「まぁ鬼の次期当主、影一郎様ですよね? お隣は奥様?」
全てを知っているくせに、わざとらしく首を傾げる。
揶揄うような笑みに直子の顔から血の気が引いた。
「は、はい⋯⋯妻の直子と申します」
直子の声は、わずかに震えていた。
凛介は影一郎に視線を向け、ニヤリと笑う。
「鬼の一族は、花嫁を随分と大切にしているようだね」
「当然のことです」
短く答えた影一郎の声は硬い。
思いやるような言葉なのに直子の胸はなぜか痛んだ。
「でも可哀想。鬼の花嫁なんて怖くないのかしら?」
美々子が、品のある仕草で直子を見下ろす。
その視線が直子の肩に落ちる。
直子は何も言えず、ただ無意識に左の二の腕を押さえた。
その仕草を見て影一郎の胸の奥が煮え立つ。
「彼女は俺が選んだ花嫁だ。誰よりも幸せにする」
影一郎の低く、はっきりと発せられたその言葉に直子の胸は強く打たれた。
(短い時でも影一郎様は私に真摯に向き合ってくれてる!)
直子は潤んだ瞳で影一郎を見上げる。
それを見た瞬間、凛介はわずかに目を見開き唇を噛んだ。
「果たして好きでもない男といて、花嫁が幸せになれるかな」
わざと聞こえるように言い捨てるその声には、明確な悪意があった。
凛介の気配の変化を感じ取り、美々子は彼の耳元に唇を寄せる。
舌でなぞるように小さく囁いた。
「直のことが、気になりますか? 私がいるのに」
「まさか、直は餌だぞ」
凛介は目を細める。
「そうですね」
美々子はくすりと笑い、舌なめずりをする。
「アレが調子に乗って街でデートしているなんて私も腹が立ちます。あんな良い男と三十年でも一緒にいられるなんて⋯⋯」
美々子は影一郎はを上から下まで舐め回すように見つめる。
その瞳も、身体も味わってみたい。
(ああ、本当に美味しそうな男⋯⋯)
女狐らしい浅ましい欲を隠そうともせぬ美々子を横目に、凛介の意識は再び直子へと向かった。
(直⋯⋯)
心の奥で確信に似た執着が渦巻く。
(そなたが長年恋焦がれたのは、私だったはずだ)
直子は凛介と美々子の仲睦まじい姿を見て、未だ心が痛む自分に落ち込んでいた。
「鬼の花嫁として私は幸せです。夫は私を慈悲深く大切にしてくれています」
直子は震える唇でなんとか言葉を紡いだ。
それだけ言うのが、精一杯だった。
別れ際、美々子が影一郎の耳元に不自然なほどに唇を寄せ、聞こえる声で囁いた。
「鬼にしては優しいのね。でも、餌に情をかけると痛い目を見るわよ。もっとご自分に正直になって魅力的な女に手を伸ばしてみたらいかが?」
体を少しくねらせて見せ、再び凛介の元に戻る。
そんな美々子を見て呆れながら影一郎は直子の手を取った。直子の手は可哀想なくらい冷たく、震えていた。
――初めて誘ったデートは選んだ場所が悪かった。
妖狐の二人に傷つけられた直子の手をぎゅっと影一郎は握った。
「直子、簪でも買おうか?」
直子は首を横に振る。
「着飾っても私は妖狐の方のような美しさはありません。だったら着飾るだけ滑稽です」
涙で潤んだ彼女の表情を見て影一郎は固まる。
直子は十分に可愛らしいーー人が抱く「日本人形」という幻想を裏切らぬ姿の女に化けていた。
