俳優の卵と理系大学生

「柏木君!!!」

 ホテルへ出勤した瞬間。フリーターの女性スタッフに呼び止められた。

「なんすか?なんか俺ミスとかしてました?」
「違う違う!これこれ!」

 スマートフォンを見せられる。画面には、海斗がいた。

 正確に言うと、ドラマの公式ビジュアルだ。中央に立つ主演俳優。その横に数人のメインキャスト。そこに、朝倉海斗の文字と姿があった。

『配信ドラマ「陽だまりの地図」主要キャスト解禁!』

「うわ」

 思わず声が出た。今日発表されることも知っていた。でも、公式の写真に載っている海斗を見ると、思っていた以上に感動した。

 ホテルの制服を着て、俺の隣でチェックイン業務をしていた海斗。
 オーディションに落ちたとき、ホテルの裏口で「向いてないのかもしれない」とうつむいていた海斗。

 その海斗が今は、芸能ニュースの記事の中で、俳優として名前を並べている。

「朝倉君、めっちゃすごくない?」
「まあ、俺が育てたんで当たり前ですよ」
「そんなわけないじゃん」
「そんなことありますよ」
「柏木君、教育担当だっただけでしょ」
「育成です」

 俺らが騒いでいると、ホテルで海斗を知っていたスタッフたちが集まってくる。

「本当だ、朝倉君じゃん!」
「すご」
「え、てかメインキャスト?」
「この人、数か月前までここで働いてたんだよね?」
「俺と一緒にフロント立ってましたよ」
「柏木君がちょっと誇らしそうにしているのはなんでよ」
「そりゃあ、俺が育てたんで」
「だから違うって」

 みんなで笑い合う。

 でも。多分、本当に少し誇らしかった。俺のことではないのに。海斗が評価されたことが、自分のことみたいに嬉しかった。

「てか主演、北村利也(きたむら・としや)じゃん」

 誰かが言った。俺は画面を見る。

 中央の爽やかで王子様フェイスの金髪の男。

 俺と同じ二十二歳。身長は百七十五センチくらい。

 今人気が上がり始めている五人組アイドルグループ『NocTurne』のメンバー。
 グループではセンターではないらしいけれど、持ち前の明るさと顔面で最近ドラマやバラエティへの出演が増えていて、個人の知名度も急激に上がっているらしい。

 確かにかっこいい。

 大きな目。綺麗な輪郭に、シュッとした鼻筋。
 でも、いわゆる近寄りがたい美形ではなく写真からでも、人懐っこさがわかるような、笑うと一気に年相応に見えるタイプのイケメン。

 海斗とは違う。海斗が静かで爽やかなクール系な正統派イケメンだとしたら、北村は、見ている人まで巻き込んで明るくするようなイケメン。

「北村利也くんって、今めっちゃ人気なんだよ」
「へえ」
「柏木君知らないの?」
「アイドルあんま分からないっす」
「同い年なのに」
「同い年だからって知っているわけじゃないっすよ」
「この間あのバラエティ番組出てたよ。めちゃくちゃ愛想いいの」
「へえ」
「ファンサも神で、街中で遭遇してもめちゃくちゃ神対応してくれるらしい」
「詳しいっすね」
「推しだからね」
「なるほど」

 キャスト紹介を見る。

『北村利也 主人公:重田太陽(しげた・たいよう)』
『朝倉海斗 主人公の中学からの親友:伊東港斗(いとう・みなと)』

 写真の二人は並んでいた。北村が少し海斗側へ体を傾けている。

(海斗。普通に俳優じゃん)

 何だか変な感じがした。恋人の顔なのに。いつも見ている顔なのに。

 俺のスマホの中にある海斗の写真とは違う。寝ぐせのついた写真。ジェットコースターの目で嫌そうな顔をしてる写真。俺の家で寝落ちしている写真。

 そういう海斗ではなく。誰もがかっこいいと思う、“俳優・朝倉海斗”の顔だった。

「柏木君」
「なんすか」
「なんでニヤニヤしてるの」
「してないっす」
「してるって」

 最近よく言われる気がする。俺はスマートフォンから目を逸らして、業務を始めた。

 その日の休憩中。海斗へメッセージを送った。

【公式見た】

 少しして。

【どうだった?】
【海斗、まじで俳優みたいだった】
【みたいじゃなくて、俳優なんだけど】
【あれ?】
【何その反応】
【ごめんごめん、冗談笑】

 俺は笑った。

【ホテルでもめっちゃ話題になってる】
【まじか、恥ずかしいな】
【佐伯さんなんか自分が採用したって、自分は見る目があるってずっと言ってる笑】
【望と同じじゃん】
【全然違う。俺は育成担当だから佐伯さんとは格が違う】
【はいはい】

 そんな他愛もない話をしていると。

【そういえば、今日主演の北村利也くんと初めてちゃんと話した】
【そうなんだ。どうだった?いじめられなかった?】
【いじめられてない笑。すごく良い人だったし、めちゃくちゃ話す】
【海斗とは真逆だね】
【うるさい】
【仲良くなれそう?】

 少し時間が空いた。

【多分】
【ちょっと間があったけど】
【気のせい】
【本当?笑】
【初対面で俺の連絡先聞いてきた】
【距離感すご】
【そういう人らしい】
【なるほど?】
【とにかくいい人ではあると思う】

 俺は、

【良かったじゃん】

 と送った。

 この時は、本当に心の底からそう思った。海斗が新しい現場で、初めてのメインキャストという現場で人に、特に主演に恵まれたのは良かったと。

 それに、俺と同い年で二十二歳。何となく親近感もある。

 その日の夜。

 ホテルのシフトを終え、帰宅して院試の勉強をしていると、海斗から電話が来た。

 珍しくビデオ通話だった。

「もしもし」

 画面に海斗が映る。

「なに、どうしたの?」
『急に顔が見たくなった』
「…」
『何?』
「いや」
『嫌だった?』
「いや、そういうの急に言うようになったなと思って」
『望に言えって言われたから』
「素晴らしい成長ですね」

 どうやら今日はキャストの顔合わせや宣材関係の撮影があったらしい。海斗はまだ事務所なのか、見たことのない控室のような場所にいた。

「どうだった?」
『すごく疲れたけど、楽しかった』
「俳優みたい」
『だから俳優みたいじゃなくて、俳優だって』
「まだ慣れないんだよね」
『何が?』
「海斗が本当に俳優の仕事していること」

 海斗が少し笑った。

 その時。画面の外から、大きな声が聞こえてきた。

『海斗―!マネージャーさんがーー』

 金髪の男が画面に入りこんだ。

「あ」

 向こうも俺を見た。

『あ、ごめん、電話中だった?』
『うん』
『友達?』

 海斗が一瞬だけ俺を見る。

『望』

 それだけだった。でも、北村の顔が一気に明るくなった。

『あ!さっき話してたホテルの!』
「え?」

 俺は海斗を見る。

「俺の話したの?」
『ちょっとだけ』
『望くん!はじめまして!北村利也です!』

 突然、画面越し有名人から頭を下げられた。俺も慌てて、

「あ、柏木望です。はじめまして」
『望くんって海斗と同い年?』
「いや、一つ下です。」
『俺と同い年じゃん。じゃあ敬語いらなくない?』
「え、初対面で?」

 思わず笑った。どこかで聞いたようなセリフだ。

『俺、堅いの苦手なんだよね』
「…海斗」
『なに?』
「俺と同じタイプじゃん、この人」
『俺も最初そう思った』

 北村が不思議そうな顔で聞いてくる。

『なんか二人めちゃくちゃ仲良いけど、どういう知り合いなの?高校の先輩後輩とか?それにしては仲が良いような…?』

 俺と海斗が同時に一瞬黙る。

『前のバイト先で知り合った』

 海斗が答えた。嘘ではない。でも、少しだけ何かが引っかかった。
 仕方ない。海斗はこれから俳優として仕事をする。初対面の共演者へいきなり「恋人です」という必要なんてないし、言うのは難しい。

(分かってる)

『ホテルマンしてる友達と連絡取ってたってさっき言ってたけど、海斗もホテルマンだったんだ』
「そう。俺が仕事教えた」
『え、望くんが先輩なの?』
「そうだよ。こいつ俺の後輩」
『うわ。想像つかない』
「めちゃくちゃ真面目だったよ。小さいメモ帳ずっと持ってた」
『ちょ、もっと聞きたい』
『利也』

 海斗が止める。北村は楽しそうに笑った。

『海斗、電話してる時の方が顔柔らかいね』
『さっきまで俺としゃべってた時より笑ってる』
「へえ」

 俺は気をよくした。

『望』
「なに」
『余計なこと言わなくていい』
「まだ何も言ってないじゃん」
『まだじゃなくてこれからも言うな』

 北村がさらに笑う。

『面白いね、望君』
「北村君も想像してたより普通だね」
『それ褒めてんの?』
「めちゃくちゃ褒めてる」
『じゃあ、利也でいいよ。同い年だし』
「いや、さすがに芸能人を初対面で利也呼びはハードルが高い」
『海斗なんて今日から利也だよ』
「まじ?」

 俺は海斗を見る。

『こいつが名前で呼べってうるさくて』
「へえ」

 なぜか。ほんの少しだけ、胸の奥に何かが引っかかった気がした。

『じゃ、俺呼ばれてるから行くわ』

 北村が画面から離れる。でも途中でまた顔だけ戻ってきた。

『望くん、またね!』
「またって会う機会ないでしょ」
『作ればあるでしょ』
「陽キャこわ」
『褒め言葉として受け取っとく!じゃあね!』

 北村は笑いながら消えた。

「…すごい人だね」
『でしょ』
「でも、良い人そう」
『良い人だよ』

 海斗も自然に笑った。

 その顔を見て、俺も笑った。

 この時は、それだけだった。

 主演と仲良くなれそうで良かった。同い年で気さくないい人で良かった。

 そう思っていた。だからこの時はまだ、この先、北村利也という名前を見るたびに自分の胸がこんなにもざわつくようになるなんて。思いもしなかった。