毒餌として捨てられた妖狐は、鬼神様の初恋でした

 同時に直子を身体を縛っていた力がぱちりと音を立てて解けた。

 直子は迷わず駆け出す。

「影一郎様!」

 炎の向こうに立っていた彼に、すがりつくように抱きつくが、影一郎の怒りは未だ収まっていなかった。
 燃え盛るような霊力が、彼の周囲に渦巻く。


「消えろ」

 その一言で炎が凛介に襲いかかる。



「わっ!」
 凛介は咄嗟に岩石へと姿を変え炎をやり過ごした。

「それならば、この屋敷ごと焼き尽くすまでだ」
 影一郎の声は、低く冷たい。

 一瞬で炎が広がる。

 柱を舐め、天井へと昇り、空気そのものを灼いていく。


「それくらいにしておきなさい。鬼の次期当主様」

 凛とした声が炎を切り裂いた、

 現れたのは、雪女の当主である千雪(ちゆき)。
 五百年は生きていると言われる存在。

 透き通るような白磁の肌で、目を合わせれば魂を奪われると言われる氷のように澄んだ青い瞳をしている。

 一瞬、冷気が走ったかと思うと吹雪が巻き起こり、炎を次々と呑み込んでいく。

 室内とは思えぬ光景の中、熱と冷気がせめぎ合い世界が歪む。

 いつしか集まってきた妖たちも、人も、千雪の力と美しさに、言葉を失っていた。

 ――だが。

(えっ?)

 吹雪を、さらに上回る炎が―包み込む。

 影一郎の瞳がいつもとは違う色に染まっていた。

 深紅。理性の奥に眠る鬼の本質。

「影一郎様! どうか怒りをおさめてください。私は大丈夫です!」
 直子は迷わず彼を強く抱きしめた。
 危機的状況の中にもかかわらず、彼女はこれ以上ない愉悦を感じていた。

 妖たちの大戦争が起こってしまうような場面なのに、自分の為に我を忘れて起こってくれる男が愛しくてたまらない。

 その瞬間、嘘のように炎が消え去った。



 一瞬で。まるで最初から存在しなかったかのように。

(今のは何?)

 直子は、息を呑む。

 全てを操るかのような影一郎の力。

 その一端を垣間見た周囲は騒然となっていた。
 薄暗い灯りが漆喰の壁に淡い影を落としている。

 妖の力で季節外れに開かされた桜の花びらが、月明かりに揺れて舞い込む。

 風に揺れ、音もなく舞い込み床に白い痕跡を残していく。



 その美しさとは裏腹に室内の空気は張り詰めていた。

 焦げた匂いが残る室内はところどころ焼け焦げていた。