あの夜以来、俺はホテルへ遊びに行かなくなった。
シフトの日だけ働いて、勤務時間が終われば、まっすぐ家に帰った。
海斗とは業務の話だけした。
「三〇二号室に、タオル二セット追加して」
「分かった」
「この予約の方、足が不自由な方だから、サポートしてあげて」
「了解」
最初の頃に戻ったみたいだった。
ただ、最初よりもずっと苦しかった。
海斗は何度か俺に話しかけてくれようとしていた。
「望、今日、大学はどうだった?」
「いつも通り」
「課題とか忙しい?」
「それなりに」
「この前のさ」
「チェックイン来てるよ」
俺はとにかく海斗から逃げた。
これ以上優しくされたら、俺は期待をしてしまう。
そして期待して、また線を引かれると思うと、怖かった。
支配人の佐伯さんには、「最近元気ないね」と声をかけられた。
俺は笑って、「三年生なんで授業とか課題がきついんすよ」と誤魔化した。
嘘ではない。ただ、理由の大半は大学ではなかっただけ。
もう、本当にバイトを辞めようかと思った。
海斗がいるから、海斗に会いたいから続けていた。
でも、その海斗に会うことが苦しいなら、それはもう続けない方がいいのではと心のどこで感じていた。
十二月に入り、大学のレポートや研究室の用事などを言い訳にして、俺はシフトを減らした。
海斗とは、二週間近く会わなかった。
メッセージも来なかった。
こんな事は、会ってから一度もなかった。
心は常に、海斗のことを考えていたけど、多分これでいい。
会わなければ、次第に海斗のことを好きな気持はなくなると思う。
そう思っていたころ、佐伯さんから電話が来た。
「柏木くん、お疲れ様。悪いんだけど、今から入れない?」
どうやら、ホテルの予約システムの不具合で、一部の予約が上手くシステムに反映がされていないままだったらしい。満室なのに、部屋が足りない。いわゆる、オーバーブッキングというやつだ。
「朝倉君を含めて最低人数で今日は回す予定だったんだけど、まだ彼、対応に慣れてなくて少し不安なんだ」
(海斗がいるのか)
一瞬、断ろうかと思った。
でも、ホテルの状況が大変であることは分かるし、三年間近くも働いてきた場所を、個人的な感情だけで放っておくことができなかった。
「分かりました。今から行きます」
ホテルに着いた時、ロビーには数組の客が不満そうな態度で待っていた。
海斗がカウンターでひたすら謝罪を続けていた。
そんな海斗が俺の存在に気が付くと、あのいつもの綺麗な目が見開いた。
「望」
「状況教えて」
私情を挟んでいてる暇はない。
予約一覧と、部屋状況を確認すると、部屋がまだ三室足りていない状況だった。
俺は、系列ホテルの空室状況を調べて、佐伯さんに電話した。近隣の系列ホテル二か所に、一室ずつ空きがあった。
残り一室は、別会社のホテルになるが探すしかない。
「俺、システムの操作と電話するから、海斗は、そのまま客対応頼む」
「分かった」
「移動してもらう客には、タクシー代と宿泊料金の差額をホテル側で負担。とりあえず、二室分は系列ホテルに確認済」
「うん」
俺が、空室を探し、海斗が一組ずつ事情を説明した。
当然、とても怒る客もいた。
「予約したのに、泊まれないってどういうことだ」
男性客が、カウンターを叩いた。
俺なら、少し身構えてしまう、なんなら少し涙目になってしまうようn場面だった。
けれど、海斗は逃げずにまっすぐと頭を下げた。
「おっしゃる通りです。こちらの不手際で、ご不快な思いと、またご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません」
低く、とても落ち着いた声だった。
「すぐ近くのホテルに、同等以上のお部屋をご用意しております。ご移動のお時間を頂戴することになってしまいますが、私がタクシーまでご案内させていただきます。もちろん、タクシー代とホテルの差額などは私共で負担させていただきます」
ただ、台詞を読んでいるのではない。相手の目をみて、その人に向けてまっすぐと言葉を届けていた。
俳優を目指しているからなのか、元来の人柄なのかは分からない。
怒っていた客も、海斗の誠意に魅せられたのか、やがて息を吐いた。
「もういいよ。あんたが悪いわけではないだろ」
「ご理解いただきありがとうございます。ただ、ホテルの一員として、最後まで対応させてください」
海斗を見ながら、俺は思った。
この人の目と言葉は、ちゃんと誰かの心を動かす。
高校の分開催だけではない。
今だって、そうだった。
最後の客を別のホテルへ案内し終えたのは、時計の針がてっぺんを向いた時だった。
ロビーが静かになり、俺らはフロントの裏にある事務所に移動し、椅子へ座り込んだ。
「やっと、終わった…」
「お疲れ様」
海斗が水を差し出した。
「ありがとう」
素直に受け取る。だが、気まずい沈黙が落ちた。
「助かった」
海斗が言った。
「望が来てくれなかったら、多分対応をしきれなかった」
「海斗も、客対応凄かったよ。お疲れ様」
「正直言うと、少し怖かった」
「全然そんな風には見えなかったけどね」
「手、震えてた」
海斗の手に視線を落とすと、確かにわずかに震えていた。
俺は思わず、海斗の右手を両手で包んだ。
「本当にお疲れ様」
触れてから、しまったと思った。
すぐその手を離そうとした。
けれど、海斗の手が俺の指を掴んだ。
「望」
「何」
「最近、俺のこと避けてるよね」
「避けてないけど」
「避けてる」
「自意識過剰じゃね?俺最近、課題とかで忙しくてさー」
いつもの軽いノリで返したつもりだった。
でも、海斗は笑わなかった。
「あの日のこと、謝りたい」
「謝らないでって言ったじゃん」
「じゃあ、話がしたい」
「別に、俺は話すことないけど」
「俺にはある」
手をつかれたまま、逃げることができなかった。
「望が言ったこと、ずっと考えてた」
「忘れてよ」
「忘れられない」
心臓が大きく跳ね上げた。
でも期待してはいけないと、なんとか心を落ち着かせようとした。
「優しくされると、甘えるって話?」
「違う」
海斗が何かを言いかけたとき、外線が鳴った。
現実へ引き戻されるような音だった。
海斗は俺の手を離し、電話を取った。
系列ホテルからの確認の電話だった。
話は、そのまま途切れた。
シフトの日だけ働いて、勤務時間が終われば、まっすぐ家に帰った。
海斗とは業務の話だけした。
「三〇二号室に、タオル二セット追加して」
「分かった」
「この予約の方、足が不自由な方だから、サポートしてあげて」
「了解」
最初の頃に戻ったみたいだった。
ただ、最初よりもずっと苦しかった。
海斗は何度か俺に話しかけてくれようとしていた。
「望、今日、大学はどうだった?」
「いつも通り」
「課題とか忙しい?」
「それなりに」
「この前のさ」
「チェックイン来てるよ」
俺はとにかく海斗から逃げた。
これ以上優しくされたら、俺は期待をしてしまう。
そして期待して、また線を引かれると思うと、怖かった。
支配人の佐伯さんには、「最近元気ないね」と声をかけられた。
俺は笑って、「三年生なんで授業とか課題がきついんすよ」と誤魔化した。
嘘ではない。ただ、理由の大半は大学ではなかっただけ。
もう、本当にバイトを辞めようかと思った。
海斗がいるから、海斗に会いたいから続けていた。
でも、その海斗に会うことが苦しいなら、それはもう続けない方がいいのではと心のどこで感じていた。
十二月に入り、大学のレポートや研究室の用事などを言い訳にして、俺はシフトを減らした。
海斗とは、二週間近く会わなかった。
メッセージも来なかった。
こんな事は、会ってから一度もなかった。
心は常に、海斗のことを考えていたけど、多分これでいい。
会わなければ、次第に海斗のことを好きな気持はなくなると思う。
そう思っていたころ、佐伯さんから電話が来た。
「柏木くん、お疲れ様。悪いんだけど、今から入れない?」
どうやら、ホテルの予約システムの不具合で、一部の予約が上手くシステムに反映がされていないままだったらしい。満室なのに、部屋が足りない。いわゆる、オーバーブッキングというやつだ。
「朝倉君を含めて最低人数で今日は回す予定だったんだけど、まだ彼、対応に慣れてなくて少し不安なんだ」
(海斗がいるのか)
一瞬、断ろうかと思った。
でも、ホテルの状況が大変であることは分かるし、三年間近くも働いてきた場所を、個人的な感情だけで放っておくことができなかった。
「分かりました。今から行きます」
ホテルに着いた時、ロビーには数組の客が不満そうな態度で待っていた。
海斗がカウンターでひたすら謝罪を続けていた。
そんな海斗が俺の存在に気が付くと、あのいつもの綺麗な目が見開いた。
「望」
「状況教えて」
私情を挟んでいてる暇はない。
予約一覧と、部屋状況を確認すると、部屋がまだ三室足りていない状況だった。
俺は、系列ホテルの空室状況を調べて、佐伯さんに電話した。近隣の系列ホテル二か所に、一室ずつ空きがあった。
残り一室は、別会社のホテルになるが探すしかない。
「俺、システムの操作と電話するから、海斗は、そのまま客対応頼む」
「分かった」
「移動してもらう客には、タクシー代と宿泊料金の差額をホテル側で負担。とりあえず、二室分は系列ホテルに確認済」
「うん」
俺が、空室を探し、海斗が一組ずつ事情を説明した。
当然、とても怒る客もいた。
「予約したのに、泊まれないってどういうことだ」
男性客が、カウンターを叩いた。
俺なら、少し身構えてしまう、なんなら少し涙目になってしまうようn場面だった。
けれど、海斗は逃げずにまっすぐと頭を下げた。
「おっしゃる通りです。こちらの不手際で、ご不快な思いと、またご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません」
低く、とても落ち着いた声だった。
「すぐ近くのホテルに、同等以上のお部屋をご用意しております。ご移動のお時間を頂戴することになってしまいますが、私がタクシーまでご案内させていただきます。もちろん、タクシー代とホテルの差額などは私共で負担させていただきます」
ただ、台詞を読んでいるのではない。相手の目をみて、その人に向けてまっすぐと言葉を届けていた。
俳優を目指しているからなのか、元来の人柄なのかは分からない。
怒っていた客も、海斗の誠意に魅せられたのか、やがて息を吐いた。
「もういいよ。あんたが悪いわけではないだろ」
「ご理解いただきありがとうございます。ただ、ホテルの一員として、最後まで対応させてください」
海斗を見ながら、俺は思った。
この人の目と言葉は、ちゃんと誰かの心を動かす。
高校の分開催だけではない。
今だって、そうだった。
最後の客を別のホテルへ案内し終えたのは、時計の針がてっぺんを向いた時だった。
ロビーが静かになり、俺らはフロントの裏にある事務所に移動し、椅子へ座り込んだ。
「やっと、終わった…」
「お疲れ様」
海斗が水を差し出した。
「ありがとう」
素直に受け取る。だが、気まずい沈黙が落ちた。
「助かった」
海斗が言った。
「望が来てくれなかったら、多分対応をしきれなかった」
「海斗も、客対応凄かったよ。お疲れ様」
「正直言うと、少し怖かった」
「全然そんな風には見えなかったけどね」
「手、震えてた」
海斗の手に視線を落とすと、確かにわずかに震えていた。
俺は思わず、海斗の右手を両手で包んだ。
「本当にお疲れ様」
触れてから、しまったと思った。
すぐその手を離そうとした。
けれど、海斗の手が俺の指を掴んだ。
「望」
「何」
「最近、俺のこと避けてるよね」
「避けてないけど」
「避けてる」
「自意識過剰じゃね?俺最近、課題とかで忙しくてさー」
いつもの軽いノリで返したつもりだった。
でも、海斗は笑わなかった。
「あの日のこと、謝りたい」
「謝らないでって言ったじゃん」
「じゃあ、話がしたい」
「別に、俺は話すことないけど」
「俺にはある」
手をつかれたまま、逃げることができなかった。
「望が言ったこと、ずっと考えてた」
「忘れてよ」
「忘れられない」
心臓が大きく跳ね上げた。
でも期待してはいけないと、なんとか心を落ち着かせようとした。
「優しくされると、甘えるって話?」
「違う」
海斗が何かを言いかけたとき、外線が鳴った。
現実へ引き戻されるような音だった。
海斗は俺の手を離し、電話を取った。
系列ホテルからの確認の電話だった。
話は、そのまま途切れた。
