「ミナト、おはよう!」
朝、教室に入るとアレンが手を振ってくれた。
その隣には、もちろんカイル。
……うん。
今日も二人は一緒にいる。
昨日も一緒だった。
一昨日なんて、ついに恋人になった。
つまり現在、俺の目の前には――
公式カップルの尊い日常が広がっているのである!!
「おはよう、アレン! カイル!」
「昨日、魔法の練習をしたんだけどね。カイルが付き合ってくれたんだ!」
「……お前が練習したいと言ったからな」
「でも、遅くまで付き合ってくれたでしょ?」
「別に、それくらい……」
カイルが言葉を濁す。
アレンは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、カイル!」
「……ああ」
カイルの耳が赤い。
…………。
「ぐっ……!!」
「ミナト!? どうしたの!?」
「大丈夫……俺は大丈夫……!!」
大丈夫じゃない。
尊さで心がいっぱいだ。
恋人になった途端、二人の間にある空気がほんの少し変わっている。
アレンは今まで以上にカイルを頼るようになったし、カイルはアレンのことをよく見ている。
でも、二人とも急に別人になったわけじゃない。
今まで積み重ねてきた関係が、ようやく恋人という形になったんだ。
……本当に、よかった。
「ミナト、今日の昼も一緒に食べようよ!」
「もちろん!!」
「カイルもいいよね?」
「……ああ」
三人で笑っていると、教室の入口から声がした。
「アステル」
振り返ると、レオンが立っていた。
「今日の魔法実習、放課後に少し時間を取れるか?」
「うん! 大丈夫!」
「なら、いつもの場所で待っている」
「分かった! よろしくね、レオン!」
レオンは小さくうなずき、自分の席へ戻っていった。
その背中を見送りながら、俺はなんだか嬉しくなった。
今日もレオンと練習できる。
昨日より少しでも上達できたらいいな。
……なんでだろう。
最近、レオンと会う約束があると、朝からちょっと楽しみなんだよな。
まあ、魔法を教えてもらえるからだろう!
うん、きっとそう!!
俺は深く考えず、アレンたちとの会話に戻った。
その様子を、ノアが教室の後ろから眺めていた。
「……あれ、ミナトくん。今、レオンが来たときだけ笑顔が増えなかった?」
「え?」
「ううん。なんでもない」
ノアは楽しそうに笑った。
「まだまだ、これからかな」
「何が?」
「さあね?」
……ノア、最近こういうこと多くない?
◆ ◆ ◆
午後の魔法実習。
俺はいつもの練習場所へ向かっていた。
レオンに教えてもらいながら、光の線を安定させる練習をする予定だ。
昨日より細く、正確に。
できれば、複雑な模様も描けるようになりたい。
そんなことを考えながら廊下を曲がったところで、俺は足を止めた。
「あの、ヴァイス先輩!」
女の子の声が聞こえた。
少し先に、レオンが立っている。
その前にいるのは、見覚えのない女子生徒だった。
「この間の実習で見せていた魔法なんですけど、もう一度教えていただけませんか?」
「ああ。どの部分だ?」
「魔力を圧縮するところです。私、何度やっても安定しなくて……」
「なら、魔力を流す速度を少し落としてみろ。急に圧縮しようとすると、形が崩れやすい」
レオンは落ち着いた声で説明していた。
女子生徒は真剣な表情で話を聞いている。
「なるほど……! ありがとうございます!」
「実際にやってみるといい」
「はい!」
レオンはいつもどおりだった。
誰かに質問されたら答えるし、困っている人がいたら教える。
別に、おかしなことは何もない。
……ないんだけど。
「…………」
なぜか、俺はすぐに声をかけられなかった。
いつもなら、レオンを見つけたらすぐに近づく。
「レオン! 今日もよろしく!」って。
なのに、今は。
あの女子生徒がレオンに話しかけているのを見て、少しだけ足が止まってしまった。
「ヴァイス先輩って、教えるのも上手なんですね!」
「そうか?」
「はい! 私、先輩みたいな魔法使いになりたいです!」
女子生徒が笑顔で言った。
レオンは少し困ったような顔をしたものの、特に否定はしなかった。
……そりゃそうだ。
レオンはすごい魔法使いだし、尊敬されるのも当然だ。
分かってる。
分かってるんだけど。
「……なんだろ、この感じ」
胸の奥が、ほんの少しだけもやもやする。
俺は自分の胸元に手を当てた。
別に、レオンが誰かに魔法を教えるのは悪いことじゃない。
むしろ、レオンのすごさが周りに知られるのは嬉しい。
……なのに。
「アステル?」
「うわっ!?」
突然名前を呼ばれて、俺は飛び上がった。
レオンがこちらを見ていた。
「何をしている。こっちに来ないのか?」
「あっ、いや! 今行く!」
俺は慌てて駆け寄った。
女子生徒もこちらを向く。
「お知り合いですか?」
「同じクラスのアステルだ。魔法の練習を見ている」
「そうなんですね!」
女子生徒は俺に笑顔を向けた。
「ヴァイス先輩に教えてもらえるなんて、いいですね!」
「えっ? あ、うん!」
俺も笑顔で返した。
「レオン、教えるの上手だから!」
……あれ?
なんか、ちょっとだけ。
自分がレオンに教えてもらっていることを、誰かに羨ましがられるのが嬉しかった。
いや、そりゃ嬉しいよ。
俺、今まで魔法があまり得意じゃなかったし。
レオンのおかげで上達しているんだから。
……それだけだよな?
「では、私はこれで。ヴァイス先輩、ありがとうございました!」
「ああ」
女子生徒は丁寧に頭を下げて、去っていった。
レオンは俺に向き直る。
「……どうした?」
「え?」
「今日は妙に静かだな」
「そ、そう?」
「いつもなら、会った瞬間に今日の練習について話し始めるだろう」
「えっ、俺ってそんな感じ!?」
「そうだ」
レオンが淡々とうなずいた。
……うわ。
なんか恥ずかしい。
「いやあ、今日はちょっと考え事をしてて!」
「何を?」
「……秘密!」
とっさにそう答えると、レオンは少しだけ目を細めた。
「そうか」
それ以上、追及はしてこなかった。
けれど、俺は気になっていた。
さっきの女子生徒は、明日もレオンに質問するのだろうか。
明後日も?
そのうち、レオンと一緒に練習するようになったりするのかな。
……って。
俺、何を考えてるんだ!?
レオンは俺だけの先生じゃない。
そんなの、当たり前だ。
俺は慌てて首を振った。
「よし! 練習しよう、レオン!」
「ああ」
レオンはいつもどおり、俺の隣に立った。
それだけで、なぜか少し安心した。
その理由は、まだ分からなかった。
◆ ◆ ◆
「今日は、光の線を二本同時に動かしてみよう」
レオンが魔法陣を描きながら説明する。
「一本ずつなら安定してきた。次は、それぞれの動きを保ったまま形を作る」
「二本同時……! 難しそうだけど、やってみる!」
俺は集中して魔力を流した。
右手から細い光が伸びる。
続いて、左手からも光が生まれた。
よし、順調!
……と思った瞬間、左の光がぐにゃりと曲がった。
「あっ!」
光が弾け、小さな火花になった。
「うわ、ごめん!」
「謝らなくていい。今のは右の線に意識を向けすぎたな」
レオンが俺の手元を確認する。
「左の線を動かそうとするより、まずは形を保つことだけ考えろ」
「なるほど……」
「もう一度だ」
俺は深呼吸した。
今度こそ。
右の光を保ち、左の光も同じように安定させる。
ゆっくり。
焦らず。
二本の光が空中に伸び、少しずつ弧を描いた。
「……できた!」
「そのまま維持しろ」
「う、うん!」
二本の光が交差して、小さな星の形になった。
成功だ!
「レオン、見て! 星になった!!」
「ああ。よくできたな」
レオンが微笑んだ。
……その瞬間。
さっきまで胸の中にあったもやもやが、少しだけ消えた気がした。
レオンに褒めてもらえた。
一緒に練習して、できるようになった。
それが、すごく嬉しい。
「ありがとう、レオン! レオンが教えてくれたおかげだよ!」
「お前が練習したからだ」
「でも、レオンがいなかったら、ここまでできなかったと思う!」
レオンは一瞬、言葉を止めた。
そして、静かに俺を見た。
「……なら、これからも教える」
「えっ?」
「お前が望むなら、いくらでも付き合う」
…………。
「……っ!!」
待って。
今の言葉、すごく嬉しい。
これからも?
いくらでも?
「……本当に?」
「ああ」
「明日も?」
「時間が合えばな」
「明後日も!?」
「……アステル」
「はい!」
「一度に全部聞くな」
レオンが小さく笑った。
俺もつられて笑う。
胸の中が、じんわり温かくなった。
……そうか。
俺は、レオンと練習する時間が好きなんだ。
レオンに教えてもらうのが好きで、褒めてもらえると嬉しくて。
だから、さっきほかの生徒と話しているのを見て、少し落ち着かなかったんだ。
きっと、そういうこと。
……うん。
そういうことにしておこう。
でも。
「レオン」
「何だ?」
「……明日も、一緒に練習してくれる?」
さっきも聞いたことなのに、もう一度確かめたくなった。
レオンは俺を見つめ、少しだけ優しい声で答えた。
「もちろんだ、アステル」
その返事を聞いて、俺は心から笑った。
「……よかった!」
レオンは、その笑顔をじっと見ていた。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
「……本当に、お前は」
その先の言葉は、飲み込まれた。
レオン自身にも、まだ続きが分からなかったから。
◆ ◆ ◆
練習を終えた俺は、校舎の入口でノアに会った。
「ミナトくん、お疲れさま!」
「ノア! 聞いて! 今日、魔法の練習ですごいことができたんだ!」
「へえ、何ができたの?」
「光の線を二本同時に動かせたんだよ! しかも星の形にできた!」
「すごいじゃない!」
ノアがぱちぱちと拍手してくれた。
「レオンに教えてもらったの?」
「うん!」
「そっかあ」
ノアはにこにこしながら、俺の顔をのぞき込んだ。
「ところで、今日のレオンはどうだった?」
「どうって?」
「いつもどおり?」
「……うーん」
俺は少し考えた。
「いつもどおり、かな? でも、今日はちょっとだけ……」
「ちょっとだけ?」
「……優しかった気がする」
「いつも優しいんじゃない?」
「それはそうなんだけど!」
俺は慌てて説明した。
「いつも優しいけど、今日はこれからも練習に付き合ってくれるって言ってくれたんだ!」
「ふうん」
「それが、なんか嬉しくて!」
ノアはしばらく俺を見つめていた。
そして、突然聞いてきた。
「ねえ、ミナトくん。今日、レオンが女の子と話していたの、見た?」
「…………えっ?」
心臓が、どきっとした。
「……なんで知ってるの?」
「見かけたから」
ノアはあっさり答えた。
「それで?」
「それでって……」
俺は視線を泳がせた。
「……別に、何もないよ」
「本当に?」
「本当!」
「じゃあ、レオンがこれから毎日その子に魔法を教えることになっても?」
「……え?」
「二人が仲良くなって、一緒に過ごす時間が増えても?」
「…………」
言葉が出なかった。
頭の中に、さっきの光景が浮かんだ。
レオンと女子生徒が話している姿。
女子生徒が嬉しそうに笑う姿。
そして、レオンがいつもどおり落ち着いた表情で答えていたこと。
……別に、いいはずだ。
レオンが誰と仲良くしても。
俺には関係ない。
なのに。
「……なんか、嫌かも」
気づいたら、口からこぼれていた。
「ん?」
「……いや! 今のは違う!」
「何が違うの?」
「えっと……その……!」
俺は必死に考えた。
「レオンは魔法を教えるのが上手だから! あの子も上達するだろうし、そうなったら俺と練習する時間が減るかもしれないし……!」
「うんうん」
「だから、俺としては、その……ちょっと困るというか……!」
ノアは笑わなかった。
ただ、優しい目で俺を見ていた。
「そっか。レオンと練習する時間が減るのは、寂しいんだ?」
「…………」
寂しい。
その言葉が、胸の中に落ちた。
そう。
俺は、レオンと一緒にいられなくなるのが嫌なのかもしれない。
もっと教えてほしい。
もっと話したい。
もっと、一緒に笑いたい。
「……うん」
俺は小さくうなずいた。
「……レオンと練習できなくなるのは、寂しい」
ノアは少しだけ驚いた顔をしたあと、ふっと微笑んだ。
「そっか」
「……変かな?」
「全然。大切な友達なんでしょ?」
「……うん」
「だったら、これからも一緒にいたいって思うのは自然なことだよ」
そう言われて、少しだけ安心した。
そうだよね。
レオンは大切な友達。
だから、もっと一緒にいたい。
今の俺には、それで十分だ。
……ただ。
ノアは心の中で、別のことを考えていた。
――ミナトくん。
それは、本当に「友達だから」だけなのかな?
けれど、今はまだ聞かないでおこう。
ミナト自身が気づくまで、もう少しだけ時間が必要そうだった。
◆ ◆ ◆
夕方。
俺はレオンと並んで寮へ向かっていた。
今日は魔法の練習がうまくいったし、ノアとも話せた。
なかなか充実した一日だったと思う。
「……アステル」
「ん?」
「今日、何かあったのか?」
「えっ?」
「練習の前、少し様子がおかしかった」
……レオン、気づいてたんだ。
俺は少し驚いた。
「……ううん。大したことじゃないよ」
「そうか」
「うん」
少しだけ沈黙が続いた。
でも、不思議と気まずくはなかった。
レオンと一緒に歩いていると、静かな時間も落ち着く。
俺はふと、隣を見た。
黒い髪が夕方の風に揺れている。
横顔はいつもどおり綺麗で、表情は落ち着いていて。
……やっぱり、レオンってすごいな。
「レオン」
「何だ?」
「……明日も、一緒に帰っていい?」
レオンが足を止めた。
「……明日も?」
「あっ、もちろん予定がなかったらでいいんだけど!」
俺は慌てて付け足した。
「今日、一緒に帰るのが楽しかったから。また一緒に帰れたらいいなって思って!」
レオンは、しばらく俺を見つめていた。
それから、静かに答えた。
「……ああ。明日も一緒に帰ろう」
「本当!?」
「ああ」
「やった!」
俺は嬉しくなって、笑顔でうなずいた。
その瞬間、レオンの表情がほんの少しだけ和らいだ。
「……お前は、本当に分かりやすいな」
「えっ!? 何が!?」
「何でもない」
「またそれ!!」
二人で笑いながら、寮へ向かう。
俺はまだ、自分の気持ちを知らない。
レオンが誰かに取られたくないなんて、そんな大げさな感情だとは思っていない。
ただ、明日も一緒にいたい。
明後日も、その先も。
レオンが隣にいてくれたら嬉しい。
――それだけだった。
けれど、レオンは違った。
隣を歩くアステルを見ながら、胸の奥に小さな願いが生まれていた。
明日も、その先も、こいつの一番近くにいたい。
まだ言葉にはできない。
でも、もうただの興味ではないことだけは、少しずつ分かり始めていた。
朝、教室に入るとアレンが手を振ってくれた。
その隣には、もちろんカイル。
……うん。
今日も二人は一緒にいる。
昨日も一緒だった。
一昨日なんて、ついに恋人になった。
つまり現在、俺の目の前には――
公式カップルの尊い日常が広がっているのである!!
「おはよう、アレン! カイル!」
「昨日、魔法の練習をしたんだけどね。カイルが付き合ってくれたんだ!」
「……お前が練習したいと言ったからな」
「でも、遅くまで付き合ってくれたでしょ?」
「別に、それくらい……」
カイルが言葉を濁す。
アレンは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、カイル!」
「……ああ」
カイルの耳が赤い。
…………。
「ぐっ……!!」
「ミナト!? どうしたの!?」
「大丈夫……俺は大丈夫……!!」
大丈夫じゃない。
尊さで心がいっぱいだ。
恋人になった途端、二人の間にある空気がほんの少し変わっている。
アレンは今まで以上にカイルを頼るようになったし、カイルはアレンのことをよく見ている。
でも、二人とも急に別人になったわけじゃない。
今まで積み重ねてきた関係が、ようやく恋人という形になったんだ。
……本当に、よかった。
「ミナト、今日の昼も一緒に食べようよ!」
「もちろん!!」
「カイルもいいよね?」
「……ああ」
三人で笑っていると、教室の入口から声がした。
「アステル」
振り返ると、レオンが立っていた。
「今日の魔法実習、放課後に少し時間を取れるか?」
「うん! 大丈夫!」
「なら、いつもの場所で待っている」
「分かった! よろしくね、レオン!」
レオンは小さくうなずき、自分の席へ戻っていった。
その背中を見送りながら、俺はなんだか嬉しくなった。
今日もレオンと練習できる。
昨日より少しでも上達できたらいいな。
……なんでだろう。
最近、レオンと会う約束があると、朝からちょっと楽しみなんだよな。
まあ、魔法を教えてもらえるからだろう!
うん、きっとそう!!
俺は深く考えず、アレンたちとの会話に戻った。
その様子を、ノアが教室の後ろから眺めていた。
「……あれ、ミナトくん。今、レオンが来たときだけ笑顔が増えなかった?」
「え?」
「ううん。なんでもない」
ノアは楽しそうに笑った。
「まだまだ、これからかな」
「何が?」
「さあね?」
……ノア、最近こういうこと多くない?
◆ ◆ ◆
午後の魔法実習。
俺はいつもの練習場所へ向かっていた。
レオンに教えてもらいながら、光の線を安定させる練習をする予定だ。
昨日より細く、正確に。
できれば、複雑な模様も描けるようになりたい。
そんなことを考えながら廊下を曲がったところで、俺は足を止めた。
「あの、ヴァイス先輩!」
女の子の声が聞こえた。
少し先に、レオンが立っている。
その前にいるのは、見覚えのない女子生徒だった。
「この間の実習で見せていた魔法なんですけど、もう一度教えていただけませんか?」
「ああ。どの部分だ?」
「魔力を圧縮するところです。私、何度やっても安定しなくて……」
「なら、魔力を流す速度を少し落としてみろ。急に圧縮しようとすると、形が崩れやすい」
レオンは落ち着いた声で説明していた。
女子生徒は真剣な表情で話を聞いている。
「なるほど……! ありがとうございます!」
「実際にやってみるといい」
「はい!」
レオンはいつもどおりだった。
誰かに質問されたら答えるし、困っている人がいたら教える。
別に、おかしなことは何もない。
……ないんだけど。
「…………」
なぜか、俺はすぐに声をかけられなかった。
いつもなら、レオンを見つけたらすぐに近づく。
「レオン! 今日もよろしく!」って。
なのに、今は。
あの女子生徒がレオンに話しかけているのを見て、少しだけ足が止まってしまった。
「ヴァイス先輩って、教えるのも上手なんですね!」
「そうか?」
「はい! 私、先輩みたいな魔法使いになりたいです!」
女子生徒が笑顔で言った。
レオンは少し困ったような顔をしたものの、特に否定はしなかった。
……そりゃそうだ。
レオンはすごい魔法使いだし、尊敬されるのも当然だ。
分かってる。
分かってるんだけど。
「……なんだろ、この感じ」
胸の奥が、ほんの少しだけもやもやする。
俺は自分の胸元に手を当てた。
別に、レオンが誰かに魔法を教えるのは悪いことじゃない。
むしろ、レオンのすごさが周りに知られるのは嬉しい。
……なのに。
「アステル?」
「うわっ!?」
突然名前を呼ばれて、俺は飛び上がった。
レオンがこちらを見ていた。
「何をしている。こっちに来ないのか?」
「あっ、いや! 今行く!」
俺は慌てて駆け寄った。
女子生徒もこちらを向く。
「お知り合いですか?」
「同じクラスのアステルだ。魔法の練習を見ている」
「そうなんですね!」
女子生徒は俺に笑顔を向けた。
「ヴァイス先輩に教えてもらえるなんて、いいですね!」
「えっ? あ、うん!」
俺も笑顔で返した。
「レオン、教えるの上手だから!」
……あれ?
なんか、ちょっとだけ。
自分がレオンに教えてもらっていることを、誰かに羨ましがられるのが嬉しかった。
いや、そりゃ嬉しいよ。
俺、今まで魔法があまり得意じゃなかったし。
レオンのおかげで上達しているんだから。
……それだけだよな?
「では、私はこれで。ヴァイス先輩、ありがとうございました!」
「ああ」
女子生徒は丁寧に頭を下げて、去っていった。
レオンは俺に向き直る。
「……どうした?」
「え?」
「今日は妙に静かだな」
「そ、そう?」
「いつもなら、会った瞬間に今日の練習について話し始めるだろう」
「えっ、俺ってそんな感じ!?」
「そうだ」
レオンが淡々とうなずいた。
……うわ。
なんか恥ずかしい。
「いやあ、今日はちょっと考え事をしてて!」
「何を?」
「……秘密!」
とっさにそう答えると、レオンは少しだけ目を細めた。
「そうか」
それ以上、追及はしてこなかった。
けれど、俺は気になっていた。
さっきの女子生徒は、明日もレオンに質問するのだろうか。
明後日も?
そのうち、レオンと一緒に練習するようになったりするのかな。
……って。
俺、何を考えてるんだ!?
レオンは俺だけの先生じゃない。
そんなの、当たり前だ。
俺は慌てて首を振った。
「よし! 練習しよう、レオン!」
「ああ」
レオンはいつもどおり、俺の隣に立った。
それだけで、なぜか少し安心した。
その理由は、まだ分からなかった。
◆ ◆ ◆
「今日は、光の線を二本同時に動かしてみよう」
レオンが魔法陣を描きながら説明する。
「一本ずつなら安定してきた。次は、それぞれの動きを保ったまま形を作る」
「二本同時……! 難しそうだけど、やってみる!」
俺は集中して魔力を流した。
右手から細い光が伸びる。
続いて、左手からも光が生まれた。
よし、順調!
……と思った瞬間、左の光がぐにゃりと曲がった。
「あっ!」
光が弾け、小さな火花になった。
「うわ、ごめん!」
「謝らなくていい。今のは右の線に意識を向けすぎたな」
レオンが俺の手元を確認する。
「左の線を動かそうとするより、まずは形を保つことだけ考えろ」
「なるほど……」
「もう一度だ」
俺は深呼吸した。
今度こそ。
右の光を保ち、左の光も同じように安定させる。
ゆっくり。
焦らず。
二本の光が空中に伸び、少しずつ弧を描いた。
「……できた!」
「そのまま維持しろ」
「う、うん!」
二本の光が交差して、小さな星の形になった。
成功だ!
「レオン、見て! 星になった!!」
「ああ。よくできたな」
レオンが微笑んだ。
……その瞬間。
さっきまで胸の中にあったもやもやが、少しだけ消えた気がした。
レオンに褒めてもらえた。
一緒に練習して、できるようになった。
それが、すごく嬉しい。
「ありがとう、レオン! レオンが教えてくれたおかげだよ!」
「お前が練習したからだ」
「でも、レオンがいなかったら、ここまでできなかったと思う!」
レオンは一瞬、言葉を止めた。
そして、静かに俺を見た。
「……なら、これからも教える」
「えっ?」
「お前が望むなら、いくらでも付き合う」
…………。
「……っ!!」
待って。
今の言葉、すごく嬉しい。
これからも?
いくらでも?
「……本当に?」
「ああ」
「明日も?」
「時間が合えばな」
「明後日も!?」
「……アステル」
「はい!」
「一度に全部聞くな」
レオンが小さく笑った。
俺もつられて笑う。
胸の中が、じんわり温かくなった。
……そうか。
俺は、レオンと練習する時間が好きなんだ。
レオンに教えてもらうのが好きで、褒めてもらえると嬉しくて。
だから、さっきほかの生徒と話しているのを見て、少し落ち着かなかったんだ。
きっと、そういうこと。
……うん。
そういうことにしておこう。
でも。
「レオン」
「何だ?」
「……明日も、一緒に練習してくれる?」
さっきも聞いたことなのに、もう一度確かめたくなった。
レオンは俺を見つめ、少しだけ優しい声で答えた。
「もちろんだ、アステル」
その返事を聞いて、俺は心から笑った。
「……よかった!」
レオンは、その笑顔をじっと見ていた。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
「……本当に、お前は」
その先の言葉は、飲み込まれた。
レオン自身にも、まだ続きが分からなかったから。
◆ ◆ ◆
練習を終えた俺は、校舎の入口でノアに会った。
「ミナトくん、お疲れさま!」
「ノア! 聞いて! 今日、魔法の練習ですごいことができたんだ!」
「へえ、何ができたの?」
「光の線を二本同時に動かせたんだよ! しかも星の形にできた!」
「すごいじゃない!」
ノアがぱちぱちと拍手してくれた。
「レオンに教えてもらったの?」
「うん!」
「そっかあ」
ノアはにこにこしながら、俺の顔をのぞき込んだ。
「ところで、今日のレオンはどうだった?」
「どうって?」
「いつもどおり?」
「……うーん」
俺は少し考えた。
「いつもどおり、かな? でも、今日はちょっとだけ……」
「ちょっとだけ?」
「……優しかった気がする」
「いつも優しいんじゃない?」
「それはそうなんだけど!」
俺は慌てて説明した。
「いつも優しいけど、今日はこれからも練習に付き合ってくれるって言ってくれたんだ!」
「ふうん」
「それが、なんか嬉しくて!」
ノアはしばらく俺を見つめていた。
そして、突然聞いてきた。
「ねえ、ミナトくん。今日、レオンが女の子と話していたの、見た?」
「…………えっ?」
心臓が、どきっとした。
「……なんで知ってるの?」
「見かけたから」
ノアはあっさり答えた。
「それで?」
「それでって……」
俺は視線を泳がせた。
「……別に、何もないよ」
「本当に?」
「本当!」
「じゃあ、レオンがこれから毎日その子に魔法を教えることになっても?」
「……え?」
「二人が仲良くなって、一緒に過ごす時間が増えても?」
「…………」
言葉が出なかった。
頭の中に、さっきの光景が浮かんだ。
レオンと女子生徒が話している姿。
女子生徒が嬉しそうに笑う姿。
そして、レオンがいつもどおり落ち着いた表情で答えていたこと。
……別に、いいはずだ。
レオンが誰と仲良くしても。
俺には関係ない。
なのに。
「……なんか、嫌かも」
気づいたら、口からこぼれていた。
「ん?」
「……いや! 今のは違う!」
「何が違うの?」
「えっと……その……!」
俺は必死に考えた。
「レオンは魔法を教えるのが上手だから! あの子も上達するだろうし、そうなったら俺と練習する時間が減るかもしれないし……!」
「うんうん」
「だから、俺としては、その……ちょっと困るというか……!」
ノアは笑わなかった。
ただ、優しい目で俺を見ていた。
「そっか。レオンと練習する時間が減るのは、寂しいんだ?」
「…………」
寂しい。
その言葉が、胸の中に落ちた。
そう。
俺は、レオンと一緒にいられなくなるのが嫌なのかもしれない。
もっと教えてほしい。
もっと話したい。
もっと、一緒に笑いたい。
「……うん」
俺は小さくうなずいた。
「……レオンと練習できなくなるのは、寂しい」
ノアは少しだけ驚いた顔をしたあと、ふっと微笑んだ。
「そっか」
「……変かな?」
「全然。大切な友達なんでしょ?」
「……うん」
「だったら、これからも一緒にいたいって思うのは自然なことだよ」
そう言われて、少しだけ安心した。
そうだよね。
レオンは大切な友達。
だから、もっと一緒にいたい。
今の俺には、それで十分だ。
……ただ。
ノアは心の中で、別のことを考えていた。
――ミナトくん。
それは、本当に「友達だから」だけなのかな?
けれど、今はまだ聞かないでおこう。
ミナト自身が気づくまで、もう少しだけ時間が必要そうだった。
◆ ◆ ◆
夕方。
俺はレオンと並んで寮へ向かっていた。
今日は魔法の練習がうまくいったし、ノアとも話せた。
なかなか充実した一日だったと思う。
「……アステル」
「ん?」
「今日、何かあったのか?」
「えっ?」
「練習の前、少し様子がおかしかった」
……レオン、気づいてたんだ。
俺は少し驚いた。
「……ううん。大したことじゃないよ」
「そうか」
「うん」
少しだけ沈黙が続いた。
でも、不思議と気まずくはなかった。
レオンと一緒に歩いていると、静かな時間も落ち着く。
俺はふと、隣を見た。
黒い髪が夕方の風に揺れている。
横顔はいつもどおり綺麗で、表情は落ち着いていて。
……やっぱり、レオンってすごいな。
「レオン」
「何だ?」
「……明日も、一緒に帰っていい?」
レオンが足を止めた。
「……明日も?」
「あっ、もちろん予定がなかったらでいいんだけど!」
俺は慌てて付け足した。
「今日、一緒に帰るのが楽しかったから。また一緒に帰れたらいいなって思って!」
レオンは、しばらく俺を見つめていた。
それから、静かに答えた。
「……ああ。明日も一緒に帰ろう」
「本当!?」
「ああ」
「やった!」
俺は嬉しくなって、笑顔でうなずいた。
その瞬間、レオンの表情がほんの少しだけ和らいだ。
「……お前は、本当に分かりやすいな」
「えっ!? 何が!?」
「何でもない」
「またそれ!!」
二人で笑いながら、寮へ向かう。
俺はまだ、自分の気持ちを知らない。
レオンが誰かに取られたくないなんて、そんな大げさな感情だとは思っていない。
ただ、明日も一緒にいたい。
明後日も、その先も。
レオンが隣にいてくれたら嬉しい。
――それだけだった。
けれど、レオンは違った。
隣を歩くアステルを見ながら、胸の奥に小さな願いが生まれていた。
明日も、その先も、こいつの一番近くにいたい。
まだ言葉にはできない。
でも、もうただの興味ではないことだけは、少しずつ分かり始めていた。

