俳優の卵と理系大学生

 撮影が始まってから、俺のスマホには『陽だまりの地図』関連の投稿がおすすめに流れてくるようになった。いや、正しく言うと俺のSNSは『陽だまりの地図』関連で埋め尽くされていた。

 当然である。公式アカウントはもちろんフォローしたし、キャスト陣や監督までフォローした。海斗が映る投稿は全部見たし、いいねもした。保存もした。自分でも引くくらい何度も見た。

 最初は本当に楽しかった。

 メイキングの写真や動画。
 本読みの様子。
 撮影の合間のオフショット。
 出演者への短いインタビュー。

 画面の中に海斗が出るたびに、

(あ、海斗だ!)

 と嬉しくなる。

 コメント欄に

【伊藤港斗役の人誰?】
【朝倉海斗って人かっこいい。まじイケメン】
【新人?演技自然ですごい】

 なんて書かれていれば、

(そうでしょ!)

 となぜか俺が誇らしくなる。

(まあ、俺の彼氏だけどね)

 誰にも言えない秘密の優越感。それも最初のうちは楽しかった。

 問題は。

 北村利也だった。

 ある日の夜。公式SNSで、キャストによるライブ配信が始まった。俺は研究室から帰る電車の中でイヤホンをつける。画面には北村が映った。

『こんばんはー!重田太陽役、北村利也でーす!』

 コメントがものすごい勢いで流れていく。

『今日はですね』

 北村が横を見る。

『俺の親友を連れてきましたー』

 画面の外から海斗が入ってきた。

『親友じゃなくて役だろ』
『もうリアルでも親友じゃん』
『勝手に決めるなよ』

 海斗が笑う。コメント欄が一気に加速する。

【仲良し!】
【親友コンビ来た!】
【顔面強すぎ】
【距離近い】

 北村が海斗の肩に腕を回した。

『海斗さ、最初はめっちゃ怖かったんですよ~』
『怖くないだろ』
『今は知ってるけど、海斗って静かだからさ。最初俺、嫌われてんかと思った』
『会った初日に連絡先聞いてきたやつが何言ってるんだよ』
『だって仲良くなりたかったんだもん』
『距離の詰め方がおかしい』

 二人が笑い合う。

(海斗、いつからそんなふうに北村と話すようになったんだ)

『撮影の裏話はありますか?だって』

 コメントを拾った北村が海斗を見る。

『海斗、なんかある?』
『利也が朝弱い』
『ちょ、お前それ言う?』

(海斗のことをお前?てか、海斗が北村を利也って)

『海斗も結構寝るじゃん』
『俺は移動中だけ』
『昨日肩を貸してあげたのは誰だと思ってんの』
『別に頼んでない』
『めちゃくちゃ気持ちよさそうに寝てたじゃん』
『それは忘れて』
『写真もあるよ』
『消せ』
『嫌でーす』

 北村がスマホを出そうとする。それを海斗が奪おうとする。北村が笑いながら逃げる。二人の肩がぶつかる。海斗も本気で楽しそうに笑っていた。

【仲良すぎwww】
【付き合ってんの?笑】
【リアルでもずっと親友でいて】
【この二人推せる】

 画面を流れる文字。

「…」

 俺は一度スマホを伏せた。

 何だ。別に。ドラマの宣伝だ。親友役なんだから仲が良いほうが作品にもプラスだ。それに、本当に友達になったな良い事じゃないか。

 海斗には俳優仲間がほとんどいなかった。初めてできた同年代の友達。

 俺だって、最初は良かったと思った。

 数秒後。

 また画面をつける。ちょうどSNS用のショート動画をその場で撮る流れになっていた。

『この流行ってるやつ一緒にやろうよ』
『俺分かんない』
『俺が教えるから』

 北村が海斗の隣へ立つ。簡単な振り付け。

 でも海斗は最初、全く合っていなかった。

『違う違う!そっち右!』
『右行っただろ』
『俺から見て右!』
『知らないよ。最初に言え』
『海斗、ダンスのセンスないなー』
『アイドルと一緒にすんな』

 二人とも笑っている。

 一度目は失敗。二度目はなんとか海斗も踊れていたが北村が笑ってやり直し。
 三度目。ようやく成功。

『できた!』

 北村が海斗とハイタッチをする。海斗も笑う。

 ショート動画用のカメラが止まっても、二人はまだ何か話して笑っていた。

 宣伝のために仲良くしている。そんな言い訳が少しずつできなくなる。

 だた。普通に。仲が良い。

 その日の夜。

【ライブ見た】

 海斗に送った。

【見てたの?】
【北村君とめっちゃ仲良いじゃん】
【利也?】

 また。名前。

【もう利也なんだ】
【向こうがそう呼べって】
【ふーん】
【何?】
【別に】

 書いてから。消したくなった。でも送った。

 数分後。

【望、もしかして嫉妬してる?】

「は?」

 思わず声が出てしまった。ベッドの上で起き上がる。

【してないし】
【そう?】
【仕事でしょ?分かってるよ】
【ならいいんだんけど】
【てか北村君同い年だし、親近感あるわ】

 嘘ではない。親近感はある。実際、一度画面越しに話をしている。いい人だと思った。

 それなのに。何となく面白くない。

 数分後。

 大学から帰る電車の中。またドラマの公式アカウントを眺めていると、一つの投稿が目に入った。

『「陽だまりの地図」撮影エキストラ募集!』

 撮影日は次の日曜日。場所は都内。

 俺はカレンダーを確認する。予定はないしホテルのシフトもない。

 気が付けば応募フォームを開いていた。

 ――別に。

 監視したいわけではない。海斗が俳優をしているところをちゃんと一回見てみたい。ただそれだけだとそう思った。本当に。最初はそのつもりだった。

 そして日曜日。

 俺は少し地味な服を着て、撮影場所へ向かった。

 眼鏡をかけて、帽子まで被った。別に変装する必要なんてない。でも、なんとなく海斗にバレるのが嫌だった。

 撮影場所は大学のキャンパスで、俺たちエキストラは大学生役だった。

 受付をして、スタッフから注意事項を聞く。立ち位置を説明される。

「現場での撮影・録画・録音、SNSなどでの書き込みは控えてください。また、出演者の方には必要以上に話しかけないでください」

 当然の注意だ。分かっている。少しして。スタッフたちが慌ただしく動き出した。

「キャスト入ります!」

『陽だまりの地図』のファンと思われる他のエキストラの人たちが声にならない悲鳴を上げる。無意識に顔を上げた。

 海斗がいた。

「…」

 知っている人なのに。一瞬、知らない人みたいに見えた。

 髪型が違う。衣装が違う。何人ものスタッフが周りにいて、メイクや服装などを適宜直したりしている。マネージャーらしき人も付いている。

 監督に声を掛けられ、真剣な顔で話を聞いている。

 その少し後から、北村利也が現れた。

 金髪で、すらっとしていて、生で見ると顔がとても小さかった。すぐにスタッフへ笑顔で頭を下げている。

「おはようございます!今日もよろしくお願いしまーす!」

 声が大きい。スタッフの空気が少し明るくなる。

 海斗に気づくと、

「海斗、おはよ」

 と近づく。

「おはよう」
「今日は寝坊しなかったぜ」
「当たり前だろ。お前は小学生か」
「褒めて」
「嫌だ」
「冷た」

 二人で笑う。

 俺はその流れを数メートル先から眺めていた。海斗までは本当に近い。少し歩けば、すぐそこにいる。

 いつもなら、「海斗」と名前を呼べば、「何?」と振り返る。手を伸ばせば、海斗の方から握ってくれる。背伸びをすれば触れることもできる。

 なのに、今は。とても遠かった。俺と海斗の間に大きな壁や柵もない。ただ、スタッフに言われた見えない境界線。エキストラはこっち。出演者は向こう。

 それだけ。たったそれだけなのに。俺にはその数メートルがものすごく遠くに感じた。

 もし今。俺が「海斗」と呼んだら、海斗は振り向くかもしれない。
 
 でもそれは。

 恋人に呼ばれて振り向く海斗ではない。何十人もいるエキストラの一人がメインキャストの朝倉海斗を勝手に呼び止めるだけだ。手が届きそうなのに。届かない。

 いつもは。あんなにも近くにいるはずなのに。その瞬間だけ、朝倉海斗という人間がとても遠い場所にいる人のように思えた。

「本番行きまーす!」

 スタッフの声。俺は所定の位置につく。海斗と北村が並ぶ。

「スタート!」

 空気が一気に変わった。海斗が台詞を言う。北村が返す。知っている声。何度も聞いたその声。でも、そこにいるのは朝倉海斗ではなく伊東港斗だった。

 表情も声のトーンも、目線も。俺と話している時とは違う。

 それは北村も同じで、さっきまで「褒めて」とふざけていた人間がカメラ回った瞬間に重田太陽になる。

 二人で台詞を交わす。とても自然だった。俺は。少し鳥肌が立った。

(かっこいい)

 嫉妬とか、そんなものは一瞬忘れた。

 ただ。海斗が凄かった。俺が、諦めないでと言ったその人が、本当にここに立って俳優をしていた。

 何テイクか終える。監督からOKが出る。

「はいカット!OKです!」

 北村がすぐに海斗の肩を叩いた。

「今の良かったじゃん!」
「利也も」
「何その言い方。もっと褒めてよ」
「良かったよ」
「雑!」

 海斗が笑う。北村も笑う。

 そしてスタッフからスマホを渡されていた。どうやら撮影の合間にSNS用の素材も撮るらしい。

「じゃあ親友コンビ、お二人お願いします!」
「また?」

 海斗が少し嫌そうな顔をする。

「ファンサービス!」

 北村が海斗の肩を叩く。

「伊東港斗役、朝倉海斗くんでーす!俺ら親友コンビです!」
「どうも」
「いや、海斗テンション低すぎ!」
「利也が高すぎるんだって」
「じゃあもっと近く来て」
「なんでよ」
「画角!」

 北村が海斗を引き寄せる。肩が触れる。海斗ももう慣れているのか、抵抗しない。

 一回目の動画撮影。

 途中で北村が台詞を噛む。二人で吹き出す。

 撮り直し。今度は海斗が笑ってしまう。

「海斗、なんで笑うんだよ」
「利也の顔が面白いんだよ」
「現役アイドルに向かってそれ言う?」
「事実」

 また二人で笑う。スタッフまで笑っている。

 三回目でようやく成功した。

「オッケーです!」

 ショート動画の撮影が終わっても。

 二人で今撮った動画を確認しながらまた笑う。カメラが回ってない。宣伝でもなければ、演技でもない。それでも。二人は楽しそうだった。

 俺の胸が少し傷んだ。

 しばらくして、休憩になった。エキストラ側にもペットボトルの水が配られる。

 俺はなるべく目立たない場所へ移動した。海斗にはまだ見つかっていない。
 少し安心した。でもそれ以上に寂しかった。

「危なっ」

 突然、目の前に人が現れた。ぶつかりそうになって、俺は慌てて一歩下がる。

「あ、ごめんなさい!」

 顔をあげる。

「…え」

 北村利也だった。

「大丈夫っすか?」
「え、あ、はい」

 近くで見るとやっぱりかっこいい。

 でもテレビで見るより、ずっと普通の二十二歳に見えた。

 汗をかいている。ペットボトルを持っている。首からは扇風機を下げている。

「エキストラの人ですよね?今日は参加してくれてありがとうございます!てか、今日熱いけど大丈夫っすか?」
「はい。全然」
「それは良かったです!本当に申し訳ないです。俺後ろ見てなくて」
「俺の方こそ」

 そこで、北村が俺の顔をまじまじと見る。

「…あれ?」

 嫌な予感がした。

「望くん?」
「え」

 やっぱり覚えていた。

「この間、海斗とビデオ通話してた」
「…覚えてるんだ」
「顔覚えんの得意なんだよね」

 北村が笑う。

「なんでいんの?」
「あー」

 言葉に詰まる。

「エキストラ?」
「まあ」
「もしかして海斗を見に来たの?」

 図星。

「…まあ、それもある」
「やっぱり」

 楽しそうに笑う。

「海斗は知ってんの?」
「いや、知らない」
「サプライズ?」
「いや」

 俺は少し考える。

「できれば、今日俺がいることは言わないでほしい」

 北村が首を傾げながら、

「なんで?」
「何となく」
「何となく?」
「…仕事をしている海斗をただ見たかっただけだから」

 北村は俺の顔を見た。でも、深くは聞かなかった。

「了解」

 あっさり。

「いいの?」
「望くんが内緒って言うなら内緒にしとくよ」
「軽いな」
「俺、口固いよ?」
「ほんとに?」
「芸能界で生きてるからね」

 冗談っぽく胸を張る。

「てか海斗、すごいでしょ」

 北村が、海斗のいる方向を見る。

「…うん」
「今回、最初は結構緊張してたんだよ」
「海斗が?」
「そう。めちゃくちゃしてた」

 意外だった。

「全然そんな風には見えないけど」
「そういうの隠すの上手いから」

 北村は笑う。

「でも、演技始まるとすごいんだよね。俺も助けられてる」

 その言葉がとても嬉しかった。

「海斗は良い俳優?」

 俺が聞く。

 北村は少し驚いた顔をして、すぐに笑った。

「うん!俺はすごく好き!」

 胸がまた、ほんの少しだけざわつく。

 もちろん。演技の話だ。分かってる。

「俺も」

 俺は答えた。

「海斗の演技、すごく好き」

 北村が俺を見る。それからなんだか意味ありげに笑った。

「望くん、海斗のこと本当に好きなんだね」
「…」

 一瞬。心臓が止まりそうになった。

「え?」
「いや、友達としてね?」

 北村がすぐに付け足す。

「さっきから海斗を見る顔がさ」
「どういう顔?」
「めっちゃうれしそう」
「…そう?」
「うん」

 北村はそれ以上何も言わなかった。スタッフから名前を呼ばれる。

「あ、行かなきゃ」
「頑張って」
「ありがとう」

 数歩走ってから北村が振り返る。

「海斗には内緒ね!」

 口元に人差し指を立ててウィンクをした。

「うん」

 また笑って、海斗のところへ戻っていった。

「利也、どこ行ってたの?」

 海斗の声が遠くから聞こえる。

「んーちょっと散歩かな~」
「撮影中に?」
「気分転換」
「自由だな」
「そんなに褒めても何も出ないよ~」
「褒めてない」

 北村が海斗の背中を軽くたたく。そして二人で笑い合っていた。

 俺は、その二人の姿を見つめていた。

 北村利也は、嫌な奴じゃなかった。むしろ、すごくいい奴だった。明るいし、人懐っこくて海斗の演技もちゃんと見てくれている。海斗が仲良くなる理由もわかる。

 だから余計に困った。嫌な奴だったら、勝手に嫌えばいい。「あいつ嫌い」で終わる。

 でも、普通にいい奴だ。そんな相手に嫉妬している。自分だけが勝手に。

(みっともない。俺って最悪)

 撮影が終わるまで、結局海斗には気が付かれなかった。

 最後、出演者たちがスタッフに囲まれて帰っていく。

 一瞬。海斗がこちらを向いた。心臓が跳ねた。でも、視線は俺の少し横を通り過ぎた。

 そして北村に何か言われてまた二人で笑った。俺は声を掛けられなかった。

 たった数メートル。走ればすぐに追いつく。手を伸ばせば、いつもの海斗なら握り返してくれる。

 でも今日はできなかった。

 海斗は出演者として帰っていく。俺はその他大勢のエキストラとして反対方向へ歩く。

 帰りの電車。公式SNNSを開くとさっき撮っていた動画がもう投稿されていた。

『撮影の合間の親友コンビ!』

 北村と海斗が途中で笑って、撮り直して最後にハイタッチをしている。

 俺が少し離れれていたところからから見ていた光景を、今度は何万にの人が見ている。

 コメント欄には。

【仲良すぎ】
【この二人本当に大好き】
【撮影終わっても友達でいてほしい】
【利也と海斗の空気感最高】

 文字が流れていく。俺はその流れに耐えられなくなりスマホを閉じた。

 今日海斗はあんなに近くにいた。手が届きそうなくらい近かった。それなのに。今までで一番遠く感じた。