俺は観測者であって、主人公じゃない。



 目を開けると、見知らぬ天井があった。

 いや、正確には天井というより、天井画だった。

 白い大理石。金色の装飾。窓から差し込む柔らかな朝日。

 そして、やけに高級そうな天蓋付きのベッド。

「…………は?」

 俺、朝比奈湊は、しばらく天井を見つめた。

 昨日の夜、何をしていたかは覚えている。

 大好きなBL小説を読んでいた。

 しかも、最終巻。

 主人公と攻略対象が、長年のすれ違いを乗り越えて、ついに結ばれるという感動のラスト。

 俺はベッドの上で悶え、枕を抱きしめながら叫んでいた。

『よかったなぁぁぁ!! お前ら、幸せになれよぉぉぉ!!』

 そこまでは覚えている。

 そのあと寝落ちしたはずなのに。

「……なんで俺、知らん部屋におるん?」

 慌てて起き上がる。

 ベッドから出て、近くにあった姿見をのぞき込んだ。

 そこに映っていたのは、見知らぬ少年だった。

 柔らかそうな黒茶色の髪。少し大きめの目。見慣れない豪華な寝間着。

「誰!?」

 鏡の中の少年も驚いた顔をした。

「いや、俺か!?」

 頬をつねる。

 痛い。

 夢じゃない。

 俺はベッドに戻り、頭を抱えた。

 落ち着け。

 まずは状況を整理しよう。

 知らない部屋。知らない身体。知らない服。

 そして、窓の外には、空に浮かぶ小さな島と、羽の生えた生き物が飛んでいる。

「…………異世界転生?」

 まさか。

 いや、まさかだろ。

 そんな都合のいいことがあってたまるか。

 そう思いながら、俺は部屋の机に置かれていた一冊の本を手に取った。

 表紙には、見覚えのある紋章。

 金色の月と、交差する二本の杖。

 その下に書かれたタイトルを見て、俺は息を止めた。

『月影の魔法学院』

「…………うそだろ」

 知っている。

 知りすぎている。

 それは、俺が昨日の夜に最終巻を読んでいたBLファンタジー小説のタイトルだった。

 魔法学院を舞台に、身分も性格も違う少年たちが出会い、恋をして、困難を乗り越えていく物語。

 俺はこの作品が大好きだった。

 登場人物も、世界観も、伏線も、台詞回しも。

 何度読み返したかわからない。

 つまり。

「俺……BL小説の世界に転生したってこと!?」

 声が裏返った。

 数秒後。

「っしゃああああああ!!」

 俺は拳を突き上げた。

 だって、考えてもみてほしい。

 あの名シーンを、生で見られるのだ。

 あの二人が、実際に会話して、笑って、すれ違って、最後には結ばれる。

 紙の上の存在だった推したちが、この世界では本当に生きている。

 最高じゃないか。

 いや、最高すぎる。

 ……ただし。

 俺はすぐに、ある重大な問題に気づいた。

「で、俺は誰?」

 物語の知識はある。

 登場人物の名前も覚えている。

 けれど、鏡に映るこの顔には見覚えがない。

 慌てて机の上を探すと、一枚の学生証らしきものが見つかった。

 そこには、こう書かれていた。

ミナト・アステル

 王立魔法学院・一年。

「……モブだ」

 俺は静かに呟いた。

 そうだ。

 思い出した。

 ミナト・アステルという名前は、本編に一度だけ出てくる。

 主人公たちが学院の食堂で昼食を食べていたとき、隣の席で友人と話していた生徒。

 台詞は、たった一言。

『今日のパン、うまくね?』

 それだけ。

「モブ中のモブじゃねえか!!」

 いや、待て。

 これはむしろ好都合では?

 主要キャラクターじゃないということは、原作の展開を邪魔する可能性が低い。

 余計なことをしなければ、推したちの恋路を見守りながら平和に暮らせる。

 俺は深く頷いた。

「よし。決めた」

 この世界での俺の目標は三つ。

 一つ。原作のストーリーを壊さない。

 二つ。推しCPの成立を見届ける。

 三つ。絶対に自分は恋愛しない。

 男同士の恋愛は大好きだ。

 だが、それと自分が恋愛するかどうかは別問題である。

 俺は観測者であって、当事者ではない。

「よーし! 推しの幸せのために頑張るぞー!」

 そのときの俺は、まだ知らなかった。

 この決意が、のちにどれほど無意味なものになるのかを。

     ◇

 王立魔法学院は、想像以上にすごかった。

 巨大な門。空を飛ぶ馬車。魔法で浮かぶ鞄。廊下を歩く小さな火の精霊。

 完全にファンタジーの世界である。

「やば……本当に魔法あるんだ……」

 俺は目を輝かせながら、学院の廊下を歩いていた。

 周囲には、見覚えのある制服を着た生徒たち。

 そして