俺は大学四年生になった。
だからと言って何かが大きく変わったという実感はない。大学へ行けば、相変わらず眠そうな顔で講義を受けている学生がいるし、研修室に行けばコードとエラーメッセージと睨めっこしている先輩がいる。ホテルへ行けば、相変わらず佐伯さんは少し適当だし、理不尽な客は結局理不尽だ。
以前と違う点をあげるとすれば、俺には恋人がいることだ。しかも顔がめちゃくちゃ良い。それに加えてとても俺のことが大好きで優しい。
「望、さっきから何で笑ってるの?」
「え?何のこと?」
「一人でニヤニヤしてるから」
「は?してないけど?」
「してたよ」
「気のせいだよ」
平日の夜。俺たちは、三軒茶屋の細い路地を並んで歩いていた。初めて二人で飲みに来た通り。あの時は、海斗が俺のことをどう思っているのかも分からなかった。
酔ったふりをして腕につかまった。泊めてくれと言って断られた。手をつなぐ代わりに手首をつかまれた。今思い出しても、我ながら必死だったなと思うが、あのときは精一杯であれ以外の行動をとることができなかった。
でも、今は違う。会うための理由を探さなくても、会いたいという気持ちだけ会うことができる。
「ねえ、海斗」
「なに?」
「手貸して」
「?」
海斗が不思議そうな顔をしながら右手を差し出してくれた。俺はその手をとって、指を絡めた。海斗が俺を見つめる。
「なに?」
「いや」
「手つなぐの嫌だった?」
「嫌じゃない」
「ならいいじゃん」
昔は、これだけのことをするのにも沢山沢山言い訳を考えて、行動していた。でも、今はしたいからする。手をつなぎたいからつなぐ。それだけでいい。
「そういえばさ、最初にここに来た時、俺さ海斗の腕につかまってたよね~」
「そういえばそうだったね」
「俺あれ、実はさ酔ったふりだったんだよね」
「知ってた」
「…は?なんで?」
足が止まった。海斗も俺に引かれて足を止めた。
「え、知ってたの?」
「途中から何となくね」
「え、どのタイミングで?」
「普通にまっすぐ歩けてたし」
「じゃあなんで何も言わなかったん?」
「言ったら望、猫みたいに“しゃー”って感じで離れるだろ」
「…」
海斗が少し笑った。
「だから、そのままにしてた」
(なんだこいつ。。。俺よりよっぽど、めんどくさいやつじゃん)
「じゃあ、家泊めてって言った時も気が付いてたの?」
「酔ってるふりかもとは思ってた」
「だったら泊めてくれても良かったじゃん!」
「それとこれとは話が別だろ」
「何が別だよ」
「だって付き合ってなかっただろ」
「真面目か」
「望が軽すぎるんだよ」
「てか、俺に腕つかまれて実は嬉しかったりして?」
海斗が一瞬黙った。
「…まあ」
「うわ。あの堅物のクールイケメンが認めた。」
「聞いたのは望だろ」
「いや、だってさ。海斗がそういうこと素直に言うの慣れなくて」
「じゃあもう言わない」
「それは嫌。ごめんなさい、海斗様イケメン様。お許しください」
「何それ」
海斗は笑った。
「面倒くさい恋人様だな」
「恋人なんてそんなものでしょ」
「望だけじゃない?」
「失礼な」
そんな話をしながら、最初に二人できた居酒屋へ向かった。でも残念ながら今日もその店は満席だったので、仕方なく近くの別の店に入った。
「俺らはいつになったあの店は入れるんだ」
「最初は入れたじゃん」
「あれは奇跡だったのかな」
「平日二十三時だったからでしょ」
「じゃあ、今日も二十三時まで待つ?」
「明日大学あるって言ってなかった?」
「もう四年生だから余裕も余裕、大余裕よ」
「この前、卒論のテーマが決めないとって焦ってただろ」
「…海斗、痛いとこを突くようになったね」
「成長した」
「そういう成長は求めていません」
店に入って、ビールといくつかの料理を頼む。
付き合って数か月。前より海斗は、少しだけよく喋るようになった。少しだけ素直にもなった。出会った頃なら絶対言わなかったようなことも、最近は言う。
会いたかった。寂しかった。好き。今日は望の家行きたい。
そんな言葉を、少し恥ずかしそうにはするけど、ちゃんと口にしてくれるようになった。
俺が教えた。と、勝手に思っている。
「これ美味しい」
俺が玉子焼きを一切れ食べる。
「海斗も食べる?」
「うん」
皿を渡そうとしたら、海斗が口を開けた。
「…何?」
「え、くれるんじゃないの?」
「皿をだよ」
「あ、そういうこと?」
「なに、食べさせてほしかったの?」
「別に」
海斗は少し顔が赤くなっていた。その表情に俺は気を良くした。
「海斗さんや、口が開いちゃってましたけど」
「忘れて」
「無理だね。可愛かった」
俺は箸で一切れつまんだ。
「はい、あーーん」
海斗が少し迷ってから口を開けた。俺は海斗の口に玉子焼きを入れた。
「美味しい?」
「うん」
「なにこれ。カップルじゃん」
「カップルだろ」
海斗が当たり前だろみたいな顔で言った。その一言、態度に俺はまだ少しだけ弱い。
「…そうでした」
「忘れてたの?」
「いや、改めて言われるとこっぱずかしかった」
「望が言い出したんじゃん」
「それはそう」
恥ずかしくなって、ビールを飲みほした。話を変えるために俺は海斗に聞いた。
「最近、オーディションはどうなの?」
「いくつか受けてる」
「いい感じ?」
「相変わらずかな」
「そっか」
以前なら、ここで無理に励ましていただろうけど、今はしない。海斗だって落ちるたびに毎回慰められたいわけじゃない。
「でも今度、前地方で撮った映画の監督に会うかも」
「え、なんで?」
「ちょっと挨拶するだけ。東京に来るらしいから」
「気に入られているってことじゃん」
「どうだろ」
「絶対そうでしょ。俺だったら、海斗の顔を一回でも見たら絶対に忘れないし」
「また顔?」
「顔だけじゃないですよ、もちろん」
「本当に?」
「なに、大切な恋人を疑うんですか?」
「前科があるから」
「前科って言うな」
そんなくだらない話をしていたとき・テーブルの上に置かれていた海斗のスマホが震えた。
海斗が画面を見る。眉が少しだけ上がった。
「マネージャー」
「出れば?」
「でも」
「別にいいって。気にしないから早く出なよ。俺なら逃げないから安心して」
「そういう意味じゃないから」
海斗は苦笑しながら電話を取った。
「もしもし。お疲れ様です。」
仕事の声になる。俺は追加のビールを飲みながら何となく海斗を眺めていた。
「はい」
海斗の表情が変わった。
「え?本当ですか?」
その声で、俺は持っていたグラスを置いた。
「はい…、はい。ありがとうございます!」
さっきまでとは明らかに違う。電話を切った後も、海斗は画面を見たまま固まっていた。
「どうだった?」
「…」
「海斗?」
「…決まった」
「何が?」
海斗がゆっくり俺を見た。
「この前話してた配信ドラマ」
「え」
「俺、出ることになった」
「…マジ?」
「うん」
「どの役?」
「主人公の親友枠」
「…」
今度は俺が固まった。
「え、ちょっと待って」
「うん」
「それ、普通にメインじゃね?」
「一応。メインキャストの一人になるみたい」
「は?まじか」
声が思った以上に大きくなってしまった。隣の席の人がこちらを見てきた。俺は慌てて声を落とした。
「え、本当にすごくない?」
「まだ、俺も理解できてない」
「なんで急に?」
「前の映画の監督が推薦してくれたらしい。今回の演出部に知り合いがいたみたいで、俺の映像を見せてくれたらしい」
「…」
海斗は、信じられないみたいに笑った。その顔を見た瞬間、なんだか胸がいっぱいになった。
出会った日。「俳優の卵」と言った俺に、海斗は「卵と言っていいか分からない」と笑った。オーディションにも何回も落ちてきて、俳優を諦める理由ができたとまで言った。
そんな海斗が。今、俺の目の前で。主人公の親友役でメインキャストを勝ち取った。
「海斗」
「何?」
「俺が言ったとおりだったでしょ」
「何が?」
「未来の俳優だって」
海斗が一瞬黙って、そして少しだけ目を伏せて笑った。
「覚えてたんだ」
「当たり前じゃん。俺は、俳優朝倉海斗の超古参だよ?」
「まだ売れてない」
「もうメインキャストなんだから、だいぶ育ったね」
「望が育てたみたいに言うなよ」
「いや、誰がどう見ても俺が育てたでしょ」
「何を?」
「メンタル?」
「そこは、否定できないかも」
「でしょ?」
俺はテーブル越しに手を伸ばし、海斗のサラサラな髪をなでた。
「おめでとう、海斗」
海斗はそれを照れ臭そうにしながら、俺の手を頭から離して、握った。
「ありがとう」
その手は震えていた。でも、前みたいな怖さの震えではないのは明らかだった。
嬉しくて。信じられなくて。そんな震えだった。
俺は、その手を強く握った。
「よし!今日は俺のおごり!沢山食べて、飲もう!!」
「大学生で金がないんじゃなかったの?」
「こういう日は別財布なのです」
「なにそれ」
海斗は嬉しそうに笑いながら。
「じゃあ、お願いします」
「素直だな」
「望が言ったんだろ」
「まあそのつもりだったけど」
「本当にありがとう」
会計を済ませて店を出る。駅へ向かおうとすると、海斗が俺の手を引いた。
「何?」
「今日、帰る?」
「その聞き方、久しぶりじゃん」
「嫌なら駅まで送る」
「…行く」
「うち?」
「うん」
少し前までなら、俺の方から泊めてと言っていた。今は海斗からも誘ってくれる。それだけの違いが俺はとても嬉しい。
海斗の家に着いて、ソファに並んで座った。海斗はまだ、どこか現実味がないような顔をしている。
「嬉しい?」
俺が聞いた。
「嬉しい」
「怖い?」
少し間があった。
「ちょっと」
(やっぱり)
「でも」
海斗が俺を見る。
「今回は、前より楽しみかもしれない」
俺はその海斗の発言を聞いてとても嬉しい気持ちになった。
「そっか」
「うん」
海斗の肩に頭を乗せる。
「じゃあ楽しんできな」
「まだ本読みすら始まってないけど」
「先に言っとく」
「ありがとう」
少しして、頭に手が置かれた。優しく髪をなでられる。
「望」
「ん?」
「本当にありがとう」
「何回言うの、それ」
「わかんない」
「じゃあもう一回言って」
「ありがとう。望大好き」
「どういたしまして。俺も大好き」
顔を上げたら。海斗が少し笑っていた。そのまま。どちらからともなく。
唇が触れた。
今夜の俺は、本当にただただ嬉しい気持ちでいっぱいだった。海斗がずっと行きたかった場所へ。今まで以上に確実に近づいたことが、心の底から本当に嬉しかった。
だからと言って何かが大きく変わったという実感はない。大学へ行けば、相変わらず眠そうな顔で講義を受けている学生がいるし、研修室に行けばコードとエラーメッセージと睨めっこしている先輩がいる。ホテルへ行けば、相変わらず佐伯さんは少し適当だし、理不尽な客は結局理不尽だ。
以前と違う点をあげるとすれば、俺には恋人がいることだ。しかも顔がめちゃくちゃ良い。それに加えてとても俺のことが大好きで優しい。
「望、さっきから何で笑ってるの?」
「え?何のこと?」
「一人でニヤニヤしてるから」
「は?してないけど?」
「してたよ」
「気のせいだよ」
平日の夜。俺たちは、三軒茶屋の細い路地を並んで歩いていた。初めて二人で飲みに来た通り。あの時は、海斗が俺のことをどう思っているのかも分からなかった。
酔ったふりをして腕につかまった。泊めてくれと言って断られた。手をつなぐ代わりに手首をつかまれた。今思い出しても、我ながら必死だったなと思うが、あのときは精一杯であれ以外の行動をとることができなかった。
でも、今は違う。会うための理由を探さなくても、会いたいという気持ちだけ会うことができる。
「ねえ、海斗」
「なに?」
「手貸して」
「?」
海斗が不思議そうな顔をしながら右手を差し出してくれた。俺はその手をとって、指を絡めた。海斗が俺を見つめる。
「なに?」
「いや」
「手つなぐの嫌だった?」
「嫌じゃない」
「ならいいじゃん」
昔は、これだけのことをするのにも沢山沢山言い訳を考えて、行動していた。でも、今はしたいからする。手をつなぎたいからつなぐ。それだけでいい。
「そういえばさ、最初にここに来た時、俺さ海斗の腕につかまってたよね~」
「そういえばそうだったね」
「俺あれ、実はさ酔ったふりだったんだよね」
「知ってた」
「…は?なんで?」
足が止まった。海斗も俺に引かれて足を止めた。
「え、知ってたの?」
「途中から何となくね」
「え、どのタイミングで?」
「普通にまっすぐ歩けてたし」
「じゃあなんで何も言わなかったん?」
「言ったら望、猫みたいに“しゃー”って感じで離れるだろ」
「…」
海斗が少し笑った。
「だから、そのままにしてた」
(なんだこいつ。。。俺よりよっぽど、めんどくさいやつじゃん)
「じゃあ、家泊めてって言った時も気が付いてたの?」
「酔ってるふりかもとは思ってた」
「だったら泊めてくれても良かったじゃん!」
「それとこれとは話が別だろ」
「何が別だよ」
「だって付き合ってなかっただろ」
「真面目か」
「望が軽すぎるんだよ」
「てか、俺に腕つかまれて実は嬉しかったりして?」
海斗が一瞬黙った。
「…まあ」
「うわ。あの堅物のクールイケメンが認めた。」
「聞いたのは望だろ」
「いや、だってさ。海斗がそういうこと素直に言うの慣れなくて」
「じゃあもう言わない」
「それは嫌。ごめんなさい、海斗様イケメン様。お許しください」
「何それ」
海斗は笑った。
「面倒くさい恋人様だな」
「恋人なんてそんなものでしょ」
「望だけじゃない?」
「失礼な」
そんな話をしながら、最初に二人できた居酒屋へ向かった。でも残念ながら今日もその店は満席だったので、仕方なく近くの別の店に入った。
「俺らはいつになったあの店は入れるんだ」
「最初は入れたじゃん」
「あれは奇跡だったのかな」
「平日二十三時だったからでしょ」
「じゃあ、今日も二十三時まで待つ?」
「明日大学あるって言ってなかった?」
「もう四年生だから余裕も余裕、大余裕よ」
「この前、卒論のテーマが決めないとって焦ってただろ」
「…海斗、痛いとこを突くようになったね」
「成長した」
「そういう成長は求めていません」
店に入って、ビールといくつかの料理を頼む。
付き合って数か月。前より海斗は、少しだけよく喋るようになった。少しだけ素直にもなった。出会った頃なら絶対言わなかったようなことも、最近は言う。
会いたかった。寂しかった。好き。今日は望の家行きたい。
そんな言葉を、少し恥ずかしそうにはするけど、ちゃんと口にしてくれるようになった。
俺が教えた。と、勝手に思っている。
「これ美味しい」
俺が玉子焼きを一切れ食べる。
「海斗も食べる?」
「うん」
皿を渡そうとしたら、海斗が口を開けた。
「…何?」
「え、くれるんじゃないの?」
「皿をだよ」
「あ、そういうこと?」
「なに、食べさせてほしかったの?」
「別に」
海斗は少し顔が赤くなっていた。その表情に俺は気を良くした。
「海斗さんや、口が開いちゃってましたけど」
「忘れて」
「無理だね。可愛かった」
俺は箸で一切れつまんだ。
「はい、あーーん」
海斗が少し迷ってから口を開けた。俺は海斗の口に玉子焼きを入れた。
「美味しい?」
「うん」
「なにこれ。カップルじゃん」
「カップルだろ」
海斗が当たり前だろみたいな顔で言った。その一言、態度に俺はまだ少しだけ弱い。
「…そうでした」
「忘れてたの?」
「いや、改めて言われるとこっぱずかしかった」
「望が言い出したんじゃん」
「それはそう」
恥ずかしくなって、ビールを飲みほした。話を変えるために俺は海斗に聞いた。
「最近、オーディションはどうなの?」
「いくつか受けてる」
「いい感じ?」
「相変わらずかな」
「そっか」
以前なら、ここで無理に励ましていただろうけど、今はしない。海斗だって落ちるたびに毎回慰められたいわけじゃない。
「でも今度、前地方で撮った映画の監督に会うかも」
「え、なんで?」
「ちょっと挨拶するだけ。東京に来るらしいから」
「気に入られているってことじゃん」
「どうだろ」
「絶対そうでしょ。俺だったら、海斗の顔を一回でも見たら絶対に忘れないし」
「また顔?」
「顔だけじゃないですよ、もちろん」
「本当に?」
「なに、大切な恋人を疑うんですか?」
「前科があるから」
「前科って言うな」
そんなくだらない話をしていたとき・テーブルの上に置かれていた海斗のスマホが震えた。
海斗が画面を見る。眉が少しだけ上がった。
「マネージャー」
「出れば?」
「でも」
「別にいいって。気にしないから早く出なよ。俺なら逃げないから安心して」
「そういう意味じゃないから」
海斗は苦笑しながら電話を取った。
「もしもし。お疲れ様です。」
仕事の声になる。俺は追加のビールを飲みながら何となく海斗を眺めていた。
「はい」
海斗の表情が変わった。
「え?本当ですか?」
その声で、俺は持っていたグラスを置いた。
「はい…、はい。ありがとうございます!」
さっきまでとは明らかに違う。電話を切った後も、海斗は画面を見たまま固まっていた。
「どうだった?」
「…」
「海斗?」
「…決まった」
「何が?」
海斗がゆっくり俺を見た。
「この前話してた配信ドラマ」
「え」
「俺、出ることになった」
「…マジ?」
「うん」
「どの役?」
「主人公の親友枠」
「…」
今度は俺が固まった。
「え、ちょっと待って」
「うん」
「それ、普通にメインじゃね?」
「一応。メインキャストの一人になるみたい」
「は?まじか」
声が思った以上に大きくなってしまった。隣の席の人がこちらを見てきた。俺は慌てて声を落とした。
「え、本当にすごくない?」
「まだ、俺も理解できてない」
「なんで急に?」
「前の映画の監督が推薦してくれたらしい。今回の演出部に知り合いがいたみたいで、俺の映像を見せてくれたらしい」
「…」
海斗は、信じられないみたいに笑った。その顔を見た瞬間、なんだか胸がいっぱいになった。
出会った日。「俳優の卵」と言った俺に、海斗は「卵と言っていいか分からない」と笑った。オーディションにも何回も落ちてきて、俳優を諦める理由ができたとまで言った。
そんな海斗が。今、俺の目の前で。主人公の親友役でメインキャストを勝ち取った。
「海斗」
「何?」
「俺が言ったとおりだったでしょ」
「何が?」
「未来の俳優だって」
海斗が一瞬黙って、そして少しだけ目を伏せて笑った。
「覚えてたんだ」
「当たり前じゃん。俺は、俳優朝倉海斗の超古参だよ?」
「まだ売れてない」
「もうメインキャストなんだから、だいぶ育ったね」
「望が育てたみたいに言うなよ」
「いや、誰がどう見ても俺が育てたでしょ」
「何を?」
「メンタル?」
「そこは、否定できないかも」
「でしょ?」
俺はテーブル越しに手を伸ばし、海斗のサラサラな髪をなでた。
「おめでとう、海斗」
海斗はそれを照れ臭そうにしながら、俺の手を頭から離して、握った。
「ありがとう」
その手は震えていた。でも、前みたいな怖さの震えではないのは明らかだった。
嬉しくて。信じられなくて。そんな震えだった。
俺は、その手を強く握った。
「よし!今日は俺のおごり!沢山食べて、飲もう!!」
「大学生で金がないんじゃなかったの?」
「こういう日は別財布なのです」
「なにそれ」
海斗は嬉しそうに笑いながら。
「じゃあ、お願いします」
「素直だな」
「望が言ったんだろ」
「まあそのつもりだったけど」
「本当にありがとう」
会計を済ませて店を出る。駅へ向かおうとすると、海斗が俺の手を引いた。
「何?」
「今日、帰る?」
「その聞き方、久しぶりじゃん」
「嫌なら駅まで送る」
「…行く」
「うち?」
「うん」
少し前までなら、俺の方から泊めてと言っていた。今は海斗からも誘ってくれる。それだけの違いが俺はとても嬉しい。
海斗の家に着いて、ソファに並んで座った。海斗はまだ、どこか現実味がないような顔をしている。
「嬉しい?」
俺が聞いた。
「嬉しい」
「怖い?」
少し間があった。
「ちょっと」
(やっぱり)
「でも」
海斗が俺を見る。
「今回は、前より楽しみかもしれない」
俺はその海斗の発言を聞いてとても嬉しい気持ちになった。
「そっか」
「うん」
海斗の肩に頭を乗せる。
「じゃあ楽しんできな」
「まだ本読みすら始まってないけど」
「先に言っとく」
「ありがとう」
少しして、頭に手が置かれた。優しく髪をなでられる。
「望」
「ん?」
「本当にありがとう」
「何回言うの、それ」
「わかんない」
「じゃあもう一回言って」
「ありがとう。望大好き」
「どういたしまして。俺も大好き」
顔を上げたら。海斗が少し笑っていた。そのまま。どちらからともなく。
唇が触れた。
今夜の俺は、本当にただただ嬉しい気持ちでいっぱいだった。海斗がずっと行きたかった場所へ。今まで以上に確実に近づいたことが、心の底から本当に嬉しかった。
