイス先輩って、教えるのも上手なんですね!」

「そうか?」

「はい! 私、先輩みたいな魔法使いになりたいです!」

女子生徒が笑顔で言った。

レオンは少し困ったような顔をしたものの、特に否定はしなかった。

……そりゃそうだ。

レオンはすごい魔法使いだし、尊敬されるのも当然だ。

分かってる。

分かってるんだけど。

「……なんだろ、この感じ」

胸の奥が、ほんの少しだけもやもやする。

俺は自分の胸元に手を当てた。

別に、レオンが誰かに魔法を教えるのは悪いことじゃない。

むしろ、レオンのすごさが周りに知られるのは嬉しい。

……なのに。

「アステル?」

「うわっ!?」

突然名前を呼ばれて、俺は飛び上がった。

レオンがこちらを見ていた。

「何をしている。こっちに来ないのか?」

「あっ、いや! 今行く!」

俺は慌てて駆け寄った。

女子生徒もこちらを向く。

「お知り合いですか?」

「同じクラスのアステルだ。魔法の練習を見ている」

「そうなんですね!」

女子生徒は俺に笑顔を向けた。

「ヴァイス先輩に教えてもらえるなんて、いいですね!」

「えっ? あ、うん!」

俺も笑顔で返した。

「レオン、教えるの上手だから!」

……あれ?

なんか、ちょっとだけ。

自分がレオンに教えてもらっていることを、誰かに羨ましがられるのが嬉しかった。

いや、そりゃ嬉しいよ。

俺、今まで魔法があまり得意じゃなかったし。

レオンのおかげで上達しているんだから。

……それだけだよな?

「では、私はこれで。ヴァイス先輩、ありがとうございました!」

「ああ」

女子生徒は丁寧に頭を下げて、去っていった。

レオンは俺に向き直る。

「……どうした?」

「え?」

「今日は妙に静かだな」

「そ、そう?」

「いつもなら、会った瞬間に今日の練習について話し始めるだろう」

「えっ、俺ってそんな感じ!?」

「そうだ」

レオンが淡々とうなずいた。

……うわ。

なんか恥ずかしい。

「いやあ、今日はちょっと考え事をしてて!」

「何を?」

「……秘密!」

とっさにそう答えると、レオンは少しだけ目を細めた。

「そうか」

それ以上、追及はしてこなかった。

けれど、俺は気になっていた。

さっきの女子生徒は、明日もレオンに質問するのだろうか。

明後日も?

そのうち、レオンと一緒に練習するようになったりするのかな。

……って。

俺、何を考えてるんだ!?

レオンは俺だけの先生じゃない。

そんなの、当たり前だ。

俺は慌てて首を振った。

「よし! 練習しよう、レオン!」

「ああ」

レオンはいつもどおり、俺の隣に立った。

それだけで、なぜか少し安心した。

その理由は、まだ分からなかった。

◆ ◆ ◆

「今日は、光の線を二本同時に動かしてみよう」

レオンが魔法陣を描きながら説明する。

「一本ずつなら安定してきた。次は、それぞれの動きを保ったまま形を作る」

「二本同時……! 難しそうだけど、やってみる!」

俺は集中して魔力を流した。

右手から細い光が伸びる。

続いて、左手からも光が生まれた。

よし、順調!

……と思った瞬間、左の光がぐにゃりと曲がった。

「あっ!」

光が弾け、小さな火花になった。

「うわ、ごめん!」

「謝らなくていい。今のは右の線に意識を向けすぎたな」

レオンが俺の手元を確認する。

「左の線を動かそうとするより、まずは形を保つことだけ考えろ」

「なるほど……」

「もう一度だ」

俺は深呼吸した。

今度こそ。

右の光を保ち、左の光も同じように安定させる。

ゆっくり。

焦らず。

二本の光が空中に伸び、少しずつ弧を描いた。

「……できた!」

「そのまま維持しろ」

「う、うん!」

二本の光が交差して、小さな星の形になった。

成功だ!

「レオン、見て! 星になった!!」

「ああ。よくできたな」

レオンが微笑んだ。

……その瞬間。

さっきまで胸の中にあったもやもやが、少しだけ消えた気がした。

レオンに褒めてもらえた。

一緒に練習して、できるようになった。

それが、すごく嬉しい。

「ありがとう、レオン! レオンが教えてくれたおかげだよ!」

「お前が練習したからだ」

「でも、レオンがいなかったら、ここまでできなかったと思う!」

レオンは一瞬、言葉を止めた。

そして、静かに俺を見た。

「……なら、これからも教える」

「えっ?」

「お前が望むなら、いくらでも付き合う」

…………。

「……っ!!」

待って。

今の言葉、すごく嬉しい。

これからも?

いくらでも?

「……本当に?」

「ああ」

「明日も?」

「時間が合えばな」

「明後日も!?」

「……アステル」

「はい!」

「一度に全部聞くな」

レオンが小さく笑った。

俺もつられて笑う。

胸の中が、じんわり温かくなった。

……そうか。

俺は、レオンと練習する時間が好きなんだ。

レオンに教えてもらうのが好きで、褒めてもらえると嬉しくて。

だから、さっきほかの生徒と話しているのを見て、少し落ち着かなかったんだ。

きっと、そういうこと。

……うん。

そういうことにしておこう。

でも。

「レオン」

「何だ?」

「……明日も、一緒に練習してくれる?」

さっきも聞いたことなのに、もう一度確かめたくなった。

レオンは俺を見つめ、少しだけ優しい声で答えた。

「もちろんだ、アステル」

その返事を聞いて、俺は心から笑った。

「……よかった!」

レオンは、その笑顔をじっと見ていた。

そして、誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。

「……本当に、お前は」

その先の言葉は、飲み込まれた。

レオン自身にも、まだ続きが分からなかったから。

◆ ◆ ◆

練習を終えた俺は、校舎の入口でノアに会った。

「ミナトくん、お疲れさま!」

「ノア! 聞いて! 今日、魔法の練習ですごいことができたんだ!」

「へえ、何ができたの?」

「光の線を二本同時に動かせたんだよ! しかも星の形にできた!」

「すごいじゃない!」

ノアがぱちぱちと拍手してくれた。

「レオンに教えてもらったの?」

「うん!」

「そっかあ」

ノアはにこにこしながら、俺の顔をのぞき込んだ。

「ところで、今日のレオンはどうだった?」

「どうって?」

「いつもどおり?」

「……うーん」

俺は少し考えた。

「いつもどおり、かな? でも、今日はちょっとだけ……」

「ちょっとだけ?」

「……優しかった気がする」

「いつも優しいんじゃない?」

「それはそうなんだけど!」

俺は慌てて説明した。

「いつも優しいけど、今日はこれからも練習に付き合ってくれるって言ってくれたんだ!」

「ふうん」

「それが、なんか嬉しくて!」

ノアはしばらく俺を見つめていた。

そして、突然聞いてきた。

「ねえ、ミナトくん。今日、レオンが女の子と話していたの、見た?」

「…………えっ?」

心臓が、どきっとした。

「……なんで知ってるの?」

「見かけたから」

ノアはあっさり答えた。

「それで?」

「それでって……」

俺は視線を泳がせた。

「……別に、何もないよ」

「本当に?」

「本当!」

「じゃあ、レオンがこれから毎日その子に魔法を教えることになっても?」

「……え?」

「二人が仲良くなって、一緒に過ごす時間が増えても?」

「…………」

言葉が出なかった。

頭の中に、さっきの光景が浮かんだ。

レオンと女子生徒が話している姿。

女子生徒が嬉しそうに笑う姿。

そして、レオンがいつもどおり落ち着いた表情で答えていたこと。

……別に、いいはずだ。

レオンが誰と仲良くしても。

俺には関係ない。

なのに。

「……なんか、嫌かも」

気づいたら、口からこぼれていた。

「ん?」

「……いや! 今のは違う!」

「何が違うの?」

「えっと……その……!」

俺は必死に考えた。

「レオンは魔法を教えるのが上手だから! あの子も上達するだろうし、そうなったら俺と練習する時間が減るかもしれないし……!」

「うんうん」

「だから、俺としては、その……ちょっと困るというか……!」

ノアは笑わなかった。

ただ、優しい目で俺を見ていた。

「そっか。レオンと練習する時間が減るのは、寂しいんだ?」

「…………」

寂しい。

その言葉が、胸の中に落ちた。

そう。

俺は、レオンと一緒にいられなくなるのが嫌なのかもしれない。

もっと教えてほしい。

もっと話したい。

もっと、一緒に笑いたい。

「……うん」

俺は小さくうなずいた。

「……レオンと練習できなくなるのは、寂しい」

ノアは少しだけ驚いた顔をしたあと、ふっと微笑んだ。

「そっか」

「……変かな?」

「全然。大切な友達なんでしょ?」

「……うん」

「だったら、これからも一緒にいたいって思うのは自然なことだよ」

そう言われて、少しだけ安心した。

そうだよね。

レオンは大切な友達。

だから、もっと一緒にいたい。

今の俺には、それで十分だ。

……ただ。

ノアは心の中で、別のことを考えていた。

――ミナトくん。

それは、本当に「友達だから」だけなのかな?

けれど、今はまだ聞かないでおこう。

ミナト自身が気づくまで、もう少しだけ時間が必要そうだった。

◆ ◆ ◆

夕方。

俺はレオンと並んで寮へ向かっていた。

今日は魔法の練習がうまくいったし、ノアとも話せた。

なかなか充実した一日だったと思う。

「……アステル」

「ん?」

「今日、何かあったのか?」

「えっ?」

「練習の前、少し様子がおかしかった」

……レオン、気づいてたんだ。

俺は少し驚いた。

「……ううん。大したことじゃないよ」

「そうか」

「うん」

少しだけ沈黙が続いた。

でも、不思議と気まずくはなかった。

レオンと一緒に歩いていると、静かな時間も落ち着く。

俺はふと、隣を見た。

黒い髪が夕方の風に揺れている。

横顔はいつもどおり綺麗で、表情は落ち着いていて。

……やっぱり、レオンってすごいな。

「レオン」

「何だ?」

「……明日も、一緒に帰っていい?」

レオンが足を止めた。

「……明日も?」

「あっ、もちろん予定がなかったらでいいんだけど!」

俺は慌てて付け足した。

「今日、一緒に帰るのが楽しかったから。また一緒に帰れたらいいなって思って!」

レオンは、しばらく俺を見つめていた。

それから、静かに答えた。

「……ああ。明日も一緒に帰ろう」

「本当!?」

「ああ」

「やった!」

俺は嬉しくなって、笑顔でうなずいた。

その瞬間、レオンの表情がほんの少しだけ和らいだ。

「……お前は、本当に分かりやすいな」

「えっ!? 何が!?」

「何でもない」

「またそれ!!」

二人で笑いながら、寮へ向かう。

俺はまだ、自分の気持ちを知らない。

レオンが誰かに取られたくないなんて、そんな大げさな感情だとは思っていない。

ただ、明日も一緒にいたい。

明後日も、その先も。

レオンが隣にいてくれたら嬉しい。

――それだけだった。

けれど、レオンは違った。

隣を歩くアステルを見ながら、胸の奥に小さな願いが生まれていた。

明日も、その先も、こいつの一番近くにいたい。

まだ言葉にはできない。

でも、もうただの興味ではないことだけは、少しずつ分かり始めていた。