俳優の卵と理系大学生

 十一月。

 某動画配信サービスの連続ドラマの一次審査が通った。

 新人社員役。
 主要キャストではない。

 でも、台詞も名前もある。
 久しぶりにつかんだチャンスだった。

 ただ、次の2次審査の対面オーディションの日はホテルのシフトが入っていた。
 いくらチャンスとは言え大人として、もし代わりが見つからなければ辞退しようと思っていた。

 そんな中、望は

「俺、入るよ」

 そう簡単に言った。

「でも大学あるだろ」
「一回くらい休んでも平気」
「それは駄目」

 即答した。
 だって、望はまだ大学生だ。
 俺のために授業を休ませるなんておかしい。
 ましてや、そのせいで卒業ができなくなったり何か望の将来の邪魔になるようなことになったら俺は責任を取れない。

「なんのために東京に来たの?」

 望の声が強くなり、いつもはあまり見せない真剣な目で見てきた。

「俳優のためだろ。バイトのためなんかじゃないでしょ」

 何も言えなかった。
 正論だった。
 分かっていた。

 それでも。

「でも、人に迷惑をかけてまでやるのは違うと思う」
「だから、俺は迷惑じゃないって」
「望は、すぐに自分のことを後回しにしすぎ」
「海斗だけには、言われたくない」

 痛いところを突かれた。

 結局、望がシフトを代わってくれた。

「代わりに、受かったら三軒茶屋で奢って」
「もし落ちたら?」
「その時は、俺が海斗を慰めるために奢る」
「どっちにしても行くんだ」
「海斗と行きたいから」

 オーディションが終わるまで、俺は何度もその言葉を思い出した。

 でも。
 オーディションは結局落ちた。
 いつものように、「何かが足りない。魂がない。」そう言われた。

 ホテルで望と一緒に働いた。
 いつも通りに振舞っていたつもりだった。

 でも、望には全部ばれていた。

 退勤後。
 ホテルの裏口。

 望から缶コーヒーを手渡された。

「落ち込んでる?」
「別にそんなことない」
「嘘下手だね。俳優なのに」

 乾いた笑いしか出なかった。
 もう、心は限界だったのかもしれない。

「向いてないのかもしれない」

 初めて、望に本当のことを話した。
 誰にも見せてこなかった自分の弱い部分。
 本当は見せたくなかった。でも、もう耐えられそうになかった。

 何度落ちても、何年たっても何が足りないのかが分からなかった。

 二十二になった。
 同じ年で売れている役者なんていくらでもいる。

 前の職場がつぶれたとき。
 少し安心したことも。すべて打ち明けてしまった。

「これで地元に戻る、俳優を諦める理由ができたって」

 望の顔が変わった。

「帰るの?」
「帰ってない」
「これからの話」

 応えることができなかった。
 帰ろうと思ったことなんて何度もある。
 でも、最近は地元へ帰ることを考えると望の顔が浮かんだ。

 望が俺の袖をつかんだ。

「帰らないでよ」

 泣きそうな声だった。
 心臓が痛くなった。

「俺、海斗が本当に俳優になれるかどうかなんて分かんないし、無責任に絶対なれるとも言えない。」
「うん」
「でも、今回落ちたからって向いてないって諦めちゃうのは違うと思う」
「どうして?」
「だって、俳優の話をするときの海斗の目が、一番輝いていて楽しそうだから」

 そして。

「俺は、やりたいことがあって、頑張ってる海斗が好きだよ」

 今回は笑っていなかった。
 冗談ではなかった。

 ずっとほしかった言葉だった。
 望から本気で「好き」と言われるのを待っていた。

 なのに。
 嬉しいより先に、怖くなった。

 俺は今、俳優として何も持っていない。
 収入のほとんどがホテルのバイト。

 来月、仕事がある保証もない。
 地元へ帰る可能性だってある。

 それに対して望は、大学三年生。
 未来がある。

 どうしてもその考えがよぎってしまう。

 そんな望の手を握っていいのだろうか。

 何より。
 今ここで望の気持ちに応えてしまったら。
 俺は、この人に甘えてしまうと思った。

 オーディションに落ちても。
 仕事がなくとも。
 夢を諦めてしまっても。

 きっと望なら、俺を肯定してくれる。

 〔海斗なら大丈夫〕

 そう言ってくれる。
 その優しさに寄りかかって、だめなままの自分を許してしまうかもしれない。

「望」

 名前を呼ぶ。

「今優しくされると、俺、望に甘えそう」

 袖をつかんでいた手を外した。

 本当は、そのまま握りたかった。

「それは、望にとって良くない」
「なにが良くないの」
「俺は、何も約束できないから」
「どういうこと?約束なんてしてくれなくていい」
「今はそう思ってても」
「勝手に俺の気持ち決めつけないでよ」

 望の声が震えた。

 違う。
 望のためだけではない。
 俺が怖いだけだ。自分が傷つかないためだ。

 でも、その時は言えなかった。

 海斗は何かを言おうとして、それを飲み込んだ。

「ごめん」

 望は、一人で帰った。

 追いかけることもできなかった。

 姿が見えなくなってから。
 ようやく分かった。

 俺は望を守ったわけではない。
 傷つくのが怖くて逃げただけだ。