毒餌として捨てられた妖狐は、鬼神様の初恋でした

 楽器の余韻が消えても直子は影一郎の手を離せずにいた。

 それは影一郎も同じだった。



(私たちは、夫婦なのだから、もう一曲踊っても良いわよね)

 直子が思いのままに口を開こうとしたその瞬間。

「鬼の花嫁様。是非、私と踊ってください」

 不意に、甘く響く声が割り込んだ。

 振り向いた先に立っていたのは本日の主役。

 狐神凛介が、完璧な微笑を浮かべ直子へと手を差し出していた。

 本日の主役の立場にある凛介の誘いを、無下に断ることなどできなかった。

「喜んで」

 直子はそう答え、そっと彼の手に自分の指を重ねた。


 指先に触れた瞬間、狐特有の熱が伝わり懐かしさと不快感が同時に胸を掠める。

 楽団が再び弓を構え、旋律が流れ出す。



 凛介は慣れた動きで直子を引き寄せ、まるで昔からそうしてきたかのように自然にステップを刻み始めた。

「直子、いや、直、何か怒ってるか?」

 凛介の囁くような声にかつてなら心を揺らしただろう。

 だが今は薄く笑みを返すことしかできない。

 直子は思わず視線を広間の一角へと向けてしまう。
 そこでは、美々子が影一郎の前に立ち楽しげに手を差し出していた。

「では今度は、私がお相手してもよろしいでしょうか?」
 影一郎は一瞬だけ直子の方を見た後、静かに頷き美々子の手を取る。

 二人は、よく似合っていた。

 気品と余裕を纏い、舞踏の輪の中でも一際目を引く存在。
 影一郎の落ち着いた所作に、美々子の艶やかな身のこなしが重なる。

 直子の胸が、きりりと締め付けられる。
 美々子は直子の双子の姉だ。ありのままの姿で影一郎と踊れる美々子が羨ましい。

 そのお似合いな様に周りが注目している。

(私だって本当はこんな凡庸な見た目じゃないのに⋯⋯もっと、美しい姿に化ければ良かった)



 直子の心が不安で落ち込んでいく。
 妖艶な美々子と踊って、影一郎の心が揺らがないか不安になる。

 凛介のリードに従いながらも、直子の心はまったく別の場所にあった。



 影一郎が、美々子に微かに微笑みかけているように直子には見えた。

 ほんの一瞬、社交辞令にも満たない儀礼的な表情。

(⋯⋯嫌だわ。影一郎様の微笑みを見られるのは私だけじゃなければ嫌)



 直子の胸の奥がずくりと鈍く痛む。