俳優の卵と理系大学生

 院試当日。

 普通にめちゃくちゃ緊張した。試験でそこまで緊張する方ではない。でも今回ばかりは。答案用紙を前にして手が少し震えた。

 海斗を思い出した。オーディションであいつは毎回こんな気持ちなのか。そう考えたら海斗のことが少しだけわかった気がした。

 俺は今までなんとなくで、大学まで来た。でも今回は自分で大学院に行きたいと決断して勉強をして試験に臨んでいる。

 だから今回は緊張しているんだと思う。方向性は違うけど、海斗と同じように、自分がやりたいことに向かって努力して挑戦していると思うと、少しだけ緊張がほぐれた気がした。

 試験が終了し、その足で研究室へ向かった。今は何も考えたくはなかった。

 研究室には今日も工藤さんがいた。

「おう柏木お疲れ。院試どうだった?」
「聞かないでください」
「駄目だった?」
「分かんないっす」
「じゃあ大丈夫そうだな」
「なんの根拠っすか?」
「柏木、本当に駄目な時もっと死んだ顔するから」
「何すかそれ」
「今日は普通に疲れてるだけ」
「褒められてるんすか俺?」
「褒めてる」

 数日後。合格発表の日。

 大学のサイトを開く。受験番号を上から一つずつ探す。

 スクロール。
 スクロール。

(あった…)

「…」

 一度画面を閉じる。そして深呼吸をしてもう一度開く。やっぱりあった。

「え、まじで受かってる」

 誰もいない研究室でつい声が出てしまっていた。

 すぐにスマホで海斗にメッセージを。

 いや、電話をしよう。

 数コール。

『もしもし』
「海斗今大丈夫?」
『大丈夫だけど、どうしたの?』
「受かった!」

 一瞬。無音。

『…本当に?』
「うん!」
『院試?』
「それ以外に何があんだよ!」

 電話の向こうで海斗が嬉しそうに笑っているのが分かる。

『おめでとう』

 その声を聴いた瞬間。涙が溢れそうになった。

『頑張ったね望。お疲れ様』
「…うんありがとう」
『望?』
「なに?」
『もしかして泣いてる?』
「泣いてないし」
『声震えてるけど』
「うるさい」

 海斗が笑う。

『今日会える?』
「うん」
『じゃあ祝おう』
「奢って」
『いいよ』
「即答じゃん」
『今日はね』

 どこかで聞いたような会話だった。

 俺の院試で忙しい日々を送っていた頃。

『陽だまりの地図』配信がついに開始していた。

 大ヒットとまではいかなかった。でもSNSや一部の界隈ではかなり話題になった。

 NocTurneの北村利也目当てで見始めた人が多かった。

 そこから。

『利也君の親友役の俳優って誰?』
『朝倉海斗って人初めて見た』
『伊東港斗役の人かっこいい』
『演技上手い』

 そんな投稿が少しずつ増える。

 俺はそういう海斗への投稿を見つけるたびにスクショして海斗へ送る。

 そして海斗から『怖い』と言われる。

 海斗の公式SNSのフォロワーもドラマが進むごとにどんどん増えていった。

 ホテルにも海斗を覚えている客がいたらしい。

「前ここにいた人じゃない?」

 佐伯さんは相変わらず「俺が採用した」と自慢し、俺は俺で「俺が育てた」と自慢するけど結局どっちも海斗から否定される。

 そして利也からも時々だけど海斗経由で俺の話を聞かれるようになった。

【利也が院試どうだったって】
【受かったって伝えておいて】
【自分で言えば?】
【連絡先知らないし】

 数分後。知らないアカウントからSNSのDMが届く。

【院試合格おめでとー!利也だよー】

「…」

 俺は海斗にすぐ電話した。

「なんで俺のアカウント教えたの!?てか、一般人が芸能人のプライベートのアカウントとか知ってたじゃ駄目でしょ」
『俺は教えてない。本人が探した』
「怖!」
『それと望は、友達だし変なことするようなやつじゃないからアカウント交換しても良いんだって』
「なにそれ」

 後から。

【ありがと!次会う時焼肉奢って】

 と利也へ返しておいた。

【なんで俺が!?海斗に奢らせよう】
【それあり。二人でお兄さんに甘えよう】

 そんなやり取り。少しだけ友達になった。
 今でも公式SNSで海斗と距離が近い写真を見る。

 たまに。
(近くない?)
 と思う。

 完全に嫉妬しなくなったわけではない。でも我慢はしない。

【今日の写真、距離近い】

 海斗へ素直な気持ちを送る。

【仕事です】
【本当ですか?】
【七割くらい】
【三割仕事じゃないじゃん】
【友達だから】
【嫉妬した】
【正直に言えて偉い】
【うるさい】

 それくらいで終わる。以前と比べてずっと楽。

 海斗も少しずつだけどオーディションに通るようになっていた。大きな役ではない。名前のない役もあったりする。台詞が一言だけみたいなそんな役の時もある。でも前みたいに書類審査だけで落とされることは少なくなった。

 ある日。三軒茶屋で俺と海斗は並んで歩いていた。またここ。俺たちは流石に三軒茶屋に来すぎだと思う。

「次の仕事決まった」

 海斗が言う。

「え?急じゃん」
「二時間ドラマ」
「役は?」
「刑事の後輩」
「台詞は?」
「少し」
「すごいじゃん!」

 俺は海斗の腕を軽く叩く。

「また夢へ前進じゃん」
「少しだけね」
「てか、ずっと思ってたんだけどさ、海斗は今さ俳優の卵じゃなくない?もう立派な俳優だよ」
「まだでしょ」
「じゃあ何?」
「何だろ」
「若手俳優とか?」
「自分でそれ言うの恥ずかしいかも」
「でもさ、もう本当に俳優だよ」

 海斗が少し黙る。

「そうかな」
「そうでしょ」

 俺は歩きながら言う。

「俺もさ」
「うん」
「来年から理系大学院生じゃん」
「そうだね」
「海斗も若手俳優」
「うん」
「俺らさクラスアップしたね」
「ゲームみたいに言うなよ」
「第一形態の『俳優の卵と理系大学生』から第二形態へクラスアップ」
「俺たち何になるの?」
「若手俳優と理系大学院生」
「そのままじゃん」
「分かりやすくていいでしょ」

 海斗が笑う。俺もそれにつられるように笑う。

 初めて会った時、俺はホテルを辞めようとしていた。海斗は、俳優を諦めようとしていた。

 二人とも今いる場所から少し逃げたかった。

 それなのに、あの日。同じホテルで出会った。

 俺は海斗がいたから、ホテルのバイトを続けた。
 海斗は俺がいたから俳優を続けられたと。そう言ってくれた。

 それから二人とも少しずつ。自分で道を選ぶようにもなった。

 俺は研究を続ける。
 海斗は俳優を続ける。

 多分これからもっとお互い忙しくなる。

 俺は大学院。
 海斗の仕事も増える。

 会えない日も今より増えるかもしれない。
 新しい人知らない世界。

 もしかしたらまた嫉妬するかもしれない。
 また喧嘩もすると思う。

 海斗の世界には、俺には分からないことが増える。
 もちろん俺の世界にも海斗には分からないものが増えていくだろう。

 でも。分からないものがあることと心が離れることは同じじゃない。

 俺たちはそれを一度間違えてしまった。

 でもだからこそ今は知っている。

 好き。その言葉だけでは足りないことを。

 会いたい。
 寂しい。
 不安。
 嫉妬した。
 嬉しい。
 怖い。
 頑張って。
 好き。

 全部全部、思ったこと感じたことは言葉にしなければ相手には届かない。

「望」
「何?」

 海斗が俺を見る。

「今日、うち来る?」
「何それ。俺誘われてる?」
「嫌なら駅まで送る」

 聞いたことのある台詞に俺は笑った。

「嫌じゃない」
「後悔しない?」
「まだ聞くの、それ」
「大事なことだから」

 俺から海斗の手を取る。そして指を絡める。

 最初の三軒茶屋。あの日の夜は手首をつかまれただけだった。

 今は当たり前に手をつなぐ。

「後悔しないよ」

 俺は断言した。

「だって俺たち、恋人じゃん」

 海斗が笑った。

「そうだった」
「忘れんなよ」
「忘れてない」

 少し歩く。俺は海斗の腕へ少し寄る。

「ねえ」
「何?」
「若手俳優になってさ」
「うん」
「もっと有名になっても」
「うん」
「俺のこと忘れないでよ」

 海斗が足を止めて俺を見る。

「それ、また勝手に不安になってる?」
「今はちゃんと言ってんじゃん」

 海斗が少し笑う。

「そうだね」

 つないだ手を少し強く握られる。

「忘れないよ」
「本当に?」
「うん」
「約束できる?」

 あの日俺が聞いたことと似ていた。

 海斗は少し考える。

「全部は約束できない」

 答えもあの日と同じだった。でも続く。

「これからも」

 海斗の目が俺を見る。

「望を好きでいたいとは思ってる」

 未来なんてそんなことは誰にも分からない。でも今の気持ちを。ちゃんと未来へ向けて言ってくれる。それでいい。それだけでいい。

「俺も」

 俺たちは、結局まだ何者かになったわけではない。

 俺は大学院へ進むことが決まっただけ。
 海斗も少しずつ仕事が増え始めただけ。

 未来なんて相変わらず分からない。

 でも。

 俳優の卵と理系大学生だった俺たちは。少しずつ次の名前へ変わろうとしている。

 俺は理系大学院生へ。
 海斗は若手俳優へ。

 そしてどれだけ肩書きが変わっても隣にいる人の名前だけはきっと変わらない。

「海斗」
「何?」
「好き」

 海斗は一瞬俺を見て少し笑った。

「俺も好き」

 今度はどちらも冗談にはしなかった。

Fin