俳優の卵と理系大学生

 望は、ホテルへ遊びに来なくなった。

 一時期は、シフトがない日でも週に1度は必ず、多い時で3回くらい遊びに来る週だってあったのに。

 今は勤務の日だけ来る。そして終わればすぐに帰宅する。
 話す内容は仕事のことだけ。

「三〇二号室に、タオル二セット追加して」
「分かった」

 それだけ。

 望は基本明るい。いつだって笑顔でいる。
 他の人とは普通に話す。
 でも、俺にだけは壁がある。

 自分がそうさせたのは分かっている。
 だから何も言えなかった。

 何度か話しかけた。

「望、今日、大学はどうだった?」
「いつも通り」
「課題とか忙しい?」
「それなりに」

 以前なら、そこから関係のない話に飛躍して、くだらない事でも楽しく話していたのに。今は続かない。それがどうしようもなく辛かった。苦しかった。

 でもそれ以上に、望がいない日の方が辛かった。

 自動ドアが開くたびに、休みなのに望が来てくれたのではと思った。
 シフト表を見れば、望の名前を探した。
 何度も、連絡をしようとしては、やめた。

 二週間近く会わなかった。
 あれほど望から連絡が来ていたのに、今は全くない。俺は毎日のように望とのトーク画面を開いては閉じを繰り返していた。
 自分から距離を取ったくせに。耐えられなかった。

 そんな時、ホテルでオーバーブッキングが起きた。
 俺一人では対応しきれなかった。

 客に怒鳴られる。
 謝る。
 別のホテルを探す。
 また謝る。
 そして怒られる。

 そんなことを繰り返し、精神が少し擦り切れてきていた。

 そこへ望が来た。

「望」

 名前を呼んだ瞬間。
 情けないくらい安心した。

「状況教えて」

 望は仕事の顔をしていた。

 俺が客対応。
 望がシステム操作と電話対応。
 自然と役割が決まった。

 怒っている男性客に向かって、俺は必死に謝り、説明をした。

 正直言うと、とても怖かった。手も震えていた。
 でも、望がいる。
 そう思うだけで、なんとか持ちこたえることができた。

 対応がすべて終わったあと。

「海斗も。客対応凄かったよ。お疲れ様」

 望がそう労いの言葉をくれた。

(まただ。)

 この人は、いつもそうだ。
 俺が自分で駄目だと思っているところを見て。それでも、ちゃんと良かったところを見つけてくれる。

 手が震えていたと話すと、望が俺の右手を両手で包んだ。

 温かかった。

 望はすぐにその手を離そうとした。
 俺は、反射的にその指をつかんだ。
 もう離されたくなかった。ちゃんと向き合いたいと思った。

「望」
「何」
「最近、俺のこと避けてるよね」

 今度こそ。向き合おうと勇気を振り絞った。

「あの日のこと、謝りたい」
「謝らないでって言ったじゃん」
「じゃあ、話がしたい」
「別に、俺は話すことないけど」
「俺にはある」
「望が言ったこと、ずっと考えてた」
「忘れてよ」
「忘れられない」

 当然だ。一日だって忘れたことなんてない。あの言葉は俺が欲しかった言葉だったから。

「優しくされると、甘えるって話?」
「違う」

 違う。本当は。俺も望が好きだと。でも怖かったと。それでもやっぱり俺は望のことが。

 そう全部言おうとした。
 その瞬間、

 プルルルル・・・・

(なんでこのタイミングで外線が鳴るんだよ)

 望の手を離すしかなかった。

 電話を終えた頃には。
 せっかく決心していた心はまた弱さを取り戻し、言えなくなっていた。