毒餌として捨てられた妖狐は、鬼神様の初恋でした

 逃げ場のない感情がはっきりと形を成した。

 その名を、直子はもう誤魔化せない。

 五十年以上抱き続けた恋が憎しみへと変質しつつある相手と踊りながら、今まさに失いたくない存在が誰なのかを残酷なまでに思い知らされる皮肉。
「どこを見ている?」

 凛介の低く喉の奥で鳴るような声にはっとして顔を上げると、琥珀色の瞳が笑みを浮かべたまま直子を射抜いていた。

 その光は甘く同時に獣のように鋭い。



「失礼いたしました」
 直子の声は自分でも驚くほど冷えていた。

 凛介の表情が、わずかに歪む。



 やがて音楽が終わる。
 楽団の最後の音が消えると同時に、凛介は直子から手を離さずじっと見つめ続けた。

(まさか、私に妖術を掛けるつもり?)

 直子の背筋を冷たいものが走る。

 直子は咄嗟に視線を逸らした。
 ドレスの内側の隠しポケットに忍ばせていた小型の録音機にそっと指をかけ、音もなくスイッチを入れる。

「こちらに来るんだ。話がある」

「⋯⋯っ」

 凛介の要望を拒もうとしたが、目を逸らしたところで凛介の霊力はあまりにも強かった。
 喉が声を拒み、糸で操られる人形のように直子の身体は凛介に導かれる。

 直子は舞踏会の喧騒を背に静まり返った廊下を抜け、空き部屋へと連れ込まれた。
 扉が閉まった瞬間、背中に衝撃が走った。

 寝台を背にした直子に凛介の体重が覆い被さる。

「そなたは僕が好きなんじゃないのか? 僕を退屈させないでくれ」

 凛介が囁く声は甘く歪んでいた。
「お、やめ⋯⋯ください!」

 自由にならない喉を必死に動かし、直子は抵抗する。

「やめて欲しい? 嘘をつけ。そなたは僕をずっと欲していただろう」

「私は⋯⋯鬼の、花嫁です!」

 直子の言葉に、凛介の目が細くなる。
 その時、扉が音を立てて開いた。

 ほっと息をついたのも束の間、立っていたのは美々子だった。

 愉悦を含んだ笑みを浮かべゆっくりと近づいてくる。



「さあ、お仕置きを始めましょうか。可哀想な私の妹⋯⋯」

 美々子の指が直子のドレスにかかり、直子は必死に扉の方を見つめた。
 だが、妖術による結界で扉は固く閉ざされている。
(影一郎様!)

 直子が絶体絶命のピンチに絶望した瞬間。

 轟音と共に、扉が真紅の炎に焼き払われた。
 熱風が吹き荒れ、結界が砕け散る。