俺は観測者であって、主人公じゃない。

転生して三日目。

 俺、朝比奈湊は重大な事実に気づいた。

 この世界、原作イベントが発生するタイミングまで、ほぼ原作通りだ。

 つまり。

「今日、アレンとカイルが一緒に魔法の実技練習をする……!」

 そう。

 原作第一巻の名シーンのひとつ。

 魔法の制御が苦手なアレンが、騎士科のカイルに練習を手伝ってもらうイベントだ。

 このイベントをきっかけに、二人は少しずつ互いを意識し始める。

 恋愛感情が芽生えるのはまだ先だけど、ここから二人の関係が深まっていくのだ。

 重要イベントである。

 絶対に見逃せない。

 しかし、ここでひとつ問題があった。

「……俺、どうやって自然に見学すればいいんだ?」

 原作では、このイベントに名前のあるモブは登場しない。

 俺が近くにいたら、原作と違う展開になる可能性だってある。

 いや、でも。

 遠くから見るだけならセーフでは?

 声をかけない。

 邪魔しない。

 存在感を消す。

 完璧だ。

「よし、観測開始!」

 俺は実技場の植え込みの陰にしゃがみ込んだ。

 ……十八歳にもなって何をしているんだ、俺は。

 でも推しのためなら仕方ない。

 これは愛だ。

 恋愛ではない。

 あくまでファンとしての愛である。

 大事なことなので二回言っておく。

 俺は恋愛しない。推しの恋愛を見る。

 これが俺の人生の方針だ。

 前世から変わらない。

 たぶん来世でも変わらない。

 ……いや、もう来世を経験してるんだった。

 そんなことを考えていると、実技場に二人の姿が現れた。

「カイル、今日は付き合ってくれてありがとう!」

「別に。俺も練習するつもりだったからな」

 来た。

 来た来た来た!!

 アレン!!

 カイル!!

 金髪のアレンは、今日も太陽みたいな笑顔を浮かべている。

 対するカイルは、少し赤みのある茶髪を揺らしながら、いつも通り落ち着いた表情をしていた。

 この対比がいい。

 明るくて人懐っこいアレンと、口数は少ないけど面倒見のいいカイル。

 公式設定の時点で相性がいいんだよ!!

「じゃあ、さっそく始めようか!」

「おう。まずは魔力を集めるところからだ」

 カイルはアレンの隣に立ち、魔法の構えを説明し始めた。

 近い。

 距離が近い。

 いや、練習だから当然なんだけど!

 でも、ほら!

 肩が!

 肩が近いんですけど!?

 俺は口元を押さえた。

「ぐっ……!」

 危ない。

 声が出るところだった。

 アレンが手のひらに魔力を集める。

 淡い光が揺れたあと、ふっと消えてしまった。

「あれ? また失敗か……」

「焦るな。力を入れすぎてる」

「うーん……難しいなあ」

「もう一度やってみろ。今度はゆっくりでいい」

 カイルはアレンの手元を見ながら、根気強く教えていた。

 アレンが失敗しても、呆れたり怒ったりしない。

 ただ、できるまで付き合っている。

 ……。

 …………。

 尊い。

 これが原作の供給か。

 俺は今、活字ではなく現実から供給を受けている。

 前世の俺が見たら、たぶん一週間は語れる。

 いや、語る相手がいない。

 この世界に腐男子仲間はいるのだろうか。

 いたとしても、いきなり「アレンとカイル、よくない!?」なんて言ったら変人扱いされそうだ。

 ……やめよう。

 俺はひとりで静かに楽しむタイプのオタクなのだ。

「……あっ」

 アレンの手のひらに、小さな光が灯った。

「できた!」

「おお。今の感覚を忘れるなよ」

「うん! カイルのおかげだ!」

 アレンがぱっと笑う。

 カイルは一瞬だけ目を見開き、それから視線をそらした。

「……大げさだ」

 その耳が、ほんの少し赤く見えた。

 …………。

 ………………。

 はい、いただきました。

 原作の大事な流れを壊すことなく、カイルが少しだけ照れる。

 これだ。

 これが見たかった。

 俺は心の中で盛大な拍手を送った。

 もう今日の授業料は元を取ったどころか、百倍にして返してもらった気分だ。

 ところが。

「ミナトくん、何してるの?」

「ぶっ!?」

 耳元で声がした。

 俺は驚きのあまり、植え込みに顔を突っ込んだ。

「いっっった!!」

「えっ、大丈夫!?」

 顔を上げると、そこには栗色の髪と琥珀色の瞳。

 ノア・フェルゼンがいた。

 またお前か!!

「な、なんでここに!?」

「それはこっちのセリフだよ。こんなところにしゃがみ込んで、何してるの?」

「……植物の観察」

「へえ。どの植物?」

「……この、葉っぱ」

「葉っぱ」

「葉っぱです」

「……ふふっ」

 ノアは口元を押さえて笑った。

 やめろ。

 そんなに笑わないでくれ。

 俺の言い訳がどんどん苦しくなる。

「それで、葉っぱを観察しながら、ずっとアレンたちを見てたんだ?」

「なっ!?」

 バレてる!!

 完全にバレてる!!

「ち、違う! これは偶然で!」

「ふーん。じゃあ、偶然アレンたちが見える場所を選んだんだ?」

「…………」

「偶然、植え込みに隠れて?」

「…………」

「偶然、さっきからすっごく幸せそうな顔してたんだ?」

「ノアくん、君って意外と意地悪だね!?」

「あははっ、ごめんごめん!」

 絶対に面白がっている。

 こいつ、原作でも明るい性格だったけど、こんなに人をからかうタイプだったか!?

 いや、設定資料には確か「面白そうなことには首を突っ込む」って書いてあった。

 ……書いてあったわ。

 俺が忘れていただけだった。

「でも、アレンとカイルを応援してるんだよね?」

「……っ!」

 ノアがふと、実技場に目を向けた。

 二人はまだ練習を続けている。

「アレン、カイルと一緒にいると楽しそうだよね」

「…………うん」

 俺は小さくうなずいた。

 ここだけは、ふざけずに答えたかった。

「アレンは一生懸命だし、カイルは口ではいろいろ言うけど、ちゃんとアレンのことを見てるから。二人が一緒にいると、なんか……いいなって思うんだ」

 そう。

 俺が好きなのは、二人の関係そのものだ。

 アレンがカイルを頼って、カイルがそれに応えて。

 少しずつ互いを知って、大切な存在になっていく。

 その過程が好きなのだ。

 誰かに無理やり恋愛をさせたいわけじゃない。

 ただ、この二人がこの二人らしく幸せになってくれたら、それでいい。

「……そっか」

 ノアは俺の顔を見て、いつもより少しだけ穏やかに笑った。

「ミナトくんって、本当に二人のことが好きなんだね」

「うん!」

「じゃあ、邪魔しないように見ていようか」

「えっ?」

「俺も一緒に見ていい?」

「…………」

 えええええ!?

 ノアが!?

 俺の隣で!?

 アレンとカイルを!?

 見る!?

 待って。

 これはどういう状況だ。

 原作キャラと一緒に原作イベントを見守るって、どういうこと!?

 しかも隣にいるのがノア・フェルゼン。

 俺の前世の本棚に、彼のイラストが載った特典カードがあったんですけど!?

「……もちろん!!」

 俺は思わず叫んだ。

 実技場にいたアレンとカイルが、同時にこちらを振り向いた。

「ん? 今、何か聞こえなかったか?」

「……聞こえたな」

 まずい。

 まずいまずいまずい!

 推しに見つかる!!

 俺は慌ててノアの背中に隠れた。

「ちょ、ミナトくん!?」

「お願い! 壁になって!!」

「俺、壁なの!?」

「今だけ!!」

 ノアは肩を震わせて笑っている。

 もう駄目だ。

 俺のモブ人生、三日目にして崩壊の危機である。

 そのとき、実技場からアレンの声がした。

「ノアー! 何してるんだ?」

「あ、アレン! ちょっと友達と話してただけ!」

 友達。

 ともだち。

 ノアが俺を友達と言った。

 …………。

 いや、落ち着け。

 友達くらい、普通に言うだろ。

 恋愛フラグではない。

 絶対に違う。

 俺は恋愛しない。

 推しカプを見守る。

 それだけだ。

「そっちにいるの、同じクラスの子?」

 アレンがこちらに歩いてくる。

 カイルもその後ろについてきた。

 ちょっと待って。

 なんで二人とも来るの!?

 俺、今、心の準備ができていないんですけど!?

「紹介するね。ミナト・アステルくん。最近知り合ったんだ」

「アステルくんか! 俺はアレン。よろしくね!」

「……カイルだ。よろしく」

 推しが。

 推しカプの二人が。

 俺に。

 自己紹介してくれている。

 俺は直立不動になった。

「は、はいっ! あさ、あっ、違ったミナト・アステルです! よろしくお願いします!!」

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」

 アレンが笑った。

 カイルは少し不思議そうに俺を見ている。

 そしてノアは、俺の横で楽しそうに笑っていた。

 ……この状況、原作にあったか?

 ない。

 断言できる。

 原作のこのイベントに、俺はいない。

 ノアと一緒に植え込みの陰に隠れて、アレンとカイルに自己紹介するモブなんていないのだ。

 俺は頭の中で必死に原作を確認した。

 でも、アレンとカイルは普通に笑っている。

 二人の関係に、今のところ変化はない。

 なら……大丈夫なのか?

 俺が少し関わったくらいで、原作は壊れない?

 いや、油断は禁物だ。

 俺はこの世界の物語を知っている。

 だからこそ、余計なことはしない。

 アレンとカイルの未来は、二人自身が作っていくものなのだから。

「ミナトくん、よかったら今度、一緒に昼ごはん食べない?」

「…………え?」

 アレンがにこっと笑った。

「ノアも一緒に。ね、カイル?」

「……俺は別に構わない」

「やった! じゃあ決まりだね!」

 待って。

 待って待って。

 原作主人公から昼食に誘われた。

 しかも、カイルも一緒。

 ノアも一緒。

 つまり俺は、推しカプと推しキャラと昼ごはんを食べることになる。

 ……。

 …………。

 俺の人生、今日が最終回なのか?

「……ありがとうございます」

 震える声で、俺は答えた。

 その隣で、ノアがにっこりと笑う。

「よかったね、ミナトくん」

 うん。

 よかった。

 最高だ。

 ただし。

 推しカプと昼食を食べることと、自分が恋愛することは、まったく別問題である。

 俺はその日、改めて心に誓った。

 俺は観測者。

 恋愛の当事者にはならない。

 ……ならない、はずだ。

 少なくとも、今のところは。