俳優の卵と理系大学生

 海斗と久しぶりに会って本音で語り合った次の日。

 俺は、海斗の家へ行った。何度も来た家。玄関の暗証番号だって知っている。俺の歯ブラシだって、服だって置いてある。

 それなのに。今日は。玄関へ入るだけで緊張した。

「入って」
「うん」

 ソファにいつもなら海斗の隣に座って二人でくっつく。でも今日は、ソファには座らず机を挟んで向かいあって椅子に座る。

 海斗が紅茶を持ってくる。

「ありがとう」
「うん」

 俺の好きなストレートのアールグレイティだった。

 静かだ。昨日より、お互い落ち着いている。

 その分。言わなければいけないことを、今日こそは誤魔化せない気がした。

「昨日、ごめん」

 俺が先に言った。

「俺もごめん」
「いや海斗は」
「俺だって悪いところあった」

 すぐに遮られた。海斗が、少し考えてから話しだした。

「昨日、家ついてから色々と考えた」
「うん」
「望が忙しいのも分かってたから、俺から連絡しすぎない方がいいのかなって思ってた」
「…うん」
「撮影で返事できないことも多かったし」
「うん」
「院試とか研究とか色々と。今大学四年生のこの時期は大変で大事な時期だって聞いてたから」
「うん」
「だから望の邪魔したくなかった」

 俺は、海斗を見る。
「…俺と同じじゃん」
「そう」

 海斗が苦笑する。

「俺も望もお互いに気を遣って、相手の邪魔になりたくないって勝手に距離取ってた。そしてお互いにそれで傷ついてたのかなって」
「俺ら馬鹿じゃん」
「馬鹿だね」

 今日初めて少しだけ笑った。

「でも」

 海斗が続ける。

「俺は…それで望が平気だって勝手に思った」
「正直俺も平気なふりしてた」
「なんで?」
「嫉妬してるとか、寂しいって言うのダサいかなって」
「俺も工藤さんに嫉妬したけど」
「あれは可愛い嫉妬だったからセーフでしょ」
「何が違うんだよ」
「俺はガチ嫉妬だった」
「俺も割とガチだったよ」
「え?」

 思わず顔を上げる。目が合った。すぐに海斗が、少し目を逸らす。

「望が工藤さんの話をする時、楽しそうだったし」
「…」
「研究については俺全く分からないし」
「うん」
「卒論も院試も、俺は何も教えられない」
「そんなこと」
「だから」

 海斗が俺を見る。

「昨日、望が言ってたこと。少し分かる」
「…」
「自分が知らない望を知ってる人がいるの、ちょっと嫌だった」
「海斗もだったんだ」
「うん」
「じゃあそう言ってよ」
「かっこ悪いから」
「俺と同じじゃん!」
「そうだね」

 二人で。また少しだけ笑う。

 同じだった。俺たち思っていた以上に。

「利也は」

 海斗が改めて言う。

「本当にただの友達」
「うん」
「俳優仲間」
「うん」
「それ以上でも、それ以下でもない」
「分かってる」

 今度は、ちゃんと言えた。

「一緒にいて楽しい?」

 俺が聞いた。海斗は、少しだけ迷ってるみたいだった。でも。

「楽しいよ」

 正直に答えてくれた。
 胸が少し痛む。でも、聞く。もう逃げない。

「仕事の話もできるし。くだらない話もする」
「うん」
「同年代だし。あいつ距離近いから」
「知ってる」
「でも」
「うん」

 海斗が少し言いづらそうにする。

「利也といる楽しさと」

 俺をまっすぐと見る。

「望といる時は。違う」
「どう違うの」
「それ説明するの?」
「して」
「…」

 珍しく海斗が困ったような表情をした。

「利也は」

 少し考える。

「友達」
「それは聞いた」
「望は」
「うん」
「…帰りたい場所みたいな」
「…」

 俺が固まる。海斗が、すぐに俺から顔を逸らした。

「だから言いたくなかったのに」
「待って」
「何」
「今のもう一回」
「嫌だ」
「何でよ!」
「恥ずかしいから」
「自分から言ったんじゃん」
「望が説明しろって言った」
「言ったけど!」

 胸が、ものすごく熱い。鼓動が速くなる。

「ずるい」
「何が」
「海斗のくせに」
「どういう意味?」
「いつもはクールぶってるくせに急にそれ言うの反則」
「別にクールぶってない」

 海斗の耳が赤い。俺はそれが少し嬉しくなった。

「仕事が終わったあと」

 海斗は、今度は逃げずに続ける。

「会いたいのは望だよ」
「…」
「撮影がオフになった日。一番最初に連絡したのも望」
「うん」
「休みだから望に会いたかったんじゃない」

 海斗が言う。

「本当は望に会いたかったけど。連絡ができなかった。でもやっと休みになったから連絡できた」
「…」

 俺が勝手に、海斗のことを決めつけて順番を逆にした。

「撮影中も会いたかった」
「…言えよ」
「言ったら勉強邪魔かなと思って」
「馬鹿じゃん」
「だからお互い様」

 海斗が少し笑う。俺も笑った。

 でも。まだ一つだけ。胸の奥に残っている。

「海斗」
「何」
「俺さ」
「うん」
「海斗の彼氏だって、人に言えないの」
「…うん」
「やっぱり寂しい」

 昨日より。ずっと静かな声で。でもちゃんと言えた。

「分かってる。仕事だから」
「うん」
「今すぐ公表してとかじゃない」
「うん」
「そんなの海斗の仕事に関わるし。俺も別に世間に知られたいわけじゃない」
「うん」
「でも」

 海斗を見る。

「寂しいのは。寂しい」

 海斗は笑わなかった。

「ごめん」
「何で謝るの」
「そこは」

 少し考える。

「俺にも完全にはどうにもできないから」
「うん」
「公表できないこともあるし」
「分かってる」
「でも」

 海斗が俺の方へ少し体を向ける。

「隠したいわけじゃない」
「…」
「望と付き合ってることを」
「うん」
「恥ずかしいとか。邪魔とか。そんなこと一回も思ったことない」

 胸がまた痛くなる。嬉しくて。

「少なくとも」

 海斗は続ける。

「俺の近い人には。言える人には言ってもいいと思ってる」
「…」
「望が嫌じゃなければ」
「俺は」

 少し考える。

「嫌じゃない」
「うん」
「むしろちょっと嬉しいし」

 正直に言った。海斗が少し笑った。

「じゃあ」
「何?」
「今度ちゃんと紹介する」
「誰に?」
「利也」
「は?」

 思わず大きな声が出てしまった。海斗が笑う。

「何その反応」
「いやいやいや」
「一回話してるだろ」
「それは画面越しとエキストラでちょっとだけ!」
「じゃあ大丈夫だね」
「全然だいじょばない!」
「何が」
「俺、北村利也に海斗の恋人として会うの?」
「そうなるね」
「無理かも」
「何で」
「恥ずかしい」
「嫉妬してたから?」
「それもある!」

 海斗が声を出して笑った。

「笑うなよ!」
「ごめん」
「絶対あいつ気づいてる気するし」
「何に」
「俺が海斗好きなの」
「それは」

 一瞬海斗が止まる。

「多分気づいてる」
「は?」
「望のこと話したことあるから」
「…なんて?」
「研究頑張ってるとか」
「それだけ?」
「ホテルで一緒だったとか」
「それだけ?」
「…」
「海斗?」
「利也に望の話よくするって言われた」

 俺は顔を覆った。多分耳は真っ赤になってると思う。

「マジで?」
「うん」
「俺、海斗の世界にいないとか言ってたのめっちゃ恥ずかしいじゃん」
「画面にはいないけど」

 海斗が言う。

「俺の中にはずっと普通にいるよ。当たり前すぎるくらいに」
「…」

 また言葉が出なくなる。本当にこの男はずるい。

「何」
「海斗今日どうしたの」
「昨日、言わないと伝わらないって再確認したから」
「成長しすぎだろ」
「誰かさんのおかげ」

 今度は俺が。泣きそうになった。誤魔化すために鼻をこする。

「泣いてる?」
「別に泣いてない」
「目赤いけど」
「ただの寝不足」
「昨日早く寝ろって言った」
「うるさい」

 海斗が向かいから立ち上がった。そして、ソファに座った。

「望もこっち来て」
「…うん」

 俺は海斗の隣へ座る。でも少しだけ間がある。すぐには、海斗は触れてこない。

「望」
「何」
「昨日」

 海斗の声が少し低くなる。

「本当に怖かった」

 俺は海斗を見る。

「望が」
「うん」
「俺から離れようと、いなくなろうとしてる気がして」
「…」
「バイトまで入れて避けて」
「ごめん」
「現場に来てたことも知らなくて」
「うん」
「最近さ。望が何考えてるのか何にも分からなかった」
「…ごめん」
「俺」

 海斗が自分の手を見る。

「また、望に飽きられたとか」
「え?」
「そういうことも考えた」
「なんで!」
「だって連絡減るし。会えないって言われるし」
「それは…」

 俺はまた言葉をなくす。俺は、海斗が遠くへ行ったと思っていた。
 でも海斗は俺が離れていると思っていた。

 同じ時間にお互い。逆方向から。同じ不安を見ていた。

「馬鹿じゃん」

 俺が小さく言う。

「うん」
「俺ら」
「そうだね」
「…ごめん」
「俺も」

 海斗の手がゆっくりと俺の手の上へ置かれる。

 今度は俺から指を絡めた。

「海斗」
「何?」
「これからはさ俺」
「うん」
「寂しいって言う」
「うん」
「嫉妬したって言う」
「うん」
「会いたいって言う」
「言って」
「海斗も」
「うん」
「忙しい時は忙しいってちゃんと言って」
「分かった」

 そして俺は海斗の綺麗な目をまっすぐ見て、思い切って続ける。

「でも、たまには俺を優先してほしい」
「する」
「無理な時は?」
「無理って言う」
「優しく?」
「優しく」
「絶対に?」
「絶対に」

 俺は、少し笑う。海斗も笑った。

「昨日さ」

 俺は言う。

「ホントはめちゃくちゃ会いたかった」
「うん俺もだよ」
「なのにバイト入れた」
「知ってる」
「俺って面倒くさい?」
「かなり」
「おい」
「でも」

 海斗が俺を見つめる。

「そのくらい。俺のこと好きなんだと思えば」
「何」
「ちょっと嬉しい」
「…ごめんちょっと、いや。だいぶキモいかも」
「なんでだよ」
「冗談」

 二人でやっと。いつものように笑えた。海斗の肩へ寄りかかる。

「ねえ」
「何?」
「キスしていい?」

 海斗が言う。俺は笑った。

「まだ聞くの?」
「昨日してないから」
「じゃあ今日はいいよ」
「今日だけ?」
「今後は勝手にしてください」

 海斗の眉が少し上がる。

「言ったね」
「…やっぱ今のなし」
「もう遅い」

 海斗の手が頬に触れる。

 唇が重なる。

 昨日まであんなに遠かった。

 撮影現場でも。
 公園でも。

 手が届かないように感じた。でも今は近い。

 いつもの海斗の匂い。体温。触れている手。

 唇が離れる。

 俺は海斗の服をつかむ。

「もう一回」
「望から言うんだ」
「悪い?」
「可愛い」
「うるさい」

 二度目は少し長かった。
 離れたあと。海斗の額が俺の額に触れた。

「望」
「何」
「本当に」

 静かな声。少し震えていた。

「いなくならないで。俺から離れないで」

 俺は一瞬。何も言えなかった。

 (ああ。海斗も俺と同じで怖かったんだ)

「海斗もね」
「うん」
「勝手に遠く行かないで」
「行かない」
「仕事では?」
「行くかも」
「そこは行くんだ」
「仕事だから」
「じゃあ」

 俺は少し笑う。

「ちゃんと戻ってきて」

 海斗が俺の手を強く握った。

「戻ってくるよ」

 好き。それだけ言えれば大丈夫だと思っていた。

 でも。違った。

 寂しい。
 怖い。
 嫉妬した。
 会いたい。
 離れたくない。

 格好悪い感情もちゃんと相手に渡さなければ、伝わらない。
 多分恋人になるということは好きなところだけを見せ合うことじゃない。
 こういう見せたくない感情まで少しずつ預けていくことなのかもしれない。