若葉宮花伝

 ―若葉―

 半日ほど歩き、春山国(しゅんざんこく)との国境に近い山の頂にたどり着くころには、日が沈みかけていた。
 茜色の夕日が、若葉の日に焼けた髪を赤く染めた。
「今日はここまで。初日から無理して身体を壊したら大変だしね」
 自身に言い聞かせるように声に出せば、「そうだぞ。無理は禁物だ」と祖父の声がどこかから聞こえてくるようだ。
「じいちゃん、あそこの洞穴(ほらあな)はどうかな?」
 祖父はもういないのに、話しかけるだけで、力が湧いてくる。
 昼から歩き通しで、足は重い。大きな岩肌がえぐれたような洞穴を見つけ、地面を注意深く観察する。
「うん。獣の足跡もなし、臭いもなし。ここにしよう!」
 今夜の寝床が決まれば、あとは落ち葉と木の枝集めだ。
 背負い袋を下ろし、斜めがけのかばんだけを肩から下げて、火のつきやすそうな、乾いた細枝を選んで拾っていく。
 両手いっぱいに枝を抱え、いちど洞穴の入り口へ戻り、背負い袋から襤褸(ぼろ)を継(つ)ぎ接(は)ぎして作った薄手の毛布を取り出し、今度は広げたその上に落ち葉を集めていく。
「……ピィ……ピィ……」
 風の音に紛れて、か弱い鳴き声が聞こえてきた。
「小鳥っぽいけど、なんかへん?」
 日が沈みきるまえに、落ち葉を洞穴に持ち帰り火を起こしたいが、元気な小鳥の囀(さえず)りとは違う弱々しさに、若葉は放っておけず辺りを散策した。
「このへんから聞こえるんだけど……」
 鳴き声を頼りに歩くうちに、辺りは薄暗くなり、自分の足元さえ見えづらくなってきた。
 頼りない鳴き声が、さらに弱まったそのとき、
「……鳴いてたのは、おまえか?」
 小鳥のような姿を想像していた若葉は、落ち葉の上に身を伏せた鷲を見つけた。翼を畳んでいても、生まれたばかりの赤子ほどの大きさがある。
「キィッ! キィッ!」
 若葉が近づくと、鷲は残る力を振り絞るように威嚇(いかく)してきた。
「ケガしてるのか?」
 さっきまで弱々しく鳴いていたのが嘘のように、手を伸ばせば翼を広げ、嘴(くちばし)で若葉の手や腕を挟んでくる。
「イててっ、こら、暴れるなって、おまえを焼いて食ったりしないから」
 鉤爪(かぎづめ)に気をつけながら鷲の胴体を抱え込み、毛布に集めた落ち葉の上にそっと下ろした。翼で顔をバシバシはたかれても、気にしない。
「これでよし」
「キィッ! キィッ!」
「はいはい、わかったって。警戒してるんだろ? 気が済むまで鳴けばいいさ。ここには若葉しかいないし、いまは静かよりも騒がしいくらいがちょうどいいよ」
 静まり返った山の中で、命あるものの気配があたたかい。
 襤褸の毛布の端と端を重ねて持ち上げ、落ち葉ごと鷲を洞穴の入り口まで運んだ。
 鷲が翼をばさばさ広げるものだから、せっかく集めた落ち葉がこぼれ落ち、若葉はまた拾い集めに行く羽目になった。
「火起こしは得意なんだ。すぐ暖かくしてやるから」
 洞穴の入り口から少し離れた、風を遮る岩陰で、若葉は火打ち道具を取り出し、慣れた手つきで火を起こす。
「うん、あったかいな」
 未だ警戒を解かない鷲を刺激しないよう、若葉はあえて関心を向けず、乾餅を焚き火で軽く炙(あぶ)った。表面に焼き色がつくと、香ばしい匂いが漂ってくる。
「ピィ……ピィ……」
「お、ようやく気が済んだのか。ちょっと待ってろ、そのまま寝ててもいいぞ」
 鷲が若葉に気を許した気配はないが、威嚇する力さえ残っていないのだろう。その鳴き声はすっかり弱々しくなっていた。
 洞穴に戻ると、背負い袋のなかから祖父の薬を手に取った。
「待てよ……人間に使う傷薬って、鳥にも使えるのかな?」
 そもそも、効き目が同じなのかもわからない。祖父から教わった薬草の知識はあっても、鳥の傷を手当てしたことはなかった。
「……まずは傷を見てみるか。運んでるときに見た限りでは、左の翼があまり広がってなかったんだよな……」
 放っておくのは自然の摂理だが、祖父ならば、傷ついた鷲をきっと手当てする。
 若葉は薬を手に鷲のもとへ戻った。
「ちょっと見せてくれ」
 鷲のまえに跪(ひざまず)いた若葉は、なるべく負担がかからないように、優しくゆっくりと左の翼を広げた。
「ピギィッ、ピギィッ、ピギィッ」
「ああ、ここだな。骨が折れてるのかな……」
 傷薬を持ってきたものの、骨折した箇所に塗ってもよいのかわからない。そもそも、人間用の傷薬が鳥にどんな影響を及ぼすのかも判断できなかった。
 ふたたび洞穴に戻った若葉は、着替えを一枚持ってきた。襤褸(ぼろ)ではあるが、きちんと洗ってある。
 ちょうどいい細さの小枝も拾い、衣を細く裂いていく。人間ならば、患部を枝で固定するが、果たしておなじ対処方法でもいいのかわからない。
「ピギィッ、ピギィッ」
 翼をそっと広げ、枝を添えて裂いた衣を巻いて固定する。鷲はときおり苦しげに鳴いたが、もはや激しく暴れる力も残っていないようだった。
「これでよしっと」
 巻き終えた頃には額に汗が浮かび、嘴で突かれた腕には血が滲んでいた。
「じいちゃん……これで正解なのかな……」
「ピィ……ピィ……」
 弱々しい鷲の鳴き声に、自分の無力さを突きつけられる。手当てはしたけれど、それが正しいのかも、救えるのかさえわからない。
 それでも、ただ目の前の命を救いたいだけだ。
「明日はなにか捕ってきてやるから、今夜はそのまま寝てくれよ……」
 火のそばに置いておいた乾餅は、すっかり焦げてしまった。若葉は枝の爆ぜる音を聞きながら、橙(だいだい)色の炎を見つめる。
 腹が空いては力も出ない。
 焦げた部分を爪でこそげ落とした若葉は、思い切り乾餅にかぶりつき、苦々しい思いも一緒に飲み込んだ。