毒餌として捨てられた妖狐は、鬼神様の初恋でした

 降り立った瞬間、甘く濃密な妖気が肌を撫でた。狐の屋敷特有の白檀と花蜜が混じったような匂いが空気に満ちている。



 そこに立っていたのは、本日の主役。
 狐神凛介の相変わらず人を惑わせる端正な顔立ちをしていた。

 琥珀色の瞳が夜の灯を映している。
 そして、その隣に寄り添う美々子は勝ち誇ったような微笑を浮かべていた。



「凛介様、お誕生日、おめでとうございます」

 影一郎の落ち着いた祝辞に凛介は肩をすくめ、ふっと薄く笑った。

「もう百三回目の誕生日ですよ。あと九百回以上は、同じことを繰り返す。正直、退屈で仕方がない」



 軽薄とも取れるその口調に直子は嫌悪感を感じた。
 あれ程、恋焦がれた男なのに"時を雑に生きる男”のどこに魅力を感じていたのかとさえ思う。



 美々子が扇で口元を隠し愉快そうにくすくすと笑う。

「そんなこと、あと三十年ほどの命しか持たない直子さんの前で仰るなんて。少し可哀想じゃない?」
 その言葉は、無邪気を装った刃だった。



「お言葉を返すようですが、凛介様、美々子様。そのような口の利き方は改められた方がよろしいのではありませんか?」
 直子の凛とした静かな声がその場の空気を切り裂いた。

「!?」

 二人の表情が、はっきりと凍りつく。



「お二人は確かに長く生きておられます。しかし、こちらにいらっしゃる影一郎様は鬼の次期当主であります。然るべき敬意を払い敬語をお使いくださいませ」
 直子は影一郎の腕から一歩前へ出て、背筋を伸ばした。
 凛介と美々子は言葉を失い、互いの顔を見合わせる。


 彼女が自分たちに、ここまで明確に反抗したことなど一度もなかったのだ。

 まるで長く生きているだけで、魂は少しも成長していないと断じられているかのような物言いは鋭く突き刺さった。