毒餌として捨てられた妖狐は、鬼神様の初恋でした

 妖たちが順に凛介へ祝辞を述べ終えると、広間の空気がふっと緩んだ。
 高天井から垂れ下がる洋風のシャンデリアが一斉に灯され、金色の光が床の寄木細工に反射する。

 楽団が音を合わせ、ヴァイオリンの甘やかな旋律が妖狐の屋敷いっぱいに流れ始めた。

 舞踏の時間だ。

 影一郎が静かに一礼し直子へと手を差し伸べる。
 彼のリードに身を委ね直子はゆっくりと体を動かす。



 絹のドレスが円を描き、足元でささやくように揺れた。

「随分とダンスが上手いな。本当に君は何でもできる」

 耳元で囁かれ、直子は小さく微笑む。
 相変わらず影一郎は直子の褒めどころを見つけては、自信をつけさせるように称えていた。
 その姿を見る度に、直子は彼の前で自分を卑下するのはやめようと思うのだった。



「お褒め頂き、ありがとうございます」
 ステップを踏みながら、直子の視線は自然と広間の向こうへと向かってしまう。

 凛介が美々子と踊るその姿は、相変わらず華やかで人目を引く。
 その光景がふいに過去を呼び覚ました。

 薄暗い蔵の中。

 人目を避けるようにして凛介は直子に会いに来た。


『直子と二人で踊りたい』

 凛介の言葉だけで心臓が割れそうなほど高鳴り、気まぐれな誘いにいつでも応えられるよう、ひとり蔵の中で何度も何度もステップを練習した。

 音楽のない空間で、ただ想像だけを相手に踊る日々。
 甘く、愚かで、惨めな恋だった。



「凛介が、気になるのか?」
 影一郎の低い声が直子を現実へと引き戻す。

「えっ?」

 突然の問いかけに直子は戸惑うしかなかった。
 本日の主役に呪い殺したいくらいの憎しみを抱いているとは言えない。


 影一郎が、わずかに眉を寄せていた。
「何でもない。君の心は、自由だ。俺が縛ろうとは思わない」

 その声音には、冗談めかした響きの奥に確かな感情が滲んでいる。


「影一郎様⋯⋯」

 影一郎の言葉が胸に痛いほど優しかった。
 彼の横顔は、どこか寂しげで強い鬼であるはずの彼がひどく人間らしく見える。


(どうしよう、抱きしめたい)

 直子の胸に初めての衝動が込み上げる。

 今、この場で、人目があろうとなかろうと関係ないと思えるほど胸が締め付けられた。

 やがて、旋律がゆっくりと終わりを告げる。