毒餌として捨てられた妖狐は、鬼神様の初恋でした

 馬車から次に降りてきたのは光一だった。

 絹の羽織を翻し、得意げな顔で地に足をつけたその瞬間、彼はためらいなく影一郎の顔を蹴り上げた。

「⋯⋯っ」

 地面に叩きつけられそうになる身体を、影一郎はかろうじて踏みとどまる。

「お前、邪魔なんだよ。次期当主様がお通りになるんだ。出来損ないは端にどけ」

 光一は鼻で笑う。

 鬼の血を引く者、特有の傲慢さをすでに完成させた声音だった。
 影一郎は顔を上げ、ギロリと睨み返した。



 その一瞬、乾いた音が響いた。
 緑子の平手が、影一郎の頬を容赦なく打つ。

「なんだ、その目は! 人の血が混じった汚れた存在のくせに!」
 白粉の香りがふわりと漂い、冷たい声が突き刺さる。

 黒いベールの下で、影一郎は唇を噛み締めた。
 痛みよりも、慣れきったその言葉の方が胸の奥を鈍く削る。

 光一は地面の雪を手に握ると、影一郎の顔に雪を叩きつけた。
「その髪だと女と間違われて誘われるかもな。雪女らしく男でも誑かして来たらどうだ」

 伸ばしっぱなしになっている影一郎の髪を嘲笑う光一。

 影一郎は家では髪を切ることを許されず、女の使用人と同じ格好をさせられ一緒に働かされていた。
 倒錯した格好をさせる事で彼の自尊心を奪い、影一郎に惚れて味方をする女を減らす目的があった。


 その時だった。

「おや? 鬼の御当主様は、本日はご欠席ですか?」
 柔らかく、どこか戯れるような声が門の内側から聞こえた。


 姿を現したのは、銀糸のような髪を艶やかに結い上げた女性と、彼女の腕を自然に取る背の高い青年だった。
 青年は琥珀色の瞳を細め優雅に微笑む。


 妖狐の一族、次期当主・凛介。
 その隣で寄り添うのは、白磁のような肌に紅を差した美々子だった。

「はい。本日は当主は都合がつかず、代わりに次期当主の光一を連れて参りましたわ」

 緑子が微笑みながら軽く一礼する。



「そちらの女性は?」
 凛介の問いに影一郎の心臓が嫌な音を立てた。
 黒いベールに覆われた顔。



 細く、栄養の足りない身体は女と見紛うほど華奢な立ち姿だ。
 女性と間違えられたことに、影一郎は羞恥で全身が小刻みに震えるのを止められなかった。

 光一が意地悪そうに笑いを堪えているのが、ベール越しに見える。



「こちらは召使いです」