俺は観測者であって、主人公じゃない。

「いやあ、学院の図書室って広いねえ!」

俺、ミナト・アステルは、王立魔法学院の図書室に足を踏み入れた瞬間、思わず声を上げた。

高い天井。

壁一面に並ぶ本棚。

空中をゆっくり飛んでいる、魔法仕掛けの本。

そして、奥には一般生徒が立ち入りを制限されているらしい書庫まである。

すごい。

すごすぎる。

ここで一日過ごせと言われても、余裕で過ごせる自信がある。

「ミナトくん、目がキラキラしてるよ」

隣でノアが笑った。

「だって見てよ! 本が空飛んでる!!」

「そこ?」

「そこだよ!!」

前世では考えられなかった光景だ。

いや、魔法のある世界に転生した時点で驚くことばかりなんだけど、こういう細かいところにも感動してしまう。

「それで、ノアは何を調べに来たの?」

俺が尋ねると、ノアは少し考えるように首を傾げた。

「んー、魔法学院の歴史についてかな」

「歴史?」

「うん。昔の学院で、ちょっと変わった魔法が使われていたらしいんだ」

へえ!

なんか面白そう!

俺はすっかり興味を引かれ、ノアについていった。

◆ ◆ ◆

「えーっと……魔法学院の創立史、創立史……」

俺は背表紙を目で追いながら、本棚の間を歩いた。

すると、少し離れた棚に見覚えのある文字を見つけた。

『月影の魔法学院・秘録』

「…………え?」

思わず足が止まる。

月影の魔法学院。

それは、俺が前世で読んでいた小説と同じ名前だった。

いや、ここはその小説の世界なんだから、同じ名前の本があってもおかしくはない。

……ない、よな?

「ミナトくん? どうしたの?」

「ちょ、ちょっと待って。この本、気になる」

俺はそっと本を引き抜いた。

表紙には、月と星を組み合わせた紋章が描かれている。

その下には、小さな文字でこう書かれていた。

『学院に伝わる古い記録。物語に記されなかった出来事を含む』

……物語に記されなかった出来事?

俺の背中に、ぞくりとしたものが走った。

原作には書かれていないこと。

つまり、俺の知らない情報があるかもしれない。

これは読むしかない。

「ノア、これ読んでいい!?」

「もちろん。そんなに気になるんだ?」

「うん! めちゃくちゃ気になる!」

俺は近くの机に座り、本を開いた。

そして数ページ読み進めたところで――。

「…………えっ」

思わず声が漏れた。

そこには、学院の歴史だけでなく、かつて行われた魔法実技試験の記録が残されていた。

しかも、その中に。

『魔力制御に悩む生徒を、騎士科の生徒が根気強く支えたことで、二人は互いに信頼を深めていった』

という記述があった。

……待って。

魔力制御に悩む生徒。

それを支える騎士科の生徒。

俺はゆっくり顔を上げた。

「…………アレンとカイルじゃん」

「え?」

ノアが本をのぞき込む。

「いや、まだ本人たちとは限らないけど! でも、魔力制御に悩むアレンを、騎士科のカイルが支えるって……!」

「ミナトくん、声が大きいよ」

「あっ、ごめん!」

俺は慌てて口を押さえた。

でも、心の中では大騒ぎだ。

原作の二人にも、きっとこういう歴史が積み重なっていくんだろう。

小さな助け合いが、いつか大切な絆になる。

……うう。

尊い。

やっぱりこの二人、最高だ。

「ミナトくんって、本当にアレンとカイルのことが好きなんだね」

ノアが笑いながら言った。

「うん! 二人が幸せなら俺も幸せ!」

「そっか」

ノアは本のページを見つめ、それから俺に視線を戻した。

「じゃあ、ミナトくん自身が幸せになることは?」

「…………へ?」

予想外の質問だった。

「いや、俺?」

「うん。ミナトくん」

「俺は別に……」

言いかけて、口が止まる。

自分が幸せになること。

考えたことがなかったわけじゃない。

でも、前世で好きだった物語の中に転生して、憧れのキャラクターたちに会えた。

それだけで十分だと思っていた。

俺は物語の中心にいる人間じゃない。

ただの、名もない脇役。

それでいいと思っていた。

「……俺は、みんなが幸せなら、それでいいよ」

そう答えると、ノアは少しだけ目を細めた。

「ミナトくんらしい答えだね」

「そうかな?」

「うん。でも、たまには自分のことも大切にしてね」

いつものからかうような口調ではなかった。

俺は一瞬、返事に迷った。

「……ありがとう、ノア」

「どういたしまして」

ノアは、いつもの笑顔に戻った。

「さて、そろそろ僕の調べものもしないとね!」

「そうだった!! ノアの目的を完全に忘れてた!!」

「ひどいなあ、ミナトくん!」

二人で小さく笑い合った。

◆ ◆ ◆

しばらくして、俺たちは魔法制御に関する本を探しに、図書室の二階へ向かった。

そこで、俺は思わぬ人物を見つけた。

「……あれ?」

窓際の席。

積み重なった本。

そして、その向こうで静かに読書をしている黒髪の少年。

レオン・ヴァイス。

「レオンだ!」

俺が声をかけると、レオンが顔を上げた。

「……アステル?」

「何してるの?」

「見れば分かるだろう。本を読んでいる」

「そりゃそうだ!」

しまった。

質問が雑すぎた。

ノアが隣で吹き出した。

「ミナトくん、もうちょっと聞き方ってものがあるんじゃない?」

「うっ……!」

レオンは俺たちを見て、視線を本に戻した。

「お前たちも調べものか」

「うん! 昔の学院の記録を見てたんだ!」

「そうか」

「ねえ、レオンも一緒に読む?」

俺が何気なく尋ねると、レオンは少しだけ眉を動かした。

「……俺はもう読む本がある」

「そっか! じゃあ、また今度!」

あっさり引き下がる俺。

すると、レオンはなぜか少しだけ黙った。

「……その本は?」

「これ? 『月影の魔法学院・秘録』っていう本! 昔の学院の記録が書いてあるんだって!」

「見せてみろ」

「え、いいの?」

俺が本を差し出すと、レオンは受け取り、ぱらぱらとページをめくった。

「……古い記録だな。通常の授業では扱わない内容もある」

「そうなんだ!」

「この部分は、魔力制御の訓練についてだ。昨日の実習にも役立つかもしれない」

「本当!?」

レオンが指さした箇所には、魔力を安定させるための基礎的な訓練方法が記されていた。

昨日、俺が失敗したところだ。

「うわ、助かる! ありがとう、レオン!」

「……別に。目に入っただけだ」

そう言いながら、レオンはそのページにしおりを挟んでくれた。

……え、何それ。

親切すぎない?

俺が感動していると、ノアが横から口を挟んだ。

「レオンって、ミナトくんのことになると面倒見がいいよね?」

「……どういう意味だ」

「そのままの意味だけど?」

「余計なことを言うな」

レオンの声が少し低くなった。

ノアは楽しそうに笑っている。

えっ、何この空気。

俺だけ会話についていけてないんだけど!?

「えーっと……二人とも仲いいね!」

「「よくない」」

二人の声が、ぴったり重なった。

…………。

俺は思わず笑ってしまった。

「息ぴったりじゃん!!」

「アステル」

「ミナトくん、それは違うと思うなあ」

「えっ、何が!?」

二人とも、なぜか呆れた顔をしていた。

解せぬ。

◆ ◆ ◆

図書室を出る頃には、窓の外が夕焼けに染まっていた。

「今日は楽しかったね、ミナトくん」

ノアが隣を歩きながら言った。

「うん! 思わぬ発見もあったし、魔法の勉強にもなった!」

「それはよかった」

ノアは笑った。

「また一緒に来ようね」

「もちろん!」

そのとき、少し先を歩いていたレオンが足を止めた。

「アステル」

「ん?」

「その本の内容を実際に試すなら、明日の実習前に確認しておけ。焦って魔力を放出するなよ」

「うん! 気をつける!」

レオンは短くうなずくと、今度こそ歩き出した。

俺はその背中を見送り、しみじみと思った。

「……レオンって、ほんとに優しいなあ」

「そうだね」

ノアの返事は、いつもより少し静かだった。

「ミナトくんは、そういうところに気づいてないんだね」

「え? 何に?」

「なんでもないよ」

ノアは笑った。

「じゃあ、また明日!」

「うん! また明日!」

俺は二人に手を振り、寮へと向かった。

今日も楽しかった。

原作には載っていない記録を見つけられたし、アレンとカイルの未来を想像するだけで幸せだ。

それに、レオンもノアもいい友達だ。

……本当に、いい友達だと思う。

一方その頃。

図書室に戻ったレオンは、さっきまで読んでいた本を開いたまま、しばらく同じページを見つめていた。

文字が頭に入ってこない。

思い浮かぶのは、夕焼けの中で笑っていたアステルの顔。

ノアと並んで楽しそうに話していた姿。

「…………何を考えているんだ、俺は」

レオンは小さく息を吐き、本に視線を落とした。

ただ、少し気になっただけだ。

あいつは魔力の扱いもまだ不安定だし、放っておくと何をするか分からない。

だから、気にかけているだけ。

――そう結論づけたはずなのに。

なぜか、明日の実習が少しだけ楽しみになっていた。