俺は観測者であって、主人公じゃない。

学園祭前日。

王立魔法学院は、いつも以上に騒がしかった。

廊下には色とりどりの飾りが並び、校庭には魔法実演用の舞台が設置されている。あちこちから生徒たちの楽しそうな声が聞こえてきた。

そんな中、俺――ミナト・アステルは。

「よし……! 明日の推しカプ供給に備えて、今日も元気に働きます!!」

「ミナト、声が大きいよ」

隣にいたアレンが、苦笑いしながら言った。

「ごめん! つい気合いが!」

「でも、ミナトがいてくれて助かってるよ。飾り付けも手伝ってくれたし、魔法実演の準備も順調だし」

「いやいや! 俺なんてまだまだだよ!」

そう言いながら、俺はアレンの後ろに立つカイルを見た。

カイルは舞台の配置図を確認している。

「アレン、明日の実演だけど、最後の魔法は少し間隔を空けた方がいいと思う」

「そっか。じゃあ、カイルが合図を出してくれる?」

「分かった。俺が合わせる」

…………。

………………。

信頼し合う二人。

自然に相手を頼る二人。

明日の舞台でも息ぴったりの二人。

「…………尊い」

「ミナト?」

「なんでもない!! 俺は今、青春の素晴らしさを噛み締めてる!!」

「青春……?」

アレンが不思議そうに首を傾げた。

カイルも少しだけ眉を上げている。

違うんです。

君たちは何も悪くない。

ただ、存在そのものが俺の情緒を乱してくるだけなんです。

「おーい、ミナトくん。そろそろ現実に戻っておいで?」

背後からノアが声をかけてきた。

「戻ってるよ!」

「いや、さっきからアレンとカイルを見ながら、すごい顔してたけど?」

「どんな顔!?」

「幸せそうな顔」

「それはそう!!」

「認めるんだ……」

ノアは楽しそうに笑った。

そのとき、少し離れたところから声がした。

「アステル。こっちの準備、確認してくれ」

レオンだった。

黒髪に、青灰色の瞳。

今日も相変わらず、近寄りがたいくらい整った顔をしている。

「はーい! 今行きます!」

俺は元気よく返事をして、レオンのもとへ駆けていった。

その後ろで、ノアが小さく呟いたことには気づかなかった。

「……ほんと、分かりやすいなあ」

「何が?」

アレンが聞き返す。

「いや、こっちの話」

ノアは意味深に笑った。

◆ ◆ ◆

「これが明日の魔法実演の配置図だ」

レオンから紙を受け取り、俺はじっと目を通した。

俺たちの担当は、細い光の線を組み合わせて、空中に星座のような模様を描く魔法実演だ。

派手な爆発や大きな魔法陣はない。

でも、繊細な魔力操作が必要になる。

つまり。

「失敗したら、星座じゃなくて謎のミミズが完成する可能性があるってことだね……」

「どうしてそうなる」

「いや、俺の魔法の実績を考えると……」

「以前より安定している。必要以上に心配するな」

レオンは淡々と言った。

けれど、その言葉には妙な説得力があった。

俺が練習を始めたばかりの頃は、光を出すだけでも苦労していた。

今では細い線を描いて、形を保つこともできるようになった。

もちろん、レオンが何度も付き合ってくれたおかげだ。

「……レオンって、ほんとに教えるの上手だよね」

「そうか?」

「うん! 俺が失敗しても、何が悪かったのかちゃんと説明してくれるし。できたときは褒めてくれるし!」

「事実を言っているだけだ」

「それがありがたいんだって!」

俺が笑うと、レオンは一瞬だけ黙った。

「……お前は」

「ん?」

「褒められると、すぐに笑うな」

「え? そう?」

「ああ」

「だって、嬉しいじゃん!」

俺は何の疑いもなく答えた。

「頑張ったことを認めてもらえるのって、嬉しくない?」

「…………」

レオンは俺を見つめた。

その表情はいつもと変わらない。

けれど、ほんの少しだけ、目元が柔らかくなった気がした。

「……そうだな」

ぽつりと落ちた声。

「お前は、そのままでいいと思う」

「えっ」

俺は思わず顔を上げた。

「今、褒めた!? レオンが俺を褒めた!?」

「普段から褒めているだろう」

「いや、そうなんだけど! 今のはなんか、すごく優しい言い方だったから!」

「気のせいだ」

「えー!?」

レオンは配置図を取り上げ、準備の続きを始めてしまった。

……なんだろう。

たまにレオンって、ものすごく優しい。

クールで無口だけど、ちゃんと俺のことを見てくれている。

うん。やっぱりレオンって、いい友達だな!

「…………アステル」

「なに?」

「いや。何でもない」

レオンは、何か言いかけてやめた。

俺には、その理由がまったく分からなかった。

◆ ◆ ◆

準備が一段落した頃には、窓の外がオレンジ色に染まっていた。

ほとんどの生徒は寮に戻り、学院内も少しずつ静かになっていく。

「今日はここまででいいだろう」

レオンが道具を片付けながら言った。

「そうだね! 明日が本番だもんね!」

「緊張しているのか?」

「そりゃあ、ちょっとは!」

俺は正直に答えた。

「失敗しないか心配だし。でも、みんなで準備してきたから、ちゃんと成功させたいんだ」

「……そうか」

レオンは短く返事をした。

そして、俺が持っていた箱を自然に取り上げた。

「え、持ってくれるの?」

「重そうだからな」

「いや、これくらい大丈夫だよ!」

「分かっている。だが、俺が持つ」

「……レオンって、ほんと面倒見いいよね」

「お前が危なっかしいだけだ」

「ひどくない!?」

俺が抗議すると、レオンは小さく息を吐いた。

けれど、その口元はほんの少しだけ緩んでいた。

二人で廊下を歩いていると、ふと俺は思った。

転生したばかりの頃、俺はこの世界で誰とも深く関わらないつもりだった。

原作の展開を変えず、アレンとカイルの恋を見守る。

それだけで十分だと思っていた。

なのに今は、アレンもカイルもノアも、レオンも。

みんなと過ごす時間が、すっかり当たり前になっている。

「……なんか、不思議だなあ」

「何がだ?」

「最初はさ、俺ってただのモブだと思ってたんだよね」

「今もそう思っているのか?」

「うん! だって、俺がいなくても物語は進むだろうし」

レオンは足を止めた。

「……本当に、そう思うのか」

いつもより低い声だった。

「え?」

「お前がいなくても、何も変わらないと?」

俺は少し考えた。

「うーん……アレンとカイルの物語は、きっと進むと思うよ。でも、俺は今の生活が楽しいから。それで十分!」

そう言って笑った。

「みんなと知り合えてよかったなって思ってる!」

レオンは、しばらく何も言わなかった。

夕暮れの光が、青灰色の瞳に映っている。

やがて彼は、静かに口を開いた。

「……俺は」

「うん?」

「お前がいてよかったと思っている」

…………。

………………。

「…………え?」

今、なんて?

俺がいてよかった?

えっ。

ええっ!?

「ちょ、ちょっと待って! それってどういう意味!?」

思わず詰め寄ると、レオンがわずかに目を見開いた。

「そのままの意味だ」

「えっ、俺、何か役に立ててる!? 魔法実演の戦力として!? それとも雑用係として!?」

「……お前は本当に」

レオンは額に手を当てた。

「いや、そういう意味じゃない」

「えっ!? じゃあ何!?」

「…………」

レオンは俺を見た。

その瞳に、いつもとは違う何かが浮かんでいる気がした。

けれど。

「……もういい。寮まで送る」

「えっ、話終わった!? 気になるんだけど!?」

「終わりだ」

「そんなあ!!」

結局、俺は答えを聞けないまま、レオンと一緒に寮へ向かうことになった。

……なんだったんだろう。

まあ、レオンはちょっと言葉が足りないところがあるからな!

きっと、友達として認めてくれたってことだろう!

うん! そういうことにしておこう!!

一方、その隣を歩くレオンは。

自分の言葉を、何度も頭の中で繰り返していた。

――お前がいてよかった。

それは、間違いなく本心だった。

けれど、それ以上の意味があることを。

今の彼は、まだ認めたくなかった。

◆ ◆ ◆

寮の部屋に戻った俺は、ベッドに倒れ込んだ。

「はあああ……! ついに明日が学園祭……!」

アレンとカイルの魔法実演。

二人の息の合った共同作業。

もしかしたら、原作にはなかった会話だって見られるかもしれない。

いや、待って。

原作にないイベントが発生したら、それはそれで大事件では!?

「と、とにかく! 明日は絶対に見逃せない!!」

俺は勢いよく起き上がり、明日の持ち物を確認した。

準備よし。

制服よし。

魔法実演の道具よし。

そして、推しカプを見守る心の準備もよし!!

「よし! 完璧!」

そのとき、机の上に置いていた小さな連絡用の魔道具が光った。

学院内で使われている、短いメッセージを送るためのものだ。

相手は――レオン。

『明日は早めに集合する。寝坊するなよ』

俺は思わず笑った。

「ふふっ、心配されてる……!」

すぐに返事を送る。

『了解! 絶対に寝坊しません! 明日は頑張ろうね!』

少しして、返信が届いた。

『ああ。また明日、アステル』

たったそれだけの言葉。

なのに、今日の夕暮れの会話を思い出してしまった。

――お前がいてよかったと思っている。

「…………」

……いやいやいや!

深い意味はない!

ないはず!!

だって俺は、恋愛小説の展開なら誰よりも詳しい自信がある。

好きな相手にだけ見せる態度とか、何気ない言葉に隠された気持ちとか。

そういうものは、ちゃんと分かっているつもりだ。

……つもり、なのだ。

「よし! 明日は推しカプに集中するぞ!!」

俺は布団を頭までかぶった。

「おやすみ、俺! おやすみ、学園祭! おやすみ、アレンとカイルの尊い未来!!」

そうして俺は、幸せな妄想に浸りながら眠りについた。

――自分自身の物語が、少しずつ動き始めていることにも気づかずに。

第1巻・完